6. 城門は開かれていた。馬をナルトに任せ、屋敷の玄関を叩く。 扉を開いたのはサスケだった。カカシの顔を一瞥するときつく眉根を寄せたが、何も言わず奥へと歩き出した。 案内された居間は、古めかしい調度品で設えられ、暖炉からぱちぱちと炎が爆ぜる音が聞こえた。部屋の中央のテーブルの上、トレイに乗せて指輪が置いてあった。サスケはやはり何も言わないまま、部屋を出て行った。 奥の壁際に衝立が立てられていた。その向こうに気配が立った。 「その品で、間違いないでしょうか?」 久しぶりに聞く声に胸が震えた。どれ程この声を渇望していたか改めて思い知らされた。 「はい」 カカシは、衝立の下に見える古びたブーツに向かって言った。 「オレは随分、あなた達に迷惑をかけてしまいました」 「いいえ」 「命を助けて貰って、怪我の手当ても、生活の面倒も看てくれたのに、碌に礼を言わず・・・ごめんなさい。本当に、ありがとうございました」 「いいえ」 短い返答は、カカシを拒んでいるようで胸がひりついたが、自業自得だと思った。 カカシは、大きく息をついて、心に決めていた言葉を告げた。 「イルカ先生。どうか、オレをここに置いてくれませんか」 沈黙。だが、イルカが驚いている気配が手に取るように分かった。 「ナルトやサスケのように、あなたの役に立ちたい。オレに何ができるのかは分からない。でも、何でもするから」 「馬鹿な・・・っ」 発せられた声は、聞いている方が切なくなるような動揺した声音だった。 「馬鹿を、仰らないで下さい。どうして、あなたのような方が」 「ここに、あなたの側に、いたいんです」 「どうして?街には、裕福で何不自由ない暮らしがあるでしょう?豪華な衣装も、温かな住まいも、豪勢な料理も、ここにはない」 「でも、街には、あなたがいない」 はっと、息を詰めたような沈黙。 「オレが一番欲しいのは、あなたです」 胸にある想いをすべて込めて、カカシは告げた。 「あなたが、好きです」 生まれて初めての告白だった。 イルカの元を去った時身を引き裂かれるような悲しみを感じた。遠く離れても想いは色褪せる事無く更に深く強くなった。それは、まるで半身を求めるようにイルカに惹かれていたからだ。彼の傍らが自分の本当の居場所だと迷いなく思えた。 同性同士だ。嫌悪の言葉で拒絶されても仕方ないとカカシは覚悟を決めていた。それでも伝えずにはいられない、その重みだけでも伝えたかった。 だが、 「残酷だ」 投げつけられた言葉にカカシは驚いた。イルカの声が震えている。 「泣いているの?」 思わず、二人を隔てる衝立へ一歩を踏み出した。 「来ないで下さい!」 悲痛な声が、どうか、と訴える。 「どうか、俺を・・・好きだと仰って頂けるなら、どうか、このまま、お帰り下さい」 「どうして?あなたはオレを嫌いですか?」 「・・・お願いです・・・どうかこのまま・・・」 「何が、怖いんですか?」 二人を隔てる衝立に触れた。この向こうに、イルカがいる。欲しくて堪らない魂が。 カカシがすぐ側まで近寄った事を悟ったイルカが、怯えたように叫んだ。 「・・・俺は、あなたに嫌われたくない・・・っ」 カカシが望む言葉を告げるイルカは、それでも切なくカカシを拒む。 「あなたを好きだと言っているのに?それを、嘘だと?」 イルカを慰めたい。その胸にある不安を取り除きたい。カカシは心を決めて、衝立の背後へと回った。 イルカは、室内だと言うのに長いコートを羽織っていた。項垂れた頭にフードを深く被っている。背格好はカカシと変わらない、しっかりとした男の身体だ。 フードに触れると、イルカはびくりと大きく身体を揺らした。カカシは、その硬い手触りの布を、そっと、まるで花嫁のベールを外すように後ろへ捲くった。 そこにあったのは。 「・・・・・・」 驚きに言葉を失ったカカシの視線から逃げるように、イルカは更に深く俯いた。 「・・・あなたの婚約者には、悪い事をしました。驚かせるつもりはなかったんですが」 長く5人だけで暮らしていたのでうっかりしていました、とイルカは小さな声で続けた。 「俺の姿に・・・彼女は驚いて、夜の森へ逃げ出してしまいました。ナルトと追い掛けて、気を失った彼女を村に運んだのですが・・・彼女は、無事に街に帰る事ができましたか?」 問いかけながら、イルカはカカシの言葉を待っていた。拒絶を予感しているのだろう、痛々しい程に震えている。 繊細な光を湛える黒い瞳。秀でた額から続くなだらかな鼻梁を、血色の傷が横切っていた。頬から顎にかけての顔の下半分が前面に丸く突き出て、鼻の下から薄い唇へと続いている。顔全体が短い金色の毛に覆われ、肩の下まで伸びる黒髪がそれを包んでいた。 確かに、人の顔ではあった。だが同時に、獣の顔でもあった。 イルカの言動すべてが、腑に落ちた。その頑なな拒絶の真意も。ナルトの、そしてサスケの憂慮も。 カカシは口を開いた。 「あなたの外見で、オレがあなたを嫌うとでも?」 心に垂れこめていた雲が晴れた気がした。イルカは弾かれたように顔を上げ、微笑んだカカシを見て、信じられない、とでも言う様に首を振る。カカシは子供に言い聞かせるように優しく、しかし断固として続けた。 「オレは、あなたの姿を知らないままに恋に落ちたんです。だから、あなたの容姿がどうであろうと今更関係ありません」 それに。カカシは目を細めた。イルカの姿を見た瞬間、呼び起された記憶がある。幼い頃、異国の使節団が珍しい獣達を連れてきた。父に連れられて見物したその中に、カカシの心を奪った大きな獣がいた。 その獣は、豊かな金色のたてがみと力強くしなやかな体躯を持っていた。知性と哀しみを湛えた瞳でカカシを見返し、小さな檻に押し込められながら、どこまでも気高く美しかった。 百獣の王。幼いカカシを魅了したその姿をイルカは彷彿とさせた。 綺麗だ。思わず呟いたカカシに、 「俺は・・・醜い化物です」 細い声で、イルカは言った。 「馬鹿を言わないで」 カカシは首を振った。その手を伸ばしイルカの頬に触れる。柔らかい手触りはまるで天鵞絨を撫でているようだ。 「あなたが、好きです。イルカ先生」 ふ、とイルカの唇から切ないため息が零れた。聡明な瞳が頼りなく揺れる。 「どうか、答を下さい」 王にかしずく騎士のように、カカシはイルカの前に跪いた。 すべてをかけて許しを請う。 「あなたに、キスをしてもいいですか?」 これから先、あなたの隣で生きていいですか? そしてカカシは、言葉で聞く前に、イルカの黒い瞳から頬に伝う涙で、その答えを知った。 そして、月日は巡り。 エピローグ 激しい吹雪の夜でした。 一人の旅人が、深い森で道に迷っておりました。 どれ位歩き続けていたでしょうか。目も開けていられない程に吹きつける雪と凍える寒さの中、旅人の体力は限界に近付いておりました。それでも、立ち止まって座り込んでしまえば、もう二度と立ち上がれないと分かっておりましたから、一歩、一歩と精一杯足を前に踏み出しておりました。 ふと顔を上げた旅人は、闇の中に、雪に埋もれた大きな門を見つけました。両脇に続く柵の向こう側に、明りらしきものが瞬いているように見えます。希望が、旅人の胸に灯りました。 門扉は難なく開きました。奥に建つのは大きなお屋敷のようです。吹き付ける風に足をよろめかせながら玄関に辿り着いた旅人は、重々しい飾り金具のついた扉を叩き、声をふり絞りました。 「こんばんは。どうか、一夜の宿をお願いできませんか」 返事はありません。吹きすさぶ風の音にかき消されたのかもしれません。 「馬小屋の隅で構いません。どうか、お願いいたします」 ふいに、扉が内側へ開きました。現れたのは黒髪の青年でした。青年は旅人の様子に驚いた表情を浮かべましたが、何も言わず、旅人を中に招き入れました。 ホールは暖かく、旅人は安堵の息をつきました。雪にまみれた防寒具が足元に水たまりを作ります。 と、奥のドアが開いたかと思うと、 「帰って来た?」 「お土産は?」 「違うよ〜」 「何だ、アスマじゃないじゃない」 「紅先生は?」 「こら、おまえら失礼だ」 十歳程の子供達が次々に姿を現して、旅人の周りに集まってきました。兄弟には見えない個性的な子供達の、その賑やかさに旅人が面喰らっていると、 「こんな吹雪の夜に、どうなさいました?」 涼やかな声が聞こえました。 見上げると、ホールの奥にある階段の上に、男が立っていました。銀色の髪に、はっと息を飲む程端正な顔立ちです。左目を塞ぐように大きな傷が縦に走っておりますが、それが男の秀麗さを更に際立たせておりました。 じい、と旅人を見降ろす風格はこの城の主と思われます。旅人は丁寧に頭を下げました。 「お騒がせして申し訳ありません。今晩中に森を抜けようとして、道に迷いました」 「無謀ですね」 美しい顔立ちは、酷薄な表情を浮かべるとまるで氷のようでした。思わず旅人が顔を伏せますと、 「カカシさん」 どこからか、嗜めるような声がしました。銀色の髪の男は、分かってます、と答え、 「どうぞ、奥へ。身体を温めないと」 「ありがとうございます」 「礼は主に仰って下さい」 最初に扉を開いた青年に案内されたのは、温かな居間でした。暖炉には赤々と炎が灯っております。金色の髪の青年が現れ、旅人の濡れた衣類を広げ、暖炉の脇に手際良く干してくれました。 旅人が入って来た扉の、反対側の壁にも扉がありました。しかしその前になぜか、衝立が立てられています。 「どうぞ。冷えているでしょう?」 用意された沢山の毛布にくるまって暖炉の前に腰を下ろした旅人に、春の花のような髪の少女が、琥珀色で芳しい飲み物を差し出しました。口にすると冷え切った体が、じん、と温まります。 「お食事は?」 「どうぞ、お気になさらないで下さい」 「遠慮は無しよ?夜は長いんだもの」 そう笑って、少女が台所に向かうと同時に、衝立の向こうに人の気配がしました。 「ようこそ。こんな森の奥で、十分なもてなしはできませんが」 聞こえてきたのは男の声でした。張りのあるその声音は、弦楽器の音色のような優しさに満ちていました。 「いいえ。こんな温かな部屋で過ごせるだけでありがたい事です」 衝立の袂に、先程の銀髪の男が姿を見せ、言いました。 「この城の主です。事情があって、姿をお見せする事ができない無礼をお許し下さい」 先程の少女が湯気の立つ皿をトレイに運んで来ました。 旅人の目の前に並べられた食事は、豪華ではありませんが温かな真心が込められておりました。朝から何も食べていなかった旅人の臓腑に染み渡ります。 「・・・腹減った」 旅人の様子を見守っていた子供の一人が呟きました。 「さっき食べたでしょ?チョウジは食べ過ぎ」 「だって・・・」 「チョウジは食べ過ぎ。これ以上太ったら着る服が無いんだからね」 子供同士の微笑ましいやり取りに旅人の心が緩まります。 大勢の子供達と二人の青年、銀髪の男と、主。古く大きなお屋敷は、暖かく優しい空間でもありました。 旅人の食事が落ち着くのを待って、主が言いました。 「食事と宿の代わりと言っては何ですが、よろしければ、旅の話をして頂けませんか」 「え?」 「実は、もうすぐこの二人が旅に出るのです」 玄関の扉を開けた青年と、旅人の衣類を乾かしてくれた金色の髪の青年が、旅人の隣に腰を下ろしました。趣は違いますが、二人とも目を奪う程の美丈夫です。 「ただ、二人とも、子供の頃からこの城を離れた事がないのです。社会との関わりを持たずに育ったので、世間を知りません。どんなお話でも構いません。是非お願いします」 子供達も旅人の周りに集まってきました。 旅人は、病気の恋人の為に遠く東の国を訪ね特効薬を手に入れた帰りでした。東の国は特殊な文化が根付いており、見るもの聞くことすべてが珍しかった事、怪しげな商人に騙されそうになった事、気難しい女王の無理難題に答えて何とか薬を手に入れた事。興味津々といった様子で目を輝かせる子供達の可愛らしい質問に答えながら、旅人は訥々と話しました。 話に一区切りがついた時、衝立の向こうから主の声が聞こえました。 「申し訳ありませんが、私は先に休ませて頂きます。どうぞ、お構いない時間までお話を続けてやって下さい。お前達、夜更かしは今日だけだからな。サクラ、頃を見て二階の寝室にご案内して」 「はい、イルカ先生」 「明日はご挨拶する事ができませんが、旅のご無事をお祈りしております」 近くの村まで誰かに送らせると言う主に、旅人は心底恐縮しました。 「こうしてお屋敷に招き入れて下さった上、温かい食事でもてなして下さって、感謝の言葉もありませんのに、そこまでして頂く訳には・・・」 「この屋敷は少しばかり分かりにくい場所にあります。また、迷いかねませんよ」 銀髪の男が言いました。 「この吹雪の中、あなたがここに辿り着けたのは、とても幸運な事なのです。きっと、あなたの無事を祈る恋人の願いが天に通じたのでしょう」 感謝なさるならどうぞあなたの恋人に。そう笑う主の声は温かく旅人の心に響きました。 「早く、恋人の元へ戻れるとよいですね」 銀髪の男が、衝立の向こうのドアを開きました。 立ち去る主の後姿がほんの少し垣間見えましたが、銀髪の男がまるで庇うように付き従い、扉は静かに閉まりました。 「そんな顔しないで」 銀髪の男は、何よりも誰よりも大切な主に言いました。 「ナルトとサスケが旅立ったって、まだまだ面倒看なきゃいけないチビ達が沢山いるんだから。アスマと紅も、もうじき帰ってくるみたいだし」 それに。 オレが、いるでしょ? どこへもいかない。 ずっとあなたと、一緒にいるから。 それは。 一年の半分を雪と氷に閉ざされた国の片隅で育まれる、慎ましくも温かな、冬の暖炉のような物語。 完(2008.12.12〜2010.03.07) |
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