4.

翌日から、夕食を終えて眠りに就くまでの時間に、イルカはカカシの部屋を訪ねてくれるようになった。

色々な話をした。話すのは専らカカシだった。貴族と呼ばれる自分の立場と今まで生きてきた世界。一見煌びやかな、しかし無為な人生を、イルカは興味深く聞いてくれた。

読み聞かせをねだったりもした。子供みたいですね、と笑いながら、イルカはディケンズを選んだ。主人公の数奇な人生を紡ぐ弦楽器のような声に包まれながら、カカシはゆりかごの赤子のように眠りについた。

逆にイルカは、自分達の事を語りたがらなかった。

少ない言葉から、イルカとナルトとサスケは血縁関係に無く、数年前に亡くなった大旦那様と呼ばれる人物が、身寄りの無かった3人を引き取って育てたのだと知った。

大旦那様が一体誰なのかは決して口にしなかった。この付近を治めていた貴族であった事は確かだろうが、長く隠遁生活を送っていれば、社交界でも人の口に上る事は無い。カカシの父親なら何か知っているかもしれないが、カカシには見当もつかなかった。

子供二人の教育は、イルカと、図書室にある膨大な蔵書が行っていた。だからイルカ先生なのかと問えば、自分も大人に近い年齢になってからこの屋敷に迎えられ、大旦那様に教育を受けたのだと教えてくれた。ここに来る前は?という問いには、礼儀正しい沈黙が返った。

メイドの女性達も含め、5人は家族のように互いを労わり合いながら暮らしていた。世間との関わりを殆ど持っていないようで、家畜の世話や畑仕事、保存食の仕込み、薪の準備まで、男3人が手分けして行う質素で実直な、穏やかな暮らし。その確かさに、カカシが街で過ごしていた一見変化に彩られた忙しない毎日が、いかに浮ついたものであったかと実感した。

何か自分にも出来る事は無いだろうか。漠然とだが、カカシはそう考えるようになっていた。イルカの為に、子供達の為に、何ができるか分からないけれど、見返りを求めない彼らの役に立ちたかった。

「狼が騒いでいますね」

カカシは、窓の外に視線を遣った。森の上空に浮かぶ満月のせいだろうか、遠吠えが幾重にも重なって不安を駆り立てる。

「ナルトが外に出ているので」

イルカの言葉に、カカシは耳を疑った。

「あんな子供を、こんな夜に外に出しているんですか?」

イルカは言葉に詰まったようだった。

「前も言われました。ナルト達のお陰で助かったんだと。でも、あんな子供を危険に晒して助けられたなんて・・・」

イルカは暫く沈黙した後、

「優しいんですね」

「当然でしょ?」

「・・・そう、ですね。ナルトの事なら心配ありません。あの子は・・・特別なんです」

特別?狼のうろつく夜の森に出て心配いらない特別とはどういう意味なのか。問い直そうとしたカカシを遮るように、そう言えば、とイルカが声を上げた。

「・・・お連れの女性が・・・忘れて帰られたものがあるんです」

「連れの女性?」

何を言われているのか分からなかった。暫く考えて、ようやく自分がここへきたきっかけを思い出す。もう顔立ちの記憶も遠い、人形のような女。

「指輪です。きっと大切なものでしょう?帰られる時に、忘れずお持ち下さいね」

イルカの言葉に、がんと揺さぶられた気がした。

そして、それを今まで欠片も考えていなかった自分に驚愕した。 

帰らなくてはならない。当然だ。怪我をしたカカシを引き留めたのはイルカ達だが、歩けるようになれば近くの村まで案内すると言っていた。

ここは、カカシの本来の居場所では無い。カカシには、実の家族と友人と、定められた未来が待っている。ゆくゆくは父の地位と会社を継ぎ、煌びやかな世界の中心に君臨する義務がある。

現実への実感が、カカシの心に重く圧し掛かった。

「カカシさん、足が痛むんではないですか?」

イルカの労わりと配慮に満ちた声が、カカシの心を揺さぶる。

「・・・いいえ」

大丈夫だと答えながら、このまま足が治らなければいいと、カカシは心の片隅で浅ましく願った。

 

 

 

しかし、カカシの願いは叶わなかった。

数日後には、ゆっくりと足を床に下ろし、慎重に体重を乗せながらベッドから立ち上がれるまでに回復していた。足を踏み出すと鈍い痛みが増したが、我慢できない程ではない。カカシは確かめるように窓際へ歩を進め、ガラス窓を開いた。

踏み固められた雪に覆われた庭。それを囲む森も降り積もった雪で白く飾られている。雪が溶けたら、ここはどんな景色になるのだろう。足早の春は、短い夏は、そして、紅葉の秋は、森をどんな風に染めるのだろう。

想像は願いになった。実際に、その風景を見てみたい。足が治った後、許されるならここを訪ねたい。

と、部屋の扉がノックされた。

「カカシさん」

扉が開き、衝立の向こうでイルカが呼んだ。

「窓を開けているんですか?」

ふと、カカシからイルカが見えないなら、イルカからもカカシが見えない事に思い至った。カカシは、出来るだけ足音を立てないように、衝立に近寄った。

ずっと、イルカが隠れ続ける理由を考えていた。

顔を見られたくないのだろうと想像はつく。容姿を恥じているのだろうか。もしかしたら逃亡中の有名な犯罪者かもしれない。だが、短気だがさっぱりとした優しい心根を持つイルカの人となりを思えば、どんな想像も現実味が薄かった。

ただ、イルカの顔を見たい、それだけだった。それ以上の他意は無く、カカシは衝立に手を伸ばした。

「・・・っ」

一瞬、イルカが気付くのが早かった。顔を背けるように身を翻したイルカは、カカシが捕える前に扉の外に逃げた。

ガチャリ、とノブが鳴った。廊下側から鍵を掛けられたと分かって、カカシはぎょっとした。

「イルカ先生。開けて下さい」

ドアを叩いた。まさか、ここまで嫌がられるとは思っていなかった。

「・・・もう、お体は大丈夫のようですね」

初めて聞くイルカの硬く冷えた声に、カカシの心が凍った。

「明日にでも、近くの村まで送らせます」

心底軽蔑した、と言外に伝わってくるその声音が、取り返しのつかない過ちを犯した事をカカシに知らしめた。

「ちょ、っと。いきなり」

「お帰りになりたいと、仰っていたでしょう?」

イルカの言葉が刃となって、動揺するカカシを切り捨てた。

「無理矢理お引き留めしたのはこちらです。それに関しては、本当に申し訳なかったと思っています」

「そんな、謝らないで下さい」

「もう二度と、お目にかかる事は無いと思います。どうぞ、お元気で」

扉の向こうで足音が遠ざかっていくのを感じて、カカシは茫然とした。

まさか、これで、最後だなんて信じられない。

痛む足を引きずってベッドに座り込むと、程無く部屋の鍵が開いた。

「足、治ったんだってな」

室内に入って来たサスケが、尖った声でカカシを睨んだ。

「明日の朝、森の向こうの村までナルトが送っていく。支度をしておいてくれ」

「イルカ先生は・・・」

「屋敷を出た」

「え・・・?」

カカシは驚きに言葉を失った。それほどの事をしてしまったというのか。

「どこに行ったか見当はついているけれど、お前が帰るまではきっと戻らない。だから本当は、今すぐにでもお前を追い出したい」

物騒な言葉と裏腹に、サスケの表情は暗く曇っていた。

「・・・帰ったら、俺達の事は誰にも言わないでくれ」

それは、子供らしからぬ悲痛さだった。

「俺達は、ここで誰にも迷惑をかけず静かに暮らしている。もしお前が、今日までの事に感謝の気持ちを持ってくれるなら、どうか俺達の事は忘れてくれ」

サスケの言葉に、この屋敷に隠された深い何かが垣間見えた。だがそれを問う権利はカカシには無い。それが、切なかった。

運ばれた夕食は味気なく、一睡もできないまま、翌朝を迎えた。

サスケと同じように元気が無い様子のナルトに促されて、カカシは身支度を整えた。この屋敷に来て初めて、玄関から外に出る。装飾は古めかしいが堅牢な造りの、想像していた以上に大きく立派な屋敷だった。

馬に跨り、ナルトの後について正面の門を出た。森へと続く道を進んで思わず振り返ると、雪の中にそびえたつ黒い門は太い茨で固く閉じられ、もう中を窺う事は出来なかった。

イルカを傷つけた。

今度こそ本当に嫌われてしまった。その事実が、カカシから考える力を奪っていった。家に帰れる事への喜びは薄く、自ら手放してしまったものへの喪失感に、胸が押し潰されそうだった。

案内された村から家に連絡を入れると、駆けつけて来たのは、カカシが幼い頃から家に仕えている執事だった。喜びに泣き濡れる執事に付き添われて、カカシは虚ろな心のまま、約一月ぶりに自分の屋敷に戻った。

 

 

 

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