3.

居心地が悪い。落ち着かない。

俺は、ちゃぶ台の前に正座したまま、ため息をついた。

箪笥、引き出し、忍具用長持ちに、青いカーテン。部屋の隅には、おびただしい数の巻物が積み上げられている。あちこちに置かれている書類の束は、アカデミーで使う資料だろうか。

取り込んだままの洗濯物が、畳の上に置きっぱなしだ。ちゃぶ台の上には、空の湯飲みが二つ。

雑然とはしているが、汚い印象は無い、25歳独身の男の部屋。見知らぬ俺の、うみのイルカの部屋。

俺は今日、病院を退院した。

開いた腹の傷は、薬で眠らされている間に再び縫い合わされていた。まだじくじくと痛むが、無理さえしなければ、日常生活に支障は無い。任務には出ない事を条件に、渋る医師を説得して、俺は退院許可を取り付けた。

実は、この部屋にこうして帰るのは、今日が初めてだった。記憶を無くして目覚めた時から、しばらくは木の葉医院に入院していた。退院後も、鍵を火影様に預けたまま、ずっと宿を取っていた。

記憶を無くしてすぐ、火影様に連れられてこの部屋を一度訪れていた。アカデミー勤務が決まってから、入居したと聞いた。だが、部屋にあるすべての見知らぬ物が、俺という存在を否定しているような気持ちがして、使うことに耐えられなかった。

ここは、25歳のうみのイルカの部屋。俺の部屋じゃない。今の俺が自分の物だと思えるのは、ボストンバックの中にある、新しく買い求めた衣類とクナイだけだった。

だが、もう逃げるわけにはいかなかった。

昨日、火影様が病室に訪ねてきた。

「抜け忍?」

俺の問いに、火影様は頷いた。

「女の名はクユウ。樹の里では、里長に次ぐ地位と実力を持つくの一じゃったが。1ヶ月程前、里人数名を殺害し、里の秘伝を盗んで出奔したそうじゃ」

火影様は、手配書の一ページを開き、俺に差し出した。死体の女の横顔が写っていた。手配レベルAAAランク。術の欄に、一子相伝の秘術と書かれている。

「彼女の妹を含む樹の精鋭が追い忍となっておるらしいが・・・木の葉の周辺には、それらしい気配はない。既に返り討ちにあっておるやもしれん」

「里の秘伝とは・・・?」

俺の問いに、火影様は頭を振った。

「今のところ、そこまでは掴みきれておらん。諜報部隊には引き続き調査を続けるように指示を出しておるが」

そして、火影様は重い口調で言った。

「これは憶測の範囲を越えんがな。里を出奔したクユウは、何らかの理由で、木の葉に来た。そしてお主と記憶を交換した。死ぬことが分かっていたから、記憶をお主の脳に残したのやもしれん」

それ程までに、守りたかった記憶。

「そうする理由・・・恐らく、お主の記憶と交換されたのは、樹の里の秘伝じゃろう」

俺はため息をついた。予想はしていた。

「しかも、自分以外の人間には迂闊に手が出せんよう、防御を施してある」

あの痛みを思い出して思わず身震いした。

「どういった方法で記憶を戻すのか、しかも術をかけた本人が死んでおるとなると・・・術のシステムも不明じゃし・・・やっかいじゃな」

俺は暗澹たる気持ちになった。これから、本来の自分の記憶が戻らないまま生きていかなくてはならないのか。しかも、俺の中に樹の秘伝が入っているとなると、樹の忍をはじめ、他国の忍に狙われる可能性が出てくる。

「とにかく、体が治ってもしばらく里の外には出さん。よいな」

火影様の言葉に、俺は頷くしかなかった。

記憶は、もう戻らないかもしれない。だったら腰を据えて、現在のうみのイルカの生活に慣れていかなくてはならない。そう考えてこの部屋に戻ってきた。

だが、借りてきた猫のように、落ち着かない。つい一人呟いた。

「これからどうしよう・・・」

「何なら嫁に来ますか」

「ひゃあ」

背後からいきなり声を掛けられて、俺は飛び上がった。振り返ると、台所の引き戸にもたれる格好で、はたけ上忍が腕を組んで立っていた。

「何て声出してんですか」

「どうして・・・」

どうしてはたけ上忍が、この部屋に?俺は問いを口にしかけて、また閉じた。俺鍵閉めたよな。いや、忍に錠前なんか意味ないけど。さすが上忍、全く気がつかなかった。でも、人のうちに勝手に入ってくるとは、どういう了見だ?

動揺する俺に構わず、はたけ上忍は俺の横に胡坐をかいた。

「あなた、勝手に退院しましたね」

「勝手って・・・」

医師と火影様の許可はもらった。何故あなたに許可がいるのか?俺はむっとしつつ、居住まいを正した。

「はたけ上忍、何かご用ですか?」

不法侵入を責めたかったが、俺自身もこの部屋の主という実感がない。どっちもどっちだと思い、それに関しては口をつぐんだ。

はたけ上忍は、耳の後ろを掻きながら、はぁと溜め息をついた。

「・・・悩んだんですけどね。あなたを混乱させるだけだとも思いましたし」

記憶を無くした俺が、これ以上混乱するような事があるのか?

「でも、オレもそろそろ我慢の限界です」

「はぁ」

はたけ上忍は額宛と口布をとった。俺はその素顔を初めて見た。・・・驚いた。見惚れるほどの男前だ。その顔がぐいと近づき、目の前が陰った。あ、と思った瞬間、俺の口に彼の唇が重なった。

嘘。

俺が反応する前に、すぃとはたけ上忍は身を離した。

「な」

「ま、そういう事なんで」

そういうって・・・?

「オレ達恋人同士なんですよ」

言葉の意味が理解できるまで、数秒かかった。

「・・・嘘」

「何でウソつかなきゃなんないんですか」

はたけ上忍は肩をすくめた。

・・・嘘だ。信じられない。信じたくない。男と、しかもはたけ上忍と付き合っていたなんて。

しかし、はたけ上忍は、結構ラブラブだったんですよ〜などと、呑気な顔でのたまった。

何て事を言うんだ。俺はその顔を睨んだ。

「・・・・・・証拠を見せてください」

「はぁ?」

「俺達が・・・その、恋人同士だったっていう証拠です」

何ですかそれは、といった表情ではたけ上忍は俺を見た。しかし、俺が引かないと分かったのかため息をついた。

「・・・洗面台にある歯ブラシ、青があなたので黄色がオレのです」

俺は急いで立ち上がった。が、洗面所の場所が分からない。はたけ上忍に、あっち、と指さされた。

衣類、日用品の配置など、この部屋を普段使っている人間じゃないと分からないような事を、はたけ上忍はさらさらと答えた。

「オレとイルカ先生、この部屋で半分同棲してたようなもんでしたからね〜」

同棲って・・・嘘だろ・・・。がっくりと肩を落とす俺に、じゃあ、極めつけ、とはたけ上忍が言った。

「あのカレンダーの9月を見て下さい」

俺は壁に掛かったカレンダーを手に取り、9月までめくった。15日に赤のマジックで丸がつけてある。

「9月15日、オレの誕生日です」

・・・目の前が真っ暗になった気がした。

「それ、あなたが書いてくれたんですよ。忘れないようにって」

認めたくない現実が、俺に襲い掛かってきた。

俺とはたけ上忍が恋人同士。男なのに。何やってるんだよ、25歳の俺は。

「ま、一番分かり易いのは、体に聞くってやつですかね」

ぐいと腕を引かれ、抱き込まれた。俺は慌てて腕を突っ張った。

「止めて下さいっ、はたけ上忍」

「その呼び方もやめて」

囁くように、はたけ上忍は言った。

「いつもみたいに、カカシって呼んでよ」

呼べる訳ないだろ!

「やっぱり嫌? 気持ち悪い?」

間近で覗き込むように言われて、思わず喉が鳴った。そんな綺麗な顔で、そんな事言うなんて、反則だ。

「・・・気持ち悪くは、ない、です」

そう呟くと、よかったとはたけ上忍は笑った。その心底嬉しそうな、安心したような顔に、俺は眩暈がするような気がした。

ぐ、と抱きしめられた。

「あなた、オレがどれほど心配したか分かりますか」

首もとで囁かれた。

「任務から戻ってきたら、あなた行方不明になってるし。帰ってきたら記憶を無くしてて、オレの事すっかり忘れてるし。戦忍に戻って死にかかるし」

もう嫌ですよ、あんな思いするの。

「・・・あの時」

任務先に、この人が現れたのは。

「敵の上忍が動くという情報が入って、心配で堪らなくなって、追いかけたんです。間に合って本当によかった」

声が震えているのは気のせいか。

実感した。愛されている。心から。

でも、これは俺にじゃない。25歳のうみのイルカに対する愛情だ。

俺は震えた。

心のどこかで、羨ましい、と思う自分がいた。

 

 

 

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