2.

「うみの中忍」

夕食後、部隊の面々と火を囲む輪に、カスガが現れた。

「はたけ上忍がお呼びよ」

周囲の談笑が、しんと静まる。用件だけ伝えてさっさと立ち去るカスガの背中を見ながら、俺はのろのろと立ち上がった。

連日の呼び出しに、周囲は、好奇の目で俺を見る。これから、指揮官用のテントで、俺がはたけ上忍に何をされるのか、部隊で知らない者はいないだろう。

歩き出した俺に聞こえるように、背後で、ひそひそと会話が交わされるのもいつもの事だ。

「はたけ上忍も物好きな」

「不細工だとは言わねえが、どう見たって普通の男だぜ。俺ぁ、勃たねえな」

「あんなにいい女が側にいるってのによ。ありゃあ、はたけ上忍に惚れてるぜ」

「じゃあ、毎晩寂しいだろうよ。俺達が代わりに可愛がってやるか」

どっと笑いがおきる。いたたまれなくなって、俺は駆け出した。

俺が知りたい。どうして俺なんだ?

はたけ上忍が、同性にしか興味を抱けない性癖の持ち主だというなら、まだ話は分かる。だが、この部隊に配属される前のはたけ上忍の寝床には、毎夜必ず、美しいくノ一が侍っていたと聞く。カスガが配属された事からも、それは事実だろうと窺えた。

数多のくノ一の中でも目を奪われる美貌を持つカスガ。特別上忍という階級に似合った理知的な瞳は、任務に忠実で、女としても忍としても、彼女はとても魅力的だった。

はたけ上忍は何を思って、彼女に伝言の役目を負わせるのか。伝言を携えた彼女が、何を思って俺にそれを伝えるのか。俺には分からなかった。分かるのが怖かった。

はたけ上忍のテントに入り、俯いたまま跪いた。

「うみのイルカ、お呼びにより参上いたしました」

気配はあるが、返事が無い。そっと顔を上げると、寝台に腰掛けたはたけ上忍は、クナイを脇の机に並べ、手入れをしていた。

「明日の朝、偵察に出てもらうから」

ランプの明かりに刃をかざして、はたけ上忍は言った。任務。俺は頭を下げて言葉を待った。

「弥勒平原から渓谷を抜けて、敵の進軍状況を確認して。同盟軍の布陣状況と合わせて、そのまま本隊に報告。明後日の夕方までには、ここに戻れるようにね」

頭の中に、地形と距離を思い描く。任務内容に時間を考え合わせると、正直かなり厳しいが、やれないなんて言いたくない。

「承知致しました」

はたけ上忍は、いつもそういう風に素直だったらねぇ、と小さく笑った。

「ねぇ。ちょっとは慣れたら?」

意味を悟り、顔に血が上った。

「毎日毎日、決死の任務に出るみたいに悲壮な顔して」

「・・・・・・」

「大抵の人間は、オレの機嫌をうかがって、媚の一つも売ってくるもんだけど」

あんたは、そういうのどうでもいいみたいだね。

何と返事をすればよいのか。俺は地面を見つめることしかできなかった。生憎、売れるような媚は持ち合わせていない。

この人の心を動かせる手管が俺にあったなら、読めないこの人の心に、惑わされる事もなかっただろうか。

クナイを片付けたはたけ上忍は、ようやくこちらに視線を向けた。

・・・畜生。何て目で見るんだ。うるさい位に心臓が脈を上げた。その瞳の中でちらちらと瞬く情欲の色に、求められている事を実感した。

「あんた、愛想笑いでも覚えたら、ちょっとは可愛げがあるんじゃない?」

それでも、吐き出される言葉には、容赦がない。

愛想笑い。・・・笑ったら、俺の問いに答えてくれますか?

おいで、と目で呼ばれた。ぼうっと、頬の血が燃えた気がした。

「・・・どうして」

「何?」

「どうして、俺に・・・こんな・・・」

はたけ上忍の目が、苛立ったように細められた。

「何度も言わせないで。あんたに選択権はない、それだけ」

そして今度は、声で、おいでと呼ばれた。逆らう権利もない。

寝台の脇に立った俺は、はたけ上忍に腕を引かれ、そのまま抱き込まれるように寝台に押し倒された。顎をつかまれ、口付けられる。

優しくなど、された事がない。少なくとも行為そのものは、いつも、まるで嵐の只中に放り込まれたようだった。

翻弄され、持ち上げられ、突き落とされる。引き裂かれるように体を開かれ、深く奥まで抉られる。呼吸まで奪い取られるような口付けと、きつく果てのない律動に、壊される、と何度思ったことだろう。

元々こういう抱き方しか出来ないのか、それとも相手が俺だからなのか。

明日、失うかもしれない命だからなのか。

だから、と俺は自分に言い訳する。はたけ上忍の執着に堪えきる事ができず、結局、身も世もない声を上げてしまうのも。我を忘れて、求められる行為をすべて許し、溺れてしまうのも。

ここが、戦場だから。

心のどこかに常にくすぶる死への恐怖を、肉欲に読み替えて、互いを求めるふりをして、己の不安を慰めているのだと。

そう思わないと、やっていられない。

どうして俺なのか、という答えの得られない問いを抱えて。その問いに、俺自身はどんな答えを欲しがっているのか、考えたくなくて。

「・・・苦しい?」

はたけ上忍の声に、俺は頭を横に振った。

体の奥で波打つはたけ上忍の熱が、思考を侵食する。はたけ上忍に教えられた快楽の深みが、俺の最後の理性を溶かしていく。

答えをくれるつもりがないのなら、どうか。

俺は、はたけ上忍の背に、そっと腕を回した。

どうか。俺のすべてを、何も考えられないように、奪っていってください。

 

 

 

生死不明。

弥勒平原での戦いの記録、第11部隊の指揮官の欄には、そう記載されている。はっきり死んだと確認されていないだけで、生存の可能性が低い場合に使われる表現だ。

戦闘は苛烈を極め、負傷者が続出したが、カカシとカスガの二名を除く部隊の全員が、里に生還した。負け戦と見切り、敗北の不名誉より部下の命を選んだカカシの、英断と言えば英断、当然と言えば当然な判断の結果だった。

部下の命は、上官の判断一つで左右される。勝利は、何をおいても優先されるべきものだが、栄誉不名誉が、命よりも重いはずはない。その意味でも、カカシは上に立つ者として得難い資質を備えていた。

本当に特別な人だ。イルカは思った。

里に戻り、気持ちの整理をつける意味で調べたはたけカカシの公式記録は、10代前半で上忍になった所で途切れていた。受付業務の中で閲覧を許された、機密レベル壱の内部記録にも、それらしいものは何も残っていない。経歴を含め、どういう経緯であの部隊の指揮官となったのかも、一切不明だった。

通り名だけが一人歩きして、実体の掴めない、謎だらけの男。その過去にさえ手が届かないとは、本当に実在していた人間なのかと疑いたくもなる。

あまりに濃密に交わりあった日々。だからこそ、イルカの中で、その実感は次第にあやふやになった。まるで夢のような、と感じる自分自身に苦笑が浮かんだ。

カカシを想い、どれだけ涙を流したか。

それでもいつかは忘れられるはずだと、心のどこかで高をくくっていたのに。

時の流れと共に、痛みは次第に鈍くなった。3年経った今では、カカシを想っても、胸には甘やかな疼きしか浮かんでこない。

だが、未だに、他の誰にも心が動かない。ナルトや子供達に対する愛情とは質の違う、根幹から揺さぶられるような思いが湧くことがない。

そして、折々に心を占めるのは、あの色違いの瞳。

あの平原に、最後に見交わした瞳の中に、何もかも置いて来てしまったと思う。

これが、忘れられないと言う事なのか。

「お疲れ様です」

昼過ぎ、受付に顔を出したイルカを、三代目はじろりと見た。

「お主、病院には行ったのか」

「はい。今朝、参りました」

「院長に、ちゃんと通院させろと、と叱られたぞ」

ワシがこきつかっとるみたいじゃないか、とため息をつく三代目に、イルカは申し訳ありませんと頭を下げた。仕事を言い訳に、温かな気遣いを無下にしているのは自分だ。

「火影様、昼飯は?」

「まだじゃ」

「よければご一緒に」

「何じゃ、何を企んどる?」

にやりと笑った三代目に、イルカは鼻の傷を掻いた。

「7班の上忍の先生は、どんな方なのかと思いまして」

「昨日、アカデミーで引継ぎをせんかったのか?」

「時間になってもおいでになりませんでした。結局行き違いになってしまって」

三代目は煙草をふかした。

「遅刻癖は相変わらずか。全く、カカシらしいの」

何気ない言葉が、イルカの思考を止めた。

今、何て?

「・・・今、誰とおっしゃいました?」

三代目が首を傾げる程、声が震えた。

「ナルト達第7班の上忍師は、はたけカカシじゃよ」

はたけカカシ。

「写輪眼のカカシ。お主も、名前位は聞いた事があるじゃろう」

イルカは、全身が震えだした事にも気づかなかった。

はたけカカシ。

心臓が、止まるかと思った。

 

 

 

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