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2. ・・・身体、鈍ったな。 任務を終えた俺は、夕暮れに右頬を照らされながら、里に戻る為、繁る木々の間を走っていた。 自分の最盛期の感覚を覚えている。それと比べると、やはり動きが鈍い。 鍛錬は続けているが、やはり、現役を離れると致し方ないのか。俺はため息をついた。特にここの所忙しくて、きちんと時間をとってなかったからな。 本当に最近忙しかった。本来なら、今日は午後から、十日ぶりの休みのはずだった。 昼間際急に、火影様に郵便配達を頼まれた。宛先は火の国で、往復半日かからない。明日も休みだからと、俺は引き受けた。 カカシさんが里外任務から帰ってくるのは、夜の予定だ。宵のうちには自分の部屋に戻れるだろうから、何か軽く食べられるものを作っておこう。 カカシさんと付き合い始めてもうすぐ一ヶ月になる。 任務上がりのカカシさんを部屋で出迎えるのも、一緒に食事をすることにも、少し慣れた。 そう言えば、合鍵をくれと言われていたのを忘れていた。忍に錠前なんて意味ないでしょう、と言ったら、気持ちの問題です、と睨まれた。 俺のキーホルダーには、カカシさんの部屋の鍵がついている。使った事は一度もないが。 好きです、付き合ってくださいとカカシさんに言われたのは3月の終わり。 俺は即座に断った。同性を恋愛対象に考えることなど、到底できないと思った。 するとカカシさんは、オレが気持ち悪いですか、と聞いてきた。気持ち悪い訳ではない、と答えると、だったらそういう理由では納得できません、諦めません、と言い放った。 一年前に初めて出会った時から、ずっと飄々、淡々とした男だと思っていたカカシさんの、思わぬ感情の激しさを見て、俺は何故か反感を持った。何でも自分の思い通りになるのが当たり前のような言動が、気に入らなかった。 だったら、俺を惚れさせてみて下さいと返事をした俺は、今思えば相当大人気ない。 それからカカシさんは、丁寧だがあからさまな態度で俺に構い始めた。 飯喰いに行きましょう奢ります。深夜の受付一人で大変ですね待ってますから一緒に帰りましょう。これ呑みたいって言ってた酒ですよかったら一緒に。 カカシさんは、毎日のように俺の前に現れて、俺を誘った。俺は大抵、敢えてその誘いにのった。 こんな事で俺は落ちたりしない、無駄な努力だ。 傲慢な上忍に思い知らせてやりたかった。いくら特別扱いされても、悲しみを知るその心根の優しさに気づいても、俺は男を好きになったりしない。 俺の気持ちを読んだのか、カカシさんも、告白から以後、自分の感情を匂わせるような事を決して言わなかった。だが、俺が望むようなただの上忍中忍の関係に戻れる訳も無い。微妙で重苦しく、妙に高揚したような気持ちのままの付き合いが4月の間続いた。 5月に入ってすぐのある夜、少し呑みすぎて酔っ払った俺を、カカシさんが家まで送ってくれた。 酒で気が緩んでいた俺は、部屋のドアの前で、カカシさんの白い耳を見ながら、内心のもやもやした気持ちのまま言ってしまった。 「はたけ上忍、キスでもしますか」 カカシさんは、弾かれたように俺を見て、それから苦しげに眉を寄せた。 「・・・あんまり、苛めないで下さいよ」 やせ我慢してるんですから。小さく震える声で言われて、俺は落ちた。というより、自分の気持ちを素直に認めた。 もういいじゃないか、と。ほだされた、と思った。 結局、最初から嫌じゃなかったんだろうな、と今は思える。我ながら馬鹿馬鹿しい話だが。 そういう始まり方だったせいか、本当はかなりの甘えたじゃないかと思っているカカシさんは、いい子にしてますから、といった顔で、俺に遠慮している。 俺もまだ、彼の感情を掬い取って、上手く甘えさせてやることができない。ぶっきらぼうな言い方をしてしまって、何度カカシさんに謝らせたことか。 自分が悪くないのに謝るあの癖、やめさせないとな。でも、俺が悪いのに何であなたが謝るんですか、なんて言ったら、きっとまた慌てた顔で、ごめんなさいなんて言うんだろう。 その表情を想像して、俺はつい一人で笑ってしまった。本当に可愛い人だ。 烏が、遠くで鳴いた。群れをなしてねぐらに帰ってゆく鳥達の影が見える。 俺も早く帰ろう。 太陽が、木々をオレンジ色に照らしながら、ゆっくりと沈んでゆくのが目に入った。里まで、後少しだ。 そう思って、少し足を速めた瞬間。 俺の周りの空気が変わった。 驚いて足を止めたが、既に遅かった。 さっきまで、確かに西日の中にいた。だが今、空には既に丸く大きな月が浮かび、森はひっそりと闇に沈んでいる。 ひんやりとした空気が肌を刺す。気配は真夜中だ。 俺は自分のチャクラを消し、左右の手でクナイの感触を確認しながら周囲の様子を窺った。 恐らく、誰かが張った結界に入り込んでしまった。 本来結界は、外部からの侵入を防ぐ為にあるものだが、俺が入り込んだのは、その逆のものだ。敵を捕縛し、外に出られないようにする為の罠。人為的に作り上げられた空間なら、そこに入り込んだ瞬間に術者に把握されている。これが里の忍の仕業で、俺が誤って入り込んだのなら、術者から何らかのアプローチがあるはずだ。 だが、辺りはしんと静まり返って、空気さえ動かない。 ・・・敵か。 俺はゆっくりと歩を進めた。 見慣れているはずの森が、まるで初めて来たかのように感じられる。時間と空間を再構築した、高度な技だ。内側から無理に破るのは難しい。 木の葉隠れ里の目と鼻の先に、他国の忍が、これほど大がかりな結界を張っている。その理由を十程考えて、俺は暗澹とした気持ちになった。どの理由もろくなものではない。 とにかく、結界の中にいるはずの術者を探そう、俺は心を決めた。俺を殺すつもりなら、既に攻撃を加えてきている。そうしないという事は、相手には俺を生かす理由があると考えられた。だったら、そこにつけいる隙があるはずだ。 ふ、と視界の右隅を何かが掠めた。視線を走らせた俺は、ぎょっとして思わず息をのんだ。 顔のすぐ横を、蝶が飛んでいた。 この辺りでは見かけない、羽が両の手の平程もある、大きな蝶だ。黒地に紫色の模様が、美しくもあり、禍々しくもあり、俺は一瞬目を奪われた。 蝶は、淡く光る鱗粉をまき散らしながら、ひらひらと俺の前方に向かって飛んでいった。 その姿を目で追った俺は、身を翻して、脇の木陰に身を隠した。 10メートル程先の、木々が開けた土地に、長い髪の女が一人しゃがみ込んでいた。こちらに横顔を見せ、地に両膝をつき、素手で黙々と地面を掘っている。 数秒前までは、確かに誰もいなかったのに。彼女が、この空間の主か。 女が掘っている土は、決して柔らかいものではない。それをまるで砂をかくように穿っていく女の握力を思い、俺は首筋が寒くなるのを感じた。漂う気配は、上忍。下手をするとそれ以上のレベルの忍のものだ。 蝶は、知らぬ間に姿を消していた。 女の体程の土を掘り返したところで、女は手を止めた。そして、しゃがんだまま脇に置いてあった何かを拾い上げると、そのまま穴に落とした。女の影になってよくわからなかったが、数個の額宛のようだった。 再び女は土に向かい、穴を埋めた。そして手近に転がる石を、無造作にその上に置いた。まるで墓石のように見えた。 ようやく、立ち上がった女が、こちらに体を向けた。そう思った瞬間、木陰から覗き込む姿勢のまま、俺の身体は動かなくなった。 術。女と眼があい、微笑まれた。 長い黒髪、白い肌、そして紫色の瞳。若く美しい容貌だった。だが、それより俺の目を引いたものがあった。無数のクナイが、女の全身に突き刺さっていた。だが、女の白い服に血は滲んでいない。 「あの子たちへのご褒美だよ」 女が口を開いた。低いがよく通る声だった。埋められた額宛の持ち主のことだと何故かわかった。 「あたしが恐ろしかったろうに。怖がったろうに。里長の命令には逆らえず、こんな遠い土地に、命を落としに来たあの子たちへの、あたしからのご褒美だよ。このあたしに、傷をつける事ができた。そう言って、あの世で皆に自慢するといいさ」 ばたばたっとクナイが地面に落ちて、消えた。服に穴も開いていない。 だが、胸の真ん中に刺さった一本だけが、彼女の身体に残っていた。服に開いた穴から血がじんわりと染み出した。女は面倒くさそうに言った。 「出来が悪いとはいえ、たった一人の妹だ。あの子のだけは、きちんとうけてやろうと思ってね。しかし、あの出来損ないに、毒を塗っておく甲斐性があったとは」 お陰で死んでしまったよ。そう言いながら、女は俺に近づいてきた。 強烈な甘い花の匂いが女から漂ってきた。いや、これは死臭だ。 この女は、既に死んでいるのか?恐怖に身が竦みそうになったが、俺の身体は囚われたまま動かず、声も出せない。 無造作に伸びた女の手が、俺の喉を掴んだ。圧迫感に息が詰まった。あまりの力に目が眩む。だが、その苦しみが俺の体を僅かに覚醒させた。俺は何とか舌を動かした。 「・・・木の葉に何の用だ」 俺の掠れた声に、女は片眉を上げた。 「・・・これで、声を出せるか。面白いねぇ」 女の指にさらに力が加わった。俺は増した息苦しさに喘ぐしかなかった。 「用はないさ」 女は笑った。 「ただ、あの人が生まれ育った里を見てみたかっただけ。感傷ってやつさね」 あの人? 俺の目での問いを女は無視した。 「さて、ぐずぐずしてる暇はない。こう見えても、流石に切羽詰まっててね。あたしの体はもう死んでしまってるし、記憶移しはなかなかの大業だ。失敗したら、死んでるあたしはともかく、お前は廃人確実だけど、まぁ覚悟しとくれ」 ・・・記憶移し? 朦朧となる意識の中で、女は呟くように言った。 「あたしも失敗はしたくない。里よりも家族よりも、自分の命よりも大切なあの人の為だもの」 さぁ。 女は艶然と微笑んだ。紫の瞳が脈打つように瞬いた。 瞳術。そう思った瞬間、俺は別の景色を見ていた。 女の声が遠くで響いた。 さぁ。お前にとって、最も大切な記憶を差し出しとくれ。 |
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