2. 「イ−ルカせんせ―!」 夕暮れの土手。向こうから歩いてくる恩師の姿を認めて、今まで疲労困憊といった感だったナルトが、勢いよく駆け出した。同じように走りかけたサクラは、はたと足を止め、俯き加減に歩くサスケと歩調を合わせた。その後ろで、カカシはナルトがイルカに飛びつくのを見ながら、愛読書をポケットにねじ込んだ。 「イルカ先生聞いてくれよ!オレってば今日大活躍〜!」 明るい声が響く。イルカはその頭を愛おしそうに撫でた。 「嘘ばっかり。サスケ君の足引っ張ってばかりだったじゃない」 先生こんにちは、と挨拶もそこそこに、サクラは口を尖らした。イルカは苦笑した。 「今日はどんな任務だったんだ?」 「ペットの猿の捕獲です。せっかく追い詰めたのに、ナルトが油断したせいで逃げられちゃって。サスケ君が罠を仕掛けておいてくれたから、すぐに捕まえられたけど」 「で、でもよ〜、皆で待ち伏せしてたあの崖に猿を追い込んだのは、オレのおかげじゃん」 「結果的に、でしょう?それに、逃げられちゃったら意味ないじゃない」 「………足手まとい」 「んだとぉ、サスケ!」 「止めなさいよ!ナルト!」 また、いつもの小競り合いが始まった。こらこら、と間に入ろうとしたイルカは、カカシの視線に気がついた。 直接会うのは一年前ぶりだった。ふ、と笑って頭を下げた。 「はたけ上忍。ご無沙汰をしております」 お元気でしたか? 喧嘩の手を止めて、ナルトが不思議そうに二人を見上げた。 「イルカ先生ってば、カカシ先生と知り合いなのかよ」 「一年位前に、同じ任務につかせてもらった事があってな」 「イルカ先生も任務についたりするんだ?!」 どんな任務?と興味津々の表情のナルトにイルカは、それは秘密、と笑った。 「えぇ〜、ケチ」 「当たり前だろ、ウスラトンカチ」 「でも、イルカ先生が任務でいなくなることってなかったわよね」 「常任教師になると、里外に出る任務はないからな。はたけ上忍との任務が最後だ」 おまえ達みたいのを放って、里外に出られるか、とイルカは微笑んだ。 「なぁイルカ先生、俺たち今から一楽行くんだ」 一緒に行こうぜ、とのナルトの誘いに、イルカはカカシの顔を見た。 「イルカ先生、よければ、ご一緒してくれませんか?」 唯一伺えるカカシの右目が微笑んでいた。イルカはほっとしたような気持ちで頷いた。 「では、お供させていただきます」 やったあ、とナルトが駆け出した。 「あの任務の後すぐに、アカデミーの常任教師になりました。それまでも、臨時扱いで教壇には立っていたのですが、火影様の勧めもあって、正式に」 イルカの頬は薄く染まっていたが、酔っているようには見えなかった。 「最近の先生は、任務依頼の受付もするんですか?」 そう問うと、イルカは、ご存知でしたか、と呟いた。 「今人手不足なんです。でも、受付の仕事は週に3、4日、夕方から夜だけですから」 「火影様にこき使われてるんじゃないですか?」 なんて事を、とイルカは笑った。 子供達とラーメンを食べた後、カカシはイルカを誘った。二人で、少しだけ飲みませんか? イルカは喜んで、と答えた。カカシが予想していたよりあっさりとした返事だった。 二人が腰を落ち着けたのは、カカシ行きつけの店だった。店主も店員も馴染みで、いつもは一人で訪れるカカシに連れがいるのを見て、さっと奥の座敷に通してくれた。 腹は減っていない二人に、店主は、葱の饅と平目の縁側を出してくれた。イルカは、カカシの薦めた日本酒を注文した。 カカシが口布をはずすと、イルカは心底感心した表情を浮かべた。どうかしましたか?と聞くと、なんでもないです、と口籠る。気になります、と重ねて聞くと、失礼ですけれど、と前置きして、さっきも思いましたけど、はたけ上忍は男前ですねぇ、と言った。 思わぬ言葉に動揺しながら、光栄です、と答えると、そういう風に言えるところも男前ですね、と笑った。 「・・・まさか、はたけ上忍が、ナルト達の上官になって下さるなんて思いませんでした」 イルカはすいっと猪口を開けた。徳利を差し出すと、すみません、と頭を下げる。 「オレの試験は厳しいですからね。合格するとは思ってなかったですか?」 「そういう意味ではなくて。何と言うか、嬉しかったんです」 あいつを認めてくれる人がいる。それが、嬉しいんです。そう照れたように笑うイルカの、その男っぽい顎のラインが目を惹いた。 「・・・ダメですねぇ」 思わずため息が出た。 「何がダメなんですか?」 なんでもないです、とカカシは、イルカの為に新しい酒を注文した。 「もう飲めませんよ」 「何をおっしゃる。イルカ先生は見かけによらずざるだって聞いてますよ」 イルカは苦笑した。 「誰かそんなことを」 「上忍の諜報力をバカにしてはいけません」 冗談めかして言うと、イルカはくすりと笑った。 「はたけ上忍、貴重な能力をそんな事に無駄遣いしないで下さいよ」 違うでしょ、とカカシはぴっと指を立てた。 「カカシ、でしょ?」 イルカは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに思い至ったのか顔を赤くして、ぶんぶんと首を振った。 「と、とんでもない!上忍の方に」 「オレは全然気にしないです」 むしろ、そう呼んでもらいたいです。そう言うと、困り果てたように小さい声で 「・・・いや、でも、呼び捨ては勘弁して下さい」 「じゃぁ、カカシさんで」 はぁ、とイルカは居心地悪げに頷き、それから、ふ、と小さく微笑んだ。 その表情に、カカシは思わず息をつめ、やっぱりダメだ、と観念した。 一年前と変わらず、カカシはこの男に囚われていた。 「かなり大がかりな任務になる」 深夜、明かりを落とした三代目の執務室には、火影とカカシ、そして暗部が二人部屋の隅の闇に紛れていた。黙って依頼書に目を通していたカカシは、読み終わるとそれを燃やした。契約の痕跡を残さない仕事。火影が直接指揮をとる、ランクなし、の依頼であった。 「依頼人の箕輪屋って、あの?」 カカシの問いに、火影は頷いた。 「火の国きっての大財閥。内にも外にも敵は多いわい」 「依頼内容は身辺警護。暗殺の危険性が極めて高い・・・箕輪屋には、何か身に覚えがあるんですか?」 「両手にあまる程あるそうじゃ」 それは大変、とカカシが呟くと、火影は、一応の目星はついとる、と続けた。 「一番可能性が高い相手が、一番厄介な相手でもあるんじゃ」 火影は声を出さずに話し、カカシはその唇を読んで、まいったね、と天井を見上げた。 「無論、木の葉は政治には介入せん。ただ、依頼をこなすだけじゃ」 蓑輪屋に対する者、として、敵には「笠屋」の暗号をつけた。 身辺警護は、周囲に悟られないように行われること。同時に暗殺依頼者を特定し、逆に相手を暗殺すること。しかも、極秘裏に。 「動く人数は必要最小限じゃ。お前と、後ろの暗部2人。あと潜入要員として、中忍を一人。」 「中忍ですか?」 カカシの声音に不安を読み取った火影は、 「心配せんでも、腕は確かじゃ」 イルカ、と呼んだ。 ふっ、と火影の左の空間がぶれて、男が現れた。 「お呼びにより、参上いたしました」 火影はうむ、と頷いた。 「カカシ、中忍のうみのイルカじゃ」 イルカはカカシに真っ直ぐ視線を合わせ、それから深く頭を下げた。 「初めまして。はたけ上忍。うみのと申します」 第一印象は、真面目そうな男、だった。温和に整った顔立ちに、意志の強そうな黒い瞳と、鼻筋の傷が印象的だった。背はカカシより低いが、姿勢のよい、骨格がしっかりした、きれいな体つきをしていた。 火影は椅子から立ち上がった。 「指揮官はカカシ。大まかな作戦はワシが立てるが、現場での判断は全てカカシに任せる。想定外の事態に対して、それぞれがベストと考える行動をとる事は、常の通り。各人、任務完遂の為に全力を尽くしてくれ」 「承知」 翌日、イルカは箕輪屋にいた。 数多い使用人の一人として紛れ込み、箕輪屋の身近で、警護と情報収集にあたる。カカシと暗部は隠密に行動し、箕輪屋の依頼通り、周囲には、今までと何も変わらないように見せていた。 依頼人の箕輪シュンドウは、土木、水産分野では近隣の国にも並ぶ者がない程に、箕輪財閥を成長させた辣腕の持ち主である。恰幅の良い、堂々とした外見に似合って肝も据わっており、 「屋敷の奥で震えているのは性に合いませんでな」 暗殺の危険に臆することなく、朝から晩まで仕事に飛び回った。その供に、イルカは必ず付き添った。 数日で、カカシは火影の人選が正しかったことを実感した。 イルカは、あっという間に箕輪屋の使用人仲間に溶け込んだ。まず子供がなつき、ついで女が馴染み、男が信頼した。 腰が軽い上に気が利いていて、数日で、仲間内で頼られる存在になっていた。その一を聞いて十を知る聡明さに、簑輪屋がイルカを身近に置くことも、周囲に抵抗なく受け入れられた。同じように使用人として紛れ込んでいた笠屋の間者を発見したのも、イルカの働きによるものだった。 忍としての戦闘力も申し分なかった。 箕輪屋を逸れの襲撃から保護した夜、カカシは、暗部と、放っていた忍犬の情報から、笠屋の正体を断定した。 やはり、火影の予想に誤りはなかった。やっかいな相手であった。 ・・・流石の箕輪屋も、命を拾ったその夜は動揺していた。 気を失っていた少女が目を覚ますと、無体にも思える激しさで彼女を抱いた。 深夜、暗部との打ち合わせを終えてカカシが箕輪屋の屋敷に戻ると、イルカは、広大な中庭に面した箕輪屋の寝室の前に控えていた。障子越しに、少女の喘ぎ声と、衣擦れと、肉がぶつかり合う鈍い音が聞こえていた。 屋根から庭に降り立ったカカシは、我知らず気配を消していた。 淡い月光の中、イルカは、庭に向かって静かに正座していた。 その表情からは背後の房事に気を取られている様子は伺えなかった。ぼんやりしているような、真剣に集中しているような、穏やかな顔だった。 それとも、表情には現れていないだけで、心は乱れているのだろうか。もしかしたら、甘い艶声に興奮し、そのきれいな体の中心を熱くしているのだろうか。 カカシは思った。イルカは、どんな風に女を抱くのだろう。 その手はどんな風に肌を滑るのだろう。 そして、どんな風な顔をして果てるのだろう。 そこまで考えて、カカシは自分自身が物凄く下劣な人間に思えた。 動揺が伝わったのか、イルカはぱっと立ち上がり、クナイを手に身構えた。そして、庭の闇にカカシの姿を認めると、構えを解き、ふ、と微笑んだ。 先刻、その頬に触れたことをカカシは思い出した。指にその感触がよみがえった。 この男は、危険かもしれない。その時カカシは実感した。 翌朝、カカシは簑輪屋に敵の正体が判明したことを告げた。 「これから反撃に出ます」 暗殺失敗の報に、報復を恐れた笠屋は屋敷にこもっていた。 敵の正体を探る為に逸れを一人逃がしたことから、相手に、木の葉が動いていることが伝わっている事は明白だった。ぐずぐずしている暇もつもりもなかった。 厳重な警護をかい潜って屋敷に忍び込むか、外へ誘き出すか、カカシに決断が迫った。 笠屋にはぞっこんの妾がいて、お抱え同然の気に入りの髪結いがいることはすでに調べていた。 イルカは簑輪屋を出、旅の薬売りに変装した。そして、偶然を装って髪結いに接近した。 イルカの外見も、持っている雰囲気も、とても色恋の手管に長けているとは思えない。むしろ初心な印象さえある。世慣れた女相手にはうってつけだった。 カカシは最初、この任務をイルカに与えることを躊躇した。その理由が嫉妬であることも自覚していた。しかし、こういう任務の為に火影はイルカを要員に加えたのだ。カカシの鬱屈をよそに、イルカは忠実に任務に励んだ。 イルカは、髪結いの家に泊まると、彼女に気づかれないよう、商売道具の中に札を数枚紛れ込ませた。 その札は、一定の時間が経つと、それぞれが小指の先程の小さな鼠に変化した。笠屋屋敷の奥、妾の部屋で、髪結いの荷物から忍びでた鼠は、屋敷内部を駆け回った。そして時間になると、鼠はまた髪結いの荷物に潜り込み、札に戻った。 札には、鼠として進んだ道順が方向と距離で浮かび上がるように仕掛けてあった。障害物の情報も書き込まれる。イルカは戻ってきた髪結いの荷物から札を取り出し、その独特の文字を読み解いた。 それを数回繰り返して、イルカは屋敷内部の詳細な見取り図と、警備の配置位置を手に入れた。 後は、カカシと暗部の仕事であった。 イルカが髪結いの元を去った翌夜、自慢の髪をなびかせて、いつものように笠屋の寝室を訪ねた妾は、布団の上で、胸を突かれて息絶えている笠屋を発見した。 簑輪屋に結果を伝え、里に戻ったカカシは、その足で火影の元に向かった。 「ご苦労」 火影はいつも首尾を聞かない。カカシがこうやって戻ってきた事が、任務の成功を物語っていた。 「2、3日ゆっくり休め」 「…ありがとうございます」 頭を下げて部屋を出て行こうとするカカシを、火影が、ちょっといいか、と呼び止めた。 「カカシ、お前イルカをどう思う?」 先に里に戻っているはずのイルカを探そうと考えていたカカシは、その本心を見透かされたかと、ぎょっとして火影を見た。 「どうした?」 火影には質問以上の意図はないようだった。いえ、と首を振ったカカシは、正直な感想を述べた。 「・・・技術も能力も、中忍にしておくのはおしいですね」 「忍としては、どう思う?」 カカシは眉をひそめた。質問の意図をはかりかねた。 「忍としてのイルカをどう見る?思った通りで構わん」 カカシは一瞬躊躇したが、 「・・・忍に、向いてないかもしれません」 「なぜ?」 「忍としての在り方に、オレとは根本的な違いを感じます。説明は難しいですが・・・」 任務中、折々に感じていたことだった。そして、髪結いに本名を明かしたと聞いた時に、その違和感は決定的になった。 自分なら決してそんな事はしない。任務で関わる人間に、心を動かされることなどない。よしんば情をかき立てられることがあっても、それが任務の一環ならば、感情を押さえ込み、殺す。それは忍として当たり前だ。 しかし、イルカは違う。 甘い、優しい、弱い、そういったものと似ているようだが、それとは決定的に違う何かが、イルカにはある。 ふむ、と火影は頷いた。やはりお前もそう思うか。 火影は椅子から立ち上がり、背後の窓辺に立ち、窓の外を眺めた。 「人としての誇りが高すぎるんじゃよ、イルカは」 誇り。カカシは口の中で呟いた。 「任務の為なら己の人間性も踏みにじる。どんな非情も、任務なら納得をする。それが忍じゃ。じゃが、イルカにはそれが難しい。ある程度までは己を騙していけるじゃろう。じゃが、これから先、土壇場で、イルカの心はイルカを裏切りかねん」 「いつか、忍としての正しさより、人としての正しさを選択してしまうかもしれないということですか」 火影は頷いた。 「いくら技術があっても、能力があっても、上忍に推薦できん理由じゃ」 「・・・どうして、オレにそんなことを?」 火影は、苦笑した。 「・・・ワシも、たまには、誰かに、背中を押してもらいたいんじゃよ」 「はぁ・・・」 「果たしてワシの考えは、里の為かイルカの為か。迷っておるんじゃよ」 引き止めてすまなかった、と火影は言った。カカシは軽く頭を下げて、火影の部屋を後にした。 イルカの事を考えた。 会いたいと思った。 |
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