ムハクさんが出てくるお話。「イルカ先生にちょっとした秘密がある」お話




大切な人が、帰ってくる。
俺はうきうきと弾む心で、台所に立っていた。
商店街で買い求めた新鮮な食材、鍋からは湯気。居間の窓から差し込む夕日が、室内を温かい茜色に染めている。事前に届いた報告で、本人も班のメンバーにも怪我なく無事だと知っている。楽な任務とは言い難い内容だったから、俺は余計にほっとしている。
献立は、あの人の好物だ。口当たりのいい酒も用意して、あの人の好きな温めで風呂も沸かしてある。大した事はできないけれど、長い任務明け、少しでも安らいで貰いたい。
「何作ってるの?」
不意に、するりと、背後から腕が回った。優しい、しかし断固とした力に抱き締められる。
驚きはしない。
ここに、俺のところに帰ってきてくれるのを、ずっと待っていたのだから。
「……ですよ」
俺は、背中に感じる暖かさに微笑んだ。俺の胸で組まれた腕に手を添えて、 「お帰りなさい。任務お疲れ様です」
「ただいま。ってか、茄子嫌いって言ったじゃない」
肩越し、俺の手元を覗き込むようにして、耳元で口を尖らせる。柔らかな呼気が当たって擽ったい。俺は笑って首を竦めた。
「茄子の……、好物じゃなかったですか?」
「きらーい」
拗ねたような、甘えたような声音。
「好き嫌いは許しませんよ」
「ちぇー」
くすくすと、まるで秘密を交わすように笑い合った。
俺を抱き締める腕が、力を増す。熱い吐息が、まるで愛撫のように首筋に絡みつく。
「……駄目ですよ」
「なーにが?」
「折角作ってるんですから」
「おれは何も言ってないでしょ?」
からかうように、声が笑う。
沸騰した鍋が蓋を揺らし始めて、俺は慌てて火を止めた。
……違う。
ふと、気付いた。
俺を抱き締めるこの腕は。この力強さは。
その声は、その言葉は、その温かさは。
俺が、待っていたのは。
「おれでしょ?」
振り返った俺の前に立っていたのは。
「おれを、待っててくれたんでしょ?」
「……クさん」
名を呼んだ俺に、その、子供のように無邪気な顔と、全てを内包する深い瞳が、笑った。


……夢オチって事でいいんだよな。
布団の中で、俺は目を瞬かせた。
見慣れた天井。俺の部屋の寝室。カーテンから差し込む光は早朝の色だ。
ドキドキと、心臓がまだ脈を打っている。夢の中で感じていた高揚と充足が、現実での着地点を探してふわふわと漂っていた。
……きっと、あれだ。思い至って、そっと息をつく。
昨日、元教え子からの手紙がアカデミーに届いた。
遠い任地で、初めて大掛かりな戦を任された元教え子が、里への定期報告と一緒に送ってくれたのだ。まだ小競り合いばかりで本格的な戦闘には至っていないという簡潔な近況報告と、どこか人を喰ったような調子での日々の出来事が、見覚えのある癖のある字で書かれていた。
そして、手紙の片隅には、小さく書かれた一言が。

『あの人も元気です』

あの人。
夢の中では、面影も笑顔も、変わっていなかった。

どうして、元教え子と知り合いなのか、詳しくは知らない。どういう立場で、今回の戦に参加しているのかも。
けれど、遠い空の下、木の葉と己の行く末を見つめて刃を握る、その細く強靭な背中を、ありありと、まるで眼前に見ているかのように、想像出来る。
忍としてしか生きていたくないと言い切った、その強い眼差しも。

おれは死なない。そして、諦めない。
どこにいようと、どうあろうと、おれはアンタを想ってる。
おれの赤い糸は、確かに、アンタに繋がってるんだから。

「おはようございます」
すらりと障子が開いて、カカシさんが顔を出した。
「……おはようございます」
やましい事など何一つない。それでも、カカシさんの笑顔がいつもより眩しく見える。
「珍しいですね、イルカ先生が寝坊するなんて」
「……そうですか?」
「何か、幸せそうな寝顔でしたよ。いい夢でも見てました?」
確かに。
そう、俺は確かに、満たされていた。
恋ではない。
恋ではないけれど、胸に湧き上がるこの温かい何かに、満たされていた。
「……そう、ですね。いい夢でした」
くすくすと、まるで夢の中で秘密を交わした時のように笑った俺に、 「どうしたの?」
カカシさんが小さく首を傾げて聞いてきた。
「いいえ、何でもないです」
笑みを浮かべたまま、俺はカカシさんに手を伸ばした。

例え他の誰に心底求められたとしても。
「俺が待っているのは、ただ、あなただけ」

この胸に、ひっそりと、誰にも絶対に言わない、俺の秘密。





M樫様 ありがとうございました!

2010.06.08

  Designed by TENKIYA
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送