あなたの名を呼ぶ声と同じ強さで。

それを選べるこの心を誇りに思う。

 

 

 

「あ・・・」

無意識に立てた爪が、がり、と、皮膚を引っ掻いた感触に、イルカははっと我に返った。

霞む瞳が、見慣れた天井の染みを捉えた。続いてカーテン越しに差し込む水銀色の光と、それに照らされた白い肩を映す。

圧し掛かる重み。溶け合う程に密着した肌。滴る汗は、どくどくと全身を駆け巡る鼓動は、果たしてどちらのものなのか。

捻じ込まれた熱に翻弄され、何も覚えていない。だがきっと、その白い背の皮膚が裂けるほどに爪を立て、縋りついた。

ごめんなさい、と謝ろうとした口を唇で塞がれ、傷の様子を探ろうとした指を捕えられて、シーツに押し付けられた。唇を触れ合わせたまま、低く掠れた吐息が吹き込まれる。

「・・・余計な心配ができるなんて、まだまだ、余裕ある?」

二つに折り曲げられた体に、これ以上無い程深く腰を押し進められ、イルカは声も無く喉を反らした。骨同士がぶつかる感触、下生えが擦れ合う感触、そして、体の最も奥に、熱い火の玉を埋め込まれたかのような感触が生まれる。

「ち・・・が・・・あっ、やぁ・・・っ」

擦り付けるような動きが、内側の襞を細かく突き上げる。先刻までの激しさの余韻を残す体は、その緩い官能に泣き叫びそうな程身悶える。

噛み締めた唇から零れる浅ましい声も、身の内に渦巻く滾りを逃がすには足りない。握り締めたシーツは、溺れかけたイルカには余りに頼りない。

打ち寄せる波のように浸食され、見失いそうな自我に必死に縋りつく。

「・・・何考えてるの?」

ぎりぎりまで引き抜かれ、そこで止まる。

「・・・っ・・・はぁ・・・」

内側が物欲しげに波打つのは、そこを満たしていたものが失われたから。それが堪らなく恥ずかしいのに。

「余計な事を考えないで。あんたは、ただ感じて、よがってればそれでいい」

羞恥を感じる僅かな理性さえ、許しては貰えない。

雄の猛りを飲み込む部分を、指が辿る。刺激を敏感に拾うよう教え込まれたそこが、己を貫く肉刃を更に奥へと誘うように、ひくりひくりと蠢いているのが自分でも分かる。

もっと、という願いを、体は雄弁に物語る。それはきっと、イルカ自身が感じる以上に伝わっているはずだ。

それでも、容赦の無い言葉がイルカの耳朶を犯す。

「・・・どうして欲しい?」

低く掠れたその声に、つま先まで痺れが走る。下腹で止め処なく蜜を垂らすものが、じん、と脈を打つ。

頭の後ろが熱く明滅して、全身の血が速度を上げる。

あぁ。何もかもが。

堕ちてゆく。

「・・・くださ・・・い・・・」

震える声で、見下ろす色違いの瞳に哀願する。

「あなた・・・のを・・・俺のなか、に・・・」

その残酷な腰に腕を伸ばし、自ら引き寄せる。降りてきた薄い唇に、必死に吐息を重ねる。

「あなたを・・・ぜんぶ・・・」

背が折れる程強く抱きしめられ、後はもう、されるがままに貪られる、幸福。

あなたを、下さい。

裂ける程に深く体内を蹂躙する猛りに、獣のような浅ましさで応える。

あなたから溢れ、滴るものを。激しさを。飛沫を。汗を。熱を。声を。

そして、叶うならば。

どうか。あなたの心を、俺に下さい。

深過ぎる愉悦に、見も世も無くむせぶイルカの眦から、痛みや快楽だけでない雫が、零れ落ちた。

 

 

 

目を開けた時、カカシは既に忍服を身に着けていた。

手甲をはめて馴染ませるように掌を2,3度握り、里の宝と評される左目に無造作に額宛を巻く。ベッドに腰を下ろしたその横顔は、もう沈着冷静な忍のものだ。

壁の時計は、もう間も無く夜明けが訪れる事を告げている。

これから任務なのか。少しでも眠ったのだろうか。立ち上がったカカシに、イルカもベッドから体を起こした。途端、あらぬ所に走った鈍痛に無意識に眉が寄る。

「寝てて」

短く言うカカシが歯痒い。

「・・・大丈夫ですから」

意地のように起き上がり、窓辺に向かったカカシを追った。

窓を開けたカカシは、ベランダに出てサンダルに足を入れた。その背中に、この人はいつになったら玄関を使うようになるのか、とぼんやりと思う。

夜明けを呼ぶ風が、銀色の髪を揺らす。眼差しは遠く、まだ見ぬ何かを見つめてしんと静まっている。

「ご武運を」

掛けた言葉に振り返る事もなく、ベランダの柵を乗り越えたカカシは、朝焼けの滲む方角へ飛んだ。

その後ろ姿が、連なる屋根の向こうに消えるまで、イルカはじっとその場で見送った。

こんな時。胸に吹き荒れるものの激しさに、息が詰まりそうになる。

この体は、カカシの指の感触を、肌を這う舌が呼ぶ愉悦を、こんなにもはっきりと覚えているというのに。

カカシに与えられた猛りの余韻が、こんなにも鮮明に刻み込まれているというのに。

昨夜、あれ程確かなものに感じられた体温は、もう、いない。喪失の予感が、不安となって、イルカを苛んだ。

溜め息さえ苦しい。イルカは、鈍い痛みを訴える体を引きずって、部屋の奥に引き返した。壁際の古ぼけた文机に向かい、引き出しから一冊のノートを取り出した。何の変哲もない、アカデミーの購買でも売られているそれは、使い込まれて硬い表紙の角が丸まっている。その薄灰色の表紙に手を置いて、イルカは深く息をついた。

自覚がある。カカシと出会って、こうして体を繋げるようになってから、感情の起伏が激しくなった。揺れる気持ちを表に出すような真似はしないが、心に湧き上がる喜びや哀しみは、まるでイルカの意思を飲み込まんばかりに大きくなる。そして、感情の振幅に翻弄され、自分を見失ってしまいそうな不安に襲われる。

自分を御せないのは、忍として致命的だ。

イルカは、手の中のノートを開いた。最後の日付は一昨日だ。

 

『カカシさんへ。

俺は多分、あなたが好きなのです。

自分自身の心なのに、多分なんてあやふやな言葉を使うのは、あなたへの想いと、今まで心を寄せた相手に抱いた感情とが全く違っていて、自分でも戸惑っているからです。

言葉にするのは難しいのですが。

あなたの為に強くなりたい、と思うのです。

あなたは俺より強くて立派な人なのに、そんな事を考えてしまうのはおかしいでしょうか』

 

思いを文字にする習慣がついたのは、いつ頃だったか。

感情の波に溺れた心が、在るべき立ち位置を見失わないように書き留め、感情の波に溺れそうな不安と覚束無さを少しでも解消したくて始めた事だった。

毎日書く訳ではないし、自分の感情を整理するつもりで書いているから、日記とは趣旨が違う。カカシに宛てて書いているのは、これが一番自分の心を書き現し易かったからで、こんな赤裸々な内容を彼に見せるつもりは無い。

言える訳が無い。

好きだなんて。

このノートに書いた言葉は、こう在りたいと願う、イルカの心そのものだ。

そうやって書き続けたページは、既にノートの半分近くになっていた。

 

 

 

男は、カカシが初めてではない。

戦忍の頃、戦場で上官の伽を勤めた経験は、20歳を超えた年齢にしては少なくない。

美しいどころかむさ苦しいばかりのこの顔と、色の黒い傷だらけのこの体のどこがいいのかと、最初は不思議でならなかったが、ある時、自分の上で腰を振る上忍が、だらしなく涎を垂らしながら口走った言葉で、ようやく合点がいった。

滅茶苦茶に汚してやりたい。

どうやら自分は、ある種の性癖を持つ男達の加虐心を酷く掻き立てるらしい。

酷い扱いを受ける事が多かったのは、そのせいか。馴らすことなく受け入れさせられたり、何人もを同時に相手させられたり。痛みを耐える顔がそそると、何時間も苛め抜かれた事もあった。

仕打ちの理由は腑には落ちたが、それで肉体的な苦痛が軽くなる訳もない。逆に、数多くある任務の一つだと思えば、痕にになるのは体の傷だけで、それが癒えてしまえば何の拘りも残らない。

自尊心を傷付けられる程繊細でもなく、利する為に媚を売る程図太くもなく。ただただ、自分の体の上を嵐が過ぎてゆくのを、じっとやり過ごすのが常だった。

戦忍を引退して、里付きの内勤となると、そういう役目からは自然と遠ざかった。

イルカを抱いた男達の中には、里に戻ってからもイルカと関係を持ちたがる者がいたが、里内では、階級に関わらず互いの同意の無い強要は決して許されない。無論、監視の目が行き届かない場合も多々あるが、そういった状況でうまく立ち回る術は自ずと身についた。

任務ならば、心でも体でも差し出そう。だが、それ以外の部分に土足で踏み込ませるつもりはない。

ずっと、そう思っていた。

 

 

 

内勤になってから数年後、イルカは火影の命で再び戦場に駆り出された。

任務の内容は伝令と、諜報。請われて参戦した戦が、予想以上に長引いていた。戦局を見極める為、精度の高い情報が欲しいと、慢性的な人手不足に苦労する三代目は、引退したイルカに任を与えたのだった。

丸二日、走り詰めで戦場を飛び回った。戦況は一時膠着。前線付近では小競り合いが頻発しているが、本格的な戦闘には至っていない。多くの斥候が暗躍し、表に現れぬ攻防が各所で繰り広げられた。

前線近くに駐屯する部隊に辿り着いたイルカは、集めた情報と、携えてきた火影の言葉を、少数の部隊で凄まじい戦歴を残す年若い指揮官に伝えた。

木の葉のみならず、周辺諸国に名を轟かすその男に会うのは、その時が初めてだった。意外な程に細身で、銀色の髪と抜けるような肌の白さが目を引く男は、二つ名の由来である左目を額宛で隠し、イルカの持ち込んだ明るい展望とは言い難い情報を、特に様子を変えるでもなく受け取った。

「お疲れ様。テントと食事を用意するから」

口布の向こうの淡々とした労いに、イルカは頭を下げた。

「お気遣いありがとうございます。ですが・・・」

「明日はそのまま出ていいから。挨拶も無用」

男はそう告げると、イルカの返事を待たず、傍らの副官と会話を始めた。背後に控えていたくノ一が、テントに案内すると声を掛けてきて、イルカはその場を辞した。

互いに、任務以上の関心を持つことなく。

本当なら、そのまま別れて、二度と会う事はなかったはずだった。

その夜。食事を終え、宛がわれたテントで装備を解こうとしていた時、一人の男が伝言を持って現れた。

指揮官名での緊急の呼び出し。何となく違和感を覚えながら、拒む理由も見つけられず、イルカは男に従ってテントを出た。

月の無い闇夜を、駐屯地の脇から続く林の奥へ進んだ。なぜこんな場所にと、違和感が警鐘になりかけた時、いきなり背後を囲まれ、そのまま前に突き飛ばされた。

太い樹木を背に振り返ると、別の男が二人、来た道を塞ぐように立っていた。

どちらも、筋肉が巨木の瘤ように盛り上がった逞しい体つきに、日に黒々と焼けた顔立ちで、銀色の髪をした指揮官とは似ても似つかない。

男達が浮かべる独特の表情に、やはりか、とため息が零れそうになった。

「・・・おれ達も鬼じゃねえからなぁ」

ざらついた声が、絡みつくような欲を滴らせているのに、悪寒が走った。

「お前さんが明日戦場を越えるって事は分かってる。素直に言う事聞いてくれりゃ、酷くするつもりはねえよ」

案内してきた男の、低くべたつく笑い声が癇に障った。

「要は、お前さん次第って事だよ」

「言ってる意味、分かるよな?」

じりじり、と狭まる包囲に、イルカは決断を迫られた。

抵抗するか。従うか。どちらがダメージが少ないか。選ぶ余地があるのは、果たして幸か不幸か。3人が並みの忍で無い事は、イルカの僅かな体重移動を読み取って、退路を的確に塞いでくる事からも判る。だが、牡牛のような男3人が相手で、酷くするつもりはない、という言葉が信じられる訳も無い。

荒い息を零しながら、男の一人が腕を伸ばしてきた。

肩を掴まれた時、決断した。やはり、嫌だ。腕に仕込んだクナイを掌に握ろうとしたその瞬間。

「そこまで」

男達の背後から、鋭い声がかかった。

弾かれたように振り返った男達の向こう、塗りつぶしたような深い闇の中に、銀色の光が浮かび上がった。

男達が動揺する気配に、イルカは助けられた事を知った。身構えていた全身の緊張をほどき、背後の樹にもたれ掛かった。

慌てふためいた様子で立ち去る男達と入れ違いに、闇から溶け出すように現れた銀色の髪の指揮官が、安堵にうな垂れるイルカの前に立った。

昼間一度見たきりの濃灰色の瞳が、じっと自分を見つめてくるのを、イルカは強烈に意識した。

「・・・オレが来なかったら、あんた、どうしてた?」

掛けられた言葉に、イルカは顔を上げた。状況を正確に理解している問いだった。

「どうしてた?」

重ねられた追求に、

「・・・明日の事がありますので、自分の体に一番ダメージの無い方法を取りました」

イルカの返答をどう取ったのか、男は口調に揶揄を滲ませた。

「特別上忍レベル3人相手じゃ、素直に尻を差し出した所で、無傷で済むとは思えないけど。それとも、あいつらに勝てる自信があったって事?中忍のあんたに?」

何なんだ、それは。

イルカは眉を寄せた。元々は、あんたの管理不行届きじゃないのか。第一、勝てる見込みがないのに抵抗する程愚かではない。階級は実力を表すが、実力が階級にそのまま反映されているとは限らない。可能性が見えた。それだけだ。

「・・・侮られている位が丁度いいんです」

言ってから、上位者相手に傲慢な言い方をしてしまったと臍を噛んだ。だが、男は気分を害した様子も無く、何かを探るようにイルカを見つめてきた。

眼差しは、静か。だが、その奥に揺らめくものの気配が、イルカの背筋を振るわせた。それが何なのか見極める前に、男は右目を細め、口布に隠れた口元に笑みを浮かべた。

「ま、3人が1人になったんだから、良しとしてよ」

耳障りのよい声が、鼓膜を通り抜け、心臓を叩いた。意味を捉えるまで、数秒かかった。

「何か、無性にね、あんたに触りたくて仕方ない」

それは、欲望というより、捕食者の傲慢に近く。

「だから、オレと寝てくれる?」

それが、カカシとの始まりだった。

 

 

 

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