「それってストー・・・カー・・・」

つい零れた呟きが耳に入ったのか、カカシの狐面がテンゾウに向いた。

「な、訳無いですよね」

眼の部分に開いた穴の向こうから睨みつけられた気がして、テンゾウの背筋を冷や汗が伝った。慌てて首を横に振り、

「カカシ先輩がストーカーだなんて、そんな事、おれ言ってませんから」

「ストーカーなんじゃない?」

焦るテンゾウに、カカシはあっさりと答えた。

「・・・え?」

「自分でも、そう思うから」

カカシはそう言って、呆気に取られたテンゾウを残して走り出した。

任務明け。月の無い夜の森を、二人は里に向けて帰還していた。

いつものように任務は生臭く、テンゾウは相変らずよく喋った。唯一普段と違っていたのは、カカシが、テンゾウの問いかけに答えた事だった。

「カカシ先輩、最近よく控え室使ってますよね」

アカデミーの地下にある暗部の控え室は、設備は里内で最も充実していたが、耳目を集めやすいカカシはそれを嫌って今まであまり寄り付かなかった。

「カカシ先輩が頻繁に姿を見せるようになってから、控え室使う女の子が増えて、おれ達は有り難いんですけど。何かあったんですか?」

「・・・お前、好きな女いるんじゃなかった?」

「いますよ」

テンゾウは、面のむこうででれりと笑った。

「すっごく可愛くて、強くて。黒髪がね、こうさらっとしてて・・・。でも、極秘なんですけど、彼女は、あるやんごとない方と旅をしているそうなんです。里には殆ど帰ってきません」

「・・・・・・」

「だから、何か勿体無くって、オカズにもできなくて」

「・・・・・・」

「めったに会えないんで、他をつまみ食いたくなっちゃうんですよね」

頭を掻くテンゾウに、カカシが、どこか憮然とした口調で

「・・・オレはあの人しかいらない」

と呟いた事が、テンゾウを酷く驚かせたのだった。

ストーカーって意味、ちゃんと分かってんのかな。テンゾウは、少し先を飛ぶカカシの横顔を盗み見た。

誰より強くて頼りになって、細身の剣のようなその外見も、冷静沈着かつ豪胆な内面も何もかも、惚れ惚れする程格好いい先輩だけれども、どこか浮世離れしているというか、世事に疎いような所があるとテンゾウは感じていた。

「で、どんな女なんです?」

「・・・・・・」

「先輩が追っかけてるんだもん、きっと凄い美人なんだろうな」

「・・・・・・綺麗じゃない。普通」

でも。そこまで言って、カカシはふいと口を噤んだ。その僅かに尖った気配を読んで、テンゾウは追求を諦めた。

以前のカカシなら、他人に、こんな風に自分の事を話したりしなかった。厭世とは違うが、既に失ってしまった物を見つめ求めているような、そんな孤独の気配を常に纏わりつかせていた。

だから、こうして、誰か一人の人間に執着するという事そのものが、信じられない位なのだが。

世界が変わった、って事なのかな。

テンゾウは、カカシに聞こえないよう小さく呟いた。

「・・・一番近くにいたのになぁ」

カカシにそういう変化を起こしたのが自分ではないという事実に、テンゾウは複雑な寂しさを覚えたのだった。

 

 

 

「イルカ先生」の事なら何でも知っている、とカカシは自負していた。

イルカが、朝一人暮らしをしているアパートを出てから夜帰宅するまでの間限定で、という事なのだが。

何時頃、どの道を通ってアカデミーへ向かうのか。途上どんな人とすれ違うのか。アカデミーでの授業の時間割はどうで、どの廊下を通ってどの教室を使うのか。

昼飯は大抵食堂で日替わり大盛を平らげるが、給料日前は白い握り飯に中庭で齧りついている。若くて仕事が速い分、軽重緩急様々な用事を先輩教師から押し付けられているようだが、腰軽く動き回って信頼と実績を上げている。帰宅はいつも夜9時を過ぎて、自宅近くのスーパーで見切り品を買って帰る。時折仲間内で一杯やったりもするが、酒の許容量は中々のようで、酔っ払った同僚を家まで送り届けたりしている。

「イルカ先生」の生活を隅々まで知り尽くしていたカカシだったが、唯一、イルカの部屋の中を覗くのだけは止めていた。

それは、家族や仲の良い友人や、恋人しか見てはいけないものだ。

自分のような、暗闇に紛れて付き纏うような浅ましい人間には許されないものだ。己の行動の異常性に気付きながら、そうせざるを得ないカカシの、唯一の歯止めだった。

 

 

 

その日も、カカシはアカデミーの校庭を囲むように植えられた木立の影に潜んでいた。

ここ最近は、クナイの扱い方を指導する授業が続いているらしい。校庭で、イルカのよく通る声が響き、子供たちが覚束ない手つきで的に向かってクナイを投げている。筋の良い子、見込みのある子、努力次第の子。それぞれの個性を見極めて的確な指導と助言を与えるイルカを、カカシは目を細めて見守った。

任務に出る前は、遠いその姿に、必ず戻ってくる事を誓う。

任務から戻ってきた時は、手の届かぬその横顔に、自分の心が猛っていた事に気付かされ、その猛りが穏やかに鎮められていく事を感じて息をつく。

心の上っ面を撫でていくだけだった現実が、痛い程の実感と鮮やかな色彩を以って、カカシを捉え、脈打ち、息づいている。

きれいで、苦しい。心浮き立つようで、どこか悲しい。

イルカの笑顔の側に行きたいのに、その方法を知らぬカカシは、求める心を持余しながら、ただイルカを見つめることしかできなかった。

終業を知らせるチャイムが鳴った。

子供たちが校舎に吸い込まれて行き、一人残ったイルカが、片付けられたクナイの箱を持ち上げた。そのままこちらへ歩いてくるのを、カカシは身動きすることも出来ずに見守った。

校庭からカカシが隠れる木立の前を通って、細い道が校舎裏の倉庫へと続いている。その小道を、イルカは軽い足取りで進んでいった。目の前を通り過ぎてゆく、敏捷性と力強さを兼ね備えた筋肉の動きや、微かな息遣い、結い上げられた髪の後れ毛が揺れる様子までが、まるで手に取るように近くて、カカシは思わず息を飲んだ。

その瞬間、イルカが足を止めた。

「誰だ?」

静かだが強い警戒を含んだその口調に、カカシは自分の迂闊さを呪った。

影にとけ込んだカカシの姿は、イルカからは見えない筈だった。だか、カカシの隠れている影を不審気にじっと見つめるその鋭い眼差しは、はっきりとカカシを捉えているように思えた。

どうしよう。カカシの心臓がどくどくと早鐘を打った。出ていくべきか。このまま身を翻して逃げるべきか。

きつく眉を寄せたイルカが、こちらへ一歩を踏み出した。警戒というより、寧ろ乱暴な程の足取りでずかずかと近寄ってこられて、ついにカカシは観念した。

木立の影からカカシが身を現すと、イルカははっと息を飲んで足を止めた。その視線が、自分の顔から慌てて逸らされたのに気付き、そう言えば面を外していたと思い至った。

「申し訳ありません」

目を伏せたまま、慌てた様子でイルカが頭を下げた。

「以前、部外者が無断で入って来た事がありまして。授業では刃物も火薬も使いますから、用心をと」

「こっちこそ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ。その・・・こんな格好だから・・・」

今は汚れていないとはいえ、暗部の衣が禍々しい気配を纏わりつかせている事は承知していた。

「・・・・・・」

沈黙が落ちた。

カカシは、目の前で俯くイルカを、信じられないような気持ちで見つめていた。

イルカがいる。手を伸ばせば、触れられる距離に。そして、慇懃にカカシの言葉を待っている。ずっと、遠くから見つめる事しかできなかった相手が。

言いたい事も知って貰いたい事も、胸の中で渦を巻いて溢れそうだった。だが、どんな言葉にすればそれが伝えられるのか、熱くのぼせ上がった思考が上手く回らない。

と、イルカが深く頭を下げた。

「申し訳ありません。次の授業がありますので、失礼致します」

背を向けかけたイルカに、焦ったカカシは声を上げた。

「待って」

はい、と振り返ったイルカの瞳が、真っ直ぐに自分を捉え、それから戸惑うように伏せられた。その睫の影に、カカシの心臓はこれ以上ない程の鼓動を打った。

「あんた、今一人だよね」

言葉が、勝手に口から零れ落ちた。

「え?」

「恋人とか、いないよね」

イルカの周囲にいる男女の誰も、友人の域を越えていないとカカシは思っていた。

「・・・はい」

訝しげな返答と寄せられた眉に、失敗したのかもしれないという思いが脳裏を掠めたが、もう止める事は出来なかった。

「お願いがあるんだけど」

「何でしょうか?」

「あんたに大事な人ができるまででいいから。それまで、あんたを、オレに下さい」

イルカは、ぎょっとしたように瞳を大きく見開き、それから何度も瞬きを繰り返した。

「え・・・あの・・・それは」

「好きな奴ができたら、すぐにそう言って貰えればいい。あんたの迷惑にならないようにするから。だから」

「・・・・・・」

「イルカ先生じゃないあんたを、うみのイルカを、オレに下さい」

イルカにとって自分が全くの初対面だという事は、カカシの頭から綺麗に吹っ飛んでいた。縋るような物言いを恥ずかしいともみっともないとも思う余裕も無く、カカシは言い募った。

「それは・・・」

イルカは、ぎしぎしと音が聞こえるような堅い姿勢で、視線を頼りなく彷徨わせた。

「・・・それは、具体的にどうしたいという事なのでしょうか?」

具体的に、ともう一度呟くように言って、イルカは頬を強張らせた。その表情に、ようやくカカシは、自分がイルカを怯えさせている事を悟った。

当たり前だ。

のぼせ上がって見失っていた現実に打ち据えられた気がした。見ず知らずの暗部に、いきなり自分を下さいなんて言われても、怖がられこそすれ、受け入れて貰える訳がない。

どうして言ってしまったのだろう。カカシは、きつく唇を噛んだ。

「・・・ごめんね。吃驚させて」

苦い錆色の後悔が、カカシの口の中に広がった。自分の浅慮を歯噛みする程呪ったが、もう、言葉を取り戻す事はできない。

「あの・・・」

「ごめん」

イルカの視線と声に押されるように、カカシは後ずさった。

「あの」

「どうか、忘れて」

とても、このままイルカの前に立ってなどいられない。身を翻して逃げようとしたカカシの腕を、

「待って。待って下さい」

イルカが、強く掴んだ。

 

 

 

「似ていたんですよ。あなたが」

イルカは、ちゃぶ台の向こうに座るカカシに言った。

「アカデミーには、大切な人の絵を描くという授業があるんです。情操教育が名目ですが、生徒の中には家族や近親者を亡くした子が大勢いますから。その子達の内面を推し量る材料として、という中々現実的な理由もあって」

「成る程」

「で、その授業の時にナルトが俺に言ってきたんです。大切な人の絵に、俺を描いてもいいか?って」

「・・・・・・」

「気を遣ってくれたんです。里の大人達に疎まれている自分が、俺の絵を描いたら、俺に迷惑がかかるんじゃないかって」

「・・・・・・」

「その時のナルトと、あの時のあなたは、とてもよく似ていたから。だから、とてもじゃないですが、放っておけなくて」

「それは・・・オレがあなたとこうしていられるのは、ナルトのお陰って事なんでしょうか?」

何か気に喰わない、と憮然とするカカシに、きっかけなんてどうでもいいじゃないですか、とイルカは朗らかに笑った。

「大事なのは、今がどうか、という事でしょう?」

さて、とイルカはカカシに徳利を差し出した。ちゃぶ台の上には、カカシの好物が湯気をたてて並んでいる。

そして、もう幾度となく口にした言葉を、イルカは今年も、カカシに贈った。

「お誕生日おめでとうございます。カカシさん」

「ありがとうございます」

注がれた酒を干したカカシに、今年も、イルカは訊ねた。

「何か、欲しいものはありますか?」

「はい」

カカシは少し照れたように微笑んだ。

去年と同じものを。

時間を。

かけがえの無いあなたの時間を、今年も、オレに下さい。

同じ道の上に共に立ち、共に笑って、共に泣いて。そうやってこの年も、オレと過ごして下さい。

「相変らず、欲の無い人ですね」

小さく微笑んだイルカに、カカシは肩をすくめた。

「オレは、これ以上無く強欲だと思いますよ」

 

 

 

そしてイルカは、ただの時間以上のものを、カカシへの変わらぬ想いを、心そのものを、今年もカカシに贈る事を密かに誓ったのだった。

 

 

 

完(07.03.05)

 

 

 

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