3.

店を出た時、月は火影岩の向こう、高く輝いていた。

財布を出すイルカを押し止め、カカシは、今度は割り勘で、と笑った。イルカの恐縮する様子が、あまりに真面目なのでおかしかった。

春の夜風の中、二人で西へ歩き出した。カカシの家は、反対方向になる。気付かないかと思ったが、

「カカシさんの家はこちらでしたっけ」

少し行ったところで、イルカが首を傾げた。

「う〜ん・・・」

相手が女なら、こうやって笑うと、大抵飲み込んでくれる。そして大概、送った先の女の家での行為も、込みになる。が、それがイルカに通じるはずもない。

送ります、と言うカカシに、イルカは首を振った。

「女性じゃないんですから大丈夫ですよ」

「オレといるのは嫌ですか?」

極論めいた言葉に、イルカは驚いた顔でカカシを見た。

「まさか」

「まさか、何です?」

イルカは困ったような表情を浮かべた。

「嫌な訳ないでしょう」

「オレがナルト達の担当上官だからですか?それとも、上忍のオレに誘われると断りにくい?」

イルカは、さらに困惑した様子で、そんなんじゃないです、と呟いた。

カカシは、余裕のない言い方でイルカを追い詰めている自分に気がついた。

「ごめんなさい、言いにくいこと聞きました」

少し歩調を速めて歩き出すと、イルカは、慌てたように言った。

「カカシさんは、何と言うか、親しみやすくて・・・今日も、とても楽しかったです・・・ごめんなさい。やっぱり、上忍の方に馴れ馴れしいですね」

「オレは、イルカ先生と、少しでも、一緒にいたいです」

立ち止まり、イルカを真っ直ぐ見つめ、カカシは言った。

この一年の時間を埋めたいんです。

一年前、任務の後里に戻っているはずのイルカを探したが、彼は火影の個人的な用事を受けて、数日の予定で里外に出ていた。

こき使いやがって、と、里の最高実力者に内心毒気づきながら帰りを待っていると、今度はカカシ自身に緊急の任務が入った。忍として断れるはずもない。

任務は期間1ヶ月のはずが、延長につぐ延長で、結局半年になった。そして、里に戻る頃には、イルカに対する感情も、冷静になっていた。

相手は、恋人でもない、男。続けざまに長期任務が入ったこともあって、敢えて会いに行こうという気持ちにならなかった。このまま、完全に忘れてしまうのかもしれない、と時折他人事のように考えたが、それでいい、とも思った。

そして、1年が過ぎた。

上忍師として、初めて下忍を受け持つ事になり、再びイルカの名を聞いた。受付所で、イルカの姿を見た。

あぁ、と思った。

気持ちは消えた訳じゃない。眠っていただけだ。

そして、恐れていただけだ。自分がこんなに囚われる人間が、この世に存在するということを。

目の前で、大きく目を見開くイルカを、カカシは片方の目で、じっと見つめた。

 「あの・・・そんな風におっしゃっていただけるなんて、光栄です」

イルカは照れたように微笑んだ。その表情に、カカシの心臓がぐきりと鳴った。

「本当に、光栄?」

「はい」

頷くイルカの顎に手をかけた。口布を指でずらし、きょとんとした顔のイルカに、カカシは口付けた。

唇は熱く、乾いていた。カカシは自分の心臓の鼓動を聞いた。

さすがに、触れるだけしかできずに身を離した。

イルカは、目を零れ落ちそうなほどに見開き、口を手の甲で押さえた。

「あなたが、好きです」

きちんと届くよう願って、カカシはゆっくりと言った。イルカは、呆然とカカシを見、それから視線を避けるように俯いた。

驚かせてごめんなさい、とカカシは続けた。

「今のあなたにとって、オレは、単なるナルトの担当上官で、何人もいる上忍の内の一人にしか過ぎないでしょう。でも、もし、オレの事嫌いじゃなかったら、考えてみてくれませんか」

綺麗事を。カカシは自嘲した。本当は、無理矢理にでも頷かせたいのに。このままさらっていきたいのに。

イルカは俯いたまま、苦しげに眉をひそめた。カカシは胸がかきむしられるような気がした。

「オレの事嫌いですか?気持ち悪い?」

イルカは慌てて首を振った。

「とんでもない、気持ち悪いだなんて。・・・でも、あの、い・・・いきなりで、よく、わからなくて」

戸惑いながらも言葉を紡ぐイルカに、カカシは触れたい欲望をおさえ込んで、言った。

「考えてみて下さい。お願いします」

月は火影岩の向こうに隠れていた。

 

 

 

玄関で、イルカは手から鍵を落としてしまった。

思ったより動揺しているんだと、何故か笑ってしまった。

部屋に入って、ドアの横のスイッチを押すと、蛍光灯の光が目を刺した。

見慣れた自分の部屋。朝出ていく時と変わらないその日常に、いたたまれないような気持ちになって、イルカは頭を振った。

部屋の間取りは、台所と和室が二間という、木の葉の単身者用アパートの典型だった。広くはない部屋に、書類や巻物が幾山も積み上げられている。雑然としているが汚い印象はなく、イルカのおおらかで丁寧な生活ぶりがうかがえた。

部屋に上がったイルカは、高く結っていた髪をほどき、仕事用の服を脱いだ。下だけ寝間着代わりのスゥエットを穿き、台所でコップに水を注いだ。体が燃えるように熱かった。

カカシに、好きだと言われた。

お願いしますだなんて、今まで言われたことの無い言葉を、あのカカシに。

イルカはコップの水を一息に飲み干し、口元からこぼれた水を、手の甲でぬぐった。唇に指が触れた瞬間、カカシの感触を思い出した。

顔が紅潮するのが自分で分かった。

キスなんて、数えられない程している。任務でだが、男とも経験はある。キスだけじゃなく、もっと深い行為も。

その自分が、カカシの、まるで子供にするような口付けに、こんなに心乱されるなんて。

送る、というカカシの言葉を振り切って、あの場で別れた。口布をずらしたカカシは、腰が抜けるほど男前で、ただでさえ心拍数が上がっている心臓に悪かった。

走るようにアパートに帰った。カカシが、いつまでも見送っているような気がして、辛いような、甘いような妙な気分になった。

イルカは和室に戻り、ちゃぶ台の前に胡坐をかいた。右手が無意識に背中にいった。数ヶ月前に負った傷は、もうすっかり新しい皮膚が覆っているが時折疼くことがあった。

どうして、俺なんだろう。

気持ちが落ち着くにつれ、疑問が頭をもたげてきた。

写輪眼のカカシ。木の葉の誇る上忍。名前とその誉れだけは、ずっと以前から聞いていた。

一年前に初めて会った時は、かなり意外な気がした。イルカが勝手に、体のゴツい、実力に似合った恐ろしい外見の人だと思い込んでいたカカシは、長身細身でかなりの猫背、口布と額宛で顔を覆い、唯一見える右目はどこか眠そうな、とぼけた印象の男だった。

外見と実力が釣り合わないのは忍の世界の常だが、むしろイルカは、カカシの飄々とした雰囲気に好印象を持った。

その好感は、カカシの下で任務を遂行するにつれ、尊敬に変わっていった。

比較的自由な風土の木の葉だが、やはり階級と序列は絶対だった。その階級と自負心を盾に、部下を捨て駒とみなして、無碍に扱う上忍は少なくない。事実、そうした上官の下で、命の危険に晒された経験がイルカにもあった。

しかし、カカシは違っていた。里屈指のエリートであるにも関わらず、一介の中忍にしか過ぎないイルカを、対等の忍として扱った。

それぞれがそれぞれの役目を全し、互いが互いを補い合うことで、任務を成功に導く。イルカはカカシの信念を感じ取り、共感を覚えた。その信頼に答えようと、全力を尽くした。

忍として初めて、イルカは任務の成功以外に目的を持って、役目にあたった。

一年前、火影にアカデミーの常任教師にならないかと言われた時、思い浮かんだのはカカシの顔だった。現役を離れると、第一線にいるカカシに会う機会もなくなる。そう思うと、寂しい気持ちがした。

でも、とイルカは頭を振った。その気持ちは、単に尊敬する上忍に対するもので、決して恋愛感情ではなかった。

自分が忍向きでないことを、イルカは十分理解していた。常に、自分のしていることは正しいことなのか、意味のあることなのか、という葛藤があった。人を騙し、裏切り、殺すことに、慣れる事ができなかった。

今は違っていた。教職に向いているのかどうかは分からないにしろ、子供達の成長に喜びを感じ、少しでもよりよく導きたいと願う気持ちに、確固とした自信があった。だから、この道を選んだことを後悔していないし、道を授けてくれた火影にも感謝をしている。

ただ、時折、あのまま現役を続けていたら、カカシともう少し近づく機会があったかもしれない、と思っただけだ。

イルカは立ち上がり、風呂場に向かった。酒気はもう感じられなかったが、とにかく緊張でかいた汗を流したかった。

浴室の鏡に、不安げな表情の自分が写って、イルカは苦笑した。シャワーの水温を低めに設定し、その心地よい水圧に眼を閉じた。

アカデミーでも、受付所でも、カカシの噂はよく聞いた。良い噂も、嫉みとしか思えない悪口も、話題には事欠かない男だった。そしてカカシの名が耳に入る度、イルカは、牡丹の着物の下で笑った、カカシのあの瞳を思い出した。

カカシがナルト達の上忍師になったと知った時、本当はすぐに会いに行きたいと思った。しかし、一度同じ任務に就いただけの、一介の中忍風情がどんな用事で、と思い直した。

縁があれば、会える。そう願っていた。

そして、今日。1年ぶりのカカシは、相変わらず猫背で、眠そうな右目だった。少し高いところからの視線と、イルカ先生、と呼ばれる声に、心が躍った。

・・・あぁ。まずい。

イルカは手で顔を覆った。

尊敬だと、思い込みたかっただけかもしれない。

そう思った瞬間、足が震えてきた。

怖い、と心底感じた。

 

 

 

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