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「ずっと嫌でした」

カカシの声が静かに言った。

 

低い月。遠い街灯。その表情は、闇に隠れて見えない。

「受付で、あなたに会うのが、ずっと、嫌でした」

淡々とした拒絶の言葉に、イルカの胸は、抉られたように痛んだ。

そんな事を言う為に、わざわざ追いかけてきたのか。そんなに、嫌われていたのか。

堪えていた涙がせり上がり、視界を揺らせて、流れ落ちた。カカシに気づかれぬよう、必死で嗚咽を飲み込んだ。

呼吸さえ苦しいほど、胸が痛い。こんな残酷な恋の失い方をするなんて。

一方的に好きなだけ。ただ密やかに想うだけ。それさえ、許されない事なのか。分不相応な恋情を抱いた罪の、これが罰なのか。

頼むから、もう、許してくれ。

崩れ落ちそうになる膝を励まして、イルカは再びカカシから逃げようと身を返した。

だが。

「待って」

伸びてきたカカシの手に、腕を掴まれた。

「離して下さい・・・っ」

顔を伏せ、イルカは必死で身をよじった。だが、腕を掴むカカシの手は、それ程力を入れているようには見えないのに、イルカの抵抗にびくともしない。

「嫌です。あなた、逃げようとしてる」

逃がさない。断固とした口調に、圧倒的な力の差と、絶望を感じた。

「・・・っ」

全身から、力が抜けそうだ。カカシの口からこれ以上、自分を拒む言葉を聞いてしまったら、もう、立っている事もできなくなる。

 

「あなたが、笑うから」

顔を背けたイルカの耳に、カカシの言葉が入ってくる。

聞きたくないのに、その切実で真摯な声音が、イルカの心に滲み込んでくる。

「受付る忍全員に、お疲れ様です、と言って笑うのを、嫌でも目にしてしまうから」

だから、オレは、受付であなたに会うのが、嫌だったんです。

「オレはずっと、あなたの笑顔を、あなたを、独り占めしたかった」

 

「あなたの事を、好きだから」

 

思考が、止まる。

 

「あなたにとってオレは、受付で応対する他の忍と同じ。それが堪らなく嫌で、でもどうしたら、あなたの気を惹けるのか分からなくて」

カカシの声が近い。掴まれた腕が熱い。

「一緒に飯が喰える、それだけで、ガキみたいに舞い上がって。約束が駄目になった時、いつものように笑ったあなたに、あなたにとっては、オレとの約束なんて大した事じゃないんだって、余計落ち込んだりして」

途切れた言葉に、イルカは、顔を上げた。ほんの僅か上にあるカカシの、唯一素顔をさらした右目が、どこまでも真っ直ぐに、イルカを見つめている。

 

「でも、さっきのあなたの言葉で」

 

心の底まで貫かれたかのように、もう、カカシの眼差しから、目を逸らす事ができない。

 

「もしかしたら、あなたも、同じ様に、オレを想ってくれているんじゃないかって」

 

心臓が痛い。それは、暴かれてしまった事への羞恥と、そして。

 

「自惚れじゃ、ないですよね。イルカ先生」

「・・・・・・」

「ないって言って下さい」

いつになく強気な、言葉だけ丁寧な命令。それだけカカシを焦れさせているのだと、痺れた思考が甘く疼く。

 

「自惚れないで下さい、カカシさん」

自分の言葉に、怯えたように体を震わせたカカシを見つめ、イルカは続けた。

 

「俺の方が、ずっと、あなたの事を好きなんです」

 

その意味が、カカシに染み込んでゆくのを、じっと見守った。

「・・・信じられない」

まるで、大切なものの名を呼ぶように、優しく紡がれる言葉。

「本当に?イルカ先生」

「それは、こっちの台詞です」

嬉しい。そう言って浮かべた右目の笑顔は、この世界の何よりも眩しかった。

 

 

 

そのまま、甘く、身を寄せ合おうとした途端、ぐらり、とカカシの体がかしいだ。

「ちょ・・・大丈夫ですか?」

慌てて肩を支えたイルカに、カカシは、はは、と眉を下げた。

「すっごく緊張してたみたい。よかった、と思ったら、急に血圧が」

イルカは飛び上がった。

「やっぱり重傷なんじゃないですか!!」

「まあ・・・その・・・」

「早く、病院行きましょう」

慌てて腕を引っ張ったが、カカシは、やーでも、と暢気な声を上げて頭の後ろを掻いた。

「嫌なんです、病院。すぐ入院しろって言うから」

「好きとか嫌とかじゃないでしょう!」

「退屈です」

ため息をつきたくなった。まるで子供の言い草だ。出血などどこ吹く風と言った様子で、にこにこと笑うカカシに、一人焦る自分が馬鹿らしくなった。

「・・・見舞いに行きますから」

先が思いやられる、と思う自分が、どこかくすぐったい。

「本当に?」

「本当に。何だったら、背負っていきましょうか?」

それはカッコ悪い、と笑うあなたを愛おしく思う。

 

 

 

月よりも遠かったあなたが、今、目の前にいる。

ねえ。もっともっと、あなたを教えて。

 

 

 

意気地なしで臆病な二人が、ようやく互いを手に入れた夜が、静かに静かに更けてゆく。

 

 

 

完 

080326 

 

 

 

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