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人はそれを祈りだという。 些かの躊躇も情けも憐憫も無く、踏みつけた虫程の興味も見せずに奪い取った命への、彼なりの追悼の祈りなのだと。 地に転がった死体の上で、己の忍刀を、払うように振るう。苦悶の表情を浮かべる敵のガラスのような目を、飛び散った血潮を静かに見つめながら、腕を振る。 そして空を見上げ、遠い眼差しで、何事か呟く。 時間が許す限り、ムハクは己が手に掛けた死体を前に、その行為を行った。 確か年齢は自分より大分上のはずだ、とナツキは思った。 だが、 「ムハク特別上忍」 呼びかけに振り返った端正なその顔が、戦場には不釣り合いな、まるで子供のように無邪気な表情を浮かべているのが不思議だった。 そして、ムハクが味方の自分さえぞっとする程に強い事も、その事実をこうして日々目の当たりにしていても尚信じられないような気がするのは、薄暮の中に立つその姿が、今にも消えていきそうな頼りなさを感じさせるせいだと思った。 ナツキは、自分の忍刀の血糊を振るって、鞘に収めた。 「付近は殲滅できたようです。更に、北へ向かいますか?」 いや、とムハクは、西の空を見遥かした。 「雨になる。このまま突っ込むのは不利だね」 「一旦引きますか」 「めんどくさいけどね〜。参謀殿はそれでいい?」 揶揄の滲む物言いはこの男の癖だ。こうして何度か組むうちに、もう、気にならなくなっていた。ナツキは頷いた。 派遣されたこの戦場で、ナツキは初めてムハクと出会った。 ナツキが所属する火影直属の参謀部は、基本里付きだ。だが、机上の知識だけでは実際の戦で役に立たず、自分の命を戦場の苛烈に晒して初めて理解できる事が多々あると、こうして頻繁に実戦に派遣される。 ムハクは参謀と揶揄するが、ナツキはこの戦の作戦立案には関わっていない。 参謀部から派遣された者を戦略にあたらせるのが一般的だが、年若いナツキを、何故か部隊長は気に入らないらしい。部下の配置は部隊長の権限だという大義名分を元に、ナツキは一介の戦忍として扱われていた。 そのナツキを、自分の直属に引き上げたのがムハクだ。 「自分のケツを自分で拭けそうだから」 副部隊長と同格の特別上忍は、理由をナツキにそう告げた。 ムハクの予言通り、間もなく、大粒の雨が落ちてきた。 宿営地に戻り、報告を済ませると、同じテントの男二人が、ナツキに声を掛けてきた。 「今からやるからさ。お前も来いよ」 忍服の下にじっとりと滲む汗のように、男達の目がぬめぬめと光っている。ナツキはそっと溜息をついた。以前から目をつけていた下忍を伽に呼んだらしい。 「いいよ。遠慮しとく」 「我慢は体に毒だぜ」 男の一人が、揶揄するように低く笑った。 「お前まさか、片思いの相手に義理立てしてるんじゃないよな?」 なんじゃそりゃ、ともう一人の男が頓狂な声を上げた。 「違うよ」 ナツキは首を振った。そこまで純粋じゃない。ただ、戦場で、階級と力を楯に無理強いするというのが嫌なのだ。そのナツキ個人の考えを、他に強要するつもりは無いが。 「しかもこいつ、その相手に随分前に失恋してるのに、まだ引きずってやがるんだ」 もったいねえ、と男が笑う。 「お前もてるんだからさ、もっと要領よくやれよ」 その時、澄んだ鳴き声が、雨空に響き渡った。 見上げたナツキの眼に、宿営地の奥に舞い降りる小さな黒い影が見えた。里からの、伝令の鳥だ。 「ナツキ、お前呼び出されるんじゃないか?」 ナツキの所属を知る男が言う。 「どうだろ」 ナツキは肩を竦めた。 「あ、テント使いたいなら別に構わないよ」 「いいのか?」 「お前も、気が向いたら来いよ」 歩み去る男達の背を見送ったナツキに、ふいに声がかけられた。 「無理だよ」 いつの間にか、ムハクが後ろに立っていた。 「お前の赤い糸は、そいつには繋がってない」 赤い糸。 思わぬ言葉に、呆気に取られた。結ばれる運命の相手と、小指で繋がっている、運命の赤い糸。そんな恋に恋する年頃の少女のような事を、この特別上忍は言っているのか。 何の冗談だろうと思ったが、ムハクの表情はいつに無く淡々としていた。 「お前がいくら願っても、繋がっていない相手と結ばれるのは難しい。しかも、相手がそう望んでないのなら余計に」 ムハクの視線が、ナツキの左手に向けられる。ナツキは思わず、その手を握り締めた。ふと、黒髪の恩師の後姿が脳裏をよぎる。 「・・・もし」 何?と首を傾げたムハクを、ナツキは挑むように見返した。 「もし、その赤い糸が繋がってないと結ばれないなら、無理矢理でもぶち切って、相手と結び直せばいい」 ナツキの言葉に、ムハクは僅かに目を見開いた。 「・・・だったら、是非、そうしなよ」 そう言って、自分のテントに戻るその背中は、いつにも増して力が無いような気がした。 ナツキは、ムハクの後を追った。 テントの中で、ムハクは寝台に横たわっていた。 「・・・何か用?」 目を閉じたまま、入ってきたナツキに言う。呼吸が浅く、汗をかいているようだった。 「何でしょう?」 「ちょっと。おれが聞いてんのよ」 「暫く自分のテントに戻れないんで。この雨の中、外にいるのも嫌ですし」 「里から火影の鳥が来てたでしょ?参謀殿が行かなくていいの?」 「呼ばれませんでしたから」 ナツキの返事に、ムハクは、お前生意気だからねぇと、笑った。 「あなたこそ、呼ばれているはずでしょう?」 「おれは単なる駒。第一、興味無い」 「じゃあおれは、ここであなたの看病してるって事で」 ナツキは肩をすくめた。 「おれ、一応医術の免許も持ってるんですよ。昔、任務中に怪我を負いまして。結果、周りに・・・色々迷惑をかけてしまったんです。それで」 脇の机の上に散らばった薬の袋を見遣って、ナツキは言った。 「肝臓ですか?」 ムハクは眼を開けて、寝台の隅に腰を下ろしたナツキを見上げた。 「他にも、色々ね」 そして、に、と笑った。いつもの、何か悪戯でも企んでいそうな顔だ。 「心配しなくても、足手纏いにはなんないよ。こんな所で死んだりはしない」 絶対に、生きて帰りたい。 ムハクはさらりと言った。 雨が、テントを叩く。 ムハクは自分の左手をじっと見つめ、ナツキは、その横顔をぼんやりと眺めていた。 じりじりとカンテラの油が燃え、揺らめく炎が、柔らかな影を揺らす。雨音だけが聞こえる、その沈黙が、殊の外心地よいのが不思議だった。 ふと思いついて、ナツキは言った。 「さっきの話ですけど」 「何?」 「赤い糸の話。あれ、本当ですか?」 ムハクは眼だけを動かしてナツキを見た。 「それ聞いてどうすんの?」 「・・・もし、おれが想ってる相手と赤い糸で結ばれて無いなら、おれの小指は、誰と繋がってるんでしょう」 ムハクは、じっとナツキを見つめた。その深い緑の瞳を、森の奥に息づく繊細な植物のようだと、ナツキは思った。 日の光が満ちる空は遠く、それでも気高く、懸命に、手を伸ばす。世界にたった一つの、太陽を求めて。 ムハクは、僅かに眉を寄せ、すい、とナツキから視線を逸らせた。 「さぁ?」 そのうち、分かるんじゃない? どこか面倒臭そうに言って、ムハクは自分の左手を握り締めた。 「おい」 ふいに、テントの外で、男の声がした。副部隊長だ。ムハクとは古い知り合いらしかった。 「喜べ。命拾いしたぞ」 「何?」 「里からの命令だ。我らが隊長殿が里へ御帰還になる。代わりに新しい部隊長が派遣されるってさ」 万歳、と口に出しそうになった。あの馬鹿のお陰で、どれだけ無駄な汗と血と時間が流れたか。 「誰が来んの?」 「大物だ」 そう前置きして、男が言った名に、 「・・・・・・」 ムハクが、舌を打った。 「おれ、あいつ嫌いなんだよね。顔見ると、きっと、殺したくなっちゃう」 あからさまな敵意を意外に感じたのは、ナツキも同感だったからだ。 「おれも、嫌いです」 殺したいとは思わないまでも、兎に角、気に食わない。 優秀な忍だと理解している。周辺諸国に名を轟かす、恐らく、木の葉の里最強の忍だと言っても過言ではないだろう、その男。 だが、いくら忍として素晴らしくても、嫌いなものは嫌い。 大嫌いだ。 腹部隊長が立ち去る足音を聞きながら、 「うっとうしいからさ、あいつが来る前に、カタつけちまわない?」 おれとお前で。 そう言って、に、とムハクは笑った。 「できるでしょ?」 ナツキも笑い返した。 きっと。できる。 ムハクとなら。そう思える。 それが、ナツキとムハクが、運命を手に入れた瞬間だった。 数日後、木の葉の里火影執務室で、カカシは、自分が派遣される予定だった任務が、自軍の勝利を以って中止となった事を告げられた。 080720初出 090613リメイク |
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