3.

 「おれ、イルカ先生のことが好きです」

青年は、照れる様子もなく言った。そして、イルカの先回りをするように、

「勿論、恋愛感情としてです」

と付け足して、笑った。

3年前にアカデミーを卒業し、中忍になったばかりのその青年の名は、ナツキといった。

 イルカが覚えているアカデミー時代の彼の印象は、勘のいい子、だった。天才型ではなかったが、物事の要点を正確に掴む能力が並外れて発達していた。軽重緩急の見極めが上手く、同じ時間で人より多くの事をこなすことができた。

今回同じ任務に就いて、その能力が順調に伸びていることをイルカは実感した。ガンマ上忍が責めた失態は、敵が中忍程度では手に負えないレベルだった事が大きな要因でもある。悔やむより、今回の経験を今後にどう生かせるかが大切だと、イルカは思っていた。

「先生、こんばんは」

夕暮れのアカデミー、職員室で一人残業をしていたイルカを、ナツキが退院挨拶だと訪ねてきた。その明るい様子に、イルカは安心した。本人がへこたれていないなら、心配は無い。

「挨拶なんか、いいのに」

「いいえ。ご迷惑をおかけしましたから」

イルカの席の隣に、隣の席の椅子をひっぱってきてナツキは座った。アカデミーで会うと余計、ナツキの背が伸びた事が実感できた。

「・・・ガンマ上忍のところには、行ったの?」

「はい、さっき。むちゃくちゃ機嫌悪かったっす」

マジでびびった、と昔の口調に戻って笑うナツキにつられて、イルカも微笑んだ。3年の時間が巻き戻ったような気がした。

「ねぇ、イルカ先生」

笑った表情のまま、ナツキは言った。

「先生は、男でも大丈夫なんだよね」

イルカはナツキを見つめたまま、固まった。耳を疑った。

「・・・それは、どいういう」

「男とエッチができるんだから、恋愛もできるよね」

あからさまな言い様に、イルカの顔が強張った。ナツキは、イルカの動揺をよそに、平然と言い放った。

「おれ、イルカ先生のことが好きです。勿論、恋愛感情としてです」

「・・・・・・」

衝撃で、頭が真っ白になったイルカに、ナツキは続けた。

「男同士なんて、あの時まで考えたこともなかった。多分、普通だったら気持ち悪いって思ったと思う。でも、先生がおれを庇ってガンマ上忍にヤラれてた時、おれは気持ち悪いなんて思わなかった。先生に申し訳ないっていうのが一番だったけど、でも、心のどこかで、おれも先生にああいう事したいって、思ってた」

 イルカは、微笑を浮かべながら言うナツキを信じられない思いで見た。アカデミーの職員室で、元教え子に告白されているなんて。欲望を孕んだ言葉にも現実味が感じられなかった。

「入院してる間も、ずっと考えてた。イルカ先生は男なのに、ヤリたいなんて思うのは、おれがイルカ先生の事好きだからかなって」

あっけらかんとした、単純な理論に、イルカは頭痛めいたものを感じた。そして思った。きっとこいつは混乱しているのだ。

人は、不安感と性的興奮を混同してしまうことが往々にしてある。あの時のナツキは、任務という極限の状況の中、失態を責められ、精神的に追いつめられていた。そんな状態で、男同士とはいえ生々しい情交を見せつけられて、感じていた不安感が性的興奮とすり替わってしまったのだろう。

不安感に根ざした感情ならば、おそらく、時間が経って冷静になれば忘れてしまう。

だったら、とイルカは思った。ナツキが平静に戻った時に、少しでもバツの悪い思いをしなくて済むようにしてやらなければ。

息をつき、イルカはできるだけ軽い口調で答えた。

「気持ちはありがたいんだがな、ナツキ。俺には好きな人がいるんだ」

「誰?男?」

思わぬ鋭さでナツキに問い返され、イルカは唸った。子供相手に適当な嘘がつけないことは、教師として素晴らしい美点であり、やっかいな部分でもあった。結局、秘密、と誤魔化した。

 ナツキは、じっとイルカを見つめ、

「・・・まさか、ガンマ上忍じゃ、ないよね」

「まさか」

イルカは飛び上がって否定した。どうして、その名前が出てくるのか。

 ナツキは一応聞いてみただけ、と呟いて、左手で自分の唇を捻った。癖は直ってない、とイルカは思った。筆記テストの問題を解いているとき、ナツキはいつもこの仕草をしていた。あの時は、出題者の意図を読んでいた。今は、知り得た情報を手掛かりに、イルカの心を探っていた。

 「そう言えば昨日、はたけ上忍にも会ったよ」

突然出てきた名前に、イルカは一瞬動揺した。そのわずかな心の動きを読んで、ナツキは、ふぅん、とイルカを見た。イルカはため息をついた。アカデミー時代より精度の上がった、ナツキのこういう部分が、本当に末恐ろしい。

「・・・はたけ上忍って、すごいたらしだって聞くよ」

「・・・そうだな」

「イルカ先生には無理だよ」

そうかもな、と答えたイルカの穏やかな反応に、ナツキはまさか、と身を乗り出した。

「まさか、付き合ってるの?」

 子供相手に嘘がつけない自分が本当につらい。だが、男の自分が恋人だなんて下世話な噂話にでもなったら、大切な人に傷がつく。仕方なくイルカは、口元に、人差し指を立ててあてた。

失敗した、といきなり叫んで、ナツキは頭を抱えた。

ぎょっとしたイルカをよそに、ナツキはぶつぶつと呟いた。

「完璧見込み違い・・・絶対安全だと思ったのに・・・」

「ナツキ?」

訳が分からないイルカに、ナツキは椅子から立ち上がって、忌々しげに言った。

「作戦練り直し」

「作戦?」

「いつから付き合ってるの?」

イルカは目元を赤く染めて、視線を逸らした。

「ねぇ、いつ?」

「・・・・・・昨日」

あぁ、もう、やっぱり、とナツキは頭をかきむしった。

「まさしく藪蛇。上忍は鈍感なくせに、手だけは早いのな」

ナツキ、とイルカは窘めた。

「俺があの人を好きなんだよ」

そういう意味じゃない、とナツキは眉をしかめた。

「腹立つけど、おれもまだまだだってことか」

「なぁナツキ、さっきからなんの話をしてるんだ?」

首を傾げるイルカに、ナツキはようやく晴れやかな笑みを浮かべた。

「ねぇ先生、おれ頑張るから」

「あ、あぁ・・・」

「頑張って上忍になるから。もっといい男になって、先生を惚れさせるから」

今度のテストは百点とるから、というのと同じ口調で言うナツキに、イルカもつい笑って頷いてしまった。

「はたけ上忍に泣かされたら、いつでも言って来いよな」

そう言って、ナツキは椅子に座るイルカに覆い被さるように近寄った。そしてイルカの顎に手をかけ、その唇に口付けた。

驚いたイルカが暴れ出すのより一瞬早く、ナツキはイルカの下唇を甘く噛んで身を離した。

「ナツキっ!」

手の甲で口を押さえ真っ赤な顔で怒鳴るイルカを、先生可愛い、の一言で絶句させ、ナツキはじゃあ、帰るねと微笑んだ。その声と瞳が、まるで知らない男のように大人びて見え、イルカを戸惑わせた。

ナツキは、どこかが痛いように眼を細めてイルカを見つめると、振り切るようにくるりと背を向け、右手をバイバイと降って、職員室を出ていった。

「ごめん」

言い忘れた言葉を、イルカはナツキが去ったドアに向かって言った。

そして、小さく眉を上げた。

「はた・・・カカシさん、駄目ですよ」

 数秒の間の後、殺気めいた不機嫌さを身に纏ったカカシが、ドアの影から出てきた。

「あのクソガキ、絶対判ってた」

険悪に呟いた。

「何がですか?」

「オレがいるの知ってて、わざとキスしたってこと」

生意気にも、上忍に宣戦布告とはね。あまりの怒りに、カカシの眼が笑いの形に歪んだ。さて、どうやって料理してやろうか。

カカシさん、と改まった口調でイルカは言った。

「言っておきますけど、元とはいえ教え子に何かしたら、承知しませんからね」

カカシは飛び上がらんばかりに、喚いた。

「あんたが手出されるのを、黙って見てろっていうの?」

イルカはため息をついた。

「子供相手に、ムキにならないでください。あれは、はしかみたいなもんですよ。すぐに落ち着きます」

「分かってない」

 即座にカカシは断じた。昨日のしおらしい態度の裏で、ナツキが何を考えていたのかを知った今では、イルカのように呑気な事は言っていられなかった。

はしかどころか、とんでもなく冷静だ。小癪にまわるその頭で、イルカを落とすのに邪魔になる可能性のあるガンマを、どうやって排除しようか考えたのだろう。

そこで思いついたのが、他の上忍も一目置くカカシだった。同情を誘う言い方でカカシの道義心に訴え、ガンマを牽制させるつもりだったのだ。

カカシが動くなら目論見どおり。動かなくても、事態が悪くなることはない。ローリスクハイリターンの賭けだ。

カカシは舌打ちした。このはたけカカシを手玉に取ったつもりか。ガキが。クソ生意気にも程がある。

 苛立ちを隠さないカカシの手に、イルカはそっと触れた。

「・・・あいつの事は、怒らないで下さい。お願いします。俺にも、元教え子だって油断があったんですから」

 カカシの怒りが、キスされたことに原因していると思っているイルカは、必死でいい募った。

 それはそれで、はらわたが煮えくり返る気分になったが、イルカの懇願は、カカシの苛立ちを次第に甘く解いていった。

これはまずい、とカカシは内心苦笑した。イルカにこの顔でお願いされると、どんな無理でも聞いてしまいそうになる。

わかりました、とカカシは、緩みそうな口元を引き締めながら、できる限り重々しい口調で言った。口布があってよかった。

「あんたに二度とちょっかい出さないというのなら、今回の事は収めましょう」

ありがとうございます、とイルカは満面の笑みを浮かべ、カカシの頬を弛ませた。この笑顔も物凄く危険だ。

「その代わり、あんたにもお願いがあります」

「何でしょう?」

「オレの事、隠さないで」

カカシは、そっとイルカの頬に触れた。

「言いふらす必要はないけど、誰かに聞かれたら、きちんとオレの名前を答えて」

うぅ、とイルカは顔を赤く染めて俯いた。カカシはわざと低く言った。

「あんたが、オレが恋人なんてみっともないって思ってるんなら別だけど」

「そんな事、絶対ないです」

イルカは、弾かれたように顔を上げ、きっぱり言った。

でもカカシさんの方が、男のオレが恋人なんて評判に傷がつきそうで、とぶつぶつ呟く唇を、カカシは自分の唇で塞いだ。

全然全く問題ない。逆に里中の人間に、イルカ先生はオレのものだって、知らせて回りたい。

子供じみた独占欲に任せ、

「アカデミーでは駄目です」

と真っ赤な顔で殴られるまで、カカシは最愛の男を貪った。

 

 

 

数日後、受付所のとある女性職員が火元の、とある色恋の噂が、爆発的威力を持って里中に広まった。

皆事の真相を知りたがったが、当事者の二人は、片方は恐れ多い上忍でおいそれと近付けず、もう片方の中忍は真っ赤になって口籠るばかりで、要領を得ない。噂が噂を呼び、様々な憶測ばかりがまことしやかに語られた。

だが、その話と、ガンマ上忍の機嫌が史上最低に悪くなって、部下が戦々恐々した事と、ある年若い中忍が、火影直属の参謀部に志願した事とを結びつけて考える者は、木の葉の里にもさすがにいなかった。

 

 

 

完(05.05.02 〜 05.05.18)

 

 

 

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