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Your sweet sweet tears 1. まず、萌葱色の髪の背中が見えた。 それが忍服を着た女の背中だと気付くと同時に、女を抱きかかえるように壁にもたれる男の姿が目に入った。 銀色の髪。片目を隠す額宛。女の指がその顔半分を覆う口布を引き下ろし、伸び上がるようにして、その唇に口付けた。 湿った、密やかな音が、イルカの耳に届いた。 あぁ、まずい、失敗したと、イルカは舌打ちしたい気分になった。不可抗力にしろ、これでは覗きと同じだ。気づかれないうちに退散するのが賢明と、そっと後ずさりしたその時、女の頭越しに、男と視線があった。 見知った瞳に、イルカは身を固くした。 ナルト達7班の上忍師、はたけカカシ。銀色の髪にまさかとは思ったが。 イルカの存在に気付いたカカシは、慌てるどころか泰然とイルカを見返した。視線をイルカから逸らさぬまま、女から唇を離し、女の頭を胸に抱きとめた。そして、唇の両端をくっと上げ、呆然とするイルカに、笑って見せた。 思わず赤面してしまったのは、覗いてしまった事に対する気まずさのせいだけだったのだろうか。 初めて見る素顔。 綺麗な人だと思った。 ・・・よくよく考えれば、あんな所でいちゃついてるはたけ上忍が悪い。 イルカは、受付の椅子に座りながら思った。交代の同僚に、お疲れと声をかける。 受付業務は、これから忙しくなる時間帯だった。 あんな所とは、アカデミーの裏手にある旧校舎の事だ。今はアカデミーの倉庫兼書庫として使われている。アカデミーで以前使っていた教材や、古い巻物や書物等、頻繁に使うものではないが必要なもの、歴史的に保存すべきものなどが、元教室を改装したそれぞれの部屋に、分類して保管されている。人の出入りは殆どなく、三代目に頼まれて、ある巻物を取りに行ったイルカも、中に入ったことは今まで数度しかなかった。 書類の保存の為に、部屋には術が施されている。気温と湿度が一定に保たれていて、虫や鼠を寄せ付けない。清潔で快適、そして人の出入りが全く無いとなると、よからぬ事を考える輩がでてきてもおかしくない。 旧校舎が、秘密の逢い引きに使われている事は、イルカも噂に聞いていた。だがまさか、自分がその場面に行き当たるとは。 あの部屋に入る時、確かに違和感があった。だがそれを、書類を保護する術のせいだと思い込んでしまった。巻物の山の向こうに、女の背中を見つけた時には、もう遅かった。 あの時、あの部屋で、カカシはイルカに微笑みを向けたまた、女の髪を撫でた。女はカカシにしがみつくように身を寄せた。 手甲を外した手が、萌黄色の髪の上を滑る様と、重なる二人の姿に、イルカは思わず視線を逸らした。そしてそのまま、後ろを振り返って、部屋を出た。 巻物は、明日もう一度取りに行こう。イルカは、そのまま受付所に出勤した。 ・・・何と言うか。艶かしかった。 イルカは受付の椅子に座り、ぼんやりと思った。 口付けと抱擁。目に見える行為はあからさまなものではないにしろ、二人の間にある空気は、一線を越えた男女に特有の、密で濃厚な気配に満ちていた。下品な印象が無いのは、カカシの瞳に、情欲の色がなかったせいだろうか。どちらかと言えば女のほうが、カカシを求めているように見えた。 でも、とイルカは首を傾げた。あの女、どこかで見た事がある気がする。 「おい、イルカ」 隣の席の同僚が、イルカを呼んだ。 「ぼうっとすんなよ。アカデミー上がりで疲れてるだろうが」 「すまん」 イルカは笑って、姿勢を正した。 考えても意味のないことだ。人のプライベートを詮索する趣味も無い。ただ、はたけカカシの素顔が、思いがけなかったというだけで。 受付所が、次第に混雑を増してきた。3つある受付の前に列ができ始める。イルカは差し出される報告書を手際よく処理する事に集中した。皆、任務上がりで疲労している。一秒でも早く休ませてやりたかった。 「次の方、どうぞ」 前の報告書に受付時間を記入しながら、イルカは左手を差し出した。 「お願いします」 聞き覚えのある声に、思わず息をつめて顔を上げた。 銀色の髪と、口布と、右目を隠す額宛。はたけカカシは、先ほどまでどこで何をしていたのか微塵も感じさせない、相変わらずの飄々とした雰囲気で、報告書を差し出した。その様子に、何故かイルカはむっとした。 「お疲れ様です、はたけ上忍」 お預かりします、と微笑を浮かべてイルカは報告書を受け取った。見たことも、見られたことも、たいした事じゃない、という訳だ。 「はい、結構です。確かに受理いたしました」 「イルカ先生、この後お時間ありますか」 イルカはカカシを見上げた。誘われるなんて、初めてだ。 「7時までここの勤務がありますが」 「その後は?」 嘘をつく必要も無い。 「・・・空いています」 「飯でも食いにいきませんか」 カカシの意図は、分かりすぎるぐらいに分かった。 イルカは、はいと頷いた。 「余計な心配はするに及びませんよ」 イルカの言葉に、カカシは微かに眉を上げた。 「何か?はたけ上忍」 「いいえ。ただ、意外な感じがしただけです」 カカシに連れられて行ったのは、居酒屋というには落ち着いた、料亭というには敷居の低い、小さな構えの店だった。カカシの行きつけなのか、店内に入るとすぐ、店員に店の奥の座敷に案内された。 酒と魚が旨い店だった。 口布と額宛を外して、杯を口に運ぶカカシの姿は、なぜかイルカを落ち着かない気持ちにさせた。見慣れない綺麗な口元が、笑った。 「ナルト達の話から想像していたあなたの人となりと、こうやって実際に話してみるあなたとは、印象が全然違います」 「あいつらの事だ。真面目で口うるさくて融通が効かないとでも言ったんでしょう」 イルカも笑って肩をすくめた。 「俺も自分をさばけた人間だとは思いませんが。人の恋路に口を出すような野暮でもないつもりです」 恋路、と口の中で呟いたカカシは、くくく、と笑った。 「イルカ先生が言うと趣がありますね」 「・・・馬鹿にしてるんですか」 いいえ、とカカシは手を振った。 「そんなロマンチックな関係じゃないですよ。お互いが、やりたい時にやれる相手というだけです」 「・・・・・・」 「私生活を干渉するような関係ではありませんし、彼女の幸せを邪魔をするつもりもありません」 彼女の幸せ。その言葉に、イルカはあっと思った。カカシとキスしていたあの女は、アカデミーの同僚の彼女だ。中忍のくノ一。どこかで見た事があるはずだ。以前、結婚を前に付き合っていると紹介された。 イルカの表情の変化に、カカシは首を傾げた。 「あれ、藪蛇でしたか」 てっきり気づかれてると思ってました、と苦笑するカカシから、イルカは視線を逸らした。カカシの顔に気をとられていたとはとても言えない。 「彼女が気にしていましてね」 カカシが言った。 「見られたのが、婚約相手の同僚であるあなたですから」 「・・・・・・」 「さっきも言った通り、情的な繋がりは何も無い関係です。だから」 「オレも、さっきも言ったでしょう」 イルカの口調は、自然強くなった。 「子供じゃないんですから、外野が口出す事じゃないです」 「でも、気に食わないと」 カカシは小さく笑って、イルカの頬に手を伸ばした。 「顔に書いてありますよ」 思わず頬に手をやってしまって、イルカは赤面した。こんな子供騙しに、引っかかるなんて。 また、くくく、と肩を震わせてカカシは笑った。 「何て言うか、本当に誤解してました。イルカ先生」 あなた、愉快な人ですね。 愉快な人。 褒め言葉とは、到底思えない。馬鹿にされてる、と考えるべきなんだろう。 でも。本当に楽し気に笑う人だと、初めて知った。 ナルト達の上忍師。だからと言って特に親しくなった訳ではない。親しくなる理由もない。手を離れた子供たちへの干渉は分を超える。ただ、子供たちを強く、真っ直ぐ導いてくれればと、それだけを願っていた。 写輪眼のカカシ。里きっての技師。誉れ高い通り名の上忍は、一介の中忍には、雲よりも遥かに遠い存在だった。 そして、忍としてだけでなく、人としても、自分とは全く違う種類の人間なのかもしれない。 イルカは、目の前で泣く女を見ながらそう思った。 夕暮れのアカデミー。一人残業していたイルカの元に、彼女はやって来た。同僚の恋人。そして、あの部屋でカカシと抱き合っていた女。 「カカシは、あなたに何て言ったの?」 彼女は開口一番そう言った。何かを期待するように瞬く瞳が、イルカの心を刺激した。 「・・・どういう意味ですか?」 「私との事、あの人は何て言ったの?」 イルカは息をついた。気に喰わない。なぜ、最初に、そんな目で、カカシの事を聞くのだ?普通なら、恋人である同僚の事が一番に気にかかるはずだろう? 女性には礼儀正しくあれ、が身についているイルカだったが、さすがに今回は作法を無視した。 「・・・やりたい時にやれる相手だと」 彼女は、微かに目を見開いて、唇を噛み締めた。 「・・・他には?」 「情の繋がりはないと。・・・あなたの幸せを邪魔するつもりもないと」 言い過ぎた。イルカは天井を仰いでため息をついた。俯いた彼女の肩が、小さく震えていた。 「・・・泣かないで下さい」 我ながら間抜けな台詞だと思いながら、イルカは言った。 「あいつの事は、気にならないですか?」 彼女の事を、照れながら紹介してくれた同僚。 「・・・私が欲しいのは、カカシ」 俯く彼女の声は、思ったよりしっかりしていた。 「でも、やっぱりあの人は、私のものにはなってくれないのかしらね」 「・・・・・・」 「カカシにはね、私以外にも、私と同じような関係の女が、数人いるのよ」 疲れたような口調で、彼女は言った。 「そして、どの女も、私と同じ。皆あの人の事が欲しくて堪らないのに、誰もあの人を手に入れることができないの」 「・・・・・・」 「優しい言葉をかけてくれる。キスもくれる。抱いてもくれる。・・・でも、それだけ。カカシは、私が本当に欲しいものを、くれようとはしないのよ」 自分がカカシの心を求めるように、カカシにも自分を求めてもらいたいと、彼女はそう願っていた。そして、その想いの分だけ絶望していることに、イルカは気づいた。 愛する人に愛されたい。しかしその相手に与えられるのは、耳障りのいい言葉や肉の繋がりだけ。 もし同僚と別れたら、カカシとも別れなくてはならないと、彼女は言った。そういう約束で、関係を持ったのだと。 「遊びのつもりで、甘く見てたの・・・まさか、こんなに好きになるとは思ってなかった・・・あんな約束、反古にしてもらいたいのに・・・」 他の男のものである事を条件に、続けられる関係。カカシの意志が変わらない限り、そこに未来があるはずがない。 イルカは、カカシに見せられた笑顔を思い出した。あの部屋で、彼女を胸に抱きながら浮かべた、艶然とした微笑みと、酒を酌み交わし、イルカを愉快な人だと言った、あの心底楽しそうな笑顔と。 綺麗な人だと思った。もてるだろうとも思った。 だが、分からない。理解できない。相手を傷つけるような関係の持ち方をするカカシも、それでもカカシを求めようとする彼女も。 彼女の、非難される事は承知の、形振り構わぬ真摯さに気づき、イルカは責める言葉を失っていた。 片恋というには残酷すぎるこんな関係を、一体、どういう名前で呼べばいいのだ? 本当に酷い男、と彼女は呟いて、ゆっくりとイルカに背を向けた。部屋を出る時、思い出したように 「・・・彼に、言う?」 同僚の事だと分かった。 「・・・いいえ」 言える訳がない。彼女はイルカを暗い目で見て、 「意気地無しね」 小さく笑った。 |
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