8.

まだ夜明けきらぬ里を、カカシは、阿吽の門に向って歩いていた。

里が目覚めるのはまだ先だ。道に行き交う人影は無く、気の早い鳥がどこかで鳴く声だけが、しじまに細く響いている。

足元には夜が残っている。その中を行く自分の歩みを、カカシはじっと見つめていた。

任務の派遣先は、依頼主である小さな島国が、長く隣国に攻めこまれ続けている戦場だ。なけなしの国家予算を投じて木の葉に助けを求めてきたその国を助けて、敵を退け、その後も疲弊した国力の建て直しにあたる事になっている。

一国の命運が自分にかかっている。だがカカシに事実以上の自負も感慨も無い。余計な感情は任務遂行の邪魔になるだけだ。

カカシの心を揺らすのは、この世界にただ一人。忍としての生き方さえ投げ捨ててもいいと思うのは、ただ一人。

ナルトの為、イルカの為、里の為、自分が選んだ道に後悔は無い。木の葉の忍として、選ぶべき選択をした。

それでも、心は、軋むように痛み続ける。

誰よりも大切にしたいと思いながら傷つけた。寄せてくれる想いを酷い方法で切り捨て、イルカを完全に拒む為に、こうして里を離れる。

永遠に失ってしまった。もう二度と、その存在を請うことは許されない。そう思う度、激しい情動に理性が飲み込まれそうになる。

もし、今、この足をイルカのアパートに向けて、眠る彼を攫って、逃げてしまえたら。

暗く浅ましい想像に、カカシは唇を歪めた。自分でも慄くほどのこの恋情と、里を抜けナルトを捨てたという大罪を犯した地獄の間にイルカを閉じ込めて、最後の瞬間まで縛り付けておけたなら、自分はどれ程に幸福だろう。

それでも。

忍として進むこの歩みは、止まる事無く門へと向かう。行くべき道は、一つしか無いのだから。

顔見知りの門番が寄こす挨拶に小さく返して、カカシは巨大な門の前に立った。

ゆっくりと重々しい音を立てて、門が開く。早朝の瑞々しい風が吹き込んで、カカシの銀色の髪を揺らした。

きっと、時が解決してくれる。地平へと続く道を見つめ、カカシは思った。

遠く離れれば、逢わなければきっと、この狂おしい感情にも折り合いがつくだろう。イルカにも平等に時は流れる。今度この門をくぐる頃には、カカシを忘れたイルカが見つけているかもしれない幸せを、笑って願える自分になっていられればいい。

あの夜、あの時、イルカは確かにカカシを好きだと言ってくれた。その言葉だけで、きっと、この先を歩いて行ける。イルカに対する全てを諦めたカカシの、それだけが、唯一の拠所だった。

走り出す為に、カカシは地を蹴った。同時に、想いも未練も心の奥底に封印する。

今回の任務で率いる部隊は、先に任地へ向かっている。出来るだけ早く追いついて、現地到着と同時に参戦できる準備を整えておきたい。そう考えながら、足を速めようとしたその時だった。

背後に、気配が現れたのを感じた。

里中からこちらへ迷い無く向かってくる。その気配が誰のものかを理解した瞬間、カカシの息が止まりそうになった。

心臓が大きく脈を打ち、思わず足が緩んだ。気配は瞬時に近付き、カカシの数メートル後ろで立ち止まった。

予想もしていなかった、そして、決して間違えようの無い声が、カカシを呼んだ。

「カカシさん!」

どうして。

今まで止まる事の無かったカカシの足が、その声を聴いた瞬間、固まったように動かなくなった。どうして、イルカが、ここに。

「・・・許可無く里外へ出るのは、禁止されているはずです」

振り返りたいという衝動を抑えるのが精一杯だった。カカシの堅い声に、イルカは一瞬身を震わせたようだった。

「・・・三代目が、教えて下さったんです」

傘の下で、いいのか、と問うた老人の眼差しを思い、カカシは内心舌を打った。余計な事を。

「・・・大切な任務の前に、弁えない事をしているのは分かっています。ですが・・・俺に少しだけ、お時間を頂けませんか?」

本来なら、否と立ち去るべきなのかもしれない。だが、カカシの両足は、地に縫い付けられたように動かなかった。

「カカシさん」

振り返らぬカカシの背に、イルカが呼びかけた。

「俺は、待ちます」

あの子が、もっと、強い心を持てるまで。そう、イルカは言った。

「火影になると誓ったあの子が、真っ直ぐな気持ちで、今まで自分を虐げてきた者達も含め、この里で生きとし生けるものすべてを守ると、願えるようになるまで、俺は、待ちます」

その時、もう一度。

「俺は、もう一度、あなたに」

「オレは、あなたを傷つけました」

イルカの言葉を遮るように、カカシは言った。

「あなたの想いを傷つけて・・・あなたを辱めた、最低の男です」

「違います」

力強い否定が、カカシを揺らがせる。自分の行為を思えば、許されるべきでは無いと思っていたのに。

「俺も、最初は、あなたを憎んだ。酷い人だと、憎もうと、蔑もうと思いました」

でも、できなかった。イルカの声が、微かに震えた。

「カカシさん。あなたを好きになったのは俺です。あなたがどんな人間であろうと、俺は、あなたが好きだ。それは、俺には、もうどうしようもないんです。そして、あなたにも、俺の気持ちを変える事はできない」

凪のように静かな声音で紡がれる、炎のように激しい告白。

イルカの言葉に貫かれて、封印したはずの感情が、カカシの中で堰を切ったように溢れ出した。

「それに、あなたは、誰よりも里の事を考えて、里の為には自分を傷付ける事も殺す事も厭わない、優しくて気高い人だ。俺には、その事実だけで十分です」

鮮烈な想いに目が眩んだ。

振り返り、その体を抱き締めたい。

捧げてくれるその想いを、言葉だけでなく、イルカという存在そのもので感じ取りたい。

全部が欲しい。その心も体も未来も何もかも、余すところ無く欲しい。その渇望を、カカシはただ、目の前に続いている道を見つめる事で、必死に押さえ込んだ。

「だから、俺は待ちます。ナルトの成長を」

イルカの声は、どこまでも真っ直ぐだった。

「そして、あなたを、待ちます。あなたが戻ってきた時、もう一度、俺はあなたに告げます。好きだと、伝えます」

唇を噛み締めながら、カカシは首を振った。

「・・・そんな約束は、しないで下さい」

イルカの為だ。そんな未来を聞いてしまったら、カカシはもう絶対にイルカを諦められなくなる。

「約束じゃありません」

イルカの声が、泣き笑いのように震えた。

「言ったでしょう?もう俺には、どうしようもないんです。あなたしかいない。約束なんて、生易しいものじゃないんです」

あなたには迷惑でしょうけれど。弱々しい、呟くような声に、胸が震える。

「申し訳ありません。でも、想うだけは、どうか許して下さい」

イルカが深く頭を下げたのを感じた。そうさせてしまう自分を、それでも、待ってくれるというのか。

「・・・聞いて下さって、ありがとうございます」

「・・・・・・」

「お会いできて、よかった」

ナルトの為、イルカの為、里の為、自分が選んだ道に後悔は無い。木の葉の忍として、選ぶべき選択をしたと思っていた。

今も、間違ってはいなかったと思う。けれど。

イルカの言葉に、自分を縛っていた何かが、縛られていたと気がつかなかった何かが、解けていくような気がする。

目の前に続く、道。

例え茨生い茂る険しい道であったとしても。

「どうか、お気をつけて」

振り返らぬカカシの背に捧げられる、優しく力強い言葉。

「ご武運を、お祈りしています」

その言葉に押されるように、カカシは、ゆっくりと歩きだした。

 

空が、道が、滲む。

 

行くべき道は、ただひたすらに見えぬ場所へと続いている。

けれど、選んだこの道の先に、確かに明るい未来があると信じられるのは、あなたがいるからだ。

挫けず、迷わず。どれほど時間がかかっても、必ずそこへ辿り着くから。

だからどうか。

大切なあなた。

照らして下さい。

この、あなたへの道を。

 

 

 

小さな鳥が、軽やかに囀りながらカカシを追い抜いた。

その金色の羽をした小鳥の後を、数羽の鳥が追い掛けるように飛んで行く。

その様子に、何故か、遠くない未来が見えた気がして、カカシは目を細め、鳥達が飛ぶ先を遠く見遣った。

 

 

 

完(07.02.15〜09.04.22)

 

 

 

大変お待たせしました。60000打のキリリク完結いたしました。

リクエストの内容は、『イルカを守る為にイルカに憎まれるカカシ』です。

ですが、イルカがカカシを憎む、というのがとても難しく・・・、

リクエストのメールにあった「耐え忍ぶカカシ」で書かせていただきました。

東城さま。遅くなって申し訳ありません。少しでも楽しんでいただけると幸いです!

 

 

 

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