かたちなくあたたかく

 

 

 

あなたがいればそれでいい。

任務の依頼書一枚でやりとりされる忍の命なんて、本当に軽く儚いものだけれど、あの人のその言葉が、オレがこの世界に生きているほんとうの価値を教えてくれたんだ。

あなたの為に、生きていってもいいですか?

そう言ったら、あの人は大袈裟だと笑ったけれど。

 

 

 

月の無い、暗い夜空に、星一つ。

まるで目印のように輝くその光を見上げながら、オレは里へ戻った。

時刻は夜の10時を過ぎている。堅く閉ざされた阿吽の大門を横目に、里を囲む外壁の上に駆け上ると、まだ少し肌寒い風が、夜空と里の間を渡っていった。

里を一望できる此処からの眺めが好きだ。

窓の明かりの一つ一つに、明日へ向かって生きていく人々の暮らしが浮かんで見える。平凡でささやかな日常が何よりも尊いのだと教えてくれる、柔らかな光の群れは、帰るべき所へ戻ってこられたという安堵を胸に呼び起こす。

でもオレが、本当に温かいと思う光は、この里にたった一つ。

血に塗れ、泥に汚れたオレを、ただ、ただ、優しく迎えてくれる腕の持ち主は、この世界にたった一人。

きっと今頃は、ラーメンか何かで適当に腹を膨らませ、缶ビール片手に眉間に皺を寄せながら、持ち帰った仕事を片付けたりしてるんだろう。

本当に、何でああなんだろう、あの人は。オレは一人苦笑した。

オレがいる時は、栄養のバランスやらカロリーやらを考えた食事をきちんと作ってくれるくせに、一人で、特に仕事が立て込んでくると、食生活がてんで適当になる。以前、夕飯を缶ビール1本で済まそうとしていたのを見つけた時は、あの人には大概甘いと自覚のあるオレも、さすがに声を荒げてしまった。

「あなたね、オレがいない間、いつも何食ってるんですか?」

開けた冷蔵庫の中には、缶ビールと、萎びた野菜の切れっぱしと、山葵やら生姜やらの薬味のチューブしか入っていない。

「今日は・・・残業で・・・一楽が閉まってて」

決まり悪げに視線を彷徨わせるあの人に、オレは溜息をついた。

「一楽ってね・・・ラーメンばっかりじゃ体に良くないって分かってるでしょ?」

オレ達の仕事は身体が資本。そう言うと、一瞬むっとしたような表情を浮かべたあの人は、すぐにぺこりと頭を下げた。

「そう、ですね・・・ごめんなさい」

「謝って欲しい訳じゃないですよ」

あの人は眉の辺りを掻きながら、小さく言った。

「今、内勤だからって言い訳しそうになりましたから」

「・・・・・・」

「関係ないですよね・・・分かってはいるんですが」

やっぱり言い訳だ、と自嘲するあの人に手を伸ばし、オレはその身体を抱き寄せた。柔らかさとは無縁の、きちんと筋肉のついた腰に腕を回し、解いた髪がかかる肩に顔を寄せると、体温に混じって、ほのかに石鹸の匂いが立ち上った。

それだけで誘われているような気分になる自分は、つくづくあの人に身も心も奪われているんだと思う。自分以外の誰かにこんなに感情を揺り動かされるなんて、自分でも不思議な位だ。

「要は、心配かけないで、って事です」

耳を噛むように囁くと、あの人はオレの腕の中でくすぐったそうに身をよじり、ぽつりと言った。

「カカシさんに叱られるの・・・結構好きなんですよね」

「どういう意味?」

色んな意味で心臓に悪い台詞だと思いながら、視線を捉えようと顔を覗き込んだオレに、

「・・・心配してくれる人がいるって、いいですよね」

あの人は、照れたように笑った。

 

 

 

いつも歯痒く思っている。

あの人はいつも、自分の事は後回し。

アカデミーの子供達を、受付の運行を、そしてオレの事を何よりも優先して、それが当然だと思っている。

あの人らしいと言えば、確かにそうだ。他を思う心根が、あの人があの人である所以でもあるのだろう。

でも、恋人としては正直切ない。

たまには、自分の事を一番にしても罰は当たらないでしょ?

 

 

 

風が吹き、夜空を雲の影が走る。

火影から直接下った任務の首尾は、鳥を飛ばして既に成功の連絡を入れてあった。突発的な任務が入らない限り、明後日まで休暇を貰える筈だ。

オレは、闇に沈む里に視線を向けた。愛しい人が暮らすアパートは、ちょうど街の真ん中辺り。

ねぇ。イルカ先生。

明日はあなたの誕生日。オレがあなたを甘やかせる立派な大義名分だ。

どうせ、急に仕事を休めなんて言ったって聞きやしないでしょう?だったら明日だけは、ちゃんと定刻で終わらせて、他の奴の誘いは断って、勿論仕事のお持ち帰りも無しにして、真っ直ぐうちに帰ってらっしゃい。

里の明かりを見下ろしながら、オレはささやかな計画をめぐらせた。

あなたがうちに戻ってきたら、気に入りの入浴剤を入れたたっぷりの湯に、まずはゆっくり浸からせよう。

本当は全身洗ってあげたいけど、断固として遠慮されるのは分かってるから、せめて背中だけでも流させて。

風呂から上がった後はやっぱりビールかな。晩飯は、あなたの好きな献立を並べるつもり。

腹を落ち着かせたら、鯵の一夜干しと焼いた味噌で、大吟醸の冷を嘗めましょうか。

きっと。

酔ったあなたは、少しだけ我儘になる。それでも、舌足らずな命令口調になり、やたらくっつきたがり、膝枕を強請る程度なのだから、もう、可愛らしいとしか言いようがない。

寝転がったあなたの重みを膝に乗せて、オレは流れるその黒髪を梳る。

ぽつりぽつりと思い出したように言葉を交わし、後は穏やかな沈黙に満たされる。

それは、大切に、かけがえ無く、永遠を願う時間。

オレがあなたを想い、あなたがオレを想う、その息が詰まるような幸運を丹念に重ね合い、時間をかけて丁寧に育んだ、真珠のように慎ましくあたたかな輝き。

これ以上に得難く、愛おしいものが、この世界にあるだろうか。

 

 

 

さぁ、帰ろう。あなたの元へ。

 

 

 

イルカ先生。

本当は、あなたを箱にしまって誰にも見せたくないし、オレ以外の誰も見て欲しくない。あなたの世界が、オレだけになったらいいと心から願っている。

あなたがいれば、それでいい。オレの願いは、あなたの言葉より身勝手だ。

どれだけ言葉を尽くしても、あなたを想うオレの心は言い表せない。

それでも、だからこそ。オレはあなたに伝えずにはいられないんだ。

 

ごめんね。

いつもありがとう。

愛してます。

 

 

 

完(06.06.03)

 

 

 

ささやかに、慎ましく。

ただ、あなたを想う気持ちだけを輝かせて。

それが、何にも勝る贈り物。

 

 

 

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