きみに許されるということ

 

 

 

1.

木々の間から見える月が紅い。

カカシは足を緩め、後ろについてきているはずの気配を待った。

「そろそろ、かな」

荒い息遣いが聞こえる。

「少し、休憩〜」

カカシは目についた大木の根元に飛び降りた。その後を3つの影が続く。

「大丈夫?」

地面にへたり込んだ青年に、カカシは声をかけた。

「へ、平気です」

身の丈は大人だが、声にはまだ幼さが残っていた。最近中忍になったばかりと聞いている。基礎的な体力は持っているはずだが、丸1日不眠不休で走り続ければ、さすがに堪えるだろう。

「放っておけよ」

不機嫌な声で、兵糧丸をむしりながらガンマが言った。縦にも横にも人一倍大きな体格と、糸のような眼、頬に走る引きつった傷が凄みを感じさせる。さすが上忍というべきか、息も乱れていない。

「こいつのヘマのせいで、こんな持久走をやんなきゃならねえはめになったんだ」

いたたまれない様子で俯く中忍の青年に、もう一人、黒髪の男が声をかけた。

「足、見せてみて」

青年は慌てて自分の足を抱えたが、男は構わず手を伸ばした。伽半に隠れたふくらはぎに触れた瞬間、青年の肩がびくりと震えた。

「だいぶ、酷いね。きちんと消毒しておかないと」

ちっ、とガンマが舌打ちした。

「ヘマした上に、怪我までしやがって。足手まといもいいとこじゃねえか」

萎縮して泣きそうな顔の青年に、男は大丈夫だから、という風に頷いた。そして、自分の荷物から、救急の医療セットを取り出した。

 カカシは、手馴れた様子で治療する男に言った。

「うみの中忍」

「はい」

「その子のこと、頼むね」

 はい、と男は微笑んだ。

 

 

 

ある荷物を、ある人物から奪い、依頼主の所へ届ける。

依頼としてはBランクだが、カカシとガンマ、二人の上忍があたればさほど難しい内容ではなかった。ただ、依頼の荷物が大きく、荷運びが必要だった。それで、うみのと青年、二人の中忍が人数に加わった。

本来なら、今頃は依頼主のところに荷物を運び込んでいる時分だった。

ガンマはヘマだと責めたが、カカシは臍をかんだ。自分達の他にも荷物を狙っている輩がいたことに、襲撃を受けるまで気が付かなかったのだ。それほど、相手は手練だった。

青年を荷物の見張りに残して、移動のルートを確保していた時に襲われ、奪われた。

幸い青年は命を拾い、霍乱をかいくぐって、敵がどちらの方向に向かったのかを正確に把握していた。

忍犬と鳥を駆使して様子を探り、荷が重いので歩みが遅いのを幸いと4人は近道を辿り、先回りに成功した。そして、周囲数キロに、敵が通ると密かに合図を発する仕掛けをめぐらした。

おそらく明け方、遅くても明日の午前中には接触する計算だった。戦闘になることは明白で、少しでも体力を取り戻しておかなくてはならなかった。

4人は、それぞれ場所を見つけ、体を落ち着けた。

沈黙が、森の静けさと同化した頃、手当てを受けた青年の肩に、低く声がかかった。

「おい」

ぎょっとして振り返ると、ガンマの顔がすぐ間近にあった。

「は、はい」

ガンマは黙ったまま、後ろの茂みに顎をしゃくった。

何の事か、否が応にも予想がついた。任務の最中、上官からそういう風に扱われることがあると聞いていた。青年は怯えた眼で、うろうろと周囲を見回したが、他の二人の気配は感じられなかった。

ガンマは焦れたように、青年の腕を掴んだ。

その時、密やかな声がした。

「上忍。よければ私が」

いつの間にか、影が控えていた。

「・・・うみのイルカか。さっきから癪に障るな」

「申し訳ありません」

ガンマは頭の先からつま先まで、イルカを眺めた。

「自分から立候補するんだ、俺を満足させられるんだろうな」

「努力します」

ふん、と鼻で笑い、ガンマは先に茂みの奥へ入っていった。

「あ、あの、うみのさん・・・イルカ先生」

青年の震える声に、

「大丈夫だから」

微笑んで、イルカはガンマの後に続いた。

 ・・・よくやるね。

少し離れた木の根元にもたれていたカカシの耳にも、やり取りは否応なしに入ってきた。

 ガンマの悪い癖にも呆れるが、うみのイルカの行動も謎だ。自分から身代わりになるとは、物好きもいいところ。それとも、単に好きなのか。

 青年が、泣き出しそうな顔でぶるぶると震えている。嫌なら、離れればいいのに。

やがて、押し殺した気配が、カカシの所にまで伝わってきた。

やってられません。カカシは立ち上がった。

 

 

 

 近くに川があった。

 川面に張り出す大岩の上で、カカシは紅い月を眺めていた。

 どれくらい経ったか、イルカが川原に現れた。カカシの姿を認め、一瞬哀しそうに眉をひそめた。そして黙ったまま、手ぬぐいを水に浸した。

 「入りなよ」

「え?」

「ここで見張っててあげるから、川に入って、流しなさい」

イルカは唇を噛んだが、静かに服を脱いで、流れに入った。

 川のせせらぎと、腰まで水に浸かったイルカがたてる小さな水音を聞いていたカカシは、ふと思いついて言った。

「どうして、替わってあげようなんて思ったの?」

イルカはカカシの座っている岩を見ながら答えた。

「あいつは・・・アカデミーでの私の教え子です」

「へぇ・・・あんた先生なの」

「怪我をして、精神的にも参ってましたし」

「優しいね」

カカシの言葉の棘に気づいて、イルカは顔を背けた。

「あんたは平気なの?」

「・・・経験がないわけじゃ、ありませんから」

 月光の下で、白く輝く背中。イルカは高く結っていた髪をほどいた。誘うように、とはカカシの勝手な思い込みか。

「男に抱かれる事も、任務の一環。あんたにとっては、たいした事じゃないんですね」

向こうを向いたままの肩が強張った。カカシの胸に、理由のわからない苛立ちが湧き上がった。

「だったら、今度はオレの相手もしてくださいよ」

振り返ったイルカの眼は、月光の下でも怒りに燃えているのが分かった。

「あなたにだけは、抱かれたくありません」

瞬間、カカシの苛立ちが沸騰した。

 カカシは無言で立ち上がり、水面に飛び降りた。そしてイルカの腕を掴み、力任せに引き寄せた。離せ、と身をよじるイルカに、

「そんな格好で、あんな事言うなんて、誘ってるのと同じですよ」

噛み付くように口付けた。顎を掴んで無理矢理口を開かせ、熱い舌と、口腔を貪った。

がり、と唇を噛み切られた。

 生意気な。苛立ちのままに突き飛ばすと、イルカは、口元を手で擦りながら、カカシを睨みつけてきた。こんな顔もするのか。大人しいだけの男だと思っていたのに。

 「あんなでかいだけの男より、絶対オレのほうがいいよ。気持ちよくしてあげる」

わざと下卑た言い方をすると、

「俺にはそんなもの必要ありません」

冷たく言い放つ。イルカの怒りがびりびりと伝わってきて、カカシは、逆に冷静さを取り戻した。何を熱くなっているんだか・・・中忍風情に。

 「・・・・・・」

イルカに背を向けて、カカシは川原に上がった。

もうすぐ戦闘が始まるというのに、本当に、どうかしている。

イルカが水から出る気配を確認して、元の場所へ戻ろうと歩きかけた時、どこか遠くで、鳥が鳴いた。

 夜鳴くはずのない鳥が、合図の鳴き声を上げていた。

 カカシは走り出した。数秒送れて、イルカが続いた。

 長い夜が始まった。

 

 

 

 里で見る月は、いつも白く輝いていた。

 カカシは、行きつけの小料理屋から、自宅への道を歩いていた。

連れがアスマだったこともあり、だいぶ飲んだつもりだが、あまり酔った感じがしない。久しぶりに行くかと誘われた色街も乗り気がせず、どこか女の部屋に転がり込む気も起きず、結局一人で大人しく家に帰るしかなかった。

何となく、気が晴れなかった。

月光の下で揺らめく黒髪と、血の味をやけに思い出した。

もう、つけられた唇の傷は癒えているというのに。

カカシの家は、上忍の家が立ち並ぶ住宅街を抜けたところにあった。街のはずれ近くにある小さな公園の前を通ったとき、聞き覚えのある声が聞こえてきて、カカシは足を止めた。

「お前だって楽しんでただろう?」

ガンマの声だった。誰かと言い争っているらしかった。

「何が気に入らない?この間と同じ事をしようっていってるだけじゃねえか」

相手の声は低くて聞き取れない。カカシは思わず公園に足を踏み入れた。

「どうか、里では、勘弁してください」

公園の奥、ツツジの植え込みの前に、腕組みをするガンマと、頭を下げた男の姿があった。

「・・・任務以外では、相手してられねえってか」

「・・・・・・」

「でもな、実際のところ、お前の都合なんざ俺にはどうでもいいんだよ」

言うこと聞かせる方法はいくらでもある、とガンマは口を歪めて笑った。

 頭を下げていた男が、ゆっくりと顔を上げた。カカシの予想通り、イルカだった。眉をひそめ、必死に、勘弁して下さい、と言い募った。その様子にそそられたのか、ガンマはイルカの腕を掴んだ。振りほどこうと身をよじるイルカを、ガンマが抱きすくめようとした時、

「見苦しいよ、ガンマ」

カカシは声をかけた。それ以上は見ていられなかった。ガンマは、細い眼でカカシを睨み、イルカは動揺したように顔を伏せた。

イルカの顔を見たのは、1週間前、任務を終えて里の入り口で別れて以来だった。

任務は成功した。

敵は待ち伏せに全く気づいていなかった。が、十数名の手練を仕留めるのは容易な事ではなかった。荷物を奪還した時、既に夜が明けていて、クナイは尽き、若い中忍は腕と肩に怪我を負っていた。

荷運びとしては役に立たない中忍を先に里へ返し、3人で、今度は最新の注意を払って依頼主の元へ荷を届けた。数日の遅れは、折込済みで計画を立てていた。

 「覗きが趣味か?カカシ」

口調は軽いが、凶悪な声でガンマが言った。

「ガンマ上忍は、中忍に無理強いするのが趣味?」

揶揄するように言うと、ガンマの眼に怒りが閃いた。が、カカシがひるむ訳はない。しばらく見合った後、ガンマは、ふっと視線を逸らした。

「気が変わったら、いつでも言って来い」

イルカにはそう言い、カカシの耳元には覚えていろよ、と吹き込んで、ガンマは足早に公園を出て行った。

 「あ・・・ありがとうございました」

イルカはぎこちなく頭を下げた。頬が染まっているのは、羞恥か屈辱か。

「なんで、こんな所にいるの?ガンマに連れてこられた?」

「・・・話があると、言われて」

「迂闊だね。そんなんじゃ、犯られちゃっても文句言えないね」

イルカは悔しげに眉をひそめた。手に、アカデミーの教材らしい本を抱えている。本職が教師だということを思い出した。

「・・・まぁ、上忍の誘いじゃ、断れないか」

カカシは、家、どこ?と聞いた。

「送っていくから」

「いえ、あの、近いですし、一人で大丈夫です」

「帰りに、ガンマが待ち伏せてたら、どうするの?」

ぐっと唇を引き結び、イルカは俯いた。

「・・・情けないです。男なのに」

その力無い言い方に、カカシの心がざわめいた。

 「あんたは変な人だね」

「・・・変、ですか?」

「任務なら男に抱かれることなんか平気だ、って顔してたのに。普段は、嫌なの?言い方悪いけど、ガンマの事も、うまく立ち回ったら結構いい思いできるんじゃない?いろんな意味で」

 イルカは薄く微笑んだ。

「男女関係無く、好きでもない人と、セックスなんかできません」

任務だから、割り切れるんです。どんな事をされても、どんな風に扱われても、任務だと思えば耐えられます。

 じゃあ、何故?カカシは言った。

「じゃあどうして、あの時オレには抱かれたくないって言ったの?」

 イルカは、しばらくカカシの顔を見つめていた。何かを諦めたような、寂しげな表情だった。

「俺は、器用じゃないですから」

ぽつり、とイルカは言った。

「好きな人とは、任務なんかじゃ割り切れなくなってしまうんです」

相手にとっては任務中の気晴らしでも、俺はきっとそれ以上を求めてしまう。それは報われなくてあまりに辛いです。

 カカシは、呆然と、イルカの言葉を反復していた。

 好き?誰を?誰が?

回らぬ頭のまま沈黙が続いた。

 「・・・ごめんなさい」

イルカは震える声でそれだけ告げると、夜の闇の向こうへ走り去った。

 

 

 

 翌日、カカシは受付所で、あの若い中忍に再会した。

大変ご迷惑をおかけしました、と深々と頭を下げられ、もういいよ、怪我はどう?と言うと、完璧です、と腕と肩を振り回した。

「ちょうど、病院から退院したとこなんです。明日、ガンマ上忍とイルカ先生の所にもご挨拶に伺います」

「うみの中忍の・・・イルカ先生の教え子だったって、本当?」

中忍は、はい、と頷いた。カカシは、心に引っかかっていた事を聞いた。

「あんた、一応一人前でしょ。先生にあんな事させて、恥ずかしくなかったの?」

中忍は、顔を真っ赤にして俯いた。

「・・・恥ずかしかったです。おれ、怖くて・・・本当は、先生の事守りたかったのに」

 まさか大好きだった担任の先生と、同じ任務に就けるなんて思っても見なかった。成長した自分の姿を見てもらおうと思っていたのに。

「おれ、ずっと守られて、庇われてました。あの時も・・・本当は逃げ出したかった・・・辛そうなイルカ先生の声が聞こえてきて・・・でも、逃げちゃいけない、って思って。おれのせいだから」

「・・・・・・」

「・・・任務に差し障るから、もう許して下さい、ってイルカ先生は何度も言ってました。でも、ガンマ上忍は聞き入れてくれなくて・・・満足させる約束だろうって、繰り返し繰り返し・・・・」

 昨晩はまだあやふやだったガンマへの怒りが、カカシの中ではっきりと形をとった。

 そして、イルカに対する自分の気持ちも。

 任務だから大丈夫なんて、もう言わせない。

 カカシは、受付所を飛び出した。

 

 

 

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