この胸がこんなに切ないのは

 

 

 

その綺麗な人は、約束の時間に少し遅れてやって来た。

「遅くなってすみません」

玄関で、手に持ったビニール袋と一升瓶を差し出して、カカシさんは言った。

「会社を出るのに、少し手間取ってしまって」

「とんでもない。仕事、お疲れ様です」

いらっしゃい、上がって下さい、と俺は袋と瓶を受け取った。袋の中で、ビールの缶が汗をかいている。

「こっちは焼酎ですか?」

一升瓶とは豪気ですねと言いながら、ラベルを見て驚いた。ブームは既に落ち着いたが、絶対数の少なさから、高価な事には変わりない芋焼酎。

「社長からの貰い物です」

靴を脱ぎながら、カカシさんはあっさり言った。

「彼女、芋は好きではないそうで」

「でも・・・」

「勿論、独り占めは許しませんよ」

恐縮する俺に、カカシさんは微笑んだ。

「半分はオレのですからね。一緒に呑むのが大前提です」

だから、オレとじゃなきゃ、呑んじゃ駄目ですよ。そんな軽口に笑いながら、カカシさんを居間へ案内した。

築数十年の古い木造の家。部屋を襖で仕切る間取りや、古びた天井や柱を、物珍しそうにカカシさんは見回した。勧めるままに、居間の座卓の前に胡坐をかくその様子に、つい笑みが浮かぶ。浮いているとは、こういう事を言うのか。すごい違和感。

「何か可笑しいですか?」

首を傾げるカカシさんに、俺はいいえ、と首を横に振った。

「似合わないなぁ、と思って」

カカシさんの、日本人離れした髪の色。男性にしては繊細に整った、美貌というべき顔立ち。預かったスーツの上着のタグにも、ため息が出る。名前しか聞いた事のことのない海外のブランドを、堂々と着こなせるその身体は、細身に見えて恐らく、しっかりとした質量の筋肉を備えているのだろう。長い指でネクタイを緩める、そのくだけた仕草さえ様になるのは、同じ男として羨ましい限りだ。

「いい家ですね」

カカシさんは、そう言ってふわりと笑った。

「あなたが、手間と時間をかけて、丁寧に暮らしてる事が分かります」

祖父母の代から暮らしているこの家には、失った家族の分も愛着がある。確かにあちこちがたがきているが、手を入れて住める限りは住み続けたい。

リフォームしろだとか建て直せだとか言われる事はあっても、拘りというには身に沁み過ぎてしまったこの思いを、こんな風に肯定されるのは初めてだった。知らず赤面してしまう。

「ご挨拶させてもらって、いいですか」

そう言って、カカシさんは立ち上がり、奥の仏壇の前に座った。

背筋を伸ばし、目を閉じて手を合わせるカカシさんの横顔を見ながら、俺は、いつだったか彼に問われた事を思い出した。

「どうして今の仕事を選んだんですか?」

聞かれ慣れた質問だった。俺はある生命保険会社に勤めているが、どうも人には、かなり意外に映るらしい。今まで、色々詮索されるのが嫌で、適当に誤魔化していたが、彼には何となく、本当の事を話したくなった。

「13歳の時に、両親が事故で亡くなりまして」

「ごめんなさい。不躾な事を聞きました」

慌てて頭を下げたカカシさんに、俺はいいえ、と微笑んだ。

「それから、祖母に育てられたんです。両親がかけてくれていた生命保険のお陰で、大学まで出してもらいました」

「・・・・・・」

「勿論、失った家族は、お金で代りにはなりません。でも、現実的に、金銭的な苦労をせずに済むというのは、本当に有難い事なんです。あの保険金が無かったら、年老いた祖母に、どれだけの苦労をさせることになったか」

その時の気持ちが、今の俺に繋がっている。

「・・・今も、お祖母様と?」

「祖母も、2年前に亡くなりました。それからずっと一人です」

そうですか、と俯いたカカシさんに、俺は言った。

「この話を人にしたのは、カカシさんが初めてです」

何でだろう。俺は思った。

カカシさんと一緒にいると、なぜかとても心が休まる。出会ってまだ間がないのに、彼をとても近く、親しく感じる。

こんな人は初めてだった。

 

 

 

カカシさんとの出会いは、最悪の状況だった。

カカシさんの勤める会社とうちの会社は、被雇用者を被保険者とする大口の法人契約を結んでいる。1ヶ月程前、その被保険者約200名分の個人情報が入ったディスクが紛失するという事件が起こった。

相手側の言い分では、契約の更新の為に、ディスクをうちの法人営業の担当者に渡したという。担当に確認すると、確かに一時預かったが、数日のうちに返却したはずとの返事。だが、ディスク受け渡しの記録簿に返却の記載が無かったことから、紛失はこちらに責任があると詰め寄られた。

俺は、今は人事部に籍をおいているが、最初の契約締結の時の担当だった。営業部に呼び出され、法人営業の現担当者とその直属の上司の3人で、相手の会社を訪れた。

その時、相手側の管理責任者として現れたのがカカシさんだった。

「ごめんなさい、手伝えればいいんですが」

台所に立った俺に、カカシさんは言った。

「料理をした事がないので、勝手が全く判りません」

オレに出来る事があったら遠慮なく言ってください、とカカシさんはダイニングテーブルに腰を下ろした。

「お気持ちだけで結構ですよ」

俺は笑った。気を遣ってくれる、それが嬉しかった。

「退屈でしょう?居間で、テレビでも見て、寛いでいてください」

「いいえ、ここで見てます」

「そんな、変わった事する訳じゃないですよ。料理も凝ったものはつくれませんし」

カカシさんは、見ていたいんです、と言って、テーブルに両腕を重ね、その上に顎を載せた。まるで、母親の夕食の支度を待つ子供のような仕草に、つい微笑みが浮かんだ。

自分より年上の男性に、こんな事を思うのは失礼だろうけれど、どこか幼いような、可愛い人だ。

料理はまめにするほうだが、今までほとんど、自分が食べるものしか作った事がない。果たしてカカシさんの口に合うのかと、不安を覚えながら包丁を使った。鰹は刺身、鶏は塩で焼く。竹輪と枝豆を大根おろしと甘酢であえる。茄子を肉味噌で炒めていると、茄子の味噌汁好きなんですよねぇ、と呟くから、小鍋にだしを取り、後でご飯と一緒に出せるよう用意した。

「すごい。うまそうです」

料理を居間の座卓に並べながら、カカシさんが言った。

「簡単な料理ですし、家族以外の人に食べさせた事がないので、口に合うかどうか、不安です」

「あなたが、オレの為に作ってくれたっていうだけで、嬉しいです」

臆面の無い言葉に、また顔が赤くなる。こういう恥ずかしい台詞をさらっと口にできるのは、女性相手にでも言い慣れているせいか。

庭に面した掃きだし窓を開くと、晩夏の夜風が心地よく流れた。座卓に向かい合って座り、互いにビールのタブを開け、乾杯、と合わせた。

カカシさんと初めて会った時には、まさかこんな風に酒が呑める関係になるとは、思ってもみなかった。

会社を訪れた日、相手側の担当者が声高にこちらを責め立てる横で、カカシさんは終始穏やかな態度を崩さなかった。状況証拠がこちらの手落ちを指している以上、平身低頭の俺たちに、こちらも再度確認してみますと言ってくれた。だが、最後に、

「もしそちらの落ち度という事なら、取引を考え直させていただきます」

と言い置いた。それほど信用を無くす失態だった。

結論から言えば、ディスクは発見された。相手側の連絡ミスで、決められた保管場所とは違う場所にあったという。無論、決められた手順を守らず記録簿への記載を怠ったこちらにも落ち度がある。ディスクが見つかり、契約を継続してもらえるなら、こちらはそれだけで十分だった。だから、契約維持の連絡と共に、カカシさんからの丁寧な侘び状と、カカシさんの会社が経営する洋菓子店の菓子が会社に届いた事には正直驚いた。

ここのお菓子美味しいんですよ、と女性社員達には感謝されたが、経緯を思えば素直に喜べるものでもなかった。そしてその日、会社帰りの駅で、カカシさんに声をかけられた。偶然に驚きつつも、契約の維持と菓子の礼を言う俺に、カカシさんは、よければ飯でも一緒に、と誘ってきた。

それから、週末になると、丁寧な誘いの電話がかかってくるようになった。そして、いつの間にか、互いの都合がつけば一緒に食事をし、酒を酌み交わす間柄になった。

外食ばかりだというカカシさんに、俺の手料理でよければと、今夜自宅に誘ったのは俺の方。

本当に不思議な気持ちがする。知らない間に、こんなに近くにいる。

昔は大分やんちゃしてましたからね、というカカシさんの、抱腹絶倒な学生時代の思い出話と、口当たりのよい焼酎のせいで、俺はずっかり上機嫌になった。お互い明日は仕事が休みと知っていたから、酌にも遠慮がない。

「何か、凄く酔ってしまいました」

このまま眠り込みそう、とカカシさんも笑った。

「よかったら泊まっていきませんか?」

つい口からこぼれた言葉に、え、と素っ頓狂な声を上げたカカシさんの手の杯から、酒がばしゃりとこぼれた。

「だ、大丈夫ですか?」

慌てて、濡れタオルを台所から持ってきた。すみません、と言いながら、ワイシャツとスーツの膝に飛んだ飛沫を拭き取るカカシさんは、不機嫌そうに眉を寄せていた。

失敗した。酔いも吹っ飛び、俺は臍を噛んだ。いくら親しくして貰っているといっても、取引先の社員であるカカシさんは、言わばお客様だ。守らなくてはならない節度がある。

「申し訳ありません。馴れ馴れしい事を言いました」

「違います」

カカシさんは俯いたまま早口に言った。

「そういうんじゃないんです」

では、なぜ、そんな顔をするのだろう。俺は、初めて見るカカシさんの表情にうろたえた。取り繕う言葉が溢れてくる。

「・・・何て言うか、カカシさんといると落ち着いて。一緒に食事した後、一人でこの家に帰ると、寂しい気持ちになるんです。今まで、誰といても、こんな事無かったのに」

「・・・・・・」

「今日も、うちに来てくれてすごく嬉しくて・・・でも、ごめんなさい。お客様に、図々しいですよね」

無言で俺を見つめるカカシさんに、次第に顔が俯いてしまう。我ながら、馬鹿な事を言っている。温厚に笑う彼しか見たことなかったから、堪らなく不安になる。

「・・・あなた、そういう事、無防備に言うもんじゃないですよ」

硬い声に、思わず顔を上げた。相変わらず眉を寄せた表情のまま、カカシさんは手を伸ばし、畳の上に置いていた俺の左手に触れた。酒に酔っているはずなのに、やけに冷たいその指が、俺の手をそっとすくい上げた。

俺は掴まれた手と、カカシさんを見比べた。カカシさんは、どこか途方にくれたような顔をした。

「ごめんなさい。あなたが悪いんじゃないんです」

でもね、とカカシさんは囁いた。

「今、そう言う事言われると、まずいです」

「・・・カカシさん?」

「ここに来るんじゃなかった」

カカシさんの言葉に胸が痛くなった。

「・・・でも俺は、来てくれて嬉しかったんです」

カカシさんは、悲しげに首を振った。

「本当に、そういう意味じゃないんです」

外なら、どこかの店なら、我慢がきいたのに。そう呟いて、カカシさんは俺の手をきつく握った。

「どうしたらあなたの気がひけるのか、オレはそればっかり考えてます」

「・・・え?」

「あなたの事が、好きなんです。初めて会った時からずっと」

カカシさんの声が、心に落ちて、ゆっくりと意味を成した。

でも、信じられない。あなたのことがすきなんです。そう、言ったんですか?

「二人きりになりたくて、でも、なったらなったで、あなたに触れたくてどうしようもなくなる自分を持て余す位、好きなんです」

いきなりごめんなさい、とカカシさんは呟いた。

「驚いたでしょう?」

「・・・はい」

呆然と、俺は頷いた。カカシさんは、泣きそうな顔で笑った。

「・・・オレが・・・気持ち悪いでしょう?」

気持ち悪い?そんな事は思いもしなかった。俺は首を横に振った。

夜風が、熱くほてった頬を撫でてゆく。触れ合った指が熱く脈打つ。

「すみません。・・・手、振り払ってもらえますか」

カカシさんは、俺の手を握ったまま、困り果てた表情で言った。

「あなたも男だ。分かるでしょう?好きな人に触れたら、その次にどうしたくなるか」

その次?俺はぼんやりとした頭を必死に回そうとした。だが、酒精に濁った脳はぐらぐらするだけで、何も浮かんでこない。

カカシさんは、そっとため息をついた。そして、その膝が寄り、熱を持った眼差しがゆっくりと近づいてきた。

本当に綺麗な人だと、酔った頭はこの期に及んで思ってしまう。触れ合う間際で、ようやく、欠片の理性が悲鳴を上げた。駄目だ。俺はカカシさんの肩を押した。

「・・・・・・」

肩を押した俺の手に、カカシさんの手が上から重ねられた。力の入らない俺の指に、カカシさんの長い指が絡められる。そして、ゆっくりとカカシさんの肩から引き剥がされた俺の手は、手のひらを合わせて、カカシさんの手と繋ぎあわされた。

捕らわれた両手が、限りなく熱い。ただ両手を捕らわれているだけなのに、どうしようもなく頼りない。

瞬きの気配さえ伝わる距離。まるで何かを待つように、触れる寸前で、カカシさんが俺を見つめている。

拒めば、離れていくだろう吐息。拒まないで、と願っている切なげな眼差し。

息が詰まって、何も考えられない。ただ、抱き合う程に近くにあるカカシさんの体温を心地よく感じている。

何かに誘われるように俺は、ゆっくりと目を閉じた。

それが、合図になった。

 

 

 

ち、と密やかな音をたてて、唇は離れていった。

ぼうっと耳鳴りがする程、血が頭に上っていた。酒のせいだけではなかった。最初は触れるだけだった口付けは、両頬を手で包み込まれ、甘い舌に口腔を弄られ、絡め取られ、全身から力が抜けていきそうだった。

「・・・帰ります」

カカシさんは、振り切るように俺から手を離して立ち上がった。思わず伸ばしかけた手に、

「お願いだから、今日は帰らせて」

これ以上は、本当にまずいですから。カカシさんは、痛みを耐えるような顔で笑った。

ふわふわと頼りない足で、玄関まで送った。靴を履いたカカシさんは、穏やかな表情で俺を見上げた。

「ずっと、怖かった。この気持ちを口に出したら、終わりになるって」

「・・・・・・」

「また、来ていいですか?」

触れ合った指の熱さと、カカシさんの濡れた唇を思い出し、俺は堪らなくなって口元を押さえた。

「・・・はい」

小さな返事だったが、ちゃんと伝わった。

よかった、とカカシさんは微笑んだ。

 

 

 

それが、この恋の始まりだった。

 

 

 

完(05.08.31)

 

 

 

Over 10000hit御礼SSその2です。

恋におちるもの初のパラレル・・・む、難しい。

で、やっぱり、いつもの感じのカカイルです(汗)

ただ、今回は、まだカカシさんは片思いなんですね。

こゆきさま。リクエストありがとうございます。

力不足でこんなへなちょこですが、何卒納めてくださいませ(願)!!

 

 

 

 

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