「Garden」のカカイル




※第三者視点です。








友達が言う。
「今の仕事、嫌にならない?」
うーん、と私は首を傾げる。
「確かにノルマはきついけど、お客さんと話すの楽しいし」
「そうじゃなくて」
友達は、黒光りするカウンターにお行儀悪く肘をついた。小鼻のところのファンデが浮いちゃっている。濃いめのリップはもう殆ど輪郭しか残っていない。
「あんたの所で買い物する男って、要は、売約済みって事でしょ? どんなに自分好みのいい男が来たって、会った瞬間に諦めなきゃなんないじゃん」
既に酔っ払っていて、かなりろれつが回らなくなっている友達は、ただいま婚活真っ最中だ。お見合いパーティーやイベントが終わる度、こうして呼び出されて、これだ、って思わせてくれる男がいない、と愚痴られている。
いい男は鼻のきく女に早々に刈り取られている、というのが、最近の彼女の持論だった。
「それとも、盗っちゃおうとか、考えるの?」
何馬鹿なこと言ってんの、と私は眉を寄せた。
「私が売っているものって、人生で一番幸福な買い物のひとつじゃない? 幸せそうな顔で選ぶのを見てると、私も幸せな気持ちになれる、いい仕事だよ。そもそも、どんな格好いい男が来たって、お客さんだもん、そういう目で見ないって」

でも。
今日、今、この瞬間、私は友達とのやりとりを思い出して、自分の言葉が嘘だったと思い知った。
この仕事を始めて三年と七ヶ月。嬉しいことも辛いことも色々あったけれど、おおむね楽しんで、毎日働いていた。
そんな私が、初めて、自分がこの場に立っている事を、心底残念だと感じているのだ。
接遇上も、防犯の観点からも、店に人が入ってきたら必ず顔を見て挨拶するのが決まりになっている。だから、自動ドアが開いて、その男性が入ってきた時もいつものように視線を向けて、私はいらっしゃいませ、と言ったそのまま、固まってしまった。
うちの店は芸能人のお客様も多い。有名な人になればなる程、醸し出す雰囲気が普通の人とは違っていて、顔を隠していたり地味な格好をしたりして変装していたって、やたら目立って注意をひくのだ。
そういう、人を惹きつけるオーラ、みたいなものを持っている男性だった。
男性は何かを探すように、店をくるりと見回した。
どうか来ないで! 私は本気で念じた。どうかそのまま、真っ直ぐ、腕時計のカウンターに行って!
でも、願い空しく、男性は私の方に顔を向けて、見つけた、というような表情を目元に浮かべた後、こちらへ歩いてきた。
遠目では眼鏡が目立っていた男性の顔が、近づくにつれてはっきりと見えるようになって、私は知らず、ぼけっと口を開けてしまった。
戦くくらい、いい男だった。日本の芸能人でもそういない整った顔立ちだ。情報収集に毎月読んでいる海外のファッション雑誌に出てくる俳優にだって、引けをとらない。もしかしたら、純粋な日本人じゃないのかもしれない。どこか浮き世離れした美しさと、大人の雄っぽさがある。
しかも、身体も、すごい。モデルのように均整がとれつつ、しっかりした筋肉がスーツの下に感じられて、細マッチョとか興味がない筈なのに、やたらどきどきして困ってしまった。
男性は、ショーケース越しに立つ私に向かって、
「すみません、指輪を探しているんですが」
低く落ち着いた声で話し掛けてきた。
いらっしゃいませ、と挨拶を返した私は、いちるの望みをかけて、どういったものを? と問うた。そして、瞬間に、馬鹿じゃないの、と内心で自分に突っ込んだ。私の前のショーケースに並んでる類いの、指輪に決まっているじゃない。
案の定、男性はほんの少しだけれど、目元に照れをにじませて、
「揃いの指輪です。……その、結婚指輪なんですが」
はっきりと突きつけられて、私は頭をかきむしりたくなった。
こんな、いい男が、売約済みって事!? 信じたくない、という気持ちと、一体どんな女が射止めたんだろうという疑問が渦を巻いて、世界の残酷さと悔しさみたいなもので、叫び出したい気持ちになった。
でも、私だってプロの端くれだ。
「どういったものがお好みですか?」
すぐに平静を取り戻し、完璧な笑顔を、顔面に貼り付けて見せた。こうなったら、ちょっとでも高いの、売りつけてやる。
「ブランドにご希望はございますか?」
ショーケースを手で示しながら、男性の身なりを瞬時に観察した。身体に綺麗に沿ったグレーのスーツは多分オーダーメイドだ。布はイタリア製っぽい? 薄いブルーのシャツとブラウンがかったネクタイの配色はシックだけど華があって、決め過ぎじゃない感じが好感度高い。後は、靴を見れば、指輪の予算に大まかな見当がつけられる。
LEDで眩しい程に照らしたショーケースの中には、芸能人が好んで選ぶものをはじめ、さまざまなブランドのペアリングが並んでいる。
「普通の、シンプルなものがいいです」
男性はそう答えて、ショーケースを覗き込んだ。その視線が動く先を追って、男性が求めるデザインを観察する。
男性が目を止めたのは、表面に緩いうねりが入っているだけの、ごくごくシンプルなプラチナだった。この男性の結婚相手なら、相応のクラス感ある女性だろう。ならちょっと、あっさりし過ぎの気がする。
「こちらの、ダイヤが埋め込まれているものもお勧めです」
勿論お値段もその分張るけれど、十分許容範囲だと踏んで提案してみる。
しかし、男性は小さく首を振った。
「外で作業する仕事なので、石がついているものは避けたいんです。それに、派手なものは苦手みたいで」
あ、そうですか。私はにっこり笑って見せた。
「よろしければ、あちらのソファーへどうぞ。こういったデザインのものをいくつかお持ちしますので、どうぞゆっくり選んで下さいませ」
足音を吸い込む分厚い絨毯の上を歩いて、男性はフロアの中央にあるソファーセットに腰を下ろした。自然な仕草で組まれた足が、長くて驚く。その先にあるのはきちんと磨き上げられたイタリア製の靴。
私は、石のついていないプラチナを選んでトレイに乗せ、男性の前に並べた。
婚約指輪は男性一人で買いに来る人も多いけれど、結婚指輪は、二人一緒に選ぶ場合が殆どだ。日常的に使うものだから、女性は、自分が納得いくものをつけたいと考える。
でも、この男性の結婚相手は違うらしく、夫に全部任せているようだ。
男性は、自分の前に並べられたリングをじっくりと吟味していった。つや消しの加工がらせん状にデザインされたもの、リボンのようにねじれた形のもの、シンプルだからこそ、造形の緻密さが際立つものばかりだ。
そして、
「これにします」
男性は、最初に目をつけたリングを指差した。
「気に入ってくれるといいけれど」
照れている、というより、本当にそう不安に思っているんじゃないか、と言うような声音で呟くから、気に入らないなんていう女なら、結婚は止めておいた方がいいんじゃないの、と言いたくなって、空しくなった。
裏返せば、それだけこの男性が、妻となる人を想っているという事なのだから、結局、のろけられてるだけなのだ。
人生で一番幸福な買い物のひとつである結婚指輪を、幸せそうな顔で選ぶのを見てると、私も幸せな気持ちになる。いつもはそう確かに思うのだけれど、今はどうしても、そういう気持ちにはなれない。
「サイズを合わさせていただきます。奥様の左手薬指のサイズはお分かりになりますか? 勿論、お買い上げ後のお直しも承ります」
男性は、一度迷ったように目を瞬かせて、それから、自分の左の人差し指に触れて、
「この指と同じです」
奥様は、かなりゴツい指の持ち主らしい。それが顔に出ないよう、誤魔化すような気持ちで言った。
「きっと奥様も、お喜びになりますね」
「……だと、いいけれど」
男性は小さく苦笑した。目元が緩むと、冷たい程端正な顔立ちが、どこか寂しげな少年ぽさを醸し出して、私はまた、どきっとさせられた。
「つけてくれないかも」
そんな事を言うものだから、つい、どうして? と聞き返してしまった。しまった、と思う私に、男性は、静かなきらめきを放つ指輪を眺めながら、
「あまり、こういうのに金を使う事が好きじゃない人だから。オレが、オレの気持ちを形にしたくて買ってるだけだしね。まあ、持っててくれるだけでいいんだけど」
あ、なんか奥さん、むかつく。私だったら、こんな優しくて一途な気持ちで選んでくれた指輪だって知らなくても、喜んでつけるのに。
サイズを合わせた後、差し出されたのは、やはり、のブラックカードだった。
サイズ直し後の受取日を確認して、男性は、ありがとう、と店を出て行った。
その背中が見えなくなっても、私は、ぼんやり、その姿が消えた自動ドアの向こうを眺めていた。
これで今月のノルマは達成だけど、喜びよりも、虚脱感の方がすごかった。
すごく、奥さんを大事に想っているのが伝わってきて、それは微笑ましい事なんだけれど、やはり、胸が騒いでしょうがなかった。
あの男の人に愛されるって、一体どんな感じなんだろう。
あんな風に、健気に、大切にされるって、どれほど幸せだろう。
あー……なんか、本格的に空しくなってきた。
やってらんない。決めた。今日は飲もう。
二日酔い上等。いつも愚痴を聞かされているあの子に、今日は、この気持ちを聞いて貰わなきゃ、こんなのもう、やってらんないわ。






ウツツ様 ありがとうございました!

2015.11.20

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