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火の国灯小路四番下ルにて 「ごめんね」 膝枕、見下ろす女のほつれ毛を弄びながら、カカシは言った。 「もう、ここにはこられない」 女は紅く美しい唇で、 「好きなお人が、できたんですねぇ」 心底嬉しそうに笑った。 火の国最高級の遊郭、その太夫と言えば、そこらの御大尽でもなかなかお目にかかれない。カカシがそんな彼女と入魂となったのは、依頼で、遊郭の主の護衛についたのがきっかけだった。 「綺麗な髪でございますねぇ」 そう言って、太夫はカカシに微笑んだ。 「あちきに、よくよく見せてくださいまし」 護衛の任務が終わっても、太夫はカカシと会いたがった。美しい太夫の誘いに、カカシに否があるはずもない。 めったに言わない太夫の我が儘と、カカシの金離れのよさに、渋い顔をしていた主も折れた。 こうして、月に3,4日程、カカシは太夫の元に通ってきた。 カカシも、太夫を気に入っていた。美しいだけでなく聡明な彼女は、話をしても打てば響くようで、細やかな心配りも行き届いていた。もちろん、閨での手管は抜群だった。 「・・・よく、わかったね」 カカシは、太夫の着物を羽織っただけの姿で、太夫の膝に頭を乗せていた。彼女以外の女性に、素顔を晒したことはなかった。 「そりゃあ、カカシさんの事ですもの、わからない訳ありませんよ」 「・・・ごめんね」 太夫は、にっこりと微笑んだ。その美貌は輝くばかりだった。 「謝るところじゃあ、ありません」 「でも、身請けするって、言ったじゃない」 カカシは、太夫の頬をそっと撫でた。太夫は穏やかな口調で答えた。 「そのお話は、お断りしたじゃあありませんか。あちきに心底惚れ抜いてくれる男じゃないと、身請けなんざ真っ平です」 カカシは僅かに眉を上げた。 「好きだったよ」 「心底じゃあ、ありません」 そう言われるとね、とカカシは笑った。恋愛感情とは微妙に違う太夫への気持ちは、言うなれば、親友に対するものかもしれなかった。 「どんなお人なんですか?カカシさんが惚れたっていうのは」 カカシは困ったように微笑んだ。 「・・・素敵な人、オレにはもったいない人」 「もったいない、とおっしゃいますか」 太夫は驚いたように言った。肥えた彼女の目から見ても、カカシほどよい男はそういない。 「年はオレより一つ下で、学校の先生をしているんだけれど。生真面目で、融通がきかなくて、適当なことやってると、オレなんかすぐに怒られる」 太夫はくすくす笑った。カカシさんを、怒るんですねぇ。 「こうと決めたら、信念を曲げない人。その信念と、大切なものの為には、命も投げ出せる人。だから、オレは怖くてしょうがない」 「・・・そのお人に、心底参ってるんですねぇ」 カカシは、やっぱりそうなんだろうね、と笑った。 じり、と枕もとの灯が揺らめいた。 太夫は、カカシの頬を愛しげに撫でて、言った。 「こんな商売してますとね、心底惚れる男には、そうそう出会えないもんです。だから、一度好きになった男の事は、なかなか忘れられないんですよ」 「いたの?そういう人」 まだ、ここに入る前の話ですよ、と太夫は話し始めた 「あちきは小さい頃に父親を亡くしましてね、母親が近所の畑仕事の手伝いをして、あちきと弟二人を育ててくれました。家は、やっぱり貧乏で、毎日の食事にも事欠いておりました」 遊郭で働く女性は、貧しい家庭環境に生まれ、金の為に売られてきた者がほとんどだった。 「家の近くに、深い山がありましてね。あちきはよく、畑仕事の後、食事の足しにと山菜を取りに行きました。ある日、少し足を伸ばしすぎまして、山の奥で迷ってしまったんですよ。日はどんどん暮れて、歩き回ったせいで足は棒のようになっていて、心細くて泣いていた時、あの子に出会ったんです」 太夫は思い出に微笑んだ。 「年は、あちきと同じ十二、三位だったと思うんですが、随分しっかりした男の子でしてね。怯えるあちきを宥めて、足の手当てをしてくれて、里への道へ案内してくれたんです」 二人で山道を降りている時にね、聞かれたんです、と太夫は言った。 「どうして、あんな所にいたのか、って。あれ以上行くと、危なかったよって言うんです。あちきは、食べるものが無くて、弟たちが腹を空かして待ってるから、山菜を採って帰らないといけない、と答えました。男の子は、じっとあちきを見て、今日はもう遅いから、明日良い場所を教えてあげるって言ってくれました。悲しそうな顔をしてましたねぇ」 カカシは、その情景をぼんやり思い浮かべた。太夫は、もしかして、忍隠れ里近くの村の生まれではないだろうか。 「次の日、約束の場所に行くと、男の子がちゃんと待っててくれました。それだけであちきは嬉しかったですよ。あちきの存在を尊重してくれる他人は、その子が初めてでしたからね。男の子は、あちきに約束させました。昨日いた所から奥へは決して行ってはいけないこと。これから行く場所、話す事は、すべてあちきと男の子だけの秘密にすること。あちきは勿論頷きました。連れて行ってくれた場所で、あちきは抱えきれないくらいの山菜を採りました。それから、男の子はあちきに、薬草の種類を教えてくれました。どの種類から、どんな薬ができるのか、きちんと作れば市販の薬より効果があるから、いろいろと役に立つと思う、と言ってくれました」 おそらく、とカカシは思った。太夫は、隠れ里近くで忍の少年と出会ったのだ。忍の技はどんな些細なものでも門外不出だが、その少年を責める気持ちにはならなかった。効果の高い薬は、よい金になる。 「それから毎日、あちきは男の子に会いに行きました」 幸せでしたよ、と微笑む太夫は本当に美しかった。 「何日か経って、母親が泣きながら、弟達の為に街で働いてくれないかってあちきに言いました。もう、どうしようもならなくなってたんですねぇ。あちきは、嫌とは言えませんでした。もう母親の後ろに、恐ろしげな男が立っていましてね。そのまま、ここへ連れてこられました」 太夫は、つまらない話をしましたねぇ、とカカシに笑いかけた。 「それから、男の子には、会ってないの?」 「母親の葬式にも帰らせてもらえませんでしたもの。あれっきりですよ」 「会いたい?」 どうでしょうねぇ、と太夫は首を傾げた。 「会ってお礼を言いたいという気持ちはありますよ。でも、このまま、思い出の中だけでいいような気もいたしますねぇ」 どちらにしろ、あちきの忘れられない男ですよ、と太夫は笑った。 ほう、と、障子の向こうで鳥が鳴いた。 カカシの為の時間が、終わりに近づいていた。 立ち上がって、身支度を整えたカカシに、 「本当に、ありがとうございました」 太夫はきりりと畳に手をついた。 「我が儘を聞いてくださり、よい思いをさせていただきました」 「それは、こっちの台詞」 頭を上げた太夫に、跪いたカカシは微笑んだ。 「元気で」 「カカシさんも。どうか、大事になさってくださいまし」 初めてこの部屋に入ってきた時と同じように、音も無くカカシは太夫の前から姿を消した。 太夫は立ち上がり、窓を開けた。無粋な鉄格子で遮られて、大きな月は四角く切れて見えた。 いつか、丸く綺麗な月を見ることはできるのだろうか。 太夫は目を閉じて、10年以上前の、少年の姿を思い出した。黒髪で、鼻の頭に傷のあるその少年に、太夫は微笑んだ。 「カカシさんみたいな、いい男になってくれてるといいねぇ」 鳥が、ほう、と鳴いた。 完(05.05.08) |
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