それはあいとおなじ

 

 

 

「あの人を私に下さい」

彼女は、俺を真っ直ぐ見上げて、そう言った。

夏は終わりに近づいていた。日暮れ間近、蜩の声が切々とこだましている。受付の勤務を終え、自宅に帰ろうとしていた俺は、受付の通用門を出たところで、彼女に呼び止められた。

初めて見る顔だった。そのまま腕を引かれ、アカデミーの裏庭に連れて行かれた。彼女の向こうで、夕映えが、俯きかけた向日葵を照らしていた。

女性にしても小柄な体と、大きな緑の瞳を持つ彼女は、美しいというより可愛らしいと形容するのが相応しかった。だが、その愛らしさを俺に発揮するつもりはさらさら無いらしい。彼女の言葉の意味が分からず、首を傾げた俺を、彼女はぎっと睨み上げた。

「はたけカカシさんを、私に下さいって言ってるんです」

下さいって。俺は面食らった。ものじゃあるまいし。

「恋人同士なんでしょ?」

畳み掛けるようにずばり核心を突かれ、背筋が冷えた。確かに、カカシさんとの関係は、そういう名前をつけられるべきものだ。だが、周囲には秘密にしているつもりだった。

「え・・・あ・・いや・・・まあ・・・」

動揺に口篭る俺を、彼女は冷ややかな目で見上げた。

「その程度なんだったら、いいじゃない」

そう言って、彼女は唇の両端を持ち上げた。

あの人を、私に下さい。

 

 

 

「お帰りなさーい」

玄関のドアを開けると、部屋の奥から呑気な声がかかった。

「・・・ただいま」

狭い部屋だ。玄関からでも、台所の向こう、居間のちゃぶ台の脇に寝転がって、愛読書を広げるカカシさんの姿が見える。カカシさんは首を上げて、俺に笑いかけた。

「任務、思ったより早く片付いて」

「・・・そうですか」

ほっと力が抜けた。カカシさんの実力を思えば、俺の心配など無用なのだろうと思う。それでも、任務に出る背中を見送る時は胸が引き裂かれるような気がするし、こうしてただいまの声を聞くまでは、心の片隅がいつも不安に澱んでいる。

 付き合い始めて半年を過ぎ、関係に慣れた部分もあるけれど、彼を待つ間に味わう感情にだけは、今だにうまく折り合いをつけられない。そして、だからこそ、こうして無事に帰ってきてくれた事が心底嬉しい。

「お帰りなさい。カカシさん」

「ただいま、イルカ先生」

同時に、持ち帰った仕事の書類が詰まった鞄が、ずしりと重みを増した。今日は、この半分片付けば良しとするか。

俺はサンダルを脱ぎながら言った。

「カカシさん、飯は?」

「喰ってないです」

「じゃあ、作ります。ちょっと、待ってて下さい」

部屋に上がり、荷物を居間に置いた。ベストを脱いだ俺をカカシさんが見上げた。

「イルカ先生疲れてるでしょ。何だったら、外に食べに行きますか?」

「大丈夫ですよ。簡単なものになりますけど」

よかった、とカカシさんは呟いた。

「本当は、イルカ先生のご飯が、食べたかったんですよね」

そういう事をさらりと言う。だから、どんなにしんどくても、作ってあげたくなる。

台所に向かいながら、俺は思わず苦笑した。随分ほだされたものだ、と我ながら思う。最初に、付き合ってくれと言われた時の嫌悪感が、まるで嘘のようだった。

 

 

 

男とこういう関係になったのは、カカシさんで二人目だ。

カカシさんと同じく上忍だった最初の男に、俺は手酷い失恋をした。想いを断ち切れず、もう二度と恋はできないと思い込む程、苦しい終わり方をした。

だから、カカシさんの告白は、当時の俺には煩わしいだけだった。しかも、同じ男。同じ上忍。整った顔立ちで、女に不自由していないところまで重なった。

苛立った。嫌悪感が湧き上がった。

「男なんか好きになれません」

あの日、カカシさんの告白に、オレはそう答えた。決定的な拒絶の言葉だと、身を持って思い知っていた。カカシさんは、俺の目をじっと見返した。

「・・・諦められません」

「無駄です、はたけ上忍」

「好きなんです。初めて会った時から」

「・・・・・・」

「お願いします。オレを好きになって下さい・・・オレのものになって下さい」

頭を下げるカカシさんに、俺は奥歯を噛み締めた。どうしてそこまでする。どうしてここまで言わせる。

「それは、命令ですか」

俺の硬い声に、カカシさんは弾かれたように顔を上げた。

「違います」

「でしたら、何度も言うように、あなたの気持ちには応えられません」

カカシさんは、切羽詰ったような表情を浮かべた。

「命令だ、って言ったら、受け入れてくれるんですか」

俺は笑った。今更何を言っている。

「上忍の命令なら、中忍の俺に拒む事など出来ないでしょう」

そうしたいなら、すればいい。強引に。あなたには、その力がある。

カカシさんは、悲しげに顔を歪め、大きく息をついた。

「・・・そういう風に、あなたと繋がりたい訳じゃないんです」

「・・・・・・」

「好きなんです。本気なんです。・・・それだけは、分かって下さい」

 

 

 

「仕事、持って帰ったんでしょ?」

夕食後、煎れた茶を啜りながらカカシさんは言った。思わず部屋の隅に置いた鞄に目をやると、

「オレが予定より早く帰ってきちゃったんだから」

終わるまで待ってます、と再び愛読書を片手に寝転がった。

以前なら、せっかく会えたんだから相手してと、ごねられるのは確実な状況だ。盲目的だった執着が、この頃影を潜めている。代わりに、その穏やかな態度や言葉の端々に、押し付けがましくない配慮と労りが滲んでいる。

大事にされていると、身に沁みて思う。だからこそ、どうして俺なんかと、浅ましく問いたくなる。

以前、俺が心変わりすると思い込んだカカシさんに、里を抜けようと言われた事がある。俺はその時、ある意味本気で頷いた。

里を抜ければ、追い忍をかけられる。写輪眼という稀有な力を持つカカシさんはともかく、俺は捕まれば確実に殺されるだろう。それでも、カカシさんに想われたまま死ねるのなら、こんな幸せな事はないと思った。

俺は、ちゃぶ台の向こうで愛読書に夢中になっている背中を見つめた。

カカシさんの心を疑っている訳ではない。だが、カカシさんは本来、俺が独占していい男ではない。次代の木の葉を担う血筋を残す為に、妻を娶り、子を成すべき人だ。

里の為だと言われたら、この人から身を引く覚悟はできている。そんな事態が、そう遠くない未来に訪れるだろうという事も、この覚悟がやせ我慢だという事も、全部、重々承知している。

請われて結んだ関係が、今では俺のすべてになってしまった。この人を手放したくない。それはただの我が儘だと分かっているけれど。

俺は、ぼんやりと手元の書類に目を落とした。ただ願うのは、最後の時に、泣いて縋るような見っとも無い真似だけはしたくないという事だけだ。

「なーに考えてるの?」

いつの間にか、カカシさんが俺の後ろに腰を下ろしていた。背中から抱き込まれ、肩越しに顔を覗き込まれた。

「・・・大人しく待ってるんじゃなかったんですか?」

ちらりと視線を投げると、カカシさんは唇を尖らせた。

「だってイルカ先生、仕事してないじゃない」

頬にかかる吐息が甘い。

「オレの背中見ながら、ぼーっとしてる。だったら、構ってくださいよ」

何時だってオレはあなたが欲しいんですからね、我慢してるんですからね。低く響く囁きに、ぞくりと背中が震えた。こうやって求められる事に、言い様のない喜びが湧き上がる。誰にも渡したくない、俺の。

あの人を下さい。

ふと、彼女の瞳が脳裏を掠めた。言うつもりの無かった言葉がこぼれ落ちた。

「今日、あなたを下さいと言われました」

カカシさんは、アンダーの下に潜り込んで不埒な動きを始めていた手を止めた。

「誰に?」

「さぁ・・・名乗りませんでした」

可愛らしい女性でしたね、と付け足した。

 ふぅん、と呟いたカカシさんは、俺の腰を抱き寄せた。

「で?イルカ先生は何て答えたの?」

「何てって・・・」

唇の端に誘うように口付けられ、びくり、と思わず腰が揺れた。恥ずかしさを誤魔化したくて、俺は早口に言った。

「・・・犬猫の子じゃあるまいし、くれとかあげるとかじゃないでしょうと」

「まあ、ね」

「第一・・・カカシさんは、俺のものじゃないんですから」

今度のふぅんは、さっきとは明らかに調子が違った。色違いの瞳が、剣呑な気配を漂わせる。

「じゃあ、オレは誰のものなの?」

不機嫌、じゃない。怒っている。気づいた瞬間、内臓から血が抜けていくような恐怖に襲われた。低い声音に、冷たい汗がじわりと背中を伝う。初めて見るカカシさんの怒気に、勝手に体が震えだした。この人は上忍だったと、頭の端で思う。

「もの、じゃない・・・」

それでも何とか搾り出した言葉は、

「誤魔化さないでよ、そういう意味じゃないって分かってるでしょ」

冷たい声に遮られた。抱き寄せる腕がさらに力を増し、顔は触れ合いそうに近い。だから尚更、殺気にも似た激しさに当てられ、恐ろしさに息が詰まった。火が点ったようなその瞳が怖い。

震えながら、それでも俺は思った。

あなたは俺のものですなんて、言えない。

手放したくないだなんて言えない。

言ってはいけない。だってあなたは。

「・・・あなたは、木の葉の宝です」

呟いた言葉に、カカシさんは暫く俺の顔をじっと見つめた。

「・・・。そう」

するり、と腕を解いて、カカシさんは立ち上がった。一気に呼吸が楽になった感覚に、俺は大きく息を吐いた。それでも体の震えが収まらない俺を残して、無言のまま口布と額宛をつけたカカシさんは、すたすたと玄関へ向かった。

「カ、カカシさん・・・」

慌てて呼んだ声は、自分でも情けない程頼りなかった。

「帰ります。飯、ご馳走様でした」

口布越しの声に表情は無かった。引き止める間も与えず、振り返りもせず、カカシさんは部屋を出て行った。

 

 

 

進む

 

 

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