4.

久しぶりに外に出てみんか。

そう言って、三代目がイルカに手渡したのは、火の国財閥箕輪屋が主、簑輪シュンドウへの書簡だった。

ただの手紙ならば、アカデミーの横にあるポストに入れれば済む。機密書類なら、人目のある昼日中の執務室で無造作に渡されたりはしない。

イルカが内容の重みを測りかねていると、三代目は呑気な口調で言った。

「返事がその場で欲しいんじゃよ。要件自体は・・・まぁ、大したことないわい」

「承知しました。で、いつ?」

「すぐにでも発ってくれんか。先方が、今日中にどうしても、との」

イルカは思わず火影を見た。銀色の髪が、ちらりと脳裏をかすめた。

「今、すぐにですか?」

「急な話ですまんがの」

忍として、優先順位は自ずと決まる。イルカは再度、承知しました、と頷いた。

火影の元を辞し、イルカは一度自宅へ戻って身支度を整えた。ゆっくりしている時間はなかったが、どうしても、壁にかけたカレンダーに目がいってしまう。

「今日なんだよなぁ…」

何の変哲もない数字が、やけに大きく見えて、イルカはため息をついた。

「・・・そう言えば、カカシさんの任務も火の国だったな」

十日間の予定でついたカカシの任務が、今日終わる。そして、カカシから受けた告白の返答を約束していた日であった。

告白の翌日、イルカは受付所でカカシと会った。

丁度人の込む時間帯で、3つある受付にはすべて長蛇の列ができていた。

報告書に一通り目を通し、内容を確認する。不備を指摘し、ふられる与太話にも相応の返事を返す。任務明けで疲れている彼らを、できる限り待たせないよう気を配ることに夢中になっていたイルカは、カカシが、お願いします、と報告書を目の前に差し出すまで、彼が来ていたことに気がつかなかった。

「そう言えば、ここで会うのは初めてですよね」

思わず固まってしまったイルカに、カカシは微笑んだ。相変わらず右目しか見えないが、柔らかく笑っていることは分かった。

 そうですね、と返す自分の声は、妙な風に掠れていないだろうか。昨夜の記憶と相まって、頬が熱く燃えるようだが、周囲に変に思われないだろうか。イルカは、全力で走った後のような自分の心臓の音を聞きながら、必死で報告書の文字を追った。本当は、ナルト達の様子を聞いてみたかったが、そんな余裕はとてもなかった。

「はい。確かにお預かりします。お疲れ様でした」

いつもなら、相手の目を見てかけるこの言葉も、カカシの口布に向けるのが精一杯だった。

「・・・ナルトが」

カカシが言った。

「え?」

「ナルトが、もっとランクの高い任務をやらせろって騒ぎ出しましてね。元気が有り余ってますし、そろそろ言い出す頃じゃないかって思ってたんですが」

あぁ、とイルカは肩の力を抜いた。

「思うに、サスケも同じように考えてるんじゃないでしょうかね。口では何も言いませんが」

イルカの動揺を察知して、自分から子供達の話題を振ってくれるカカシの心に、イルカは胸が温かくなるのを感じた。

「今日の任務は、失せ物探しだったんですね」

「一番のお手柄はサクラです。あの子は相変わらずサスケ一辺倒で。任務となれば好き嫌いで動く子ではないので、その点は安心してるんですが、たまにナルトが憐れでねぇ」

 思わず笑い出してしまったイルカの背中から、はたけ上忍、と声がかかった。

「丁度よかった。火影様がお呼びですよ。急ぎだとか」

受付後方支援の一人だった。カカシは、一瞬そちらに目をやった後、イルカに視線を戻し、

「今日は、この後お時間ありますか」

柔らかいが有無を言わさない口調に、イルカの心臓が跳ね上がった。

「・・・は、はい」

「では、待ってます」

 くるりと背を向けて、カカシは受付所を出て行った。その背中を見送ったイルカは、受付所にいる多くの人間が、同じようにカカシを見ていた事に気がついた。

 素敵ねぇ、とくの一たちは頬を染めて騒いだ。大半の忍たちが、尊敬と羨望をその瞳にこめて、彼の名を声高に語った。部屋の隅のグループは、妬みをお上品な言葉で包んで囁いた。

「イルカ、お前はたけ上忍と親しいのか?」

隣に座る同僚からも、誘われるなんて羨ましい、と真顔で言われ、イルカは返答に困った。

 里一番のエリート。他国にも名の知れ渡った、木の葉の誇る上忍。カカシが里の忍にとってどんな存在なのか、イルカは改めて思い知った気がした。足元が崩れていきそうな、不安定な気持ちが湧き上がった。

イルカは、自分がカカシを受け入れたいのか、拒否したいのか、判じかねていた。

カカシに対する気持ちは恋愛感情だと、はっきりと自覚した。ずっと恋焦がれていたのだと認めると、気持ちはとても楽になり、カカシの言葉を思い出すと、とろけそうな幸福感に包まれた。

だが同時に、恐ろしさがイルカを襲った。自分がカカシに応えることで、変わってしまうものの大きさを考えると、足がすくむような気持ちがした。

里の宝と尊ばれる者と、一介の中忍にしかすぎない者。何より、二人とも男である。常識がイルカの心に針を刺した。

好きだから、という気持ちだけで動くには、イルカは経験を重ね過ぎていた。

 会えば、おそらく返事を求められる。受付事務の後片付けをしながら、イルカは、どうしようと内心頭を抱えた。時間はあるか、と聞かれて頷いた自分が恨めしかった。

 だが、イルカの心配はとりあえず杞憂に終わった。

 重い心を引きずって受付所を後にしたイルカの前に、一匹の犬が現れた。小さくて丸いが、お世辞にも愛らしいとはいえないその犬は、一人前に額宛をした忍犬だった。

「あんたがイルカ先生か」

面食らいつつも、しゃがみ込んでそうだと頷くと、その犬は眠そうに半分閉じた目で、主、はたけカカシからの伝言だ、と言った。

 ごめんなさい、と犬の口から、カカシの声が流れ出した。言葉を残す術を使ったらしい。

「急に任務が入りました。すぐに出発しなければなりません。里に戻るのは十日後です。その時に・・・返事を聞かせてください」

イルカは思わず安堵のため息をついた。考える時間ができた。

 「確かに伝えたぞ」

犬はそう言って、イルカに背を向けた。へのへのもへじが描かれたマントの下で、小さなしっぽが揺れた。

「名前は?」

イルカは思わず声をかけた。

「あん?」

犬は首だけで振り返った。不細工だが愛嬌があった。

「カカシさんの忍犬だろ?名前は何ていうんだ?」

「拙者の名はパックン」

何故か自慢気にいう様子に、イルカは笑ってしまった。

「パックンか。ありがとうな」

パックンは、イルカをじっと見て言った。

「拙者の主は、変わり者だが、悪い男ではない。嫌わないでやってくれ」

さっきのため息を、そういう風にとったのか。イルカは胸が詰まるような気がした。

「心配するな。嫌ってなんかいない。主に・・・カカシさんに、気をつけて、と伝えてくれ」

表情は変わらないが、確かにパックンは嬉しそうな顔をした。

 

 

 

 「さあ、好きなのを選んでくれ」

シュンドウの言葉に、イルカは唖然とした。

 目の前には、美しく着飾った女達が十数人。畳に手をついて頭を下げている。

「おまえ達、顔を上げて、うみのさんに見せて差し上げろ」

美しい仕草で体を起こした女達は、シュンドウの好みである年端もいかぬ少女から、イルカと同年代と思われる女性まで、年齢はまちまちだが、全員が目を見張るほど美しかった。

「うみのさんは、どんな女が好みかな」

「あの・・・簑輪屋さん」

「無論、一人とは言わん。好きな女を、何人でも、好きなだけ抱いてくれ」

 さあさあと薦めるシュンドウの満面の笑みを呆然と見つめながら、イルカは、どこをどうしてこんな事になったのかと、眩暈を起こしそうな頭で考えた。

 里から火の国の都までは、忍の足で2時間ほどだった。イルカが簑輪屋私邸の玄関門に到着したのは、太陽がそろそろ沈む時刻だった。

仁王立ちをした門番に、火影に言われていた口上を述べると、話が通っていたのか、すぐにシュンドウの書斎まで通された。一年前の任務に配慮して女性に化けていたイルカは、書斎に入ってきたシュンドウの前で、他に気配がないことを確認してから変化を解いた。

「その節は、世話になったな」

相変わらず精力的な様子のシュンドウに、イルカは預かった手紙を渡した。シュンドウは待ちかねたように手紙を開き、目を通した。

「返答を、すぐにいただいてくるよう申しつかっております」

手紙を封筒に戻したシュンドウは、イルカの言葉には答えず、

「では、行こうか」

と言った。

「どちらへ?」

「よい所だよ。うみのさん」

知らぬはずの名を呼ばれ、イルカの警戒心が跳ね上がった。

「・・・どうして、その名を?」

「ここに書いてある」

シュンドウは、手紙をひらひらと振った。イルカは耳を疑った。どうして、三代目の手紙に俺の名が?

「気になるだろう」

シュンドウは、表面上は顔色一つ変えないイルカに、にやりと笑いかけた。

「わしと一緒に来てくれんか。手紙の返事も、行った先で答える」

 数秒の躊躇の後、イルカは頷いた。自分の事はともかく、返事をもらわないことには、火影の用を果たした事にならない。

 そして、服を着替えさせられ、つれて来られたのが、火の国最高級の遊郭「陽華楼」だった。

陽華楼主人自身の案内で、シュンドウとイルカは、豪華な設えの広い離れに通された。酒の膳が用意されており、どうぞ一献と勧められたが、この状況でイルカが飲める訳もない。

シュンドウは気を悪くした様子もなく、では早速と、大きく手を叩いた。隣の部屋との間にあった襖が開き、イルカは、そこに居並ぶ女達を目にしたのである。

「簑輪屋さん、これは一体」

戸惑うイルカに、シュンドウは頷いた。

「まあ、お礼みたいなもんだ」

「お礼?」

「あんたは、わしの命の恩人だからな」

イルカは眉をひそめた。

「報酬は、里として一年前すでに頂いている筈です。それ以上のものを、今更受け取る事はできません」

「そう、堅いことを言わず。別に、罪になる訳ではないんだろう?」

わしは、ずっとあんたを探していたんだ。シュンドウは言った。

「個人的に、お礼をしたいと思っててな。だが、任務以外では、忍は指一本動かすこともまかりならんという。里の頭領さんを一年かかって口説き落として、ようやくあんたを寄越してもらうことができたという訳だ」

 にこにこと笑うシュンドウに、イルカは舌打ちしたい気持ちになった。さすが、一代で会社を急成長させただけの男だ。その表情からは、底意も他意も感じられない。

 イルカは、お礼だというシュンドウの言葉を全く信用していなかった。そんな優しい感情などふっとぶ位の金額を、シュンドウは里に支払っているはずだ。第一、自身の護衛も敵の暗殺も極秘にと念を押されていた。いくら一年経ったとはいえ、その任を請け負った忍を身近にうろつかせる危険性を、シュンドウが考えないはずがない。

 恐らく裏がある。だが、読めない。イルカは頭を振った。

「では・・・火影様も、この事はご存知なんですね」

シュンドウは笑顔のまま、

「お前さんの好きにしてよいと、手紙にはある」

 違う。イルカは確信した。火影と名のつく者が、里の範を越えて私欲を増長させるような事を認めるはずがない。

 理由は分からないが、恐らくシュンドウはイルカに嘘をついている。少なくとも、何かを隠している。

 そう考えると、イルカの心が軽くなった。だったら、相応の対応をするまでだ。

 このまま席を立って里に戻ってもよいが、それではシュンドウの意図が掴めない。後々どんな禍根を残すかもしれない上、火影の手紙の内容も気にかかる。それならば、誘いに乗ってみて、探れるところまで探ってみよう。イルカは腹を決めた。

 「では、お言葉に甘えて」

イルカが言うと、シュンドウはイルカの手を取り、女達の前に連れて行った。

「どの娘がいい?いずれの女も、天国の心地を味わわせてくれるぞ」

シュンドウの言葉にイルカは、はぁと呟きながら女達を見回した。

 ある者は可憐に、ある者は恥らって、ある者は艶然と、イルカに微笑みかけてくる。よくもこれだけの美女を揃えたものだ、とイルカは妙な所で感心した。

 無論イルカに女を抱くつもりはなかった。女から、シュンドウの意図を聞き出すことができないかと考えたのだ。自ずと選ぶ女の基準も決まる。

 花が咲いているような女達を見渡して、イルカは後ろの列の右から2番目に座る女に目を止めた。

 栗色の髪に、聡明そうな顔立ちで、他の女と同じように、口元に甘い微笑を浮かべている。だが、その目には色気が欠片も感じられない。理知的な光が、鋭くイルカを見返した。

 「では、あの人を」

イルカが指し示すと、一瞬シュンドウから笑顔が消えた。

 当たりを引いたのかもしれない。イルカは思った。

 

 

 

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