きみをころす心

 

 

 

「痛い、いたいっ・・・いや、だ・・・いやぁ」

「嫌じゃない。痛いでもない。これは、いい、だ」

「うぅ・・・い、たい・・・」

「いい、だ。言ってみろ」

「い・・・い・・・あぁっ・・・あんっ」

「もう一度。ここをこうされたら、いい、だ」

「あ・・・あっ・・・いい・・・いいっ・・・」

「・・・そう。いい子だ」

 

 

 

・・・思い出してしまった。

イルカは眉を寄せた。思わず体が強張った。

「どうしたの?イルカ先生」

後ろからイルカを抱きしめるようにして、その肌をまさぐっていたカカシが、手を止めた。

自宅まで受付の仕事を持ち込んだイルカに、それでも暫くは大人しくしていたカカシだったが、まもなく翌日となる時間になって、ついに堪えきれなくった。書類にペンを走らせるイルカの背中に抱きつき、いやらしい悪戯を始めた。

「・・・何でもないですよ」

イルカは息をついた。カカシに触れられた肌が、早くも熱を持ち始めている。これからカカシに与えられる快楽の予感に、震えるような気持ちがした。

すぐに、何も考えられなくなる。いつもは、そうなる自分が恥ずかしくて堪らないが、今日は、はやくそこに連れて行ってもらいたかった。

だが、イルカの期待を余所に、カカシは手を止めたまま、イルカの顔を覗き込んだ。

「ねぇ。さっき何思い出したの?」

「え?」

「オレの言葉に、何か思い出したんでしょ。何なの?」

勘が良過ぎる男は嫌われるぞ。イルカはカカシの怜悧な美貌を見返した。

「大した事じゃないですよ」

「『イルカ先生、嫌じゃなくて、いい、でしょ?』ってオレ言ったんだよね。こういう類の言葉から思い出されるのって、やっぱり同じような、房事絡みだと思うんだけど」

むかつくほど的確についてくる。

「イルカ先生、何か微妙な顔したよね。教えてよ」

「聞いて楽しい話ではないですから」

はぁ、とカカシはため息をついた。そして、体を離し、イルカの隣に胡坐をかいた。

「いい機会だから、ちゃんと話しましょう。イルカ先生」

有無を言わせぬ口調に、イルカは仕方なく、ペンを置いてカカシに向き直った。

「前々から思ってたんですけど、イルカ先生は、どうして昔の事話してくれないの?」

「話してますよ?」

両親の事も、子供時代のことも。忍になってからのことも。

カカシは、頭を振った。

「昔の、恋人のことです」

「・・・・・・」

「オレの前にも、つきあってた人いたんでしょう?」

「・・・えぇ。まぁ」

「その人の事、どうして話してくれないの?」

イルカは首を傾げた。なぜ、そんな事を聞くのか。

「もう、昔のことですよ?」

「それでも、オレは知りたいんです」

「知ってどうするんですか?」

カカシは、苛立たしげに言った。

「どうもしませんよ。ただ、知りたいんです。イルカ先生の事なら何でも」

「じゃあ、どうして聞かなかったんです?」

「あなたが、言ってくれるのを待ってたんです」

何かが、決定的にずれている。イルカはため息をついて、眉間に指をあてた。

「・・・オレは、イルカ先生の事知りたい」

カカシは眉を寄せて、思いつめたように言った。

「いい事も悪い事もひっくるめて、過去も現在も全部知りたい。そういうのって、うっとうしい?」

まさか。

「そんな訳ないでしょう」

カカシの愛情は時に盲目的で、なすすべなく翻弄される自分が恐ろしくなることはある。だが、煩わしいなどと思ったことはない。

「じゃあ、どうしてそんな顔するの?・・・そんなんだと、聞かれるとまずい事があるんじゃないかって、勘ぐりたくなります」

どんな顔をしていたというのか。探るように見つめてくるカカシに、イルカは返答を探した。だが、適切な言葉が思い浮かばない。結局、

「・・・まずい事なんてないですよ」

「じゃあ、どうして話してくれないの?」

やっぱり堂々巡りだ。思わずため息をついたイルカに、カカシが低く言った。

「自慢じゃないですけど、オレは小さい男ですから」

その左右で違う瞳の中に、不穏な揺らめきが見えた。

「例えば、さっきみたいに、あなたからオレじゃない誰かの存在を感じると、もう、駄目なんです。嫉妬でおかしくなりそうになる」

あなたをどこかに閉じ込めて、持てる技すべて使って、あなたの過去も現在も未来も全部オレだけにしたくなるんです。

カカシが心からそうしたいと思っている事が、その両目から読み取れて、イルカの全身が総毛だった。そして、心の奥底で、そうして欲しいと願う自分自身がいることを知った。

「それは・・・」

「困るでしょう」

カカシは疲れたように笑った。

「だから、オレを安心させてくださいよ。イルカ先生はオレのものだって、オレだけのものだって、オレに思わせて」

きつく抱きしめられた。その痛みさえ感じる抱擁に、声がかすれた。

「俺には、カカシさんだけ、です」 

カカシは、イルカの首もとに顔を埋めたまま小さく笑った。カカシが何を思ったか、イルカには分かるような気がした。

どれほどの深い想いでも、口に出すと、なんと薄っぺらく響くのだろう。

この気持ちを、そのままカカシに伝えることができたら、カカシを不安にさせることなど決してないのに。それ程、カカシに溺れている自分を、どうしたら伝えられるだろう。

昔の恋を、カカシに隠していた訳ではない。本当に思い出すことがなかったのだ。それ程深く、カカシから受ける情と、カカシへの自分の想いは、イルカ自身を浸食していた。

これだけでいい。そう思ってしまう程の関係は、何と甘美で危ういものだろう。

抱擁とはうってかわった穏やかさで、イルカは押し倒され、口づけを受けた。イルカの口腔を、カカシの舌が丹念に愛撫してゆく。

からませた舌を甘く噛まれて吸われると、それだけでイルカの思考は止まった。世界が、カカシだけになる。

でも。イルカは快楽に飲み込まれそうな理性の欠片で思った。

過去は、忘れてしまった訳ではないのだ。喜びも悲しみも、苦しみも痛みも快楽も、細やかに心通わせた人達から与えられたものは、イルカの心に染み込んで、イルカの心を形作る一部になっている。

そうか。イルカは何かが分かった気がした。カカシが欲しかったのはこれかもしれない。

イルカの心。今こうある心の成り様を、カカシは求めているのかもしれない。

どんなに深く体を交わらせても、二人の間にある皮膚二枚の隔たりは、決してなくなることはない。心も、どれほど言葉を尽くしても、相手に自分のすべてが伝わる訳がない。ただ、互いが互いを求める気持ちと行為だけが、二人の距離を限りなく近づけてくれる。

「あっ・・・」

カカシの指と唇が、イルカの肌に再び火をつけた。溢れそうになる声に、思わず唇を噛み締める。

心そのものが手に入らない代わりに、おそらくカカシは、今あるイルカを形作るものすべてを知りたいと願っている。だから、両親の事や子供時代のこと、忍になってから現在に至るまで、イルカの思い出をあんなに真剣に聞きたがったのだ。

昔の恋の事は、おそらく一番気になるからこそ、一番聞きにくかったのだろう。妙なところで臆病な人だから。

だとしたら、俺は随分鈍感だな。

カカシへの愛しさと、申し訳なさに胸がつまった。イルカは、濃厚な愛撫を始めたカカシの背に腕を回すと、何とかつなぎ止めていた最後の理性を手放した。

 

 

 

「その人に会ったのは13の時です」

終わった後のカカシの体温を心地よく感じながら、イルカは言った。

畳の上で交わったせいで、背中が軋むような感じがする。カカシはいつものように甲斐甲斐しく後始末をした後、ぐったりと寝転がるイルカの隣に横になり、イルカの首元に顔を埋め、目を閉じた。

「両親が死んで、一人ぼっちで、強くなりたいと願っていました。そんな時、身につければ力の劣る子供でも一人前に働ける技があると知りました。閨房術です」

ぴくり、とカカシの肩が反応した。だが、イルカの話が終わるまで何も言うつもりはないらしい。イルカは天井を見ながら言った。

「渋い顔をする火影さまに頼み込んで、訓練を受けさせてもらいました。その時の教官、男性ですが、彼が俺の初恋の人です」

思い出す。寝具しかないあの部屋に、いつも小さな包みを持って現れた人。包みの中身は訓練に使う道具や薬だったが、彼の懐には、小さな菓子が忍ばされていた。

「初恋といっても、どちらかといえば、俺の気持ちは彼に父親を求めていたように思います」

彼は、訓練を始める前に、懐の菓子を黙って差し出した。いつしか、その菓子より、菓子を差し出す彼の気持ちのほうが、イルカには嬉しいものになっていた。そして、イルカが菓子を食べながら、その日あった事を話すのを、彼は黙って聞いてくれた。

「訓練自体は過酷なものでした。俺は、13歳にしては体が小さくて、道具によっては物理的に受け入れ難いこともありました。それでも、彼は容赦しませんでした」

何度泣き叫び、何度失神しただろう。それでも逃げ出さなかったのは、強くなりたいという願いと、彼の存在だった。終わった後、後始末をする彼の手は、寡黙な彼の本性をうつす、とても優しいものだった。

「子供だった俺は、ある日、彼に素直に自分の気持ちを伝えました。あなたが好きだと。その時の、彼の表情が忘れられません。驚いたような、怒っているような、悲しいような顔でした。そして、彼は薄く笑って、ありがとうと言いました」

イルカは目を閉じた。今でも、心がひきつるような気がする。

「次の日、いつもの部屋で待っていた俺に、火影様から連絡がきました。彼が急に里外任務に出ることになったと、彼が戻るまで、訓練は休止だと言われました。そして、彼を待って3日目の夜、彼が死んだことを伝えられました」

額宛だけが戻ってきた。泣いた。どうして自分が愛する者は、自分を置いていってしまうのか。自分の運命を呪った。

葬儀の夜、イルカは火影から、任務前に預かったという彼からの手紙を受け取った。そこにはただ、「君に出会えてよかった。本当に嬉しかった。ありがとう」とあった。

「今思えば、彼は、本当に常識的な人だったんです。13歳の子供と、恋愛ができる人間じゃなかった。例え、どれほど俺に惹かれていたとしても、それを認めることができなかったんです。だから、逃げた」

今だから分かる。彼の手が、訓練を越えた情熱を持つ瞬間があったこと。彼の瞳が、年少の忍に対する以上の、激しい衝動に揺らめく時があったこと。本当に子供だったイルカは、その熱と彼の戸惑いを感じ取れなかった。それが、彼を追い詰めた。

「彼の名が刻まれた慰霊碑の前で、もう誰も好きにならないと誓いました」

置いていかれる事が恐ろしいから。子供っぽい、短絡的な思考だと思う。それでもその誓いは、呪いのように、ずっとイルカの心を縛り付けていた。

年齢を重ねるにつれ、多くの人と出会い、好意を抱く相手も現れた。だが、失う痛みを思うと、一歩を踏み出すことができなかった。あの人に出会うまでは。

「・・・その誓い、今はどうなの?」

カカシが口を開いた。

「何年も前に、破ってしまいました」

「・・・誓いを破らせる人が、オレの前にいたって事?」

カカシの拗ねたような口調に、イルカは微笑を浮かべた。

「・・・今日は、このへんにしておきましょうか」

えぇっ?と頓狂な声を上げて、カカシはがばりと体を起こした。

「明日も、朝から仕事です」

時計の針は、睡眠時間が後数時間しかない事を示している。こんな所で止めないで下さい、気になります、といい募るカカシに、

「いっぺんに話すと丸一日潰れますよ」

軽く口付けて言うと、そんなに・・・と絶句した。その表情が可愛くて、イルカはまた笑ってしまった。20年以上生きてれば、いろいろあるということだ。

そして思った。互いが互いを求めすぎて、時折危うくなる二人だけれど、こうやって折合をつけながら、できるかぎりやっていこう。

 

 

 

世界に二人だけでいいなんて願うのは、最後の最後でいい。

 

 

 

完(05.06.06)

 

 

 

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送