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小さなアパートの部屋は、大人の男二人が住むには少し手狭かもしれない。 それでも、二人が共に生活を始める場所は、ここ以外に考えられなかった。 「いらっしゃい。カカシさん」 ドアを開けたイルカに、カカシは頭を下げた。 「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」 イルカは驚いたように目を見開いて、 「こちらこそ、よろしくお願いします」 同じように頭を下げた。顔を上げて視線を交わすと、甘いくすぐったさに笑いがこみ上げる。 「荷物少ないって言ってましたけど、本当にそれだけですか?」 カカシが両手に提げたバックを見て、イルカが驚いたように言った。 「はい。忍具の予備や書籍や巻物は、元々実家に保管してありますから」 カカシの手からバックを受け取ったイルカについて、素足のサンダルを脱ぎ、小さな台所を抜け、居間に入った。夕焼けが入り込んだ室内は、温かいオレンジ色に染まっている。見慣れた室内に、カカシはじっと視線を巡らせた。 今日から、ここがカカシの家になる。 イルカがいる、この温かい、昨日までと変わらぬ、そして全く色を変えたこの部屋が。 長い片思いの間、カカシは想いを隠しながら、気のいい友人としてこの部屋を幾度となく訪れた。向かい合って食事を取り、酒を酌み交わし、冗談で笑い合い、意見を戦わせた。どれ程の時間をここで過ごし、日に焼けた畳を、色の抜けたカーテンを、年季の入った家具を、どれ程の渇望をもって眺めた事だろう。 告白も、初めての口付けもここだった。服に隠れたイルカの肌の色を知ったのも、甘く震える声を聞いたのも、この部屋の小さなベッドの上だ。 「あの、」 隣の寝室から、イルカが声を掛けてきた。 「流石に、今のベッドに二人で寝るのは狭いんで」 まさか、自分は床に布団敷いて寝ますなんて言い出すんじゃないか、それは断固反対だと、寝室への襖を大きく開いたカカシに、 「近いうちに、新しいの買いに行きませんか」 壁際の箪笥に、バックから取り出したカカシの衣類を仕舞いながら、イルカの背中が言った。 「新しく買い揃えるものは、それだけで充分ですよね」 嬉しい。胸の奥に温かな明かりが灯る。 この部屋で、イルカと一緒に暮らしていける。日常を繰り返して、未来への年月をイルカと作り上げていける。その実感がカカシの心を震わせた。 そして、喜びと同じ深さから、暗い水底のような切なさが湧き上がった。 いつか、カカシが、イルカを残して旅立たなくてはならなくなったなら、カカシの記憶は、イルカの中ににどれ程長く残り続けるだろう。 今までとこれからの、この部屋でのカカシとの思い出は、どれ程強くイルカの心を縛り付けるだろう。 何よりも大切な人だから、忘れて欲しいと思い、忘れないで欲しいと願う。 「カカシさん」 立ち尽くすカカシを、イルカが振り返った。 澄んだ目が、じっとカカシを見つめ、その大らかな腕のように包み込んでくる。 「幸せで死にそうって思えるくらいにしてあげますから。余計な事は考えないで下さい」 思わぬ言葉に目を見開いたカカシに、イルカは優しい笑顔を見せた。 「ずっと、一緒にいます。カカシさん」 厳かな声。 「ずっと、あなたと一緒にいます」 決意を滲ませた微笑みが、強く真っ直ぐカカシに向けられる。 ここに、カカシの守りたいすべてがある。 この幸せに出会わせてくれた事に感謝を。 この幸せを、最後まで守り抜ける力を。 この幸せを知る前には感じたこともなかった激情に満たされて、カカシは知る。 ここに、カカシの生きる意味がある。 「さて。飯にしましょうか、カカシさん」 きっと、これから幾度も繰り返すだろう平凡でありきたりで思いやり深く温かい言葉を口にして、微笑んだイルカは、目元を隠して俯いたカカシの手をそっと引いたのだった。 090628 ブラウザを閉じてお戻り下さい |
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