5.

「あ、いるかせんせいだぁ」

大通りを、里の大門に急ぐ俺に、小さな声がかかった。

振り返ると、小さな女の子と、その母親らしい女性がこちらに笑いかけていた。少女は6歳位か。母親と揃いの小さな買い物袋を下げている。

「こんばんは。お母さんとお買い物?」

俺は足を止めて、腰を屈めて少女に笑いかけた。アカデミーの生徒だろうか。

「うん。わたしお手伝いするの」

自慢げに、りんごが入った買い物袋を突き出した。

「すごいな、お母さんも喜ぶな」

えへへと、頬を染めて、少女は笑った。

「ありがとうございます。イルカ先生」

母親が言った。労わるような目だ。

「記憶、まだ、戻ってないんでしょう?子供たちも、私達保護者も、皆早く先生に戻ってきてもらいたいのだけれど。決して無理はなさらないで」

目の奥が熱くなった。

「ありがとうございます」

待ってます、と母親は微笑み、少女は、早く学校に来てねと笑った。

俺は彼女達に頭を下げ、再び里の大門へ急いだ。

何て幸せなんだろう。彼女たちだけではない。記憶を無くした俺に、里の人達は、溢れるばかりの好意を与えてくれる。25歳のイルカが、里の人たちにどれほど愛されていたかが分かる。

でも、それは、25歳の俺が、心から里と、ここに住む人たちを愛していたからだ。その為に、悩み、苦しみ、傷ついて、そうして得た信頼関係だ。

だから、やはり、返さなくてはならない。

大門は、そろそろ閉門の時間だった。

無論忍の任務に昼夜はないが、一般の人間の出入りは制限される。俺は、門の横の詰め所を覗いた。

「あれ、うみのさん」

中に座っていた年若い中忍が声を上げた。

「お体は大丈夫なんですか?」

「もうすっかり。ありがとうございます。ご心配をおかけしました」

「いいえ。何よりです。ところで、どこか行かれるんですか」

俺は、腰につけた巻物入れをぽんと叩いた。

「火影様のお使いです。あまりさぼると、体鈍ってしまいますから」

そうですね、と中忍は笑った。

「じゃあ、行ってきます」

俺は、笑顔を返して、門を出た。

これで、俺が自発的に里を出たという跡が残った。何かあった時、火影様には意図が伝わるはずだ。

申し訳ありません、火影様。命令に背きます。

例え抜け忍として追われる身となっても、やらなくてはならないんです。

里の皆から与えられる好意。はたけ・・・カカシさんの愛情。それは、俺がもらっていいものじゃないんです。

結果として、記憶が戻らないのなら、それは仕方がありません。でも、やれる事をやらずに、このまま、里でのうのうと過ごしていく事はできないんです。

・・・何より、俺自身の尊厳の為に。

俺は大きく息をついた。既に、腹の傷が疼いている。体力にも自信はない。

でも、やるしかない。夕闇迫る森に向かって走り出した。

 

 

 

女の死体発見場所は、資料によると、火の国との境、川を見下ろす岩場の陰だった。

付近に、特に変わった様子はない。術を施した様子も、戦闘があった痕跡もない。

俺は、一度火の国の近くまで行き、そこから引き返してみることにした。行方不明になった日に通ったルートを、再び辿ってみる。火影様と一緒に、今までも何度か試してみたが、何の変化も起きなかった。

・・・カカシさん、怒っているかもしれないな。

火の国に向けて走りながら思った。部屋に、すぐに戻ります、と書置きはしてきたが。

このまま、カカシさんといたい。そう思ってしまって、胸が痛くなる。アカデミー教師として暮らし、里であの人の帰りを待つ。そんな生活を、心の奥底では欲しがっている。この気持ちが、25歳の俺の気持ちと同じかどうかは分からないけれど、あの人を失いたくないと、確かに、強く願っている。

でもやっぱり。人のものを盗るなんて、そんな格好悪いことできない。

俺は一人で笑った。全く、損な性格。

カブトの言葉を思い出した。

人に対する記憶。心を動かされる出来事。もう、本当に、今の俺にはカカシさんしか思い浮かばない。むしろ、あの人だったらいいのにと願っている。

やっぱり、好きなんだ、あの人の事が。でも、恋敵が自分なら、負けてあげるしかないじゃないか。

泣き出しそうな気分でそう思った瞬間だった。

びいん、と周りの空気が変わった。

俺は驚いて足を止めた。

一瞬にして、森は闇となった。空に、大きな月が浮かんでいる。湿った土の匂いがする。真夜中の空気。結界に入り込んだようだった。

求めていたものか。俺ははやる気持ちを抑えながら、周囲の様子を窺った。

前方遠く、何かが飛んでいる。俺はゆっくりと歩を進めた。近づくにつれ、嗅いだことのない、甘い花の匂いが強烈に漂いだした。

飛んでいたのは蝶だった。大きな、紫と黒の蝶。

そして、その向こうに、白い服を着た女が立っていた。

「遅かったじゃないか」

見覚えのある美しい顔。紫色の目。死体の女だった。

「お前にとって最も価値のある記憶だよ。もっとさっさと思い出しな」

女は腕を組み、吐き捨てた。俺はぞっとした。胸に一本、クナイがささっている。

「無理を言ってはいけませんよ」

女の背後に誰か立っていた。闇に紛れて姿が見えないが、若い男のようだった。

「クユウさん。死んでしまったあなたの導き無しにここまで来たんです。むしろ、あなたの失態を補ってくれたということで、礼を言うべきなのでは?」

「・・・貴様、誰に向かって口をきいている」

女はこちらを向いたまま、壮絶に笑った。

「あたしはこのまま、この結界を閉じてしまってもいいんだよ。貴様を飲み込んだままね」

逃げられると思ってるのかい?と女が言うと、

「・・・失言でした。申し訳ありません」

影の男は低く答えて黙った。

 お前、と女は俺を呼んで、俺に近づいた。

「一応礼を言うよ。お前の中に入れたのは、とても大事な記憶でね。あたしが死んでしまったものだから、危うく失くしてしまう所だった」

金縛りにあったように、体が動かない。俺は何とか声を絞り出した。

「大事な記憶・・・樹の秘伝か・・・?」

女は肩をすくめた。

「これから死ぬ奴に、答える意味はないね」

クユウさん、と影の男が言った。

「その男、殺しますか?」

「お前にとっても、そっちの方がいいだろう?もうあたしには、他の術を使う余力は無い」

「・・・生かしても、殺しても、差障りがあることには変わりないですね・・・どうぞ、存分に」

さ、返してもらおうか。そう言って、女は俺の目を覗き込んだ。

俺の意思に反して、俺の眼も女の紫色の瞳を見返した。

星が瞬くように、女の瞳が揺らめいた。

畜生。俺は心の中で叫んだ。

カカシさん。

 

 

 

誰かが呼んでいる。俺はあたりを見回した。

白い空間は、どこまでも続いている。

どこか遠く、いや、すぐ近くで、誰かが俺を呼んでいる。

腕の中の玉が温かい。これか。

俺は、その玉を顔の高さまで持ち上げ、覗き込んだ。七色に輝く表面に、俺の顔が反射している。だが、その奥、玉の中に、誰かの姿が浮かんだ。

こちらに背を向けている。銀色の髪。黒い装束に、背中の刀。白い面をつけた顔が、こちらを向いた。するり、と面が外れ、男の素顔が見えた。

びいん。

全身を襲った衝撃に、俺は頭をめぐらせた。

空間全体が、振動している。

そして、俺の体が、物凄い力で、上に持ち上げられた。俺は慌てて玉を抱きこんだ。絶対に手放してはいけない。

上へ上へと、吸い込まれるように引き上げられた。

どこへ行くのだろう。

と、上から、俺が抱えるものと同じ、七色の塊が落ちてきた。俺のよりは小さく、握りこぶしぐらいだが、それが何個も落ちてくる。

俺はその一つを手に取った。その感触は、ぎちぎちとしていて、粘ついて、気持ちが悪い。

思わず放り投げそうになったが、何故か、持っていかなければならない気がして、俺はその玉も抱きこんだ。

びゅう、びゅう、と耳障りな音が聞こえた。

上方高く、光が見えた。

 

 

 

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