7.

預かり所は、里の西の外れにあった。

無骨な木板に「預かり所」と筆書きした看板の隣りに、愛らしい動物達のイラストと、「わんにゃんセンター」の文字がカラフルなポスターが貼られていた。

ドアを開くと、受付らしいカウンターに座っていた女性が、大きな声を上げた。

「あらあ!イルカ先生」

眼鏡とふくよかな体つきに見覚えがあった。アカデミーで担任をしている、やまねスズの母親だった。

「こんにちは、先生。ようこそいらっしゃいませ」

少し引っ込み思案なスズに対して、母親は明るくおおらかな印象だった。イルカは笑顔を返した。

「こんにちは。こちらにお勤めでしたか」

「えぇ。スズが生まれる前からだから、もう8年になるわね。動物好きには天国よ。で、今日は何かご用?もしかして、うちのスズが何かした?」

カウンターから身を乗り出したやまね母に、イルカはいいえ、と手を振った。

「今日は受付所職員として来ました。あの・・・飼い主が動物達をこちらに預ける時に書く書類を見たいのですが」

「はいはい。受付符のことね」

イルカが認証番号を示すと、やまね母はその番号を手元の帳簿の表紙に指で書いた。ぱらり、と表紙が勝手に開いた。

「どなたのを見たいの?」

声が震えないよう注意しながら、その名前を言った。

「はたけカカシ上忍のです」

はたけさんのね、とやまね母はその分厚い帳簿をめくり始めた。

「・・・15日前から忍犬を預かっているわ。5日前に一度期限が来てるんだけど、急に任務が入ったとかでそのまま延長してるわね。延長期限は一応明後日まで」

イルカの心が緊張に震えた。

「今の任務の派遣先は、分かりますか?」

「主な活動場所は・・・火の国灯小路近辺」

陽華楼をはじめとする遊郭が軒を連ねる通りだった。この住所は鬼門だな、とイルカは思った。

依頼内容も、何とはなしに想像できる。そして、自宅に帰った様子がないことにも納得がいった。夜はずっと灯小路で過ごしているのだろう。

 居場所はわかったが、イルカは新たな問題に直面した。

本当は火の国まで行きたいが、任務の邪魔をする訳にはいかない。だが、里に戻るのを待っていては、きっとまた姿をくらまされる。

カカシの不意をつくしかないのだが、上忍で、しかも里で1、2を争う実力者を、出し抜ける自信はこれっぽっちもない。

どうしたものか。眉間に皺を寄せて考え込んだイルカに、やまね母が言った。

「はたけさんちの子たち、ご存知?」

「はい。といっても一匹だけ。パックンという名の」

「丁度よかったわ。会っていく?」

イルカは驚いて顔を上げた。

「いいんですか?」

やまね母は微妙な表情を浮かべた。

「駄目と言えば駄目なんだけど・・・実は、そのパックンがここの所元気がなくって。イルカ先生、何か理由を知らないかしら?」

「元気が無い?」

「食欲減退。散歩にも行きたがらないの。獣医さんの見立てでは、体に悪いところは無いそうなんだけど。普段は、はたけさんの任務が長引いても弱ったりしない子なのに」

何かあったのだろうか。会いたいという気持ちが湧き上がった。

「・・・お構いなければ、お言葉に甘えます」

やまね母は良かったわ、と笑い、イルカに外に出るよう促した。

受付のある建物の後ろ、広い敷地の半分を使って、体育館のような大きな建物が数棟並んでいた。イルカはその一つに案内された。

建物の中は仕切りがなく、広いスペースが奥まで見通せた。

がやがやと騒がしいのは、沢山の犬達の気配と鳴き声のせいだった。

「ここが、忍犬たちのお家」

 ねこちゃんは隣の棟よ、とやまね母は言った。

低い柵が、通路を挟んで左右に区画を仕切っている。その区画のそれぞれに、忍犬が一匹から数頭いて、通路を歩くやまね母とイルカを、あるものは興味深そうに、あるものは胡散臭そうに見つめていた。

さすが忍犬、奇妙な居心地の悪さがあった。

「ここよ」

奥に近い一画で、やまね母は立ち止まった。柵に、「はたけカカシ」と書かれたプレートが下がっている。

ごゆっくり、帰るときは声をかけてね、と言い置いて、やまね母は戻っていった。

堂々と体を横たえた、イルカの体ほどもありそうな大型犬が、じろりとイルカを見た。精悍なのやひょうきんなの、個性的な7匹が、与えられた広いスペースでゆったりと寛いでいる。床には、口寄せの術の補助陣が描かれていた。

「・・・パックンは?」

イルカは首を傾げた。姿が見えない。呼んだ名前に反応して、犬達が騒ぎ出した。

 仲間に押し出されるように、大型犬の後ろから、パックンが姿を現した。

「イルカ先生・・・」

小さく尻尾を振ってくれたが、すぐにしょんぼりと項垂れてしまった。他の仲間たちが気遣わしそうな視線を投げる。

「どうした?パックン」

 前に会った時の不遜な態度が鳴りを潜めている。

「・・・拙者は悪い犬だ」

「どうして?」

「主に、カカシに、怒られた」

「カカシさんに?」

イルカは首を傾げた。

「5日前、イルカ先生はカカシと約束した」

「・・・あぁ、そうだな」

「帰ってきたカカシに、拙者はお願いした。イルカ先生に会いにいくのなら、拙者も連れて行ってくれって」

拙者はイルカ先生を好きになったからな、と何故か自慢げにパックンは言い、それからしょんぼりと項垂れた。

「そうしたら、カカシは恐い顔をして、二度と言うなって怒鳴った」

・・・何て事。イルカは思わずため息をついた。呆れた。

「カカシは、拙者達が悪いことをした時にしか怒らない。だから、きっと拙者は悪いことをしたんだ。でも、何をしたのかがわからない。だから、拙者は悪い犬だ」

 思わず、イルカはパックンを抱きしめた。くうん、とパックンは犬らしく鳴いた。

 こうやって一心に主人を慕う様を見ていると、カカシが犬達を大切に慈しんで育てていることが分かる。

 でも、だから余計に、パックンに申し訳なかった。イルカは言った。

「パックンは、悪くない」

「拙者は悪くないか?」

「悪いのは、俺だ。俺とカカシさんだ。だから、ごめん、パックン」

 パックンの尾がゆるゆると揺れた。

「カカシさんも、俺が、ちゃんとお前に謝らせるから。だから、ちゃんと飯を食いなさい」

「わかった」

 パックンの様子に安心したのか、わらわらと、他の犬達が寄ってきた。人語を操るのはパックンだけらしいが、他の7匹も、人の言っている事は十分理解できるようだった。

 それぞれの鼻面を撫でて、イルカは預かり所を後にした。

 そして、夕暮れの里を、火影の元へ急いだ。里の外へ出る許可を貰うつもりだった。

 もう、いい。吹っ切れた。イルカは思った。

 嫌われていようが、避けられようが、構わない。どれほど逃げられても、地の果てまでも追いかけていって、気持ちをちゃんと伝えよう。

 好きだと伝えて、それで拒否されたら、仕方ない。例え何年かかっても、一生忘れられなくても、諦めるように努力したらいい。

 たったそれだけの事。何も恐がる必要はない。

 張り裂けそうな胸の痛みと、溢れそうになる涙を、イルカは堪えた。

嫌われたという現実を突きつけられて、耐えられる自信は全く無い。

だが、告白されたあの夜、カカシの心は確かにイルカに向いていた。イルカを求めてくれていた。それだけを思って、これから先の人生を生きていく。

そういうのも、きっと悪くない。

そう、思うしかない。

 

 

 

 久しぶりに感じたその気配に、胸が騒いだ。

 どうか、逃げないで。心からそう願って、走った。

朝日に照らされて、その銀髪がきらめくのが見えた時、ほっとした気持ちと、今まで散々味わった腹立たしさが、イルカの心に湧き上がった。

イルカはカカシの前に飛び降りた。どうしても、睨みつけてしまう。

「・・・やっと、会えましたね。カカシさん」

「・・・・・・」

「これで逃げたら、本当に愛想を尽かそうと思ってました」

嘘です。でも、そうできたら、どんなに楽か。

 カカシはじっとイルカを見下ろした。額宛と口布で、相変わらず表情が読めない。

 怒っているのか。うっとうしがっているのか。

 言われる台詞が恐くて、イルカは先に口を開いた。

「里に帰ったら、ちゃんと謝りなさい」

イルカの口調に驚いたように、カカシは呟いた。

「ごめんなさい」

「違います。俺じゃありません。パックンにです」

「・・・パックン?」

イルカは頷いた。

「あなた、あの子に酷いことを言ったでしょう。随分気にしてました」

「・・・・・・」

「人語を操るという事は、人の心にそれだけ近くなっているということです・・・思いやりのあるいい子じゃないですか。大事にしないと」

「・・・それを言いに、わざわざオレを探しにきたの?」

 淡々とした口調と感情のない右目に、イルカは気圧された。

「・・・違います」

声が震えた。

「じゃあ、何?」

用意していた言葉を、何とか口にした。

「・・・約束を、守れなくてごめんなさい」

「・・・・・・」

 沈黙が痛い。イルカは堪らなくなって俯いた。

「・・・それで、俺は・・・」

「もう、いいです」

カカシが低く言った。え、とイルカは顔を上げた。苛立ったようなカカシの眼とぶつかった。

「何も言わなくて、いいです。いいから、もう里に帰りなさい」

「カカシさん・・・」

「これで、最後です」

カカシの言葉が、イルカの心臓を鷲掴んだ。

「もう、オレの前に姿を見せないで下さい。・・・この間のことも、忘れて」

 足元が崩れていくような気がした。あぁ。予想していたこととはいえ。

「カ・・・」

「どうか、元気で」

そう言って、カカシはイルカの脇を過ぎようとした。イルカは、必死でその腕を掴んだ。

「カカシさん」

びくり、とカカシの体が震えた。

「ごめんなさい。迷惑だって分かっています」

イルカはいい募った。

「でも・・・言わないと俺は一生後悔する」

振り払われるかと思った腕はそのままに、カカシはイルカを見た。イルカはその視線を受け止めた。

「ごめんなさい・・・カカシさん。俺は、あなたが好きなんです」

「・・・え?」

カカシの眼が、大きく見開かれた。

「今、何て?」

イルカはゆっくりと、言った。

「あなたが、好きです」

 じっと、カカシはイルカを見た。

 そして、次の瞬間、イルカの視界が回転した。

 

 

 

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