相続人ヒカゼイ枠

 

 

 

「イルカ先生、今晩ちょっといいですか?」

夕暮れの受付所。報告書片手の忍たちが、にぎやかに談笑している中。

入り口に、銀髪のその男が現れると、視線が集中する。会話が止まる。

その男の進む先、さあっと、人込みが割れる。

羨望、嫉妬、恋慕、期待、様々な色を持った視線が、男の体に絡みつく。

男は、そんな受付所の空気をまるで気にかける様子も無く、受付の椅子に座るイルカの前に立った。

「任務、お疲れ様です」

イルカは、差し出された報告書の、必要な箇所にだけ、さっと目を通した。相変わらず、癖のある字だ。

「はい、結構です」

そう言って、顔を上げると、男がじっと見下ろしていた。顔のほとんどを口布と額宛で隠していて、右目しか見えない。その目が、居心地悪くなるほど、イルカを見つめてくる。

「あの・・・何か?」

問いかけると、男はすっと目を逸らして、机の上の報告書を見ながら、言った。

イルカ先生、今晩ちょっといいですか?お願いしたいことがあるんです。

その時、受付所全体が、声にならない声に、揺れた。

 

 

 

「イルカ、お前知らなかったのかよ!」

同僚が、興奮を隠せない様子で話しかけてくる。男が去った受付所は喧騒に包まれていた。なぜ騒がれるのか訳の分からないイルカを、誰もが注目している。

「知らないって、何をだよ」

少々辟易して、イルカは言った。自分だけが取り残されている。

「お前、後継者に選ばれたんだよ」

「はぁ?」

「写輪眼のカカシの、後継者に選ばれたの」

やっぱり訳が分からない。眉をひそめるイルカに、同僚は、なんでそんなに世事に疎いんだよ、と喚いた。

カカシと、サスケ。里ではこの二人だけがもつ写輪眼は、木の葉の宝である。

しかしサスケは、まだ、その眼の写輪を使いこなしているとは到底言えない。忍としての実力も、遠くカカシに及ばない。

もし今現在カカシが死ぬと、里の戦力は大幅ダウンを避けられないのが現状だ。

だから、と同僚は続けた。

「上層部は、はたけ上忍が死ぬような事態になったら、その写輪眼を誰かに移植しようって考えたんだ。あの人の写輪眼だけでも、木の葉に残そうって」

「・・・その誰かが、俺って言いたい訳?」

そうだと頷く同僚に、イルカはため息をついた。

「おかしいじゃないか。中忍の俺なんかより、上忍の、もっと実力のある方に移植したほうが、戦力的にも断然いいに決まってる」

そうなんだけど、と同僚はにやり、と笑った。

「はたけ上忍が、自分の決めた人にしか移植は許さないって、ごねたらしい」

「・・・・・・」

「もう左目の写輪眼に、術をかけてるんだってさ。自分の死後、勝手に別の人に移植されないように」

はたけ上忍が決めた相手じゃないと、眼窩にいれた瞬間、眼球が腐敗毒に変わるそうだ。もちろん、移植された人間は、目を失うだけじゃすまない。

「・・・すさまじいな・・・」

 呟くイルカの肩を、同僚はぽんぽんと叩いた。

「2、3日前から、里中で物凄い噂だったんだぜ。はたけ上忍が選ぶ後継者は誰だ、って。まさか、お前だったとはなぁ」

羨ましいを通り越して何だか誇らしいよ、と笑う同僚に、イルカは苛立ちを覚えた。

「でも、なんで俺なんだ?俺とはたけ上忍は、そんなに親しい間柄じゃない。はたけ上忍がナルト達の上官になってくれて初めて、話をするようになっただけで」

「飲みに行こうって誘われたりしてたじゃないか。お前、たまに断ってただろ。恐れ多いって思ってたよ」

「約束は、先にしたほうを優先させるもんだろ・・・って、そうじゃなくて。なんで、俺なんだよ?俺には、荷が重過ぎるよ」

「そんな事知るか。はたけ上忍にははたけ上忍の事情があるんだろ」

顔を高潮させて、よかったな、と繰り返す同僚を、イルカは呆然と見ているしかなかった。

 

 

 

 はたけカカシの家は、里の郊外にあった。

 イルカが知っている他の上忍の家は、大抵、その収入に似合って贅沢な造りであった。

 しかし、地図の通りなら、目の前にあるこじんまりとした住宅が、カカシの住まいのようだった。質素、という言葉は誉めすぎだ。はっきり言って、ボロい。

「ここで、いいんだよな・・・」

 おそるおそる、玄関のインターホンを鳴らした。間を空けず、はい、とドアが開き、カカシが現れた。まだ、額宛も口布もつけたままだ。

 「夜分にお呼び立てして、すみません」

散らかってますが、とイルカを家の中に招き入れた。

前言撤回、とイルカは思った。室内は、ボロいどころか、古さが趣になっていた。昔、雅楽の先生の自宅を訪問したことがあるが、それと同じ、簡潔で粋な雰囲気があった。寝具と、箪笥。小引き出し。忍用の長持。小さなちゃぶ台。奥には台所が見えた。

 白檀の香りが部屋全体にほのかに漂っていた。

 座ってください、とカカシはちゃぶ台前の座布団を指差した。

 そして、早速ですが、と引き出しから、風呂敷包みを取り出した。

「これが、この家と土地の権利書です」

書類を広げた。

「こっちが、オレの預金通帳。印鑑。財産と呼べるものはこれくらいしかないです。あと、仕事の道具は全部あの長持に入ってます。巻物とか、武器、薬、毒なんかも。支給された部屋の方には、寝具ぐらいしか置いていませんし」

 イルカは、じっとカカシの顔を見ていた。

「はたけ上忍、どうして、私なんですか?」

 カカシは手を止め、家に入ってから初めて、ようやく真っ直ぐイルカを見た。

「・・・怒ってますか?オレが勝手にあなたを遺産相続人に指定したこと」

「・・・中忍の分際で、口出しは差し出がましいですが・・・正直愉快ではありません」

私の意志は無視ですから。イルカの低い声に、カカシは、はぁとため息をついた。

 ここに来る前、イルカは火影に呼び出され、一枚の書面を見せられた。カカシの直筆で、血判まで入ったその内容は、カカシの死後、写輪眼及びはたけカカシの財産すべてをイルカに残すというものだった。

 ごめんなさい、とカカシは頭を下げた。焦って、本来の手順を無視してしまいました。

「何と言うか、売り言葉に買い言葉みたいなところが、ありまして」

風を入れます、とカカシは立ち上がり、庭に面した障子を開けた。

春とはいえ、夜はまだ気温が低い。ひんやりとした風が、イルカの頬を撫でた。

庭には、松と、ツツジの木が数本植わっていた。狭いが、手入れが行き届いていた。

ある古老と口論になりましてね、とカカシは話し始めた。

「オレの写輪眼はある人からもらったものです。だから、サスケと違って、血脈で写輪眼を残すことができません。オレが死なないにしろ、忍として役に立たなくなったら、この眼を取り上げられる可能性があることは、ずいぶん前から想定していました」

 カカシの眼の秘密を、イルカは初めて知った。確かに、本来写輪眼はうちは一族のみ、その両目に現れるはずである。

「その古老とは、親父絡みで少々因縁がありましてね。接触はできるだけ避けていたんです。ところが、あの日偶然出会ってしまいまして。仕方ないので適当に相手をしていたら、お前なんか、その眼が無かったらただの役立たずだ、と罵られました。お前の眼には、次の予約が入っているんだから、さっさと死ねばいい、と」

 何て事を。イルカは顔を歪めた。事実なら、許されない暴言だ。里の為に命をかけて働く忍に対して、これ以上の侮辱はない。それに、例え写輪眼が無くとも、カカシ自身の能力は疑うべくも無い。

「・・・オレも頭に血が上りましてね。この眼は誰にも渡すつもりは無い、渡すとしたら、オレが決めた相手だけだ、と言ってしまった訳です」

 何故だか、ここの部分だけが噂として流れてしまったんですね、とカカシは頭をかいた。

「その場は、火影様が収めてくれました。でも、この眼に関しては譲るつもりはなかったんで、一方的に宣言してきました。オレの死後、この眼を受け継ぐ権利があるのは、うみのイルカだけだって」

 イルカのカカシに対する怒りは、とうに収まっていた。

ただ、疑問だけが残っていた。

「・・・本気で、私に残そうと思ってるんですか?」

「はい。この眼も、何もかも」

「どうして、私・・・俺なんですか?」

カカシは、黙ったまま、額宛と口布を取った。イルカは初めて、カカシの素顔を見た。

「・・・どうですか?オレの顔」

「俺が女なら、惚れてますよ、はたけ上忍」

「女じゃなくても、惚れてくださいよ」

 イルカは動揺した。それは、どういう意味ですか?

「言葉通りの意味です」

カカシの目は哀しそうだった。

「初めて会った時から、好きだったっていったら、イルカ先生、怒りますか?」

 気が遠くなるような感覚が、イルカを襲った。

 ずっと、考えないようにしてきたことが、脳裏に浮かぶ。

初めて出会った日。毎日のように顔を合わせる受付所でのやりとり。

子供達の向こうから、こちらを見つめる目。その色。

もしかして、と思う気持ちを押さえ込んでいた。傲慢なことを考えるな、と。

何と返事をすればよいのだろう。どうすればいいのだろう。

考えることを止めていたイルカの頭には、何の言葉も浮かばなかった。

「黙られると、きついですよ、イルカ先生」

苦笑交じりに、カカシが言った。

「じゃあ、聞き方を変えます。イルカ先生は、オレのこと、どう思ってますか?」

「どう・・・って?」

「好きですか?嫌いですか?」

「・・・嫌いじゃ・・・ないです」

「じゃあ、好き?」

「・・・誘導尋問みたいな聞き方、しないで下さい」

は、とカカシは天井を見上げた。そして、しばらく黙った後、焦ってすみません、と呟いた。

「明日から任務に出るので、どうしても今日、答えが聞きたかった。自分勝手ですね」

 日々死と隣り合わせが、忍である。だから、伝えたい事は、伝えたい時に伝える。イルカはその大切さを身をもって知っていた。

 「・・・これだけは言えます」

イルカは顔を上げて、カカシを見た。

「もしあなたが死んだなら、写輪眼も、あなたの財産も、全部俺が面倒見ます」

カカシの表情が微かに動いた。

「だから、写輪眼の扱いに関しても、俺の一存で決めます。俺よりもっと、里の為に役立ててくれる適切な人物がいたら、その人に眼を譲ります。だから、妙な術は解いておいて下さい」

え、と言いかけたカカシを制し、イルカは言った。

「これが、あなたの希望を受ける絶対条件です。これが気に入らないなら、ちゃんと死なずに帰ってきて下さい」

 呆気にとられた表情で、イルカを見つめていたカカシは、参ったね、死ぬ訳にはいかないね、と心底嬉しそうに微笑んだ。

 「任務は5日間の予定です。イルカ先生」

「はい?」

「5日後、さっきの質問にも答えてくださいね」

「・・・それは、約束しかねます」

カカシは魅惑的に微笑んだ。

「それは、脈ありってことで、いいんですよね」

 さぁ、どうでしょう、とイルカは庭に視線を逃がした。

 強情な人だなぁ、とカカシは呟いた。

 

 

 

「イルカ先生、さっき言ってた妙な術ってなんですか?」

「俺以外の人間に眼を移植しようとすると、眼が腐敗毒に変わる術をかけてるって、聞きましたよ」

「そんな術ある訳ないでしょ。第一、術はかけた人間が死んだら自動的に解けてしまうじゃないですか」

「そうなんですけど・・・はたけ上忍だったら、できそうな気がして」

「・・・ねぇ、イルカ先生。さっきも言ったでしょう。はたけ上忍じゃなくて、カカシ」

「無理です」

「あっさり言いますね。じゃあ、カカシさん」

「・・・考えておきます」

「ほんっと、強情な人・・・」

 

 

 

完(05.04.18)

 

 

 

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