獣と人と

 

 

 

人面の暗部がいるという。

 

 

 

「具合はどうだ」

アスマが言った。表情は、腹減ったか?と言っているみたいに気楽で、煙草もしっかり咥えている。

「・・・オレ、一応重体なんですけど」

「あん?」

「煙草」

「細かいことを言うな」

そう言う両目がほっとしたように細められるのを見て、心配をかけていたんだと身に沁みた。

「・・・すまない」

「それはこっちの台詞だ、カカシ」

いろいろな経緯をひっくるめて、このやり取りだけで分かり合える関係が、心からありがたかった。

木の葉崩しの混乱から今だ脱しえていない里に現れた、うちはイタチと干柿鬼鮫。その場は退ける事ができたが、その計り知れない意図に不安を覚え、己の力不足を思い知った。

本当は、こんなところで寝ている暇はないんだけれど。

アスマは煙を吐き出した。

「綱手様の見立てじゃ、体の方はもう心配ないそうだ」

うちはイタチの写輪眼とやりあって、これほどの短期間で回復できたは、あの若作りのお陰だ。

「なんか、まだぼうっとするけどね」

「単なる寝過ぎだってよ」

何だそれは。そう言えばあの年増、人が目覚めたばかりでぼんやりしてたのをいいことに、言いたいこと言ってたな。

「何か喰いたいもんはあるか?」

アスマの問いに、オレは真剣に答えた。

「イルカ先生」

「・・・それは、喰いもんじゃないだろ」

「イルカ先生は、オレのこと知ってるの?」

目覚めてからずっと気になっていた。一度も会いに来てくれない。分かってはいたけれど。

「さぁな」

え?と聞き返したオレに、アスマは、この男には珍しく言い難そうに続けた。

「実は、うちはイタチとやり合ったすぐ後から、イルカの姿を全く見かけないんだ」

「見かけない?」

オレはぎょっとして、体を起こした。

「人手不足が深刻なのは知ってるだろ。最低限の要員を残して、上忍も中忍もほとんど里外任務に出てる。アカデミーは休校状態だしな」

「イルカ先生も、任務について里から出てるってこと?」

「そこら辺が、よくわかんねえんだ」

任務は、暗部案件以外すべて、受付所でいつどの忍に依頼したかを管理している。アスマが調べたところ、現在遂行中の任務リストの中に、イルカの名前はなかったらしい。

「今の時期、上層部が私用で貴重な中忍を使うとは考えられない。無断で里外に出ることが禁じられているとなると、残る可能性は、暗部絡みしかないんなんだがなぁ」

まさかイルカがなぁ、とアスマは首を傾げた。

イルカ先生が、暗部?確かにぴんとこなかった。

火影直属の精鋭部隊である暗部は、火影によってのみ選抜される。火影が不在である時に新しい人員が増えることはない。第一、現在の暗部は、大蛇丸の事件で壊滅的な打撃を受けていて、機能停止に近い状態のはずだ。

「ま、何の噂もきかないって事は、元気な証拠だろ」

明らかに慰めだ。オレはアスマを睨みつけ、布団からでようとした。

「おい。まだ寝てろ」

アスマは慌ててオレの肩を抑えた。

「まだチャクラが全然追いついてない。じきに任務に駆り出されるんだ。休めるうちに休んでおけ」

「そういう事を聞いて、寝てられる訳ないでしょ」

イルカ先生が、行方不明。焦る気持ちについ語気が荒くなったオレに、アスマはため息をついた。

「すまんな。もっと調べておければよかったんだが」

唯一この男だけが、オレのイルカ先生に対する気持ちに感づいていた。気を遣ってくれた事にようやく気がつき、申し訳ない気持ちになった。

「・・・いや、アスマ。感謝してる。でも」

「どうせ、行くなと言っても、聞きやしないんだろ」

アスマは肩をすくめた。

「だったら、とりあえずこれ飲んどけ。綱手様のチャクラ増強薬だ」

差し出された薬瓶からは、確かに彼女のチャクラが感じられた。オレは中身を少し手に取り、舐めてみた。匂いも味も間違いなく増強薬だ。

オレはそのほのかに甘い液体を数口飲んだ。飲み込んだ後の喉越しが気になったが、後の祭りだった。

アスマに瓶を返し、ベッドから立ち上がろうとした瞬間、足から力が抜けた。図られた、と思った時には、首から下の筋肉がいう事を聞かなくなっていた。

「・・・おい、アスマ。てめぇ」

崩れ落ちたオレの体を、アスマは再び布団に押し込んだ。ちくしょう。写輪眼を使おうにもチャクラが足りない。

「すまんな」

アスマはにやりと笑って、悪びれもせず言った。さっきのしおらしい態度は罠か。

「どうせ、イルカの事を聞いたら、無茶してでも探しに行こうとするだろうと思ってな。綱手様に薬を頼んどいたんだ。お前を出し抜けるとは、さすが伝説の医療スペシャリスト」

心配するな、とアスマはわざとらしくオレの動かない肩を叩いた。嫌味な。

「チャクラ増強薬というのは本当だ。チャクラが体外へ漏れないように、回路を遮断する効果を併せてあるらしい。それから、睡眠剤も入ってるそうだ。ゆっくり寝て、一定量のチャクラが体内に溜まったら、動けるようになる。それまで、大人しくしてろ」

早く元気になって、イルカを見つけて、俺を殴りに来い。

睨みつけるオレの視線を平然と見返して、アスマは部屋を出て行った。

 

 

 

地獄だ。

オレは病室の天井を見つめることしかできない、今の状況を恨んだ。睡眠剤の効果が薄いのは、薬の効きにくい体質にしてあるせいだ。だが、さすが木の葉史上最高と言われる医療忍者の薬、オレの体は、首から下指一本も動かせなかった。

体が動かないだけで、意識ははっきりしているし、声も出せる。

「イルカ先生、どこにいるの?」

名を呼ぶと、不安が余計に胸を締め付けた。まだ、きちんと好きだった言ってない。どさくさに紛れてキスしただけだ。しかも、酒の勢いにまかせたキスなんて、あってないようなもの。オレがどれほど嬉しかったとしても。

イルカ先生は、絶対冗談だと思ってたはずだ。でなければ、次の日あんなに屈託なく、オレに笑いかけてくるはずがない。

その笑顔を思い出し、オレは思わず目を閉じた。

不安で、心配で、堪らない。本当に里にいないとしたら、どこにいる?任務の可能性が最も高いが、リストに名を残さないなんて、何かあった時にどれほど手間取るかよく知っているはずだ。

何かあった時、と考えて、俺の背中に冷や汗が伝った。嫌だ。考えたくない。

何か事情があった?極秘に、里を離れなくてはならない事情?それは、一体どんな?

いくら考えても堂々巡りで答えの出ない問いを、オレは繰り返した。

会いに来てくれなくたっていい。元気で、あの笑顔を浮かべていてくれるなら。

・・・目を閉じたのが、まずかったらしい。

オレは、知らぬ間に眠りに落ちていた。

そして、嫌な夢を見た。

暗部の頃のオレが、狐の面をつけて、暗闇を走っていた。必死で走るが、後ろから追いかけてくる何かが、物凄い速さで追いすがり、オレの背中に爪をたてようとしていた。

物凄い恐怖感に、叫び声を喉に張り付けたまま、オレは闇雲に走り続けた。

どれほど走ったか、不意に体を揺り動かされ、オレは目を開けた。

暗い。が、見慣れた天井に、心底ほっとした。

そして、夢とのギャップにぼんやりするオレの目に、今一番欲しいものの顔が見えた。

「イルカ先生・・・」

嘘。これも、夢じゃないだろうか?

オレは不安に駆られながら、その黒く光を弾く瞳を見つめた。髪を下ろした姿を初めて見た。普段と印象が違う。この状況で惚れ直してしまった自分に、我ながら呆れた。

真剣な表情でオレをのぞき込んでいたイルカ先生は、くしゃり、と顔を歪めて、よかった、と小さく呟いた。

「・・・本当に、イルカ先生・・・?」

声が上手く出ない。体もまだ動かない。もどかしいオレの気持ちを察してか、イルカ先生は、顔を寄せ、にこりと笑った。

「はい、俺です。カカシさん」

何よりも聞きたかった声だ。オレは安堵のため息をついた。

「・・・よかった」

それは俺の台詞です、とイルカ先生は嗜めるような口調で言った。

「体温はちゃんとあるのに、全くチャクラが感じられないなんて。俺がどれほど肝を冷やしたか分かりますか?」

「・・・年増と髭にしてやられました」

イルカ先生は笑った。

「五代目とアスマさんですね」

「漏れないように栓をして、チャクラを増強剤で効率よく回復させる寸法だそうです。お陰で身動きが全然取れない・・・」

オレは、イルカ先生が、上腕までの長い手袋をしていることに気がついた。その上に、前腕を覆って保護具がつけてある。そして、むき出した肩と、独特の胸宛に、目を奪われた。

それは見慣れた、そしてもう着ることはないと思っていた、暗部の装束だった。オレの視線の意味を感じ取って、イルカ先生は苦笑した。その首元に、細い紐が見えた。

「まさか・・・イルカ先生・・・」

「ばれてしまいましたね」

イルカ先生は肩をすくめ、首の紐を引いた。背中の方に回してあった面が、こちらを向いた。

人面。しかも、女の面だった。

そして、オレは思い出した。暗部時代に聞いた噂を。

「・・・イルカ先生が、どうして・・・?」

驚きと衝撃に、それしか言葉が出てこなかった。イルカ先生は、面を首から外して、脇の机に置いた。

「いうなれば、先生役ですよ」

「先生?」

「暗部が今、危機的状況にあることはご存知でしょう?」

大蛇丸による木の葉崩しで、里は多くの優秀な忍を失った。先頭に立って戦った暗部の被害は特に甚大だった。

「しかし、暗部への依頼は日々入ってきます。忍の里として、それを断るわけにはいきません。そこで、水戸門様とうたたね様、自来也様合議の上、火影代行ということで、暗部候補リストから、急遽人員を繰り上げたんです」

三代目の眼鏡に叶ってリストに載った者達ですから、いずれ劣らぬ精鋭揃いですが、とイルカは続けた。

「あなたもご存知の通り、暗部は、そのすべてが口伝です。術や技は勿論、規則、心構え、意思疎通の図り方、情報伝達の方法・・・長年の歴史の中で培ってきた最も効率のよい方法を、文字にして残すことなく、先達から言葉を受け継ぐ形で残してきました。それは、『火影』ですら把握していないものです」

確かに、そうだった。すべては己の脳に刻む、が暗黙の了解だった。

「それを、新しく入った者たちに伝える現役の数が、絶対的に足りないんです。無論、実力を備えているとはいえ、暗部としては素人の者たちだけで、任務に出すことにも不安があります。それで、引退した俺に、お鉢が回ってきたという訳です」

「引退・・・」

「暗部を辞めて、もう2年になります」

すっかりなまってしまいました、とイルカ先生は笑った。

オレはイルカ先生の滑らかな右腕を見た。暗部に所属した者には必ず刻まれている刺青が、ない。

「・・・腕は」

「教師になると決めた時に、三代目にお願いして消してもらいました。子供達に・・・よい影響を与えないので」

暗部が敵との戦闘で死亡した場合、その任務の特殊性から、死体処理班の到着が間に合わない可能性がある。その為、木の葉暗部の刺青には、敵に遺体を奪われないよう、腐敗促進の術が練りこまれていた。暗部が死ぬと術が発動し、数十秒で肉体を腐敗させ、骨まで溶かしてしまう。

チャクラを注ぐことを止めれば、その腐敗術は次第に効力をなくした。だが、独特の方法で彫った刺青を消すには、自分のチャクラの最大値が下がる副作用を持った術が必要だった。故に、オレをはじめ暗部を引退した者のほとんどが、刺青だけはそのままにしていた。

「現役に戻るつもりもありません。ただ、暗部が組織として軌道に乗るまでのお手伝いです」

「・・・大丈夫なんですか?」

オレは堪らなくなって言った。アカデミー教師として、忍としての現役さえ離れていたイルカ先生が、2年ものブランクを乗り越えて務まる程、暗部は甘くない。

「やばいですよ、かなり」

イルカ先生の口調は明るかったが、微笑みに微かに苦悩が滲んでいた。その表情に、心臓を冷たい手で掴まれたような気持ちになった。

「元暗部のカカシさんには、格好つけても通用しませんからね。正直に言います。毎日、細い糸の上を、目を瞑って歩いているような気分です。敵の死体を見る度、次は自分だと思わずにはいられません」

「止めてください!」

オレは思わず叫んだ。

「そんな仕事・・・暗部なんて、止めてください」

何故かイルカ先生は嬉しそうに微笑んで、首を横に振った。

「これが、木の葉の忍として俺にできる精一杯ですから」

里の為に命を賭ける。忍として、その気持ちは痛いほど共感できた。オレがイルカ先生の立場でもそうするだろうと思った。だが、イルカ先生を想う一人の男としてのオレは、あまりの不安に押しつぶされそうだった。

風が入って揺れたのか、イルカ先生の面がからり、と鳴った。

人面の暗部がいるという。それは、暗部時代に聞いた噂だった。

「幸運の、女神・・・」

オレが呟くと、イルカ先生は、恥ずかしそうに俯いた。

「ご存知だったんですか」

「増女の面をつけた暗部と一緒なら、それがどんなに過酷な任務でも、決して死ぬことはないと」

そんなことはなかったですよ、とイルカは寂しげに言った。

「目の前で、何人もの仲間が死んでいきました」

「でも・・・」

「・・・暗部とはいえ、人の子です。不安に苛まれる事はある。それを乗り越える為の、心の拠り所です。縁起担ぎと言ったほうがいいでしょうか」

「・・・・・・」

「確かに、部隊全滅でもおかしくない状況をくぐり抜けた経験は何度もあります。でも、それはどの暗部も同じでしょう。ただ、俺の面が目立っていたから、印象に残っただけです」

憂いを隠した瞳で淡々と言うイルカ先生に、オレは思った。この人はきっと、本当に誰も死なせない女神でありたいと願ったんだろう。そういう人だから、己の力不足を実感しながらも、再び暗部の装束に身を包んだんだろう。今度こそ、大切なものを守れるように。

優しい人。オレが絶対に死なせない。

「先生は、どうして、その面を?」

オレの問いに、イルカ先生はあっさりと答えた。

「在庫がなかったんですよ」

「・・・は?」

「本当は俺も、動物を模した普通の面をもらうはずだったんです。でも、在庫がなくて。仕方なく、三代目が装飾用に持っていた増女のレプリカを借りたんです。応急だったんですが、あっと言う間に噂になってしまって。縁起担ぎという意味でも、止めるに止められなくなったんです。目立つから嫌なんですけどね」

「・・・何か、裏があるのかと思ってました」

オレの口調に、イルカ先生はにやりと笑った。

「がっかりしましたか?でも、噂の真相なんてそんなもんでしょう。それに俺も、銀色の狐は千里を一日で走るって聞いたことがありますよ」

オレは唸った。そういえば昔、後輩に問われたことがあった。その時はあまりに馬鹿らしくて適当に流したが。

「んな訳ないでしょ・・・」

「真相は、言わないで下さいよ。せっかく、盲目的に惚れてるんですから」

くすり、と笑ってイルカ先生は面を手に取った。オレは、言われた台詞が頭の中で意味をなすまで、呆然とその様子を見ていた。

「・・・イルカ先生」

動かない体が、これほどもどかしかったことはない。抱きしめたくて堪らないのに。

 カカシさん、とイルカ先生はオレの名を呼んだ。初めて聞く、切なげな声だった。

「幸運の女神だとか、験担ぎだとか、そんなものは関係ありません。俺を守るのは、あなたの元へ帰りたいと願うこの気持ちです。だから、ちゃんと、生きて帰ってきます」

 今から任務に出ます、とイルカ先生は面をつけた。神性を持つ女を現した増女の面は、冷たく感じるほど冴え冴えとしていたが、そこから漏れてくる言葉は、オレの心を甘く疼かせた。

「明日の午後には帰ります。・・・そうしたら、ちゃんと、キスしましょう。酔った勢いとかじゃなくて」

それでも、俺は嬉しかったんですけどね。

そう呟く女神の耳は、真っ赤に染まっていた。

 

 

 

数日後、銀色の狐が期間限定で暗部に復帰した。

以前より充実したその技と術に、暗部の古参も安心した。

ただ、やたらめったら幸運の女神にまとわりついて、終いには「任務中です」と殴られたりしているのを見ていると、新人に対する倫理面での悪影響を考えずにはいられなかった。

 

 

 

完(05.05.28)

 

 

 

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