4.

気がつくと、ふわふわと、俺は白い世界に浮かんでいた。

ここは、どこだろう。俺は、一体。

あたりを見回しても、まるで雲の中にでもいるように、真っ白だ。

夢を、見ているのだろうか。

俺は両手に、大きな玉を抱えていた。つるつるとした手触りなのに、柔らかい。水風船のような感触だ。七色の暖かな色をしていて、ほんのりと温かい。

これが何なのかはよく分からない。だが、とても大切なものだということだけは知っていた。

命に替えても、守らなくてはならないもの。俺はその玉を抱きしめた。

その時、どこからか、大きな蝶が飛んできた。

紫色と、黒の羽をゆったりと動かして、金色の燐粉を散らしながら、俺の目の前を通り過ぎてゆく。

手を伸ばしかけて、止めた。

夢の中で、蝶になる男の話を聞いたことがある。

男は思うのだ。夢の蝶と、人間の自分。果たして本当の自分自身はどちらだろうか、と。

だったら、俺は・・・・・・。

 

 

 

女は変わらぬ姿で横たわっていた。

翌日、俺は、演習場地下の死体安置所にいた。

見下ろす遺体の様子は、死後1日程度。最初に見た時と変わりない。

仮死状態ではないと、火影様は判断した。確実に死んでいる。しかし死体の腐敗の進行が止まっている。一体どんな術を使ったのか。

己の死後の肉体までも使って、何事かを成そうとしている。そこに彼女の執念を感じて、俺は呟いた。

「あんたは、死んだ後まで、何を、誰を待ってるんだ」

「あなたですよ」

驚いて振り返ると、入り口のドアのところに、眼鏡をかけた青年が立っていた。

「あ、ごめんなさい」

青年は慌てて言った。

「イルカ先生でしたか。交替の人と間違えてしまいました」

そして、ぺこりと頭を下げた。

「はじめまして。医療班の薬師カブトと申します。この遺体の監視を命じられています」

カブトは俺の隣に立った。年齢は二十歳ぐらいか。下忍らしい。

「腐らない遺体なんて、初めて見ました」

カブトは遺体を見下ろし、言った。

「義父は医療忍者だったんですが、義父の資料にもそんな技術の事は書かれていません」

「君は、薬師隊長の・・・?」

「はい。義父をご存知でしたか?」

「俺の記憶は、3年前のものですが・・・亡くなられたと火影様から聞きました。残念です」

カブトは、そう言っていただけると義父も喜びます、と頭を下げた。

「あの、噂で聞きました。イルカ先生、記憶をなくされているとか」

先生と呼ばれることにも、そろそろ慣れなくてはいけない。

「・・・えぇ。3年前からの記憶がないんです」

「原因は、分かっているんですか?」

俺はカブトの顔を見た。この遺体に関係しているかもしれないことは、無闇に口外しないほうがいい。

「・・・それが、よく分からなくて。火影様にもご迷惑をかけています」

義父の資料で一度読んだことがあるのですが、とカブトは言った。

「例えば、何かの術で記憶を失った場合、その失った記憶に対する想いを思い出した時、術が解ける可能性があるとか」

「想いを思い出す?」

「記憶は、大脳辺縁系によって感情を加えられた記憶ほど、思い出されやすくなるそうなんです」

カブトは続けた。

「記憶は、脳の中で複雑に絡み合って保存されていますから、特定の記憶だけを術で切り離す、というのはほぼ不可能に近いんです。特に、大脳辺縁系に強い感情を与えられた記憶程、断片が残りやすい。術で無理矢理剥ぎ取った記憶でも、その断片が海馬の支配下にあるのなら、海馬の記憶呼び出し機能が働きます。つまり、その記憶に関連する感情を体感することによって、記憶そのものを自分の脳に呼び戻す、という理論です」

カブトの説明には淀みがない。聡明な男だと思った。今だ下忍という事が不思議な程。

「無くした記憶に対する感情を、思い出すということですか・・・」

「術の内容にもよりますが、それで記憶が戻った例があるそうですよ」

何だか、途方も無いことのような気がする。それを読んだのか、カブトは続けた。

「感情が伴う記憶というのは、やはり、人に関するものが多いらしいです。3年前に、イルカ先生の心を動かす人との出来事があったと仮定してみるのも、一つの方法かもしれませんね」

カブト、と入り口のドアから声がかかった。医療班らしい出で立ちの男が立っていた。

「交代の時間だ」

分かりました、とカブトは答え、俺に笑顔を向けた。

「イルカ先生、お引止めしてすみません」

俺は頭を下げた。

「いいえ。いろいろと参考になりました。ありがとうございました」

「記憶が戻るように、祈ってます」

心から、とカブトは言った。

安置所を出た俺は、アカデミーの火影様の執務室へ足を向けた。取りあえず、俺の人事異動記録と任務手配書を確認しておこうと思った。

3年前。

人に対する記憶。心を動かされる出来事。

・・・今の俺には、はたけ上忍しか思い浮かばない。だが、はたけ上忍と出会ったのは、確か一年前だと聞いている。それに、3年前はたけ上忍は暗部に在籍中だ。一般の戦忍だった俺と接点があったとは考えにくい。

あの人以上に、心を動かされる人が、いたのだろうか。この俺に。

昨夜、あの後、はたけ上忍はあっさり手を離した。

「本当は、久々にいちゃいちゃしたいんですけど、あなた腹の傷まだちゃんと治ってないでしょ」

オレも明日早く任務で里外に出るんで、とはたけ上忍は俺を見た。

「イルカ先生、うちに来なさいよ」

「え?」

その鍵、とはたけ上忍は、ちゃぶ台の上に置いたキーホルダーを指差した。

「それはオレの家の合鍵です」

キーホルダーに、鍵は3つついていた。一つはこの部屋、もう一つはアカデミーのロッカー。どうしてもどこの鍵かわからなかった残りの一つ。

「ね、それ、使って下さいよ」

・・・合鍵を持っているということは、25歳の俺は、はたけ上忍の部屋を使う権利を持っていたということだ。・・・恋人同士なら当然なのかもしれないが。

俺は、部屋を見回した。

居心地の悪いこの部屋。でも、だからと言って、はたけ上忍の部屋へ逃げ込むのは違う気がする。何より、ここは俺の部屋だ。これから先の為にも、慣れなくてはならない。

「お気持ちだけ受け取っておきます」

「・・・やっぱりイルカ先生だねぇ」

苦笑して、はたけ上忍は唇を寄せてきた。誘うように唇をついばまれ、思わず開けてしまった口に、舌を差し入れられた。

キスは初めてじゃない。でも、こういう貪られるような口づけは、今までした事もされた事もない。呼吸さえ奪い取られるような激しさに、頭がぼうっとした。

密やかな音をたてて唇が離れた。はたけ上忍は、持って帰りたいなぁ、と呟いて、俺の肩に頭をのせた。

「はたけ上忍・・・」

「カカシって呼んでよ」

耳元で、魅惑的な声が囁いた。俺は頬が熱くなるのを自覚した。

「・・・呼べません」

「じゃあ、カカシさんでいいです」

はたけ上忍は、前も同じ事言ったなぁ、と笑った。

「・・・オレの知ってるイルカ先生より、あなたはやんちゃで生意気な感じだけど。強情なところは全然変わらない」

なんと返してよいのか分からず、俺は黙った。やっぱり、25歳の俺の方が、いいんだろうな。

「変なこと考えちゃ駄目ですよ」

見透かしたように、はたけ上忍は言った。

「あなたは、あなたです。記憶が戻ろうと、戻るまいと」

綺麗な笑顔に眩暈がした。

「オレはどちらでもいいんです。イルカ先生。あなたが、オレの側にいてくれるのなら」

俺は果報者だったんだ。名残惜しそうに部屋から出て行くはたけ上忍を見送った後、俺は、部屋のカレンダーをめくりながら思った。

9月15日のところにつけられた丸。それをつけた自分の気持ち。それをつけさせた、はたけ上忍の気持ち。

その気持ちと今の俺の気持ちは、同じなのだろうか。この気持ちは、恋というものなのだろうか。

俺は頭を振った。あの人と俺が付き合っていたなんて、今だ信じ難い。

きっと俺が好きになって、付き合ってもらっていたんだろう。あの人も変わってる。綺麗な女性に引く手数多だろうに、男で、冴えない中忍のアカデミー教師にほだされるなんて。

好きな人に想われて、俺はきっと幸せだったんだろう。今の俺がそう感じているように。

でも、その幸せは、25歳の俺のものだ。何の努力もしていない俺が、奪っていいものじゃない。

俺は決意した。

どんなことをしても、返さなくてはいけない。

すべてを。25歳の俺に。

 

 

 

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