8.

結界を抜ける一瞬の感覚の後、再びイルカの足は地についた。

どこに運ばれたのか分からなかったが、もうどうでもよかった。

カカシの肩口に顔を埋め、その背に腕を回してきつく抱き締める。触れ合う体温に満たされて、湧き上がるものが涙となって溢れてくる。

何故、離れられると思ったのだろう。別れられると思ったのだろう。

こんなにも愛しくて、苦しい程に大切で堪らないのに。

「泣かないで」

カカシの声が響いてくる。穏やかな優しい声。そして、胸が引き絞られるように切なくなる声。

たった一言で、イルカの心をこれ程に震わせる者は他にいない。

「あなたの涙を拭ってあげられないのが、辛くなるでしょ」

「・・・何言って」

気障ったらしい軽口に、イルカは涙を流しながら吹き出した。張り裂けそうだった感情の高まりが解けて、温かい安心感に変わる。

触れ合っているだけで他には何もいらないと、幸福に満ち足りる存在はもう二度と現れない。

「カカシさん」

顔を見たい。その笑顔を。宵闇と灼熱の眼差しがイルカを見つめてほころぶ様を。薄く形のよい唇が、時に優しく時に狂おしくイルカの名を呼ぶ様を、見たくて堪らない。

でも今は、決して許されない。だから、ただ、この腕の力が許す限り、強く、縋るように抱き締める。

「イルカ先生」

抱き寄せたイルカの頭をゆっくりと撫でながら、カカシが静かに言った。

「お願い。この先何があっても、絶対にオレを諦めないで」

カカシの言葉が、イルカに決意を迫る。

「どうかオレに、あなただけを選ばせないで」

カカシは、写輪眼よりも忍である事よりもイルカを選ぶ。誰よりも気高い忍であるカカシは、イルカの為ならその誇りを捨てる。カカシから離れようとしたイルカの選択には、それ程の重みがあるのだと、カカシはイルカに、更なる覚悟を求める。

「ごめんなさい・・・」

カカシの忍服を、イルカはきつく握り締めた。涙以上に熱い塊が、喉の奥に湧き上がる。

生半可な決意でカカシを欲した訳ではない。初めて逢った時に芽生え、時を重ねる度に深くなった恋情だけで、カカシの傍らにあり続ける事は難しい。その強さ故に、写輪眼のカカシが背負うものの大きさは計り知れない。その重みを、苦しみを、幾らかでも分けて貰えればと願い、決して立ち入れないカカシの忍としての孤独を受け入れる。何より、輝かしい武勇と背中合わせに死が近い男だ。想いが深まるだけ、別離への恐怖は重くなる。その全部を理解してカカシを欲し、カカシに応じた、そのつもりだった。

だがカカシは、イルカの覚悟を易々と乗り越えて、更に強い誓いをイルカに求める。カカシと共にある未来以外は許さないと、カカシの忍としての矜持すら委ねてくる。

カカシの想いが、怖い程に嬉しい。何という業かと戦き、罪深さに途方に暮れ、狂う程に歓喜する。

「もうすぐ、帰れます」

この上なく穏やかに、カカシはイルカの頭を撫でる。

「はい」

カカシの肩に顔を埋めたまま、イルカは頷く。

祝福されない関係だ。これから先、恐らく幾度も、同じような決断を迫られるだろう。

それはさながら、眼を塞ぐ暗闇の中、細い道を探りながら歩くように、覚束ない未来だ。頼りになるのは、ただ、互いに固く繋ぎ合った掌だけ。

それでも、もう、この獣道しか選べない。

例え行き先が、二人の幸福しかない地の底世界の果てであっても。

 

 

 

**********

 

 

 

「助かったよ」

マントをはおり、身支度を整えた少年に、綱手が言った。

「お前の助けが無ければ、私一人の処置は覚束なかった」

「なかなか楽しい経験だったよ」

少年は歌う様に答えた

「今の研究に余裕ができたら、是非調べてみたいものだな、チャクラというものを。そうすれば、つれないお前の心の原理も解き明かせるかもしれない」

子供らしさの残る端正な顔に得体の知れない笑みを浮かべ、少年は綱手を見た。

「さて。ぼくが欲しいものを、お前は知っているんだったな」

「約束だ」

綱手は頷いた。

「この肉体が力尽きたら、私の魂を、お前にやろう」

答えた綱手を、笑顔を消した少年はじいと見返した。

「いいのか?」

綱手は呆れたように笑った。

「ずっとそれを望んでいただろう?長い間付きまとわれていると思っていたのは私の気のせいかい?」

「何十年も振られ続けているんだ。俄かに信じられないのは当然だろう。何がお前の気を変えた?」

綱手は、自分の胸を親指で指した。

「この心にはね、火の意志がある。木の葉の忍としての、志がね」

大切なものを守る為に、そして誇り高く生きる為に燃える魂の炎だ。

「私はそれを燃やして生きる。最後の瞬間まで、燃やし尽くして生きる。火影として、そして、女として、後悔のない生き方を選びたい。そう思ってお前を呼んだ。これが、あいつらの為に私がしてやれる最良の選択だ」

綱手は微笑んだ。里の忍としての生き方しか知らなかった子供が愛を叫ぶ男になっていた。そうだ、私達は忍であり、そして何より、譲れない想いを心に刻む人間なんだ。

「だから、燃やし尽くした燃え滓でよければ、持って行くがいい。魂をお前にやっても、この想いは私のものだ」

綱手の心に、愛しい男の面影が浮かぶ。

「そして、例え願う形で結ばれなくとも、私の心はあいつのものだ」

少年を見返す瞳に迷いはない。その強い美しさに、少年はうっとりと笑った。

「有り難く頂くよ。愛しい女。固い決意を孕むと、魂はかくも眩しく輝くものなのか」

その耀きを目印に、どこにいてもぼくはお前を見つけ出すだろう。そう言うと、少年はマントを翻し、

「お前が肉体の檻を捨て、自由になる時を、永遠に待ち焦がれている」

振り返る事無く室を出て行った。

 

 

 

晴れ渡った青空に、白いシーツがはためいている。

ベランダに立って洗濯物を干していくカカシの後ろ姿を、イルカは台所に立って眺めていた。

厳しい任務を負うカカシに負担をかけたくないと、家事は基本的にイルカが行っているが、実際手際がいいのはカカシだ。だからたまに、特にカカシのせいでイルカが本調子でない時には、こうして甘える事にしている。

その銀色の髪が陽光に輝く様を見つめながらイルカは頬を緩めた。

カカシとの日常が、イルカの元に戻って来た。こうして共にいられる幸せを、じっくりと噛みしめる。

イルカの両目の呪印は、綱手と少年の手によって封印を施された。印を消滅させた訳ではない。里に求められれば、瞳の封印は解除され、イルカは戦う為の道具となる。解術方法は、綱手とシズネ、そしてサクラに伝えられている。

だが、この眼の力を解放する時が来ても、もう決してカカシを諦めない。木の葉の忍としてカカシと共に生きられる方法を探して、最後の最後まで足掻き抜く。

そして、足掻き切った後は。

イルカは、カカシの後ろ姿から、手元の火にかけた鍋に視線を移した。忍という生き物であることを、カカシへの想いと同じ程に強く誇りに思っている。だからそれは、今は考えない。

「何作ってるんですか?」

空になった洗濯籠を下げたカカシが、台所にやって来た。湯気の立つ鍋を覗き込んで、僅かに眉を寄せる。出来上がったと、イルカはコンロの火を止めた。死の森でイルカに話してくれた、テンゾウの好物だ。

「隠蔽罪で半年間の減給だと聞いてます。俺は、これくらいしかできませんから」

「・・・本当に、あなたは」

カカシがため息をついた。

「あいつも元暗部なんですよ。十年やそこら遊んでたって、食うには困らない」

「それはそうですけど」

「それとも、分かっててやってるの?」

「何をですか?」

洗濯籠が床に転がるのと同時に、背後に立ったカカシの手がイルカの腹に回った。

「恋人が、他の男の為に料理作ってるんですよ。嫉妬するに決まってるでしょ」

背中から抱き寄せられて、低く響く声が耳元を擽った。それだけで、昼下がりの穏やかな空気がしっとりと蜜を含んだ気配に変わる。

「嫉妬って・・・」

カカシの細い指がシャツの中に入り込んできた。すり、と脇腹を撫でられただけで背骨に震えが走る。それを悟られたくなくて、イルカは眦を強くした。

「駄目ですよ」

「何が?」

涼しげな声が笑みを含んで囁く。カカシの方こそ分かっていて言うのだから本当に性悪だ。

「これ以上は・・・腰が立たなくなります」

「いいじゃない。明日まで二人共休みなんだし」

明後日には、イルカもアカデミーに復帰する。子供達の笑顔に会えると思うと嬉しさが込み上げるが、

「また子供達にイルカ先生取られちゃうんだから、今の内に、ね」

それさえ甘い横暴の理由にされて、カカシが任務から戻った一昨日の夜からこちら、眠る事も許されない程求められているのだ。

小さなベッドの上で、浴室で、食事を取ろうとしたこの台所で、欲望の果てが見えないかのようなカカシに身体を明け渡し、与えられる喜びに溺れた。ようやく気絶するように眠りに落ち、先刻眼が覚めた時には、既にカカシによって全身が清められていた。イルカも体力には自信があるが、深い情事の後もさほど疲れた様子を見せないカカシは、惚れた相手ながら恐ろしい気さえする。

「・・・っ」

シャツの下、イルカの肌に散った愛咬の痕をカカシの指が這っていく。見なくてもカカシはすっかり覚え切っている、イルカが感じる場所だ。触れるだけの軽い愛撫でも甘い官能を拾い上げてしまうのは、眠る寸前まで散々に高められていた余韻だ。拭き清められても消えないそれに、再びカカシが火をつけようとする。イルカは膝から力が抜けそうになりながらも、抵抗を見せたくて、

「・・・夜には」

テンゾウが来る。身をよじり、言いかけた口元を、カカシの唇が啄ばんだ。

「だから、他の男の話はしないでって。見境なくなっちゃいますよ」

軽い口調だが、眼差しは激しい欲望に燃えている。その瞳に見つめられるだけで、イルカの身体の芯が再び熱く疼き始める。イルカの心も体も、カカシの望みのままに従順に温む。

「・・・畜生」

睦言には不釣り合いな、しかし蕩ける様な甘さを乗せて、イルカは呟きと一緒にカカシに口付けた。

「・・・だったら、責任取って下さいよ」

ちゃんと、最後まで。

勿論、とカカシは微笑んで、誘う様に腕を伸ばすイルカの身体を抱き上げた。

 

 

 

ここに確かに誓おう。

例えどんな困難が待ちうけていようとも。過酷な運命が二人を引き離そうとしても。

繋ぎあったこの手は決して離さない。

どこまでも、二人一緒に。

 

 

 

完(09.07.16〜10.03.28)

 

 

 

200000打キリリク、完結いたしました。

RAさま、本当に、大変お待たせいたしました。

拙いお話ですが、どうぞお納め下さいませ。

リクエスト内容は、「ロミオとジュリエット風カカイル」。

 ・運命に翻弄される二人。 ・出会い、馴れ初め〜両思い(くっつく)までの過程。

・鮮烈な出会いと別れ(←引き裂かれる感じ)。ラストはラブラブで。 ・忍び設定。 ・せつな系。でした。

引き裂かれる運命という事で、おるふぇうすや、いざなぎいざなみのお話も

盛り込みたかったのですが、如何せん力量が追いつかず(涙!

とてもイメージが膨らむリクエストで、とても楽しく書かせて頂きました。

RAさま、ありがとうございました!

 

 

 

 

**********

 

 

 

「ってか、テンゾウ本当に食べ・・・って、叩かないで下さいよイルカ先生!」

「カカシさん煩いです。気にしないで沢山食べて下さいね。口に合うといいんですが」

「ありがとうございます。すごく、うまいです」

「よかった。おかわりもありますよ」

「・・・よかったねぇ、テンゾウ」

「・・・・・・」

「何、もう食べないの?折角イルカ先生が、それはそれは丹精込めて、恋人であるオレの相手も二の次に、支度してくれたのに」

「そういう事を言わない!テンゾウさん気になさらないで下さい」

「だって」

「・・・お願いですから先輩、そんな楽しそうな顔で苛めないで下さい・・・」

 

 

 

後輩をからかうのが楽しいカカシさんと、おかんなイルカ先生と囲む食卓は、

何のかんの言いながらテンゾウにとって居心地がいい、はず(笑。

胡桃以外の何を好物にしていいものか悩みましたが・・・皆様のご想像にお任せします(逃。

 

 

 

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