8.

絢爛に咲き誇った花のようだった。

大勢の見物人が見守る大通りを、ゆったりと内八文字を踏みながら、当世随一と言われる陽華楼の太夫が進んでゆく。

花弁のように広がる櫛や簪、身を包む豪奢な仕掛けも目を惹いたが、何より、太夫自身の内側から溢れるような艶やかな美しさが、見物人達の感嘆を誘った。三枚歯の塗下駄を優雅に捌く度、前ざしにつけられた黄金の飾りがたおやかに揺れ、太夫の赤く染めた目許の瑞々しさが一層際立った。

金棒引き、提灯持ちを先導に、肩貸し、傘持ちを引き連れ、禿と新造を2人づつ従えて、馴染みの茶屋へ向かうその様子は、眩いばかりの華麗さに加え、堂々とした風格さえ感じさせた。

イルカは、人垣から少し離れた街路樹の脇に立ち、道中を見るともなしに眺めていた。

指示された時刻は過ぎていたが、動くつもりは無かった。

「興味ある?」

ふいに、背後から声が掛かった。

振り返る前に、黒地の着物に包まれた腕が隣に立つのが、イルカの目の端に入った。

「・・・陽華楼の太夫は、そこらのお大尽では、着物の裾を拝む事さえ叶わないと聞きますから」

道中に視線を向けたまま、イルカは答えた。安堵と、吐き気に似た不安が一瞬で吹き飛んだ反動で、声が震えた。

「命令違反ですよ、イルカ先生」

怒る風でもなく淡々と、カカシが言った。

「時間になってもオレが現れなかったら、先に里に戻れって言ったでしょ?」

「・・・罰は、受けます」

カカシの顔を見ると、そのまま縋りついてしまいそうな気がして、イルカは意地のように前を見つめたまま答えた。

「・・・こういう部下って、一番面倒なんだよねぇ」

溜息のように言いながら、カカシは並んだイルカの肩に、ことりと頭を乗せた。顔のすぐ側で揺れる柔らかい銀髪に、微かにだが火薬と血の匂いが残っているのを感じ、イルカは両手をきつく握り締めた。

「・・・いてくれて、よかった」

素直なその口ぶりに、ずっと堪えていたものが、溢れそうになった。

昨夜。

敷地全体を覆っていた術式を内側から力技で破り、二人はユキトの屋敷を脱出した。

屋敷を出た時点で追っ手は掛からなかったが、葛眼本人にファイルの強奪が伝わった事は明白だった。間をおかず奪還に動いてくるはずだと、カカシは言った。

「正午に大通りで。もしそれまでにオレが戻らなかったら、すぐに里へ帰って三代目に報告して」

使っていた民家に一旦戻った後、部屋に残る生活の痕跡を消し去るようイルカに指示したカカシは、そう言い置いて、一人ファイルを手に、再び夜の中へ消えようとした。

その腕を、イルカは必死に掴んだ。

「俺も、あなたと行かせてください」

側で力になりたい。そう訴えるイルカを見返し、カカシは冷たい程の声で告げた。

「足手纏いです」

「・・・っ」

「あんたが、じゃなくて。今まで、あんたのような人を側に置いて戦った事がないから。自分の気持ちがどう動くのか、判断がつかない。例えあんたが傷ついても、冷静でいられる自信がない。今、この段階で、そういうリスクは犯したくない」

予想もしていなかった返答に、イルカは返す言葉を失った。

「この間は情けない所見せちゃったからアレだけど」

口布と額宛の向こうで、カカシは微笑んだようだった。

「信じて」

カカシの口から初めて聞くその言葉は、どこか祈るような響きを持っていた。

「オレを、写輪眼のカカシを信じて、待っていてください」

必ず、あんたの所へ、帰るから。

それは、イルカの存在を自分自身の強さに変える、約束という名の決意。

任務を離れ、上官と部下という垣根を取り払った心からの願いは、イルカに、同じ覚悟を持つ勇気があるかと問うてきた。

「・・・絶対に、戻ってきて下さい。俺の所に」

イルカは自分から、カカシに触れるだけの口付けを捧げた。カカシのすべてを許容する口布越しのそれで、心の全てが伝わるようにと見上げたカカシの右目は、確かにイルカの想いを受け取って、静かな力強さで満ちていた。

「必ず」

戻るから。

「必ず」

待っています。

互いが背負う同じ重さの決意と覚悟は、信頼という絆に変わった。

闇に消える広い背中を見送ったイルカは、指示通り民家を片付け、まんじりともせずに夜を明かし、正午を待たずに大通りに立った。

カカシの言葉に応える為に、カカシだけを想って、ただ、じっと待ち続けた。

そして。

カカシは戻ってきた。

こうして、イルカの隣へ。

 

 

 

歯が30センチ程もある高下駄を履いた太夫は、人垣から頭一つ抜けて見えた。

傘の下できりりと前方に向いていたその視線が、何かに誘われるようにこちらに向いた。ほんの僅かにだが、彼女の瞳が驚いたように見開かれ、ついで赤く小さな唇に、淡い笑みが浮かんだ。

その微笑がカカシに向けられたものだと言う事に、イルカは気付いた。

「・・・お知り合いですか?」

カカシは、イルカの肩に頭を乗せたまま、

「身請けしようかと思った事がある」

「・・・え、えぇっ?」

思わず声を上げて、イルカはカカシの顔を見た。頭を起こしたカカシは、人差し指を唇に当て、黙ってと言う仕草をした。

「興味あるなら、買ってあげようか?」

「は?」

今度はぎょっとした。

「・・・結構です」

冗談にしても悪趣味だ。イルカの尖った返事に、カカシは小さく肩をすくめた。

「そう?彼女の三味線は、流石太夫を名乗るだけはあるんだけど」

「・・・・・・三味線?」

「うん」

歓楽専門の多くの見世と異なり、陽華楼の女達は、位に関わらず歌舞音曲の芸を一通り身につけている。傾城の最高位である太夫ともなれば、その芸は師範の腕を持ち、高い教養と知識を兼ね備える太夫の芸と会話を純粋に楽しむ為に、彼女を茶屋に呼ぶ事は、金に糸目をつけない粋な遊び方だった。

だが普通、「買う」と言えば「そういう」意味だと思うだろう。

「ひょっとして」

カカシも、その行き違いに気付いたらしい。

「・・・・・・違い、ます」

何が、という訳でもなく、イルカは耳を赤くして呟いた。

「駄目だよ」

違いますって、と言い募るイルカの声を無視して、

「あんたがね、誤解にしろ、一瞬でも他の奴を相手にそういう事を考えるって事自体が、駄目」

表情は変わらないが、色違いの両目が物騒な光を帯びていた。

「今回は見逃すけど。今度やったら、抱き殺すよ」

静かな口調に乗せられたとんでもない台詞と、剣呑なチャクラに、イルカの背筋を冷たいものが走った。どうやらカカシは、冷たい程の美貌とは裏腹に、かなり情の強い男らしい。

そしてイルカは、その傲慢な執着を心地良く感じている自分自身に驚いた。

「・・・望むところです」

そう小さく返すと、カカシは、微かに唇を持ち上げた。

「それ、素で言ってるんだとしたら、見かけによらず性悪な先生だねぇ」

明るい昼日中には似つかわしくない濃密な睦言は、忍の声で交わされて二人以外には聞こえない。そうでなくとも、通行人は皆煌びやかな道中に夢中で、街路樹の影に立つ男二人に注意を払う者はいなかった。

ふいに、カカシが言った。

「葛眼製薬の社長・・・ユキトの父親は、今日明日にでも社長の座から降りる事になるよ」

イルカは、少し上にあるカカシの横顔を見た。

「・・・それが任務の目的だったんですか?」

カカシは暫く沈黙した後、口を開いた。

「あのファイルは、葛眼との取引の決定的な切り札として、依頼主にはどうしても必要だった。内容が内容だけに、情報が漏れる事は絶対に許されない。すべてを秘密裏に、というのが、依頼主からの大前提」

銀色の髪の向こうから、色違いの瞳がイルカを見返した。

「あんたは納得がいかないだろうけど、あの所業が表沙汰になることは、恐らく無いよ」

イルカの脳裏に、ファイルに並んだ被写体の、暗い表情が浮かんだ。胸に湧き上がる苦いものを抑えながら、イルカは静かに言葉を搾り出した。

「それは・・・依頼主が、それを望んでいないからですね?」

カカシは、頷く代わりに沈黙を守った。

無力感が、どっとイルカを襲った。我を殺し、命を貫くのが忍の本分。自分が正義だと信じる道と、任務という絶対の、その間に横たわる断絶を己の道へと踏み越えてしまえば、どんな理由があろうと忍でいる事は許されない。それが分かっているからこそ、イルカはどうしようもない苛立ちに奥歯を噛み締めた。

「任務であれば、相手が誰であろうと命を奪う事をオレは躊躇しない」

カカシの言葉は、忍として生きる者全てに強いられる覚悟だ。

「それに、戦争で身寄りを失って一人路頭に迷ったり、貧困で満足に飯を食えなかったり、色んな理由で心身ともに傷ついて苦しんでいる子供は、この世界に何万人もいる。死んでしまいたいと思うような目に合ってるのは、あのファイルの奴らだけじゃない」

カカシの眼差しは、大通りをゆったりと進んで行く太夫の横顔に向けられていた。火の国きっての大見世で頂点を極める彼女も、言うなれば、遊郭という籠に借金で捕らわれた鳥だ。芸を磨き品格を上げ、その体と才覚だけで、籠から飛び立とうと必死に足掻いている。

言葉を見つけられずに俯くイルカに、カカシは続けた。

「だからって、すぐ側で苦しんでいる人を放っておいていい筈がない」

「・・・え?」

「って、あんたなら言うなって思った」

顔を上げると、カカシは、苦笑に似た笑みを浮かべていた。

「里に入るはずの報酬を、ファイルの被害者達の救出と支援に回したの。依頼主も了承済み。あのファイルは、とんでもないスキャンダルの火種だからね。入手したはいいが処分に困っていた依頼主にとっても渡りに船だったでしょうよ」

信じられない思いで、イルカはカカシを見つめた。

「然るべき組織が、秘密裏に動く手筈になってる。良いか悪いかは別として、被害者達には記憶操作が施され、自立の為の支援が与えられる。ま、そこから先は本人次第だけど」

普段より早く、更にぶっきら棒な口調で、カカシは言った。

照れ臭く思っているのだ、イルカを甘いと断じた己の選択を、変化を、この男が。

「全部オレの独断だけど、咎めるような三代目じゃないでしょ」

傘の下で優しく笑う老人も、きっと、同じ事をするだろう。

「それでも命令違反には変わりないですからね、一緒に怒られて下さいよ」

そう肩をすくめ、帰りましょうか、とカカシは歩き出した。

歩いて行くカカシの背中を見つめながら、イルカは自分の中にある衝動が生まれたのを自覚した。

今更だと、真面目だと笑われるだろうか。だが、心の内を言葉にして伝える事で、きちんとけじめをつけたかった。

長くなる予感がする、これから先カカシと共に歩む未来の為に。

「は・・・カカシさん」

初めて名を呼んだ事に気付いただろうか。

「俺は、あなたが好きです。俺と、付き合ってくれませんか?」

これから、ずっと。

振り返ったその瞳が、まじまじと見開かれ、それから満足気な弧を描くのが、面映くも誇らしい。

「その言葉、あんたが言うと砂糖菓子みたいに聞こえるね」

正直よく分からなかったりするんだけど、とカカシは、イルカに歩み寄り、顔を寄せて囁いた。

「あんたが、他の奴の事考えてると思うと腹が立ったり、オレの為に怒ったり泣いたりするのが嬉しいって思うのは、好きって事?」

臆面の無い問いかけにイルカは赤面した。

「・・・俺に聞かないで下さいよ」

「アカデミーのせんせいでしょ?教えてよ」

揶揄は、今までとは違う、蕩けるような感触を持っていた。

「真面目なせんせいは、きちんと手順を踏まないと納得できないって事ね」

ふんふん、と腕を組み、思案するふりをするのが憎たらしい。

「里に帰って、一緒に飯でも喰って、手を繋いで」

キスをして、と、カカシの声がイルカの耳朶に触れた。

「それから、良すぎて、おかしくなる位のセックスをしてあげる」

これから先、オレがあんたを抱き殺すまで、ずっと。

「・・・っ・・・あなたって人は」

これ以上ない程赤くなったイルカの顔を愉快そうに、そして、深く真摯な眼差しで見つめたカカシは、行きますよ、と身を翻して歩き始めた。

その隣に、イルカは並んだ。

これから先、カカシと共に歩む道は、舗装された大通りのように平坦ではないだろう。

だがこうして、カカシと同じ速度でその隣を歩き、その体温を誰よりも近く感じていられるなら、何も恐れることはない。

そう信じられる自分を、イルカは何よりも誇らしく思った。

 

 

 

完(06.04.23〜06.12.02)

 

 

 

ようやく(汗)、50000打御礼完結いたしました。

大変お待たせいたしました。長かった・・・。

アンケの結果は、「鬼畜カカシで任務ネタ」。

・・・任務はともかく鬼畜が・・・(苦)。

結局最後は、うちの定番らぶらぶばかっぷるです(笑)。

意地悪カカシと受難イルカ(笑)。楽しんで書かせて頂きました。

素敵なリクをありがとうございました!

読んでくださる皆様と、Zさんへ、溢れる愛を込めて。

 

 

 

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