抜け忍がでた。

「行ってくれるか」

鳥に呼ばれて行った宵闇の火影室。五代目から聞かされた名前にぎょっとする。同じ上忍のその男は、親しく話した事はないが、紅と並ぶ幻術の達人だと聞いていた。

里は今だ、木の葉崩しの混乱の最中にある。その中での里抜け。木の葉上忍としての矜持に勝る何があったのか。

他国に比べて格段に結束力が高い木の葉の里でも、過去、抜け忍追捕の任は稀ではなかった。

ある者は欲に目が眩んで邪な誘いにのり、ある者は忍の本分を超える野心を抱き、またある者は許されぬ恋に身を焦がして、里を捨てる。その理由は様々で、それぞれに言い分はあるだろう。だが、里と己を乗せた天秤の、そのバランスを崩してしまった彼らに安寧は無い。後悔も許さぬ程徹底的に追い詰められ、捕えられ、ほぼ例外なく欠片も残さず抹消される。

「必ず、今晩中にカタをつけろ」

五代目の声には容赦がない。

「抜け忍、しかも上忍の里抜けが表沙汰になれば、他の忍達に多大な影響がでる。動揺する者も出てくるだろう。里の現状では、それだけは絶対に避けたい。察知が早かったお陰で、まだそう遠くには行っていないはずだ。すぐに追え」

必要なら、その場で殺せ。

暗部の衣を身に纏い、オレは里の外壁を飛んだ。

 

 

 

目の前に、信じられないものを見た。

「イルカ先生・・・?」

オレの自宅、玄関のドアの前に俯いて座り込んでいる男を、このオレが見間違う訳がない。けれど、どうして、ここに。

オレの声に、イルカ先生は、弾かれたように顔を上げた。

「あ・・・」

「どうしたんですか。こんな夜中に」

イルカ先生は、まじまじとオレの顔を見上げた。そして小さく息をつくと、立ち上がってズボンの埃を叩いた。

「おやすみなさい」

それだけ呟いて、オレの脇を通り過ぎようとする。

「ち、ちょっと待ってくださいよ」

慌ててその腕を掴んだ。

「何か用があったんじゃないんですか?わざわざこんな時間に。あなた明日も仕事でしょ?」

イルカ先生は、オレが掴んだ腕をじっと見下ろした。

「離して下さい」

ごめんなさい、と手を離しそうになった。

「でも」

「痛いんです」

「ごめんなさい」

手放した。でも、帰したくはない。何を思ってここへ来てくれたのか、知りたい。

ずっと恋焦がれている、そしてずっと拒み続けられているこの男の事が、知りたい。

「上がって行ってください。何にも、しませんから」

我ながら間抜けな台詞だと思いつつも、俺は言い募った。

イルカ先生の視線が、オレの脇腹に向けられた。付けられたばかりの傷から立ち上る血の匂いに、気づかれないはずがない。暗部の詰め所で応急処置だけはしてきたが、おそらくまた、新たな出血が滲んできているだろう。

「・・・手当て、手伝います」

低く、イルカ先生は言った。

 

 

 

「縫ったほうがいいのでは?」

傷を見たイルカ先生は、呆れたように言った。

「明日、病院に行きます。一応止血剤は入れてありますし」

「今、ではいけないんですか?」

「いつも診てくれる先生がいるんです。明日まで出張らしいんですが。その人以外にはあまり触って欲しくなくて」

瀕死で担ぎ込まれるオレを、いつも死に物狂いで治療してくれる先生。医師という職業以上に医師らしい、技術と木の葉の誇りを兼ね備えた人。

「俺には、下らない我が儘に聞こえますが」

相変わらず容赦がない。でも、本気で心配してくれているからこういう言い方になるのだと、もう知っている。

「何、笑っているんですか」

イルカ先生は不機嫌そうに言った。ガーゼを取替え、オレの腹に腕を回し、手際よく包帯を巻いてゆく。

「上忍のあなたに、余計なお世話かもしれませんが」

口調や態度とは裏腹の優しい手つきが、この人の本性を映しているのだと思うと、堪らなく切なくなる。

イルカ先生に最初に気持ちを伝えたのは、まだ夏の気配が色濃く残る頃だった。すんなり受け入れられると思うほど楽天的ではなかったけれど、まさかあれ程、嫌悪感も露わに拒絶されるとも、思っていなかった。

男なんか好きになれません。あの時、オレの告白にそう言い放ったイルカ先生の目には、憎しみにも似た激情が見えた。

そしてオレは、彼の言葉に傷つく前に、その激情の底に何か別のものが潜んでいる事に気づいてしまった。

何があなたにそう言わせるのか。どうして、そんなに哀しそうなのか。

真面目で頑固、子供たちを誰よりも深い愛情で見守っている優しいイルカ先生。

いつも穏やかな笑顔を浮かべ、終始丁寧な態度で受付業務をこなすうみの中忍。

そんな彼しか知らなかった。そんな彼に焦がれ、その笑顔が欲しいと独占欲を燃やしていた。でも。

恐らく他の誰も気づいていない彼の激しさ。そして、その激情を周到に隠しながらも、本当は持て余している哀しさ。オレはその場で、改めて彼に恋に落ちた。

それからずっと、オレは彼を追い続けている。自分が吐く辛辣な言葉に、自分自身が傷ついているこの優しい男を、求め続けている。

「増血剤は?」

ぱちん、と治療セットの蓋を閉めて、イルカ先生はオレを見た。

「飲みました」

「必ず、明日朝一番に病院に」

そう言って、立ち上がろうとする。

「待って。帰らないで」

オレはその手首を掴んだ。今度は、何と言われようと離すつもりはなかった。

「イルカ先生。オレに、用があったんじゃないんですか」

イルカ先生は、浮かせた腰を渋々下ろした。

「・・・もう、用は済みました」

「何ですか、それ」

深夜、晩秋の寒さの中、何時戻るともしれないオレを待ち、顔を見ただけで帰ろうとする。一体どんな用が済んだというのか。

「・・・・・・」

ふいと逸らされた横顔に、オレは思い至った。

「・・・オレの顔を、見たかったんですね」

その頬が僅かに歪んだ。

「オレが、今日無事に帰ってくるかどうか、確認したかったんですね」

ランクの別はあれ任務は日常だ。そして、暗部案件も受ける事があるオレの行動を、イルカ先生が把握しているはずもない。オレが気づかなかっただけで、いつもこうやって待っていてくれた、なんて考えるほど馬鹿でもないし自惚れも強くない。

今日、今夜に限って、彼はこうしてここに来た。それはなぜ?

五代目の言葉が脳裏を掠めた。察知が早かったお陰で、まだそう遠くには行っていないはずだ。

「・・・イルカ先生。あなた、あの上忍と、どんな関係が?」

イルカ先生は、ゆっくりと顔をこちらに向けた、その挑むような視線に、オレは確信した。

「綱手様に連絡したのは、あなたですね」

「・・・・・・」

「どうして、あなたが?」

ふ、とイルカ先生の瞳が揺れた。伏せられた睫が、微かに震えているような気がした。

「・・・彼は、どうなりましたか?」

一瞬迷ったが、オレは答えた。

「自爆しました」

白牡丹峡で彼に追いついた。さすが元木の葉の上忍、反撃は苛烈を極めたが、オレは確実に彼を追い詰めた。生け捕れるか、と考えた時、彼は背後の深い峡谷へ身を投げた。次の瞬間、闇に赤い火の玉が炸裂した。

イルカ先生は、視線を伏せたまま動かなかった。

「・・・間違いなく?」

「彼のチャクラが膨張して弾けるのを感じました。念の為、すぐに忍犬に周囲を探らせましたが、それらしい痕跡はどこにもありませんでした」

そうですか、とイルカ先生は呟いた。オレはその血の気の失せた頬を見ながら言った。

「彼と、どんな繋がりが?」

イルカ先生は、しばらく黙った後、顔を上げてオレを真っ直ぐ見た。

「・・・昔、愛した人です」

予想もしていなかった。心臓が嫌な音をたてた。

「もう何年も前のことです。今は全く関係ありません。別れてから、顔も見ることがなかったのに・・・昨夜急に、部屋に訪ねてきたんです」

その穏やかな表情に、心が揺れた。嫉妬だ、と自覚した。

「里抜けに関する具体的な事は、何も言いませんでした」

ただ、とイルカ先生は低く言った。

「この里は好きか、と問われました」

泣きそう、と思ったのは見当違いだろうか。

「好きだと答えると、愛する人と里、お前はどちらを取る、と聞かれました。俺は、里を取る、と答えました」

「・・・彼は、何と?」

「お前はそういう奴だよな、と笑いました。何か変だ、と思ったのはその時です。彼が帰った後、受付所に行って、彼の最近の任務遂行表を確認したんです。それで・・・」

受付やってますとね、目の付け所にさえ気がつけば、色々分かる事があるんですよ、とイルカ先生は小さく微笑んだ。

「確信があった訳ではないです。ただ、もし俺の勘が当るような事があれば里に多大な影響が出る。そう思って綱手様に伝えました。可能な限り、目を離さないでくれ、と」

沈黙が落ちた。

オレは掴んだままのイルカ先生の手首をじっと見つめた。どろどろしたどす黒いものに、全身が埋め尽くされていくような気がした。

「そいつのこと、まだ・・・好きなんですか?」

いいえ、とイルカ先生は静かに言った。

「好き、という感情はもうありません。ただ、昔抱いていた想いの重さを忘れる事ができなくて。あなたを追わせた、と綱手様に言われて、同じ上忍同士只では済まないと思いました。その時、無事に帰ってきて欲しいと願ったのは・・・あなたの方です」

オレは苛立った。そこに、オレが期待するような理由はあるんですか?

「前に・・・男なんて好きになれないって、言いましたよね」

「・・・言いました」

「だったら、そいつは何なんですか?そいつは好きになれたけど、オレは駄目って事なの?」

「・・・違い、ます」

力なく、イルカ先生は首を横に振った。

「初めて、本気で好きになった人でした」

ぽつりと呟かれた言葉が、胸に突き刺さった。

「最初は、彼からでした。恐ろしく強引で、自分勝手で。同性同士という俺の拘りも何もかも蹴散らして、無理矢理に近い形で体の関係を持たされ、いつの間にか、俺の心の中に居座ったんです」

なのに、あっさり浮気されました、とイルカ先生は言った。

「不実だと責めたら、そんなつもりでお前と付き合ったんじゃない、と言われました。男同士、もっと気楽な関係が結べると思ったと。妊娠もしないし、結婚も迫られない。後腐れがないと思ったと」

淡々と話すその表情が、余計に痛かった。

「その時に、気持ち悪いと言われました。本気で男に惚れられるなんて、気持ち悪いって」

何かが、胸にすとんと落ちてきた。それで、なんですね。

オレは、イルカ先生の手首を強く握った。

「オレは、そいつとは違います」

「・・・・・・信じられません」

小さく紡がれた初めての本音。オレを拒む裏にあるのは、嫌悪ではなく怯え。もう傷つきたくないと震える心。だったら。

「オレはそんな事はしない。これからの一生に、あなた一人です」

いつか、動かないその瞳を熔かしてみせます。

「裏切ったら、オレを殺してもいい」

イルカ先生は、少し目を見開いて、呆れたように笑った。

「里一番の手練を、一介の中忍が殺せる訳ないでしょう?」

何と言えば伝わるのだろう。この世界にあなたしかいないと、どうすれば分かってもらえるのだろう。

もどかしさと、微かに見えた光明に、オレは目を細めてイルカ先生を見た。

分かってもらえたなら。あなたを、この腕の中に。

「・・・帰ります」

イルカ先生は、そっと腕を振ってオレの手から逃れ、立ち上がった。

「イルカ先生」

玄関に向かうその背に向かって呼びかけた。

「待ちますから。ずっと、待ってますから」

イルカ先生は、足を止めて振り返りかけたが、結局そのままドアを開けて出て行った。

 

 

 

051010

 

 

 

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