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草を狩る 1. 少女のかんざしがしゃなりと鳴る。 春まだ浅い夜、遠く三日月が浮かんでいる。供の男が持つ行灯と、おぼろな月の光が、川沿いの道を行く一行を照らしている。 他に人影はない。少女と、恰幅のよい50がらみの男、供の3人は、行きつけの小料理屋から、男の屋敷への帰路の途中であった。 「駕籠を頼めばよかったのに」 寒いのはきらい、と少女は横を行く男にしなだれかかった。まだ幼さの残る顔は、人目を引くほど美しいが、既に色街のかおりがその身から匂いたっていた。 そう言うな、となだめる風に男は少女を抱き寄せた。品の良い身なりと言い、貫禄を感じさせる顔立ちといい、どこかの大店の主人といった風体だが、酒が入ったせいか、人目を気にする必要がないからか、親子ほども年の違う少女と体を寄せ合い、相好を崩して恥ずかしげもない。 供の男は慣れているのか表情も変えず、歩を進める。 道をはさんで、川の反対側は、屋敷の後ろまで続くこんもりとした森になっていた。昼間は子供たちの格好の遊び場だが、夜は月の光も届かず、今は闇に沈んでいる。 ちょうど、繁華街と屋敷との中ほどまで来たときだった。 ふいに、森の中から、一陣の風がふいた。 驚いて行灯を取り落とした供が、叫んだ。 「だ、誰だ・・・」 三人の前に、黒い影が立ちふさがっていた。そして、退路を阻んで背後に、二人。 ただならぬ気配があたりを包んだ。燃え尽きてゆく行灯の炎に、影が持つ白い刃がきらめいた。少女が悲鳴をあげた。 「・・・曲者」 酔いも吹っ飛んだ顔で、男が叫んだ。三人は、森の側に追い詰められる格好で、身を寄せ合った。少女は今にも気を失いそうな表情を浮かべ、供の男はがたがたと震えている。 「火の国簑輪屋が主、簑輪シュンドウだな」 影が言った。質問というより確認だった。 「・・・いかにも」 気丈にも返答した男は、 「お前たちは・・・やはり・・・」 ぎりり、と影を睨みつけた。影は何も答えず、小さく手をあげた。残る二人が、獲物を囲む円を狭めようと身動きしたその瞬間。 キインという音がして、影の手から刀が弾きとんだ。そして、その足があった位置にクナイが突き刺さる。 高く飛び退って避けた影は、すかさず、クナイが飛んできた方角へ自らも投げた。 手ごたえはなく、影は、空中で体を反転させた。着地しようとした地点に殺到した気配があった。 「やーらせないよ」 大きく間合いを取った影と、震える標的の間に、一人の男が立っていた。 淡い月明かりに、その髪が鈍い銀色に輝いた。口布と、左目を隠すように当てられた額宛で、顔は右目付近しか現れていない。その目は笑っているようにも見えた。 ぐうっと、影の殺気が膨らんだ。 「額宛のそのマーク・・・木の葉の忍か」 「・・・・」 「隠した左目・・・まさか」 「・・・だったら、なんだっていうの?」 「・・・相手が誰でも、邪魔をするヤツは葬るのみ」 びいん、と空気が震え、影の手から黒い影が飛び出した。分銅のついた鎖であった。銀髪の男に絡みつき、両腕もろとも上半身をぎりぎりと締めあげた。 身動きがとれないまま、じりじりと二人の間合いが狭まってゆく。 「鎖鎌・・・ねえ」 影の手元を見ながら面白くなさそうに銀髪の男はいい、いきなり影に向かって走り出した。 不意をつかれて、影が一瞬ひるんだその隙に、銀髪の男はどのような技を使ったものか、わずかにゆるんだ鎖を難なく抜け出した。そのまま両手をふるって、背後の敵、銀髪の男が鎖鎌に絡みとられたのを好機と、本来の標的に飛びかかろうとしていた二人に、背越しにクナイを投げつけた。 背中に目がついているのかという正確さで、クナイは刺客の胸と首に突き刺さった。その場に倒れ込む二人を視界の隅で確認すると、銀髪の男は、唯一表に現れている右目を僅かに細めた。 がしゃりと鎖鎌が地に落ち、眼前にいたはずの影の代わりに、赤く「化」と書かれた札が舞っていた。 少女がきゃぁと叫んだ。 影は、上空にいた。銀髪の男を飛び越え、白刃をきらめかせ、本来の標的に飛びかかった。 健気にも、供の男が主人と女を背に庇うように、両手を広げて立っていた。 もろともに命を奪わんと躊躇なく降りかかる殺気に、身をすくませたかに見えた次の瞬間、供の男の両手首がひらめいた。 左手で影の顔を突き上げ、右手のクナイで、躊躇なく影の喉を切り裂いた。 影は、大きく目を見開き、血を噴き上げながら仰向けに倒れこんだ。 供の男は、影が動かなくなるまで、構えを解かなかった。 顔に飛び散った血を袖で拭き、刀の血を払って懐にしまい、供の男は振り返って守りぬいた相手を見た。温和に整った顔立ちを裏切るように、鼻梁を横に走る傷があった。 「大丈夫ですか?」 少女は気絶していた。簑輪屋はその体を抱き寄せ、 「・・・わしは・・・大丈夫だ」 傷の男は小さく頷き、刺客の死体を調べる銀髪の傍らに、同じように膝をついた。先程まで見事に隠していた、忍らしい鋭さがその黒い瞳に戻っていた。 「何か、わかりましたか?」 互いにしかわからない声音で問うた。 「身元に繋がるものは何一つ持っていません。鎖鎌といい、多分こいつらは、逸れ、ですね」 里に所属していない忍で、少数のグループをつくり、独自のルートで依頼を請け負う者たちを「逸れ」と呼ぶ。その多くが抜け忍で、粛清の対象である。金さえ払えばどんな汚い仕事もやってのけ、それが表に現れることはほとんどない。 でも、まあ、方法がないわけじゃない、と銀髪の男は言った。 「後一人、首尾を見届ける役目が森の中に潜んでいました。逃げましたが、犬に後を追わせてます」 「相手も、なりふり構わなくなってきましたね」 死体の腕をまくりあげて検分していた傷の男は、銀髪の男がじっと自分を見ていることに気がついた。 「・・・何か?」 「血が、ついてます」 銀髪の男の指が、傷の男の頬をこすった。 「あ、ありがとうございます」 「さすがです、うみの中忍。火影様が推薦するだけのことはある」 素直な声音に、傷の男は照れたように微笑んだ。 「光栄です。はたけ上忍」 これが、二人が共に遂行する初めての任務だった。 女の頬はまだ赤らんでいた。 「気をつけて、いってらっしゃい」 仕事に出るという女を、男は玄関まで送った。裸の上半身に女ものの着物をだらりとはおり、いつもは一つに括っている黒髪をほどくと、先刻までの情事を思わなくても、男は妙に婀娜っぽかった。普段は真面目で温和な印象の男の、こういう顔を知っている喜びに、女の心は浮き立っていた。 あたしと一緒になってくれないかしら。 贅沢さえしなければ、髪結いのあたしの稼ぎで、二人暮らしていける。男に旅の薬売りを辞めてもらって、ずっとこの家で暮らしてもらいたい。 出会って十日、誘ったのは女の方だった。今まで何人もの男を見てきたが、今目の前にいる男はその誰とも違っていた。 優しかった。無論、ただ優しいだけの男は沢山いる。優しさの陰に悪意を秘めている男も沢山いる。 この男だけが、女に何も求めず、ただ女にいたわりを与えてくれた。だから、惚れた。 少し早いかもしれない。でも約束をしておかなければ、いつ旅に出られるとも限らない。黙って行ってしまう人ではない、と思うけれど。 今日の仕事から帰ったら、男に言おう。大丈夫、この人は、あたしを好いてくれている。 「いってきますね。イルカさん」 男の鼻筋に走る傷を指先で撫でて、女は笑顔で出ていった。 女の姿が通りの角に消えるまで、男はその場で見送った。 ため息を一つついた。 部屋に戻ろうと身を返したその時、男は肩からかけていた着物を、脱ぎざま後ろに投げつけた。自らは身を屈め、背後に立つ足を払った。 ガタリという音と共に、着物に描かれた牡丹が、上がり框に咲いたように広がった。 その上にのしかかり、右手のクナイを、牡丹の下に捕らえた人物の喉にあてた。 殺気を右手に宿しながら、何者だと口を開きかけた時、 「さ―すが」 着物の下から暢気な声がした。男は慌てて立ち上がった。 「し、失礼しました。はたけ上忍」 着物をはぐると、銀髪の男が笑っていた。 「気配を消して後ろに立ったオレが悪いです。ごめんなさい。うみの中忍」 はたけカカシが本気だったなら、気配に気付くことなく殺されている。イルカは首を振った。 「はたけ上忍が直接みえるなんて。何か、急な動きでも?」 着物をはおると、イルカはカカシを家の奥に導いた。カカシの目は、襖の向こうに見える、乱れた寝具に向けられていた。 「はたけ上忍?」 「・・・彼女に、本名を言ったんですねぇ」 申し訳ありません、とイルカは頭を下げた。カカシは首を振った。 「責めてるんじゃないです。任務に必要だと判断したんでしょ?」 いいえ、とイルカは薄く微笑んだ。 「利己的な理由です」 嘘ばかりでは、辛くなってしまって。 無言になったカカシに、イルカは、申し訳ありません、と再び頭を下げた。 「任務の遂行に支障は出ないと判断したのですが、やはり、甘い考えでした。忍が、跡を残すような真似をしてしまいました」 「・・・あなたがそう判断したのなら、オレがとやかく言うことじゃないです」 感情の見えないカカシの声に、まただ、とイルカは俯いた。叱責される訳でもなく、落胆されているのでもない。時折、この上忍はイルカには分からない理由で不機嫌になる。 「・・・それで、はたけ上忍はどうしてここに?」 ああ、とカカシは思い出したかのように口を開いた。 「合図を出していたでしょう、繋ぎの」 忍としての気配を完全に消すため、イルカとの繋ぎはいつも、豆腐売りに扮した中忍が行っている。なぜ上忍のあなたが、とイルカは首を傾げたが、薬売りの道具の中から、一枚の紙を取り出した。 「できました」 カカシに差し出したその紙には、ある屋敷内部の詳細な間取り図と、警備の配置が書かれていた。 カカシは図を数秒見つめた後、紙を燃やし、お疲れ様でした、と言った。 大きく息をついたイルカに、カカシは呟いた。 「・・・愛する男の命が狙われているというのに、女は自分の髪の艶を気にしている。そんな性根の女でも、男は女を捨てられない」 「・・・・」 「惚れたはれたってのは、全く、やっかいなもんですねぇ」 何とも返答の仕様がなく、イルカは黙った。自分たちは、そのやっかいな感情を利用して、目的を達成しようとしている。髪結いの女の、出掛けの笑顔を思い出した。彼女が何を考えていたのか、気付きたくなかった。そう思うように仕向けたくせに。 気が付くと、カカシはじっとイルカを見ていた。 「何か?」 「いや、眼福眼福」 「は?」 「そんな格好では風邪をひきますよ、って言ったんです」 やはり、この上忍はよく分からない。イルカは着物を脱ぎ、自分の上着を身につけた。部屋を見回し、「旅の薬売りイルカ」の痕跡を示すものが残っていないか、確認する。 もう、ここに用はない。 「私は、一度里に戻ればよいでしょうか」 そうですね、とカカシは言った。 「後は、オレと、暗部の仕事です」 では、里で。カカシは先に姿を消した。 イルカは、部屋を横切り、庭に面した障子を開けた。 春も盛り。小さな庭に面した丘には、野生種の鬱金香が咲き乱れていた。人によって手入れされたものよりも小さいが、力強い花だった。 イルカはそれを一本手折り、部屋の文机の上に置いた。 「・・・これも自己満足」 任務は大詰めに近づいていた。 |
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