八犬伝パロ

八房(カカシ)と伏姫(イルカ)のお話。


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 今は昔。

 里美の城は、数万の曳田の軍勢に囲まれ、落城を目前にしていた。
「今宵、曳田の首を取った者には、望みのものを褒美として与えよう」
里美の城主は、僅かに残った将を前に、自棄とも思える言葉を漏らした。
 顔を上げる者はいない。数万の敵兵の向こうにいる曳田の首。取れるものなら、自軍の兵士をこれ程失う前に、とっくの昔に討ち果たしている。
 夜を迎え、敵の攻撃は一旦引いている。しかし、朝日と共に総攻撃をかけてくる事は必至であった。
 もはやこれまで。諦念が、場を包んだ。
 その時。
「その言葉に、嘘はございませんね」
 澄んだ声が部屋に響き渡った。
城主は顔を上げ、将は一斉に振り返った。
階に、いつの間にか、一人の男が立っていた。
 血生臭い戦場には場違いな、まるで雪のように白い着物。銀色の髪に怜悧な容貌。灰と朱の色違いの瞳が、城主を射るように見た。
 将の間から、囁き声が漏れる。
「霊峰の狐の精だ」
「名を、カカシとか」
「海野殿が、怪我をしていたのを拾って、手当てしてやったそうだ」
「以来、海野殿に懐いてな。まるで忠犬よ」
「美しい人のなりをしているが」
「所詮、畜生だ」
城主は、疲労に濁った目で男を見返した。妖力を操るとも聞いている、霊峰の狐。
「・・・人には叶わぬ事も、お主になら、もしや」
「お館様」
 部屋の隅から声が上がった。胸の包帯も痛々しい若い侍が、血の気の失せた顔で主を見上げて言った。
「カカシは・・・あれは、人にあらざる者。何卒、軽はずみなお約束をなさいませぬよう」
 瀕死の重傷を負って戦線を離脱し、立ち上がるのもやっとの海野を、城主は穏やかに見つめた。
甥である海野を、子のない城主は殊の外可愛がっていた。ゆくゆくは養子に迎え、跡を継がせるつもりもあった。
 才知にたけて武勇にも優れ、優しい心根も併せ持つこの甥を、このまま死なせるにはあまりにも忍びない。主は、薄く笑って見せた。
「明日になれば皆殺しの運命じゃ。今更何を恐れる事があろう」
そして主は、カカシ、と呼んだ。
「二言は無い。見事曳田の首を取ったあかつきには、そなたの望むもの何なりと与えよう」
 果たして自棄の戯れか。それとも、一縷の望みをかけたのか。
 主の言葉に小さく頷き、カカシは風と共に姿を消した。
 

 次の朝。
 まんじりともせず夜明けを待っていた里美の城に、一陣の風が吹き込んだ。
 居並ぶ将の間からどよめきが上がる。
 驚愕の表情を浮かべる城主の前に、無造作に転がされたのは、確かに敵君主曳田の首。
「約束は、守っていただきます」
その白い着物に一滴の血も散らさず、カカシは端然と微笑んだ。
 城の外では、頭を失くした敵軍が、混乱の中撤退してゆく。敵を退けた喜びに勝鬨が上がる。
 「見事だ、カカシ。この戦一番の軍功じゃ」
歓声の中、興奮のまま声を張り上げる城主に、カカシは頭を振った。
「どうか、約束を」
カカシの性急さに面食らいつつも、城主は満面の笑みを浮かべて言った。
「おぉ、すまぬ。何が欲しい?金か?女か?」
カカシはにこりと微笑んだ。
「彼を」
カカシが指差した先には、周囲が喜びに沸く中、一人悲しげな表情で立ちすくむ海野がいた。
「褒美には、彼を頂きたく存じます」


 「これで、文句はないでしょう」
 場が水を打ったように静まる中、カカシは海野の前に立ち、その鼻梁に走る傷に指を伸ばした。
「あなたは、自分を髪の毛の一本までお館様のものだと言った。そして、お館様は、オレに望みのものをくれると言った。<だから」
 海野は、青ざめた頬で真っ直ぐカカシを見返した。
その引き結ばれた唇に、カカシは指を当てた。
「あなたは、オレのものだ。
どうか、オレと一緒に」
 日毎夜毎に永遠の命を約束し、涸れぬ愛を誓っても、決して首を縦に振らなかった人間。無理に攫えば死を選びかねない激しささえ愛おしくて。
ならば、彼の言うように人の道理を通して我が物にしようと決めた。
「ま、待て」
 勝利の歓喜に冷水をかけられ、息子同然の甥への愛情と、己の浅はかな口約束の間で揺れる城主は、弱々しい声を上げた。
「せめて、胸の傷が癒えるまで。元気になれば、必ず山に送り届けようぞ」
 カカシの目がすぅと細まった。
「・・・二言は無いとの言葉、翻すつもりか。恥を知れ」
 見守っていた将の間から、途端に罵声が上がった。
「畜生の分際で、何を言う」
「人を欲しがるなど、身の程知らずとはまさしくこの事」
 「お止めください」
 海野の静かな声に、喧騒が止んだ。城主に向き直り、海野は小さく微笑んだ。
「人の上に立つお方が、肉親の情に駆られて約束を違えたとなれば、これこそ末代までの恥。ましてカカシの働きで、里美の民数万の窮地が救われたのは事実。
私一人の身で済むならば、安いものでございましょう」
そう言って海野は深く頭を下げた。
 「どうぞカカシに、我と我が身を賜り下さいますよう」


 「お前を拾った時から、こうなる事は決まっていたのかもしれないな」
 真っ白い、まるで内掛けのような白布を被せられた海野は、己を抱き寄せるカカシを見つめた。
「恐ろしい?」
カカシが言った。
「少し」
 海野は笑った。
「でも、きっと、お前となら、どんな世界も悪くない」


 その後。
 幾度と無く城主は家臣に命じ、城の北に聳える霊峰に甥を探しに行かせた。
 家臣達は、どんな腕利きの狩人を案内に雇っても、大抵道に迷い、数日山を彷徨っては、見当違いの場所に降りた。
 ただある時、まだ年若い侍が、霊峰の中腹から流れ落ちる滝壷の近くで戯れる二匹の狐を見かけた。
一匹は銀、もう一匹は黒い毛並みが美しい狐は、侍の存在に気がつくと、身を翻してあっと言う間に籔の中に消えた。
 ただ一度、侍を振り返った黒い狐の鼻柱に、赤い傷が走っていた事だけが、侍の印象に残った。








2010.02.13

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