※注※ 8月後期〜9月前期Web拍手御礼リメイク |
早朝。まだ夜明けきらぬ時刻。 残る闇の気配を追いかけるように、オレは足早に受付所を後にした。 嫌な任務だった。そう思う自分に、後ろめたさが忍び寄る。 そんな感傷に浸る余裕があるのなら、早く次の任務をこなせ。 そう無言の圧力をかけるのは、愛国心という名の大義名分だろうか。 良し悪しの問題ではない。その為に育ち、その為に生きる事しか出来ないだけ。 手甲を外した手の平が、まだ血でべたついているような気がして、オレは両手をきつく握り締めた。 明日は3週間ぶりの休暇。とにかく、ただ、眠りたかった。 自宅への近道に、アカデミーの裏庭を横切ろうとした。 ふと上げた目に、裏庭の一角に作られた花壇の前に立つ、背の高い人影が映った。 思いがけない偶然に、ざわりと心が揺れる。 どんな遠目でも、その、高く結い上げた髪型を見なくても、誰だかすぐに分かる。受付の業務もこなすが、アカデミーの教師が本業の、ナルト達の元担任。顔見知り以上、友人以下の微妙な距離。知り合ってから数ヶ月経つのに、今だその間合いを詰める事ができない相手。 今、一番会いたくて、最も会いたくなかった人。 「イルカ先生」 オレの声に、振り返ったイルカ先生は、にこりと笑って頭を下げた。いつもはきちんと額に巻いてある額宛を、今は首元に落としている。長めの前髪が目元にかかって、いつにないくだけた風情に、心臓が勝手に跳ねた。 「おはようございます、はたけ上忍」 「水やり、ですか?」 イルカ先生の手には、青いホースが握られていた。水圧が増すようにその口を押さえ、まるで雨のように、花壇の向日葵に向けて注いでいる。 「随分、ほったらかしにしてしまっていましたから」 元気ないでしょう、とイルカ先生は向日葵を指した。確かに、蕾は力なく項垂れ、葉にも茎にも張りがない。 「アカデミーも休校状態ですし、皆任務で手一杯ですから。きちんと手をかけてやる事ができなくて」 木の葉崩しの影響は、一月を過ぎてもなお、まだ暗く里に影を落としている。教師であるイルカ先生さえ、前線に出て任務をこなし、受付でもめったに姿を見る事ができなかった。 「もう夏も終わりなのに、まだ花が開かないんです。今年は雨も少なかったし」 「こうやって、いつも水をやってるんですか?」 「毎日、来てあげられれば、いいんですが」 でも、とイルカ先生は鼻の頭の傷を掻いて笑った。 「こうやって暑さにしおれていても、水をあげると元気を取り戻すんです。本当に強いですよね、植物は」 「・・・・・・」 「もうすぐ、綺麗に咲いてくれると信じてます」 そう言って、向日葵に目を向けるイルカ先生の横顔と、ホースを握るその骨ばった手を、オレはじっと見つめた。 その手に、慈しまれたい。 水を与えられて生きる力を取り戻す植物のように、あなたから溢れるものを、ほんの少しでいい、わけてもらいたい。 上忍だからじゃなく、ナルト達の元上官だからじゃなく。 本当に、少しでいい。たまにでいいから。オレの事を気にしてもらいたい。 初めて会った時から抱き続けているこの想いは、伝える方法もわからない。 男のオレが好きだなんていったら、この人は、どう思うだろう。たまに一緒に酒を呑む、気さくな上忍。その皮を剥いだら、醜く浅ましい欲望が渦を巻いているなんて知ったら。 失いたくない。嫌われたくない。今のこの距離を、この近さを手放したくない。 だから、言えない。 「手を、洗わせてもらっていいですか」 つい言葉が口から飛び出して、オレは自分に驚いた。イルカ先生は、少し目を見開いて、どうぞ、とホースの口をこちらに差し向けた。 「足元、濡れないように気をつけて下さい」 手についていた血はさっき洗剤で洗い流した。もう手の平は汚れていない。そう分かっているのに、握り締めた拳を開く事を躊躇してしまう。 オレは、手を握ったまま両手を差し出した。洗うというには不自然なオレの行動にも、イルカ先生は何も言わず、丁寧な仕草で、オレの手にホースの水をかけた。 「冷たい・・・」 思いの外ひんやりとした感触に思わず呟くと、 「地下水ですから。ちょっと、水の勢いが強すぎますね」 イルカ先生は、ホースの口元に自分の左手をあてて、手の平に水を溜めるようにした。オレの手首に、イルカ先生の手を乗り越えた水が、柔らかく滴り、溢れ落ちる。 堪らなく、胸が痛い。まるで、それはあなたから溢れだすもの。 オレは、そっと手を開いた。イルカ先生の手の中で渦を巻いた水が、彼の手を映したような優しさでオレの手の平に滑り込み、穏やかに洗い流した。 赦された気持ちになるのは、本当に、自分勝手なことだと思うけれど。 この里に生まれて、この人に出逢えた事の幸せを思わずにはいられない。 ぱしゃりと、手の中の水は清らかな音をたてる。 サンダルを濡らす水の感触さえ熱い気がするのは、あなたがこんな近くにいるから。 どうか、口から飛び出そうな心臓の音が、あなたに聞こえませんように。 「手を拭くものを持ってきます」 イルカ先生が言った。 「いいです」 拭くなんてもったいない。 「でも」 離れかけたその手を、オレは慌てて掴んだ。行かないで。強く引くと、イルカ先生は、驚いたようにびくりと体を震わせて、持っていたホースを放り投げるように手放した。 中の水圧に翻弄されて、生き物のようにうねりながら、ホースは水を撒き散らした。飛び散った飛沫が、ばらりと降りかかる。 「ご、ごめんなさい」 オレは、地面に這ったホースと、同じように水滴を滴らせて謝るイルカ先生の顔を見比べた。 大の男が、二人して。どちらともなく笑いがこぼれた。 「ごめんなさい、はたけ上忍。濡れてしまいましたね」 捕らえていないほうのイルカ先生の指が伸びてきて、オレの前髪を、さ、と払った。 「いいえ、大丈夫です・・・それに、オレが驚かせたから」 初めて触れたあなたの手。せめて振り払われるまでは、と、掴んだ手に浅ましく力を込めた。濡れた肌の感触に、心と体が熱を持つ。 イルカ先生は、困ったような、どこかが痛いような表情でオレを見上げた。 「・・・はたけ上忍は、これから、どうなさるんですか?」 「明日まで休暇です。実は一昨日から寝てないんで、帰って、ひと眠りしようかと」 「俺も明日休みです」 イルカ先生は、オレの口元を見ながら、少し早口で言った。 「よかったら、今晩、うちで飯喰いませんか」 「え」 「ご迷惑でなければ、ですが」 俯き加減のイルカ先生の言葉に、オレは慌てて頭を振った。嘘。夢じゃないだろうか。 「迷惑な訳、ないです。イルカ先生こそ、ご迷惑じゃ」 「迷惑なら、誘いません」 本当に?信じられない幸運に恐る恐る頷いたオレに、イルカ先生は、よかった、と照れたように微笑んだ。 離した手の代わりに、初めての言葉を貰う。 「では、また後で」 初めて交わした約束に、心が踊る。 今晩も、あの人に会える。 偶然じゃなく、誰かと一緒じゃなく。あの人がオレを待っていてくれる。 どうしよう。今から眠れるかな。 子供のような事を思いながら、オレは上る朝日を見上げ、家路を急いだ。 050824 051004リメイク |
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