「別れてから数年後、元サヤに戻るカカイル」




俺は幸せだ。

「イルカ」
職員室に入ってきた三代目が、猫なで声で、俺を呼ぶ。
「ほら、イルカ。これを見てみい」
はいはい、と俺は机の上の書類を片付け始めた。周りの同僚達が、同情と好奇心の入り混じった表情で見守る中、三代目は大仰な台紙に収まった大判写真を俺にぐいぐいと押し付けてくる。
「すごい美人じゃとは思わんか? 歳はお前より3つ上で、火の国で会社勤めをしておる。こんないい女、儂が三十歳若かったら放っておかん」
俺は一応、ちらりと写真の女性を見る。確かに目を惹く美しさだ。優しげな笑顔で微笑む様子は、気立ての良さも感じさせる。
「今でも三代目は十分魅力的ですよ」
そう言って、俺は写真を三代目に突き返した。
「俺にはとても、勿体ないです。どうぞ、他の相応しい方に」
「会ってみる位いいじゃろう?先方はとても乗り気じゃ」
「俺は、結構です」
イルカ、と三代目は口調を改めた。
「いつまで、そうやって意地を張るつもりじゃ?」
俺は書類を詰め込んだ鞄を肩に掛け、苦笑した。
「意地なんか張っていません」
三代目の目が、鋭く光る。
「あれから何年経ったと思っておる?あやつの事などさっさと忘れて、お前自身の幸せを考えんでどうする?」
「俺は幸せですよ」
俺は、三代目を真っ直ぐに見返した。
「すこぶる健康で、ばりばり働けて、飯は旨く、子供達は可愛くて、里は平和。こうして心配してくれる三代目もいる」
これ以上の幸せが、どこにあるっていうんです?
お疲れ様です、と三代目に会釈をして、俺は職員室を出た。
蜩が鳴く夕暮れの道を、自宅へと歩けば、鞄に詰め込んだ仕事が肩にずしりとのしかかる。ある程度片付けてから帰るつもりだったが仕方がない。近くのスーパーでビールとつまみを買って、それを楽しみに頑張ろう。
しかし、何なんだろうと思う。ここ最近、毎週のように見合い話を持ちかけられるようになった。一時期おさまっていたから、三代目もご意見番も、諦めたものだと思っていたのに。
しかも、相手の女性のレベルが二年前より更に上がっている。普通見合いは一番最初が一番だというから、さすが里長というべきか。高スペックの女性ばかりをよくも集めてくるなと、他人事の様に感心するばかりだ。

自宅の玄関、鍵穴に鍵を差し込もうとした時、俺はふと、背後を振り返った。
誰もいない。
夕餉の匂いの漂う、夏の終わりの静かな夕暮れの景色は、普段とどこも変わりがない。
しかし、奇妙な圧迫感が、俺の心臓を強く叩き始めた。
背筋をぞっと、何かが伝い落ちていく。
敵?里の真ん中で?
しかし、忍の世界に有り得ない事などないと、印を結びかけた瞬間だった。

「うそつき」

耳に吹き込まれた声に、体が一瞬で固まった。
まさか。
長期任務で、ずっと里を離れているはずだったのに。
しかし、低く芯まで響くようなその声音を、俺が聞き間違えるはずがない。

「うそつき」

雷に打たれたような衝撃に震える俺の体は、強い力に後ろから抱き締められた。
埃と水と、忘れようもない微かな汗の匂いが鼻腔を掠めて、それだけで足の力が抜けそうになった。
視界の端に映る美しい銀色の髪が、滲むように揺れる。俺は縋るように、回された外套の袖を掴んでいた。
「イルカ先生の、うそつき」
首筋に、囁きが触れる。
もう身動きさえできなくなる。
歯を食いしばって耐えた時間と想いは、いとも簡単に巻き戻されて、こうして抱き締められて過ごした幾つもの夜の、幸福と安らぎへと戻ってしまう。
「あなたはオレを選ばないと、あの時確かに、そう言ったじゃないの」
言った。
確かにそう言った。
俺はカカシさんを選ばなかった。
―――カカシと別れてくれんか。
五年前のあの日、そう言って三代目は俺に頭を下げた。
「カカシは、お前以外に指一本触れるつもりは無いと、別れる位なら里を抜けると言いおった」
尊敬する里長が、身寄りを失った俺を実の孫のように可愛がってくれた人が、大好きなじいちゃんが、悲痛な顔で俺に頭を下げた。
「里は、カカシも、未来のカカシの子供も失う訳にはいかん。じゃからイルカ、お前から、カカシを捨ててくれんか」
だから、俺は選んだのだ。
木の葉の忍として、最も里の為になる道を、オレにはあなただけでいいと言ってくれたカカシさんを、捨てる事を選んだ。
他に好きな女ができたから別れてくれと言った俺とカカシさんとの修羅場は、思い出すだけで胸が潰れるような気がするけれど、決して後悔はしていない。
俺は木の葉の忍だ。
木の葉の里の為に、それがベストの選択だったと今でも固く信じている。
カカシさんは、いずれ美しく有能なくノ一を娶って、次代を担う子供を育むだろう。俺はそれを見守っていられればいい。
今もこの胸に燃え続ける恋情は、罰だ。
一途に俺を求めてくれたカカシさんを裏切った罰、ついた嘘の代償、そう思って、ずっと耐えていたのに。


「ごめんね」
優しい声に、心臓が引き絞られる。
立っているのがやっとの俺を抱き締める腕に更に力が篭る。
「オレがもっとちゃんとしてたら、イルカ先生に辛い思いさせなかったのに」
先生を好きなだけじゃ、先生を守れない。あの頃のオレは、それさえ分からないガキだった。
手甲に包まれた手が、俺の手を包み込むように重なってきた。
ドアノブに刺さったままの鍵へと導かれる。
「ごめんね」
今度こそ、あなたを守り抜く。
「だからもう一度、オレのものになって」
二人の手の中で、鍵が開いた。
その小さなカチリという音が、まるで世界に響き渡るように聞こえて、俺は思わず目を閉じた。





キッコリー様 ありがとうございました!

2011.08.08

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