夢の蝶

 

 

 

1.

昔とった杵柄、という言葉がある。

が、とったのはあくまで昔。

内勤を2年もやってたら、やっぱり、鈍ってるよなぁ。

俺はひっそりと呟いた。

技や術の力量もそうだが、とにかく勘がうまく働かない。

毎日戦場にいた頃の、研ぎ澄まされた感覚は、一朝一夕に取り戻せるものではない。なのに、同じような調子で動いて、挙句この様だ。

最初から、あの部隊長の作戦はまずいと思っていた。だが、今の俺が何を言っても、聞き入れてくれるはずがない。提案はすげなく却下され、仕方なく、用心に用心を重ねたつもりだったのだが。

大木の根元に座り込んで、背を幹に預けている俺は、いやいや見たくないものを見た。血が溢れだしている自分の腹。まずい傷は、2箇所。下腹の方が、かなり深い。手持ちの医療セットじゃもう間に合わない。

傷をつけた奴は何とか殺したが。

激しい痛みが、心臓の鼓動と相まって身体全体に響く。わあんと耳鳴りがして、目が霞み、今にも気を失いそうだ。

いや、このまま目を閉じたら、おそらくそのまま死んでしまう。

駄目だ、と俺は痛みに集中した。今、死ぬわけにはいかない。今この手に持っている巻物、これを部隊の誰かに渡さなければ。頼むから、既に全滅してるなんてやめてくれよ。やせ我慢してる意味がなくなってしまう。

その時、視界が翳った気がして、俺はゆっくりと顔を上げた。目の前に、男の顔があった。その片目を隠す額宛は、木の葉のマーク。よかった。

「これを・・・」

血まみれの手で差し出した巻物を、男はさっと胸にしまった。

「早く、里に・・・」

舌が回らない。口の中も血まみれだ。咳き込むこともできずに、俺はぼんやりと男の顔を見た。銀色の髪、口元を隠す布。確か、この人は。

男は、噴出す血潮をものともせず、俺の腹の傷に直接手を当てた。そして、瞬きばかりをしてしまう俺の目を覗き込んだ。必死の色が見える。

「死にはしませんよ」

嘘。こんなに痛いのに。それに、優先順位が違う。死にかけの中忍なんか放っておいて、早く、巻物を里に。

「どんな事があっても、死なせません、絶対に」

・・・何だ。やっぱり、やばいんじゃないか。男の悲壮な声を聞きながら、俺はついに目を閉じた。

 

 

 

命の恩人。

感謝してもしきれない。今の俺にできる事なら、どんなことでもしよう。

だが、目の前のはたけカカシ上忍は、じっと俺を見つめるだけだった。

「イルカ先生・・・」

はたけ上忍が連れてきた子供達が、ベッドの脇に立っていた。確か、女の子の名はサクラ。黒い髪の少年が、うちは一族の生き残りであるサスケ。そして、額宛の下で目を伏せる金髪の子が、あのナルトだ。

九尾。俺の両親を奪った禍々しい化け物が、この子の腹に眠っている。俺は、複雑な気持ちを飲み込み、腹の痛みに耐えながら、できる限りの笑顔を見せた。

「わざわざお見舞いに来てくれたのか。任務で忙しいだろうに、ありがとう」

「・・・そんな事はいいってばよ」

ナルトが呟くように言った。サクラに至っては、泣き出しそうに顔が歪んでいる。

「イルカ先生、まだ・・・」

「ナルト。今言うべき事じゃない」

言いかけたナルトを、はたけ上忍が制した。ナルトは唇を噛み、サスケがちっと舌を鳴らした。

「ほら、一目見たら安心しただろう。イルカ先生はちゃんと生きてるよ」

だから、お前達は心配せずに帰りなさい。はたけ上忍の言葉に、しぶしぶと言った様子で、子供たちは病室を出て行った。

「すみません。あいつらが、どうしてもあなたに会いたいと言って聞かなかったもので」

俺は頭を振った。申し訳ないのはこちらの方だ。俺の現状は、あの子供達を傷つけている。わかっているが、今の俺にはどうすることもできない。だから、余計に辛かった。

今の俺には、過去3年間の記憶がない、らしい。俺にその実感はないのだが。

1ヶ月程前、俺は、火の国のある大名へ三代目の書簡を届けに行ったまま、行方不明になったそうだ。

忍の足なら往復半日もかからぬ距離だ。だが、3日後の夜になっても戻らず、何の連絡も無い俺に、火影様は捜索部隊を出そうとした。

その翌朝、木の葉入り口の大門の前に、気を失った俺が倒れていた。そして、数日後に木の葉病院で目覚めた時、俺は、今の俺だった。

俺の中で、俺は年齢22歳。現役の戦忍だ。

だが現実には、年齢は25歳で、戦忍を辞めて、アカデミーの常任教師をしているという。

俺が、教師?ぴんとくるような、こないような。第一、3歳も年を取っている自分が奇妙な感じだった。身体に、覚えの無い傷があるのは薄気味悪かったし、見知らぬ人たちから、事情を知っているらしい気遣わしげな見舞いの言葉をもらうのには、強烈な違和感を感じた。

だが、見せられた資料や、火影様以下里の者たちの証言に、無理矢理にでも納得するしかなかった。

3年の間に出会った人たち。起きた出来事。23歳の時、火影様の勧めで教師になった俺が、子供達にどんな風に接していたか。

そして、九尾の子との間に、どんな関係を築いていたか。

まるで、他人の人生を聞かされているようだった。だが、否定したところで、現実が変わる訳でもない。

受け入れるしか、なかった。

記憶障害の原因は、何か術をかけられているせいらしい、という事しか、今のところ分かっていない。術が解ければ、記憶は戻ってくるのか。それとも記憶自体を奪われて、もう思い出すことができないのか。どちらにしろ、術の解除に全力を尽くすという火影様の言葉に頼るしかなかった。

「腹の具合は、どうですか」

はたけ上忍が言った。俺の血で染まった彼の手を思い出した。結局、俺以外、部隊は全滅だった。はたけ上忍が来なければ、あの巻物も敵に奪われていただろう。そして、俺の命も。

あなたは運がいい、と医者は言った。はたけ上忍が、応急処置を施した後、俺を担いで里まで連れて帰ってくれたらしい。あともう少し処置が遅かったら、命は確実になかったそうだ。

「もう、大丈夫です。お医者様も、あと数日で立ち上がれるようになるだろうとおっしゃってました」

俺は頭を下げた。

「本当にお世話になりました。ありがとうございました」

「・・・まだ、戦忍を続けるつもりですか?」

はたけ上忍の言葉に、俺は俯くしかなかった。

「身体はすっかりなまってしまっていますが。今の俺には、これしか能がありませんから」

3年間の記憶が無い今、教師の仕事は続けられない。火影様の指示で、アカデミーは一時休職扱いとなった。記憶が戻るまでゆっくり休めと、火影様には言われたが、身体的には異常が無いとの医師の診断結果を聞いて、俺は戦忍に戻りたいと志願した。

火影様はかなり渋った。記憶のない俺が、他の忍と同等に働けるかどうか不安もあったのだろう。しかし、元気で動けるのに、のうのうと寝て暮らす訳にはいかなかった。

だが結局、3回目の任務でこの有様だ。敵に想定外の上忍がいたことなど、言い訳にならない。

「そういう真面目なとこは同じなんですね」

何だかむっとする言い方だった。

「俺は、俺ですから」

俺の言葉の険に気づいたのか、はたけ上忍は、すい、と視線を逸らした。

俺の記憶の中に、この人はいない。火影様の説明では、ナルト達下忍7班を受け持つ上忍師だそうだ。3年前は暗部にいたと聞く。助けてもらった時はとても頼もしく思ったが、額宛と口布で隠れた顔と、物凄い猫背が、何だか胡散臭かった。

そこまで考えて、俺は、あれ、と思った。本来下忍を受け持つ上忍に、里外任務が与えられる事はない。この人の持つ写輪眼という特殊な瞳術が必要な時は例外だろうが、単なる中忍部隊の後始末に、わざわざ出張る事はないはずだ。

「はたけ上忍、一つお伺いしても、よろしいでしょうか?」

「・・・何ですか?」

「どうして、俺を助けた、あの場所にいらっしゃったんですか?」

はたけ上忍は、黙って俺をじっと見つめた。その責めるような瞳に、俺は思わず目を逸らした。だが、なぜ、そんな目をされなくてはならないのか。

「早く、その怪我を治しなさい」

ため息と共に、はたけ上忍は言った。

「はたけ上忍?」

「身体が治ったら・・・お話します。オレも、あなたに話したいことがありますから」

そう言い置いて、俺に質問の隙を与えず、はたけ上忍は病室を出て行った。

 

 

 

翌日、病室を訪ねてきた火影様の表情に、俺は嫌な胸騒ぎを感じた。

「医師から、車椅子の許可を貰った。イルカ、お主に見てもらいたい者がおる」

火影様は、自ら俺の車椅子を押して、西の演習場に向かった。何度も聞くが、と道中火影様は言った。

「お主の記憶は、ここ3年間だけが、すっぽり抜け落ちているんじゃな」

俺は頷いた。

「目覚める前の記憶は、ちょうど3年前、任務で波の国に向かっている途中のものです。部隊の仲間達と野営テントで眠りについて・・・朝だと思って目を開けたら、木の葉病院でした」

「その間の事は、全く覚えていないんじゃな。ぼんやりとも、微かにとも」

「はい」

まるで、その部分だけ切り取ったように、俺の中にはその記憶が無い。記憶として残っているものを、何らかの方法で思い出せないようにしているのではない。

忘れた、という生易しいものでもない。その部分だけ、欠片も残さず、奪い取られているという感覚だった。だから、まるでもともと無かったのと同じように思える。

火影様は、大きくため息をついた。

「そうなると、イルカ。ちと面倒なことになるやもしれん」

西の演習場の裏庭に、青いシートがかけられていた。上忍の主だった者がその影に集まっている。その中にはたけ上忍の姿を認めて、俺は小さく頭を下げた。

上忍たちの輪の中に、人が横たわっていた。

女だ。既に死んでいる。

その側まで車椅子を寄せ、火影様は言った。

「この女の顔に、少しでもいい、見覚えはないか?」

俺は、腹の傷を庇いながら、身を乗り出して女の顔を覗き込んだ。長い黒い髪。青白い顔。骨格の整った綺麗な顔だ。生きていたときはさぞ美人と騒がれたことだろう。この辺りでは見かけぬ装いの、胸の部分に、赤黒い染みが浮いている。それ以外に、傷らしい傷は見当たらなかった。

「眼を、開いてもらうことはできますか?」

俺の頼みに、医療班が右瞼に指をあて、小さく印を切った。死後硬直が取れ、開いた右目は、紫色だった。

「・・・申し訳ありません」

俺は首を振った。見覚えは全く無い。

火影様は、額宛を俺に差し出した。

「この女が懐に持っておった」

樹の里の、大輪の花を模したマークが刻まれていた。

「・・・なぜ、樹の忍が、木の葉に?」

「わからぬ。死体は、火の国との境で発見された。死後1日といったところか。所持品は、その額宛と、認証プレートのみじゃ」

イルカよ、と火影様は言った。

「ちと、気になることがある。ワシも、噂でしか聞いたことがないが」

「なんですか?」

「樹の忍には、記憶を操る術を持つものがいるという」

俺は、息を飲んだ。

「同価の法というらしいが。自分の記憶と他人の記憶を、同じ価値の分そっくり入れ替えるというものじゃ」

 俺は、足元に横たわる女性を見た。まさか。

「お主、自分の記憶で、何か違和感を感じる部分はないか?」

違和感。俺は、記憶を探った。

その瞬間、とんでもない痛みが、俺の頭の中で炸裂した。

全身に震えが走り、冷や汗が噴出した。俺は、車椅子から転げ落ち、頭を抱えて地面をのた打ち回った。腹の傷が開いたことなど、どうでもいい。痛い。食いしばる歯の間から、唸るような声しか出せない。

誰かが、俺の身体を抱え込んだ。だが、俺はその腕を振り払った。

次に、数人がかりで押さえつけられ、頭を押さえる左腕を引き剥がされた。

腕の内側に、何かを打たれた。ハンマーで殴り続けられるような痛みが次第に弱まり、同時に、俺の意識は急速に薄れていった。

どこか遠くで、はたけ上忍の声を聞いたような気がした。

 

 

 

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