敵わない。

抵抗は無駄だと、直感が告げる。先刻の男達とは違う。忍としての絶対的な力の差が、二人の間には歴然と横たわっていた。

ならば素直に従って、体へのダメージを少なくするのが得策だ。

「ご命令とあれば」

頷いたイルカの腕を、カカシが握った。低い体温が服越しに伝わってきて、それが奇妙な緊張を生んだ。

指令官用のテントに連れ込まれ、寝台に押し付けられた。その冷淡な姿に似合わぬ乱暴な所作で圧し掛かられ、思わず呻き声が漏れた。

性急な指がイルカの着衣を剥ぎ取り、外気に触れて粟立つ皮膚を、視線が這った。傷まみれの体に萎えるか、とも思ったが、カカシは額宛と口布を外すと、イルカの首筋に唇で触れてきた。

綺麗な男だ。

カカシの体重を受け止めながら、イルカはカカシの素顔に戸惑う自分に驚いた。

この家業、美しい男も女も数え切れない程見てきている。だが、何故かカカシの姿は、光の残像のように眩しく、圧倒的な力を秘めるその写輪眼が、紅玉のように美しく思えた。

テントの低い天井が、何故か傾いで見えた。舌が、味わうような動きで肌の上を辿るのに合わせ、細い銀色の髪が視界で揺れた。

熱を与えられた水が、ふつふつと小さな泡を止め処なく生むように。

何かが、少しずつ、しかし確実に、イルカの中に湧き上がり、広がった。

全身を這っていたカカシの指が、イルカの胸の突起に触れた。びり、と背筋を走った感覚にイルカは思わず息を飲んだ。

「・・・ん・・・っ・・・」

イルカの反応の意味を読んだのか、カカシは指先で先端を摘んだ。掌全体で包み込まれ、突端を押し潰されて、鮮烈な感覚が全身を突き抜けた。

何だ、これは。

下腹部が、痙攣するように波打って、熱が集まってゆくのが信じられない。その変化を、カカシの色違いの双眸にじっと見つめられているのが、逃げ出したい程堪らない。

指と舌と視線に追い詰められて、イルカはようやく、カカシに与えられているものが、愛撫だと気付いた。

今までイルカが相手をした男達のように、ただ自分の欲望をぶつけてくるのとは違う。カカシは、イルカが感じ、昂ぶる事を求めている。

まるで、心を通わせる二人が、その想いを確かめ合う為に情を交わすように、カカシはイルカを抱こうとしていた。

それに気付いた瞬間、イルカの心が波打った。

そんな風に、求められた事などない。今回も、ただ、カカシの劣情を受け入れればそれでいいのだと思っていた。

抱かれるなんて、思ってもいなかった。

痛みと屈辱ならいくらでも耐えられる。自分の体さえ道具だと割り切っている。

たが、こんなのは。

怖い。まるで深い穴に背中から落ちてゆくような不安がイルカを襲った。

どうしよう。どうすればいい?

今まで他の男からは与えられた事のないものが、イルカを犯そうとしていた。

カカシに触れられたこの体は、確かに悦びを感じている。だがそれを認めるのは、己の矜持を自ら砕くような気がして、イルカはきつく唇を噛み締めた。

戸惑いと恐れは、カカシがイルカ自身に触れた時、決定的になった。

「あ・・・あっ」

目が眩むような刺激に、思わず声が零れた。カカシの白い指に擦り上げられ、痛い程に張り詰める。先端から、はしたなく雫を滴らせているのが、ぐちぐちと微かに聞こえる水音から分かる。吐精の欲に目の前が揺らぎ、腰が無意識にせり上がった。

イルカの変化を感じ取った掌が離れ、両膝の裏を抱えた。カカシの前で、大きく足を広げた自分の姿に羞恥を覚える余裕は無い。塗り付けられた軟膏の冷えた感触に、自分の体が火照っている事を否応なく教えられた。

久しぶりとはいえ、慣れた行為。だが、不安に慄く心が全身を強張らせた。イルカの体は、埋め込まれた指に、まるで初めての時のように反応した。

「い・・・やだ・・・抜い・・・て」

裂けそうな痛み。襲い掛かる嘔吐感に、呼吸さえ覚束無くなる。

「冗談。慣らしておかないと、あんたのここ、きつくて喰いちぎられそう」

丁寧だが容赦なく、指が増やされる。内側の襞を確かめるように掻き回され、広げられ、その質量と動きに泣き叫びそうになる。

「っ・・・ん、ああっ・・・あ」

ぬるりと奥を抉られた瞬間、頭からつま先まで痺れが走った。

あぁ。だめだ、そこは。そう思う理性が、どろりと溢れ出した快感に溶ける。地中から噴出した溶岩のように生々しく熱いそれが、イルカを焼き尽くし、侵食してゆく。

指が抜かれ、更に太く力強いものが押し入ってきた時、イルカの喉から、紛れもない愉悦の声が迸った。

他の男にもそこを突かれた事はある。だが、行為はあくまで男達の慰みで、イルカは置き去りだった。

だが、今は、カカシが埋め込む楔に翻弄され、極限まで追い詰められる。怒涛のように打ち寄せる悦楽に飲み込まれ、何も隠す事ができず、すべてを暴かれた。

「・・・あんた、男初めてじゃないね」

唇に吹き込まれた囁きに、僅かに残った理性が苦い羞恥を覚える。

「慣れてる訳じゃなさそうだけど。ちゃんと、どうすれば楽か分かってる体だ」

こんな体を、知られたくなかった。そう思うのは何故だ?

「任務?それとも、プライベート?ねぇ、誰があんたにそれを教えたの?」

その質問を、残酷だと思うのは何故だ?

「こ、んな事・・・任務じゃなきゃ・・・やれるもんか・・・っ」

好き好んで誰にでも許す訳じゃない。それだけは、知って貰いたかった。

その答えが、カカシの何に触れたのかは分からない。

汗に濡れた寝台に荒々しく押さえ込まれ、がん、と背骨が砕ける程に突き上げられた。

後はもう、何も無い。

カカシの熱情に身を委ねて、ただ喘ぎ、叫び。いつしかイルカは意識を失っていた。

 

 

 

目覚めると、テントにカカシの姿は無かった。

テーブルに置かれたままの手甲に、打ち合わせにでも出ているのかと判断したイルカは、慌てて身支度を整えた。

朝の光の下で顔を合わせるなど、できる訳がない。鈍く疼く体を叱咤しながら、イルカは密かに駐屯地を後にした。

カカシとの事は、一晩限り、単なるカカシの気紛れだと分かっていた。だが、カカシの口から直接それを聞かされれば、自分は酷く傷付くだろうと容易に想像できた。

随分と簡単じゃないかと自嘲が浮かぶ。たった一度抱かれただけで、こんなにも心を乱されるなんて。

情を向けられる事に、慣れていない自覚はある。

13歳で両親を亡くし、親友と呼んだ男も、二十歳を待たずに慰霊碑に名が刻まれた。結婚を望んだ女性に、ナルトと自分どちらを選ぶかと問い詰められて以来、恋人と名の付く相手も作っていない。

アカデミーの子供達は可愛く、親代わりとなってくれた三代目を初め、周囲は皆温かい。だが、心の片隅を寂寥が塞ぐのは、自分を預け、寄りかかれる存在に飢えているからだ。

多分、これを孤独というのだろう。

もっと早く誰かに縋りつけたらよかったのかもしれない。しかし、長く一人に慣れた心は、大切な人を失う恐怖や、心を許した相手に傷付けられる痛みに臆病になっていた。人と触れ合う温かさを求めながら、深みに嵌らぬよう心のどこかで歯止めをかけていた。それなのに。

カカシは、イルカの内側に、予想外の方向から入り込んできた。求め求められる事の実感を、深くイルカに刻み込み、消えぬ痕を残した。

カカシに抱かれた事を、イルカは何度も後悔した。

相手は、同性で、上位者で、若くして里の英雄と評される男。どれ程強く望んだ所で、手に入る訳がない。

夜空の月に焦がれるような、残酷な切なさ。片恋というには息苦しすぎるその感情は、イルカの心に深く蟠った。

里に戻って数ヶ月が経っても、鉛を飲み込んだような胸の重さは変わらなかった。

受付に座っていれば、様々な情報が入ってくる。夏を迎える前に、カカシが派遣された戦が、勝利で終結を見たという一報を受け取って、イルカは安堵のため息を零した。

無事に戻って来てくれれば、それ以上望むものはない。もし、どこかで出会ったとしても、たった一夜気紛れで抱いた男の事など、恐らくカカシは忘れている。それを哀しいと思う事さえおこがましいと、自分に言い聞かせた。

だが、カカシはやって来た。

帰還の連絡が三代目の元に入った日の深夜、カカシはイルカのアパートのベランダに現れた。

信じられないと戸惑うイルカを見据え、月光の下、

「オレのものになって」

あんたが欲しいんだ。そう薄く微笑んだ。

同じだ。

全身を鷲掴む歓喜と、それと同じだけの絶望が、イルカの胸を塞いだ。

今までイルカが戦場で相手をした男達は、イルカの体に執着を覚えて、里内でも関係を持ちたがった。その男達と同じ言葉を、カカシはイルカに告げたのだ。

なぜ、と、カカシの真意を問い返したかった。

だが、イルカを欲しいという言葉にそれ以上の意味を求めるのは、イルカがそれを願っているからに過ぎない事も分かっていた。

この体が欲しいというなら、どうか、この心も引き受けてくれ。

イルカは強い目でカカシを見つめ返した。それが出来ないのなら、もう、これ以上は。

「・・・お断りします」

だが、イルカの儚い抵抗を、

「残念。あんたに否はないよ。意味分かるよね」

カカシは簡単に蹴散らした。

この男は、何て軽々しく。

泣きたいような気持ちになる自分が情けなくて、イルカは知らず舌を打った。

カカシはきっと、自分の言葉が、イルカにとってどれ程重いものなのかなど、考えていないのだろう。

オレのものになってと言う癖に、決して、イルカのものにはなってくれないのだろう。

分かっている。どれ程辛い未来が待っているか、分かっているのに。

イルカは、その誘惑に抗う事ができなかった。

「仰る通りに致します」

まっすぐカカシを見返し、そう笑ったのは、意地だった。

 

 

 

2月。火の国では毎年、旧暦の新年を祝う祝賀の催しが行われる。

議会に名を連ねる貴族と大名の間で持ち回りで主催されるそれは、国の繁栄を願う伝統と格式あるものだ。

本来、隠れ里の里長はそういった場に招待はされても出席する事はないのだが、今年は、新しい里長の顔見せの意味がある。木の葉崩しからこちら、復興が着実に進んでいる事を周囲に示す必要もあった。

「見せ物扱いされるのは覚悟してるよ」

五代目はそう笑い、ゲンマと、三代目に付き従って火の国での行事に何度も出席した事のあるイルカを、随行に選んだ。

カカシに、綱手の供として里外に出る事を告げると、

「オレが帰るまでには、戻って」

カカシにも中期の任務が与えられていた。

「あんたがいないと、里に帰って来たって気がしないから」

他愛のない我儘に聞こえるが、カカシが本気で言っている事は、半年を超える関係で分かっていた。そして、その言葉に縋りつきたい気持ちになる自分の弱さを押し殺すのにも、悲しいかな、慣れてしまった。

幼い頃から任務と戦場が日常だったカカシは、里での暮らしに馴染みきれない部分を抱えていた。自分の感情を押し殺す事に慣れ過ぎた男は、端正な外見と飄々と掴み所のない雰囲気と相まって、時折近寄り難ささえ感じさせる。そんな男が向けてくる深い執着に、イルカは翻弄されていた。

既にカカシは、里での時間の殆どをイルカの側で過ごすようになっていた。イルカの作ったものを食べ、イルカと同じ寝床で眠り、イルカの元から任務に発ち、イルカの部屋へ戻り、そして、壊さんばかりに激しくイルカを抱いた。

まるで恋人同士のようなその密度。だがそれが虚しい錯覚に過ぎない事を、イルカは、刻み込まれる体の痛みと共に思い知るのだった。

任務に出るカカシを見送る時、カカシが再びイルカの元へ戻ってくるという証がどこにもない事を、その広い背中に突きつけられる。心を確かめ合った訳でも、況してや何かを約束した訳でもない。上位者であるカカシが求め、下位者であるイルカが応じる事で成り立っているこの関係は、カカシの心一つで簡単に崩れてしまう。

縋り付いて、請いたい。自分のものになってくれと揺さぶりたい。

だが、そんな自分本位は、自分が許せない。何より、その願いがこの危うい関係さえ壊してしまうかもしれないと思えば、イルカはただ黙って、カカシを見送ることしかできなかった。

「祝賀行事への随行ですから、何も無ければ日帰りで戻ってこられます」

ここで、あなたの帰りを待っています。

心の中でそう告げて、その日もイルカは、任に就くカカシの後姿を見送ったのだった。

 

新年祝賀の会場は、火の国の中心で古くから続く、国賓を歓待するのにも使われる広大な屋敷だった。

イルカとゲンマを引き連れてロビーに現れた綱手に、静かなざわめきが生まれた。

「・・・あれが木の葉の新しい里長か」

「若いな。あれで務まるのか」

「あの顔と体だ、どこぞの男の閨に忍び込む方が合ってるじゃないのか」

忍の耳は余計なひそひそ話まで拾う。気遣わしげな瞳を向けたイルカに、心配をしでないよと微笑んで、綱手は物見高い視線を蹴散らすように、毛の長い絨毯の上を会場である奥の座敷へと向かった。

「お前は中を。おれは外を見回ってくる」

そうイルカの耳元に低く告げて、ゲンマはロビーの混雑に紛れ込んだ。イルカは係員らしき男性に従って、随行者の為に用意された一室に向かった。

部屋の中は、料理と軽い飲み物が並び、上役がいない随行者同士の気楽な雰囲気が漂っていた。室内に一通り目を配った後、イルカは手洗いに立つふりをして、建物の奥へ足を向けた。

年代を感じさせる平屋建築には、迎賓館として火の国最高レベルのセキュリティが張り巡らされている。警備員が目立たぬよう各所に配置され、最新の監視システムは、屋敷の趣を損ねぬよう配慮され隠されていた。

屋敷の様子も、行きかう職員にも、特に変わった所は無い。

引き返そうかと足を止めかけた時、ふと、先の廊下の角を曲がる男の姿がイルカの目に入った。

この屋敷の制服を着込んだその横顔に、イルカは首を傾げた。

・・・どこかで、見たような気がする。だが、思い出す前に、男の姿は角に消えた。イルカは迷わずその後を追った。

廊下は、厨房に続いていた。脇に勝手口が開いており、裏庭の樹の影に、男の背が見えた。

もう一人、男がいるらしい。低い話し声が聞こえてきた。

「・・・新しい里長は名だたる医療忍だぞ。半端なものでは効かん」

「全くの新薬だ。成分は俺以外誰も知らんよ」

「・・・・・・」

「規定量を飲めば、神経性ショックで即死。少なくとも脳神経が麻痺して、二度と意識は戻らんさ」

イルカは息を飲んだ。これは、五代目火影暗殺の計画ではないのか。

背後に人の気配を感じて、イルカは側の納戸に身を隠した。閉じた扉越し、声が遠くなる。

「これを・・・新しい木の葉の里長の・・・に・・・」

「乾杯が終わってから・・・料理の・・・」

会話に、悲痛な女の声が加わった。

「・・・約束は守って・・・子供の命は・・・」

「・・・お前の働き次第・・・」

「必ず・・・お願い・・・」

男の低い声と、女の啜り泣きが一しきり続き、止んだ。

足音がこちらへ戻ってくるのを察したイルカは、急いでその場を離れた。

あの男に何故見覚えがあるのか、まだ思い出せない。だが、躊躇している暇は無かった。

廊下を足早に戻り、ロビーから玄関に出て、人目を避けながらゲンマに式を飛ばした。

事前の打ち合わせ通り、緊急事態の発生を告げる壱の式を使う。紙の小鳥が迷い無く空を横切って行くのを目で追いながら、イルカは建物内に引き返し、祝賀の場にそっと忍び込んだ。

すぐにゲンマは駆けつけて来る。後は、どうやって綱手に伝えるかだ。

場は丁度、乾杯が終わった所だった。

朱塗りの杯と、料理のいくつかは、既に膳に置かれていた。男達の会話からすれば、今からここに持ち込まれる何かに、綱手の命を奪う毒が仕込まれている事になる。イルカは、広い座敷の隅に溶け込むように侍り、じっと様子を伺った。

段取りに従って、給仕の女達が、酒と新しい料理を捧げ持って部屋に入って来た。綱手の前にも、美しく飾り付けられた新鮮な海の幸が並ぶ。

イルカは綱手の手元を注視した。こういう場で、忍は基本的に食事に箸をつけない。それを、あの男達は知っているのかどうか。知っていればどうやって、毒を盛るつもりなのか。

場が解れ、招待客が動き出した。綱手の周りに人が集まる。

行儀よく遠慮がちに、しかし若く美しい里長への興味を隠さぬ様子で話しかけてくる貴族達に、綱手は慇懃な笑顔で対応している。その輪の向こう、奥の障子の影にゲンマの気配を感じ取り、イルカは小さく息をついた。

一人の男が、綱手の前にやってきた。恰幅の良い腹をきらびやかな衣装で着飾った50過ぎのその男が、この会の主催者である大名だった。

「初めまして。五代目火影殿」

場が、静まった。皆がやり取りを見守る中、大名は傍らの給仕の盆から柄の長い銚子を取り、差し出した。

「お近づきの印に」

拒む事はできない。綱手が、膳の杯を持ち、差し出した。そこに並々と注がれる酒。

先刻の男達の会話が、イルカの脳裏をよぎった。

規定量を飲めば、即死。飲めば。・・・もしかしたら。

イルカはそっと綱手の背後に回った。気配に気付いた綱手が、振り返って目を見開くのに構わず、その手から杯を奪い取った。

「五代目は、木の葉復興の願掛けの為、酒気を断っております」

会場中の視線を跳ね返すように浪々と、イルカは声を上げた。もし、イルカの見込みが間違っていたとしても、この言葉で木の葉の面目は保つ事ができる。

もし、見込み通りなら。

イルカは、手の中の杯に視線を落とした。

脳裏に、銀色の影が浮かぶ。こんな時でさえ、思い出すのは任務に出る時のその広い背中だ。

胸が鈍く痛むのは、後悔だろうか。

二度と会えないかもしれないと分かっていたら、何かが違っていただろうか。

ずっと伝えたい思っていた言葉を、想いを、口にする勇気があっただろうか。その背中を、振り向かせることが出来ただろうか。

誰よりも何よりも、カカシを好きだと思う。

それでも、迷いなく選べる自分が誇らしかった。

「僭越ながら、私めが頂きます」

そう言って、イルカは杯を一息にあおった。

 

 

望んでもよいのなら。

ただ一つ。どうか、俺の為に一筋の涙を。

 

 

口腔に広がる豊穣の香り。

舌に乗り、鼻腔に満ち、ゆっくりと嚥下すれば、心地よい熱が喉を過ぎてゆく。

すべてを飲み込んだ瞬間、胃に、火がついたかのような痛みが走った。

鼓動が瞬時に跳ね上がり、拍動に連れて全身に激痛が広がる。内臓が掻き回され、反り返った視界が真っ赤に染まり、平衡感覚が消えた。

奈落が、口を開けた。

 

 

そして、イルカの世界は、果ての無い闇に沈んだ。

 

 

 

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