5.

カカシに、本来の日常が戻ってきた。

既に死んだものと思われていたらしく、常に厳格で感情を表に現さない父親の喜びようは、カカシが面食らう程だった。父の命令で医者が呼ばれたが、足の怪我はこれ以上の治療の必要が無い程回復していた。

この一月どうしていたのかと問われたが、カカシが答えるつもりが無い事を示すと、それ以上は追及してこなかった。

人形のような許婚は先に街に戻り、既に別の男と婚約していた。元々親同士が決めた婚姻だったから何の感慨も無かった。

腫れ物に障る様な家の者の態度がうっとうしくて、カカシはさっさと仕事に復帰した。社交界に顔を出せば、女性達が再び誘惑の眼差しを向けてきた。

華やかで変化に富んだ毎日は、しかし、カカシの心に何ももたらさなかった。

寧ろ、小賢しい金儲けや浮ついた噂話が耳に煩くて、酷くうんざりさせられた。以前は気にならなかった埃っぽい空気とけばけばしい香水の匂いがやたらと鼻についた。

人の気配が煩わしい。そう感じて一人で過ごす事が増えたカカシを、周囲は、行方不明だった一月の間に酷い目に遭って心が塞いでいるのだろうと、無責任に噂した。

その日も、当てなく馬車を走らせながら、カカシは石畳の街並みをぼんやりと眺めていた。

深い森の奥の、清浄な空気と静けさが、恋しくて堪らなかった。

滑らかな絹のシーツではなく、温かな陽だまりの匂いがする綿の毛布が。決して豪華ではないけれど、手間と愛情が込められた温かな料理が。賑やかな子供達の笑い声が、あの幸せな退屈が胸を締め付けられる程に、懐かしかった。

そして、イルカが。その名を思うだけで息が詰まった。

戻りたいのは、何よりイルカがいるからだ。

堪らなく会いたいと思い、しかし、実際に屋敷を訪ねるには躊躇があった。

父親は人を使ってあの森を随分捜索したらしいが、イルカ達の住む屋敷を見つけられなかった。付近の地所を治める貴族の名は猿飛という老人らしいが、もう何年も前から表舞台には姿を見せておらず、亡くなったという話さえ詳しく知っている者はいなかった。

迷っていた。

イルカに嫌われる真似をして、サスケには自分達の事は忘れてくれと言われた。

彼らの事を一番に考えるなら、もう二度と会わない方がいいのだろう。頭では分かっている。それでも、カカシの心は、まるで乾いた喉が水を求めるように、イルカの元へ戻りたがっていた。

そして、会いたいと願うこの気持ちが何に由来しているのかも、カカシは自覚していた。

カカシを乗せた馬車は市場を抜けて、屋敷がある高台へ向かおうとしていた。

と、馬車の窓に、見覚えのある後ろ姿を見た気がして、カカシは目を疑った。

慌てて御者に声を掛け、馬車から駆け降りた。行き交う人波の中、来た道を駆け戻る。市場の一角に二人連れの姿を見つけて、思わず神に感謝を捧げた。

サスケが、コユキを連れて小麦を買っていた。

「街に出てくる事もあるんだな」

声を掛けると、振り返ったサスケは大きく目を見開いた。カカシの頭からつま先までをじろりと見て、

「・・・普段は、近くの村で調達するけれど。余分に買っておいた方がいいと思って」

「二人だけなのか?ナルトは?」

「屋敷にいる。今は、イルカ先生を一人にしておけないから」

その言葉に、心臓を貫かれた。

「どういう意味?どこか、悪いの?」

「分からない」

そう答えると、サスケは、問い詰めるカカシをじっと見上げた。

「イルカ先生は、お前には会わない」

聡明な瞳に、心に秘めたものを言い当てられたような気がした。

「・・・どうして?オレが、過ちを犯したから?」

「そうだ」

「・・・それは、イルカ先生の意思?」

サスケは口を噤んだ。子供二人は嘘がつけない性質なのだともう知っている。だが、無理強いは通らない。選択権はサスケにあった。

「なら、伝言を」

勝手に言葉が出てきた。

「何をだ?」

そこで思いついたのは、まさしく天啓だった。

「指輪を」

「指輪?」

「婚約者・・・が、大切な指輪を屋敷に忘れていると聞いている。家に代々伝わる大切なものだから、直接会って返して貰いたい」

半分嘘だ。確かに指輪は婚約の証だが、結婚が決まってから買い求めたものだ。追い立てられるようにあの屋敷を後にしてからすっかり忘れていた。金額的な価値は別としても、カカシにとってはその程度の値打ちしかなかった。

だが、サスケの道義心に僅かでも訴えられるなら虚言も躊躇はしない。サスケは何かを計るようにカカシをじっと見据えていたが、

「・・・分かった。伝える」

そう答えて去って行くサスケの後ろ姿を、カカシは祈る様な気持ちで見送った。

 

 

 

数日後イルカから手紙が届いた。

丁寧な文字に心が弾んだ。支度を整えながらカカシには、もう二度と街には戻らないという予感以上の感慨があった。

約束の日、ナルトの出迎えで、村の外れから再び馬に乗った。

隣を進むナルトの笑顔は、どこか陰って見えた。

「イルカ先生が、元気ないんだ」

「体調でも悪い?」

サスケも同じ事を言っていた。

「よく分からない。イルカ先生は、痛いとか苦しいとか、絶対おれ達には言わないから」

冬の曇天、巨大な針葉樹の下をざくざくと、馬は根雪を踏んで進む。慣れないカカシには、延々同じ景色の中を歩いているように感じる。

「こんなに遠かった?」

屋敷から村に向かった時は、周囲の様子に気を配る余裕が無かったから記憶は曖昧だが、随分時間がかかっている気がする。

「前とは違う道だから」

確かに、二人の前に足跡は無い。遠回りをしていると言う事か。

暫く考え込むような表情を浮かべていたナルトが、口を開いた。

「イルカ先生は、あの屋敷から・・・この森から一生出られないんだってばよ」

「どうして?」

ナルトは、それは言えないけど、と悲しげに首を振った。

「だからサスケは、あんたを警戒してる。あんたが来たせいで面倒事がおこるかもしれないって」

サスケの、自分達の事は忘れてくれと言った時の切羽詰まったような表情を思い出す。

「でもおれは、あんたが、イルカ先生と仲良くなってくれたらすごく嬉しい」

そう言ってナルトが見せた笑顔は、どこか大人びていた。

「おれ達じゃ駄目な事があると思うからさ。今みたいに」

 

 

 

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