5.

覚えている。

「僕を恨むかな」

そう言った四代目の眼差しが、表情が、この上もなく優しかった事を。

「こんなに小さなお前を守ってやれない僕を、お前は恨むかな」

この小さな部屋の中にも、煙と血の匂いは充満していた。

近く、遠く、悲鳴と怒号が響き渡り、地と空を揺るがす獣の咆哮が耳を裂く。

だが、周囲の状況など知らぬ顔で真白い包みに包まれて静かに眠る息子と、生まれたばかりの我が子を腕に抱く四代目の姿は、血色の世界の中で、どんな親子よりも幸せに見えた。

「お前は、どんな風に歩くんだろうな」

我が子のふっくらした頬を指先でつつき、四代目は穏やかに微笑んだ。

「走るのは速いかな。どの印を最初に覚えるかな・・・あ、忍にはならないって言うかもね」

見たかったなぁ、という呟きは、四代目が初めて零した未練だった。

「お前の泣き顔を見たかったよ」

怒った顔も、拗ねた顔も。

「それから、一番、お前の笑顔を、見たかった」

小さな部屋の外、地響きのように、獣が吠える。その度に、大切な同胞の命が掻き消える。

カカシ、と四代目が呼んだ。

「ほら、かわいいだろ」

近寄ったカカシに、四代目は息子の顔を見せた。赤子の健やかな寝顔は幾許かの安らぎを呼び、それを見つめる四代目の静かな表情は、胸が苦しくなる程の切なさを生んだ。

「僕はね、奥さんに似てると思うんだ。性格も似てたらきっと、手に負えない悪戯小僧になるね」

四代目の腕から、カカシの腕へ、命の重みが渡される。

「できるだけ起こさないようにね。泣くと凄いんだ」

「・・・それは、約束できない」

蝋燭の明かりに照らされた小さな部屋の床一面に、四代目は陣を描いていた。

その中央、術の力が集束する場所で、赤子は父親から、その命を賭けた願いを受け止める。

 

「じゃあ、いい子でね」

 

そう囁いた声が、四代目が息子に向けた、最後の言葉だった。

 

 

 

我が子を頼むとは言われなかった。

 

ただ、言葉より確かな信頼がこの腕の中にある事を、カカシは、歩み去る四代目の背中に感じ取った。

 

 

 

三代目の屋敷の奥、二重三重の結界を施した部屋に、ナルト達を内包した局地結界は運び込まれた。

カカシと暗部が警戒する中、三代目の解術と同時に、中空に浮かぶ局地結界の下部に裂け目が入った。結界内部に満ちる拘束液に塗れたナルトとイルカが、ぼとりと落下する。

「怪我をしているぞ」

イルカに抱きかかえられたナルトの顔が、鮮血に染まっていた。

「――いや、イルカだ」

イルカの額に大きな裂傷が走っていた。その血がナルトの顔に滴っていたのだ。

「九尾に飲み込まれかけたナルトが、イルカに攻撃した」

イルカの青白い顔色に、カカシの心臓が痛い程に冷えた。

「護衛の対処があと僅かでも遅れていたら・・・」

「呼吸は?」

「二人とも安定している」

「早く、治療を」

気を失ったイルカの腕は、ナルトを抱いたまま、中々解けなかった。

その後すぐにイルカは意識を取り戻し、術で眠らされていたナルトも、一時間程で眼を覚ました。

目を開けたナルトは、不安気に周囲を見回し、傍らで見守るイルカに気付くと、安心したように息をついた。

「ここ、どこ?イルカ先生」

「三代目のお屋敷だ」

「おれ、何でここにいるの?」

記憶が無いらしい。イルカは、布団を握り締めるナルトの顔を覗き込んだ。

「大丈夫だから。後で、ちょっと、三代目に体を診てもらおうな」

「でも・・・」

「診察が終わってひと眠りしたら、一楽のラーメン、出前してもらうか」

普段通りのイルカの笑顔に、ナルトも表情を緩めた。

「一楽のラーメンは、カウンターで食べるのが一番だってばよ!」

「じゃあ、止めとくか?」

「いや食べる!食べる!」

起き上がり、身を乗り出したナルトの頭を、イルカは愛おしそうに撫でた。

「あれ、イルカ先生、おでこ、怪我した?」

イルカの頭に巻かれた白い包帯を、ナルトは心配気に指した。

「・・・あぁ、ちょっと、転んでな」

「情けねえな先生。それでも忍かよ!」

「うるせえな」

小突かれた額を痛てえと笑うナルトに、イルカも朗らかな笑顔を向けた。

 

「なぜですか?」

結界の外から二人の様子を見つめながら、カカシは隣に立つ三代目に問うた。

「なぜ、ナルトの封印が?」

三代目は思い当たっているはずだ。苛立ちを隠しながらカカシは続けた。

「何か、ご存知なんでしょう?」

暫くの沈黙の後、三代目は口を開いた。

「ナルトは、この里でたった一人、自分を愛してくれる者を失うかもしれないと、怯えておる」

思いがけない言葉だった。

「その精神状態が、封印に影響しておるんじゃろう。今まで無かったことじゃ」

ナルトとイルカ、笑い合う二人を見守る三代目の瞳に浮かぶのは、哀しみだった。

「イルカは、ナルトを心から慈しんでおる。自分が失った両親に与えられた愛情を、親を知らぬナルトに注いでやりたいと、迷いながらも、必死にナルトを守っておる」

じゃが、と三代目の細い目が、カカシを見上げた。

「イルカに、想う相手ができた」

カカシの胸が、暗く騒いだ。

「ナルトの手が離れるまでは恋愛など考えられないと言っておったが、本気で惚れてしまったら、そんな理性など簡単に吹き飛んでしまう。元々情が深くて、不器用な男じゃ。気持ちを隠す事はできても、無かった事になどできる訳がない」

ナルトは、僅かでも、イルカの心が自分から離れるのを恐れておる。

「無理もない。イルカは血縁でも何でもない。言うなれば赤の他人じゃ。いつ嫌われてもおかしくないと、ずっと心のどこかで思っておったんじゃろう」

「イルカ先生は、そんな人じゃない」

鋭く否定したカカシに、三代目は、そうじゃな、と頷いた。

「イルカのナルトに対する気持ちは変わるまい。じゃが、ナルトは不安なんじゃよ。体を張って守ってくれるイルカが、いつ、他の里人と同じように石を投げる側に回るかと。それ程、ナルトの孤独は深い・・・儂の力不足じゃ」

ナルトに見せるイルカの笑顔。その笑顔が欲しかった。それが意味する重みも知らずに。

「イルカの愛情を独占したいと願うナルトを、責める事はできん。お主に、心底惚れてしまったイルカもな」

今までの三代目の言葉が、態度が、すべて腑に落ちて、カカシは、叫びたいような衝動に駆られた。

「どうする?」

三代目の問いは、残酷だった。

どうする?

「それを、オレに問うんですか?」

命じればいい。

いつものように。

里の為に。

命を掛けて里を守った四代目の遺志の為に。

そうとしか、カカシは、生きられない。

 

 

 

翌日、傷を額宛で隠して、イルカは普段通りアカデミーで教鞭を取り、受付の業務に就いた。

一日の仕事を終えて帰宅するイルカは顔色が流石に悪く、カカシの胸は堪らなく痛んだ。それでも。

「イルカ先生」

声を掛けると、どうしたんですか、と驚きながらも笑顔を見せてくれる。カカシは言った。

「前に、イルカ先生、言ってたでしょ。好きな人や恋人と、した事無いって」

恥ずかしいな忘れて下さいよ、とイルカは苦笑した。

「あれ、オレじゃ駄目ですか?」

「え?」

「オレじゃ、イルカ先生の、好きな相手には、なれない?」

イルカの表情が一瞬固まり、それから、信じられないというように、その眼が見開かれた。

「オレは、イルカ先生の事好きですよ。セックスしたいって思う位」

あなたと、あなたが大切に思うナルトを守る為なら、例え一生憎まれようと蔑まれようと構わないと思う位。

「・・・本当、に?」

イルカの声は震えていた。

見開かれていた黒い瞳が、ゆっくりと弧を描く。

「嬉しいです。凄く」

手を伸ばし、カカシはイルカの頬に触れた。

その温かさと愛しさに、胸が詰まった。

 

 

 

たった一晩、あなたを抱いて。

 

その一時に、すべての想いを込めて。

 

あなたを守る為に、オレは。

 

あなたを、永遠に拒む。

 

 

 

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