7.

さみしい。

 

その子は、膝を抱えて、たった一人蹲っていた。

 

・・・さみしい。

どうして、おれはひとりぼっちなの?

・・・父ちゃんと母ちゃんはどこ?

ひとりはいやだよ。

ひとりにしないで。

 

・・・せんせい。

 

どっかのオバさん達が話してた。

 

・・・いえね、忍だけれど内勤で、教師って堅いお仕事なさってるの。性格も朗らかでしっかりなさってて、とてもいい方なんだけど。

ほら、あの子の面倒をみてるから。

まあ、そうなの?どうしてあの子の面倒なんか・・・。

教師なんでしょう?お仕事なら仕方ないんじゃない?

 

ちがう。

しごとじゃないって。

しかたなくじゃないって、せんせい言ってた。

 

それにしたって、随分可愛がっているようよ。

一生あの子の面倒みられる訳でもないのにねぇ。

あんな子、甘やかせると碌な事にならないわ。生きていけるだけ有難いと思って貰わないと。

今のままじゃ、まとまるお話もまとまらないのよ。あの子に構うから、イルカ先生をよく思わない人も多くって。

 

子の青い瞳から、涙が溢れ、零れ落ちる。

 

おれのせい。

イルカせんせいがなぐられたり、わるくち言われたりするのは、おれのせい。

 

震える唇が、哀しみを紡ぐ。

 

・・・いつか、せんせいいやになっちゃうかな。

すきなひととけっこんしたくなったら、おれのことじゃまだっておもうかな。

おれのこと、きらいになっちゃうかな。

 

自分の言葉に怯えたように、悲鳴のような嗚咽が零れる。

 

・・・ひょっとして、もう、おれのこと、きらいになっちゃったかな。

 

ぶるぶると、細い肩が震える。

 

だって、たまに、おれといるのに、おれじゃないことかんがえてる。

せんせいはそんなことないっていうけど、おれ、わかるんだ。

 

せんせい。もう、おれのこときらい?

 

おれ、また一人ぼっちになるのかな。

 

ひとりはいやだよ。

ひとりにしないで。

 

「一人じゃない」

 

ふいに聞こえてきた優しげな声に、子ははっと顔を上げた。

「誰?」

「おれがいる」

低い声は、空気を底から震わせるように響いた。

・・・ほんとう?

「おれが、お前と一緒にいる」

繰り返される言葉に、子の表情が泣き笑いに揺れた。

・・・おれを、一人ぼっちにしない?

「しない」

なぜかって?

 

「おれが、お前の中にいるからだ」

 

立ち上がり、恐る恐る振り返った子の前に、巨大な鉄格子がそそり立っていた。

太い格子の向こう側は、暗くて見えない。優しげな声は、その闇の奥から聞こえてきた。

「おれはお前と一緒だ。だから」

優しく、優しく、声が囁く。

「その紙を剥がしてくれ」

鉄格子には、一枚の護符が貼られていた。巨大な鉄格子に対して頼りない程の小さな紙片。

「・・・はがせないってばよ」

子は、戸惑ったように護符を見上げた。その紙片が持つ意味はおぼろげながら知っている。そこに書かれた、封の文字が持つ力も。

・・・前にも、こうしてこの紙を剥がすように頼まれたような気がする。その時は・・・どうしたんだっけ。

「お前なら大丈夫。この間は邪魔が入ったが」

「でも・・・」

躊躇する子に、声が、苛立ったように低くひび割れた。

「一人になるのが、嫌なんじゃないのか?」

その言葉に、子は意を決したように顔を上げた。爪先立ち、護符に手を伸ばすと、格子に触れた部分に、ばちりと電流が流れたような刺激が走った。

「いってえ・・・」

痛みに顔を歪めた子に、声は言った。

「お前の・・・が貼り付けたんだ」

その言葉に、子の顔が輝いた。

「とう・・・んが?」

「あぁ」

「どうして?」

「さあな」

くぐもったような笑い声が響き渡った。

「もしかしたらお前なら・・・とでも思ったのか」

ほら、早く。声が、誘う。

その紙を剥がしてくれ。そうしたら。

 

「ナルト」

 

カカシの呼び掛けに、爪先立って護符に手を伸ばしていたナルトが振り返った。

「誰?」

訝しげな問いには答えず、カカシはナルトの肩を抱えるようにしながら、鉄格子の奥の闇を見遣った。

渦巻く殺気が見えるような気がする。低く聞こえるのは、先程の猫撫で声とは似ても似つかない怨嗟に満ちた唸り声だ。

「・・・貴様の思い通りにはさせない」

カカシの言葉に、その殺気が膨れ上がった。

だが、その気の流れは、檻のこちら側には僅かも届かなかった。カカシはガラス越しに見るように陰気のうねりを感じ取れるが、まだ未熟なナルトには只の暗闇にしか見えないだろう。

護符から放出される封印の力が、格子を細かい網のように覆っている。それが、檻を堅く封じ、ナルトと檻の中の九尾を厳然と隔てていた。

先生だ。カカシは思った。

師の、四代目火影の気配を感じる。

子供だったあの頃、その手に守られ、その背を追いかけた。その存在が、形を変えて、強く、確かに、ここにある。

息苦しい程の懐かしさが湧き上がり、カカシはそっと、鉄格子に手を添えた。護符を守る結界が、カカシを拒んでばちばちと放電する。その痛みが、嬉しかった。

ずっと、逢いたいと思っていた師に、こんな形で触れられるなんて。

カカシは、檻の向こうで忌々しげに吠える九尾を見遣った。死してなおこの獣を封じ続けている師の忍としての力量に誇らしさを覚える。

響き渡る唸り声に耐えられなくなったのか、顔を歪めたナルトがカカシに縋り付いた。その肩を、カカシは強く抱き寄せた。

そうだ。師に託された、この幼い命を守る為に、カカシは生きているのだ。

「・・・行こう」

カカシの言葉にナルトが頷いた。その瞬間、九尾を内に封じた格子がかき消えた。

 

 

 

「ちょっと、腹見せて」

二人だけになった空間で、カカシはナルトに言った。服を捲り上げると、ナルトの滑らかな腹に、黒々とした術式が浮かび上がっていた。

「・・・さっきの、何?」

ナルトの前にしゃがんだカカシに、ナルトが言った。

「知りたい?」

「・・・わかんない・・・怖い」

そう呟いて震え始めたナルトの手を、カカシは握った。

「オレは、今のお前に教えるには早いと思ってる」

「うん・・・でも・・・」

「大丈夫。お前が望まなければ、あいつは来ない」

それに、とカカシは周囲を見回した。

「普段は、お前もここまで来ないでしょ?」

どこまでも白いナルトの精神の深層に、二人はいた。

ナルトの精神と、封印された九尾に、物理的な距離は無い。表裏一体でもあり、永遠に離れているとも言える。

二つの間の距離を作るのは、今カカシの目の前にいる、ナルトの深層心理、心そのものだ。

自我の弱い幼子の時は、四代目の封印の力がナルトから九尾を隠していた。

だが、成長するにつれて、ナルトの精神は、強く大きく広がった。四代目の封印を超えて、隠されていた九尾の檻を知ってしまった。

恐らく、四代目は望んでいたのだ。自分の息子が、自分が命と引き換えにした禍々しい獣の力を従える強さを持つ事を。だから敢えて不完全な封印を施し、その存在をナルトの深層心理に自覚させた。

危険な賭けだ。

己の存在を知ったナルトの心を、九尾は利用しようとする。ナルトに生まれた大きな負の感情を誘惑した今回のように、隙あれば、己を閉じ込める檻を破ろうと画策している。

封印を破り、ナルトの精神を喰えば、九尾は自由を得る。それは、木の葉のみならず世界を破滅に向かわせる。

それでも、四代目は。

「・・・・・・」

ふいに、血の気が下がる感覚に似た寒気を覚えて、カカシは時間が無い事を思った。

ナルトの震えが治まったのを確かめて手を放し、その腹の術式に向って印を結んだ。ナルトが眼を見開いて見守る中、カカシは力を集めたその手をナルトの腹に当てた。

精神だけでナルトの内側に入り込み、己のチャクラを使って直接封印を強化する。

三代目が苦渋の選択だと言ったこの方法は、成功すれば確かに効果は高いが、入り込む側のカカシの負担が計り知れなかった。

三代目のバックアップがあるとは言え、別の人間の心に入るだけでも相当の精神力が必要とされる。しかも、本来精神を働かせるエネルギーであるチャクラを使って術を施せば、ナルトの中で、カカシが己の精神を保てなくなる恐れがあった。

それでもカカシは、迷いなくナルトの中へ潜入する事を選んだ。封印の強化の他に、もう一つ、理由があった。

カカシのチャクラに反応して、ナルトの腹の術式が激しく明滅した。カカシが手を離すと、術式の文字は一度大きく光を放った後、腹の中に沈み込むように消えた。

書き加えられ、補強された術式は、更に強くナルトを守るだろう。

そして、この術式以上に、ナルトを守るものがある。カカシは口を開いた。

「信じてあげて」

真っ直ぐ、目線を合わせた。

「しんじる?」

「イルカ先生はお前の事を、誰よりも何よりも大切に思ってる。その気持ちを、信じてあげて」

ナルトはじっとカカシを見返した。

「しんじるって、なに?」

青い瞳は、ひたすらに答えを求めていた。

「おれ、よく分かんないってばよ。しんじたら、イルカせんせいは、おれとずっといっしょにいてくれるの?」

カカシはナルトの頭をそっと撫でた。

「オレも昔は、信じるって事が分からなかった」

「今は分かるの?大人になったら、おれにも分かる?」

縋り付くような言葉に、カカシは微笑んだ。

「大人になっても分からない奴は沢山いる。オレは、オレを信じてくれる人と出会って初めて、誰かを信じるって意味が分かった」

「・・・おれを、信じてくれる人・・・」

「お前にはもういるだろ?」

暗かったナルトの表情に、微かに、光が差した。

「イルカ先生は、お前に嘘ついた事ある?」

「・・・ない」

「イルカ先生は、嘘をつかない。それを知っていることが、信じるって事」

カカシの言葉を、ナルトは必死に理解しようとしていた。

「イルカせんせいはうそつかないって、おれ、知ってるってばよ」

「だったら、後は、お前の気持ちだけ」

ナルトは悲しげに視線を伏せた。

「・・・やっぱり、よく・・・わかんないってばよ」

「今は、まだ、いいから」

カカシは、そう微笑んでナルトの頭をそっと撫でた。

与えられる事にまだ慣れない、寂しい子。でも、優しいお前なら、きっとすぐに分かる。

「よく、わかんないけど・・・けど・・・」

伏せられていた顔が、ゆっくりと上げられた。

「イルカ先生が、おれを守ってくれるように・・・おれも、イルカ先生を守りたい」

その小さな手が、何かを掴んだように、力強く握り締められる。孤独に怯え震える幼子だったその瞳に、確かな決意が宿る。

「強くなって、おれを信じてくれる人を、守りたい」

そう言って、初めて笑顔を見せたナルトの頭を、カカシはそっと撫でた。

その願いが、何よりもお前を守る。お前と、お前が大切にするすべてを守る。

カカシの願いを、ナルトは、確かに受け止めた。

 

 

 

待っている。

 

 

 

少し先の未来で、お前を、待っている。

 

 

 

三代目の許可を貰ったナルトが、およそ十日ぶりにアカデミーに登校した時、クラスは丁度校庭で実技演習中だった。

校庭に姿を見せたナルトを、イルカは笑顔で呼び寄せた。

「もう、体は大丈夫なのか?」

「全然平気、だってばよ・・・」

駆け寄ってきたナルトは、自分を見つめるクラスメイトの視線に理由の分からない棘を感じて、居心地悪げに口籠った。

ナルトの欠席の理由が病気だったというのは表向きで、本当はイルカの額に怪我を負わせた罰を受けていたらしいという噂が、クラス中に広がっていた。

だが、

「お前が病気なんて、どうせ、腐った牛乳でも飲んだんじゃねえの?」

そう言ったのは奈良の息子だった。

「ナルトは、食い意地はってるからな」

それを受けた秋道の息子の言葉に、生徒達の間に笑いが起こった。

「おれは腐った牛乳じゃ病気にならないてば!それに、チョウジにだけは言われたくないってばよ!」

ナルトの反論に、

「僕はデブじゃない!愛すべきぽっちゃり系だ!」

「どっちでも同じだってばよ!」

「全然違う!」

「あー、お前らめんどくせえ」

次の瞬間、騒ぐ3人の頭に、ごつごつごつ、と拳骨が落ちた。

「お前達、いい加減にしろ」

授業中だ、と叱るイルカに、だってこいつが、と互いが互いを指指して、更にもう一発ずつイルカから拳骨を見舞われた。

「・・・元気は有り余っているみたいだが、ナルト、お前一応病み上がりだ。無理するなよ」

心配気に顔を覗き込んだイルカに、

「大丈夫だってばよ」

そう言って、ナルトは胸を張った。

「イルカ先生、おれ、頑張って強い忍になるってばよ」

決意を告げるナルトに、イルカは驚いたように眼を見開いた。

「強い忍になって、絶対、火影になるんだってばよ」

「・・・火影に?」

うん、と頷いて、晴れやかに笑う。

「強い火影になって、木の葉を、皆を、守るんだってばよ!」

そう言って、里を見守る岩壁を真っ直ぐ見据えるその眼差しは、眩しいほどに力強かった。

・・・もう、大丈夫だ。

カカシは、アカデミーの屋上からその様子を見守っていた。

深層心理で会ったカカシの事を、ナルトは覚えていない。だが、カカシの願いを受け止めたその心は、確かに、強く輝きを増していた。

今度九尾と対峙する時は、恐らく、ナルトが忍として成長した時だ。それは、四代目の遺志でもある。その時、再びナルトの側にいてやれれば。

授業が再開したらしい。子供達が、順番に、的に向かってクナイを投げ始めた。

「投げるタイミングが少し早いんだ。それに、投げる瞬間まで的から目を離すな」

美しく的確な所作で、イルカが子供達に見本を見せる。その様子を、カカシはじっと見守った。

カカシに向けられる事のないその黒い瞳を思った。名を呼ばれる事のないその低く柔らかな声を、触れる事の許されないその温かな指を思った。

胸が苦しい。何よりも大切にしたい存在を傷つけた罪は、いつか、と願う事さえ、許されない程重い。

それでも、イルカが、ナルトと共にこの里で生き、笑ってくれるからこそ、自分は、この茨の道を選べたのだ。

きっと、永遠に、あなたを想っている。

眼に見えるすべて、心に思い浮かぶすべてを記憶に刻みつけると、カカシはその足で三代目の元へ向かった。

「いいのか?」

沈んだ声で問うた三代目に、カカシは黙って頷いた。

もう、決めた事だった。

志願した里外任務に、期限は無かった。

今度いつ、里に戻れるかは分からない。二度と里へは戻れない可能性もあった。

出立は、明日の早朝の予定だった。

 

 

 

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