2.

一目惚れだった。

手がかかった分余計に可愛い教え子が、受付に座る俺の前に連れてきた男。

「イルカ先生、この人がカカシ先生だってばよ」

にししと笑うナルトの横で、その男は、眠そうな目をしばたかせ、猫背を少し伸ばすようにして俺を見た。

「はじめまして。はたけカカシです」

低いがよく通る、丁寧な口調。わざわざ手甲を外して、カカシさんは手を差し出した。

「こちらこそ、はじめまして。うみのイルカと申します」

慌てて立ち上がり、その手を握った時には、もう手遅れだった。

勿論、最初から自分の気持ちを認めていた訳ではない。相手は同性、しかも、木の葉の誇る上忍で、近隣諸国にまでその名を轟かせる写輪眼のカカシだ。恋愛対象とするには、俺が今まで育んできた常識や価値観から、彼は大きく外れ過ぎていた。

何度自分に言い聞かせただろう。里の英雄に対する尊敬の念は、出会う前から抱いていた。この想いは、その延長だと。上忍と中忍。会えば挨拶を交わす程度の関係。それ以上でも、それ以下でもないと。

誤魔化しきれないと悟ったのは、その時付き合っていた彼女とのセックスの時。射精の瞬間、カカシさんの深い灰色の瞳や形のよい長い指が脳裏を掠め、慄く程の快感に身震いした。

自分が本当は何を求めているか、認めざるを得なかった。

結婚さえ考えていたその彼女とも、俺がこんな状況では続けられる訳がなかった。他に好きな人ができたと伝えた俺を、彼女は頬に平手一発で許してくれた。既に気持ちの離れた俺にすがろうともしなかった彼女は、本当に大人で、現実的で、素敵な女性だった。

その彼女との未来を捨て、成就の見込みはほぼゼロに近い恋を取った自分の、不器用さと愚かさと、馬鹿さ加減に呆れ果てる。もう少し打算的に生きられればと、自分に同情したくもなる。

認めてしまって、枷がなくなった想いは、今では溢れる程大きくなった。それに比例するように、胸を掻きむしられるようなもどかしさと不安も、日々重く俺の心に圧し掛かった。

男で、中忍で、目つきの悪さが目立つ凡庸な顔立ちと、柔らかさとは無縁の硬い傷だらけの体しか持っていない。この俺のどこなら、カカシさんの気を惹けるのだろう。好きになってくれと言えるのだろう。

自分が好きならそれでいい、と思い切れるほど純粋ではない自分が恨めしい。カカシさんの心も体も、何もかもが欲しいのに、何の手管も持たない自分が歯痒い。

どうすればいい?どうやったら、カカシさんを手に入れられる?

そんな答えの出ない問いを、堂々巡りに考えていた時、俺は彼と出会った。

 

 

 

深夜の受付は、その時、俺と彼以外誰もいなかった。

「アンタ、カカシの事好きなの?」

報告書と一緒に投げ出された彼の言葉に、俺は思わず身を固くした。絶対に、誰にも悟られてはいけない想い。ただでさえ、忍としては感情が表に現れすぎると自覚している。だから必死で隠していたつもりなのに。

それをいきなり、初対面の男に言い当てられた。

「・・・何をおっしゃっているのか、わかりかねますが」

何とか平静を保って低く返した俺の言葉に、彼はふぅん、と片眉を上げた。

「にしては、随分色っぽい目で、カカシの事見てたじゃない?」

頬に血が上った。嘘だ。

「昨日も、子連れで来てたよね、カカシ。確か今日から、波の国へじいさんの護衛だっけ」

Dランク任務に飽き足らなくなって騒ぐナルト達に、火影様が特別にCランクの護衛任務を与えた。あの場に、彼がいたのだろうか。あの時、気づかれたのだろうか。

ボールペンを持つ手が震えた。これでは、そうですと言っているようなものだ。

「心配しなくても、おれ以外は気づいてないよ」

彼は、そんな俺を見下ろして、軽い口調で言った。

「おれには、何も隠すことないよ、イルカせんせ」

「・・・・・・」

「大丈夫。誰にも言わないから。おれとアンタとの、秘密」

にこりと微笑む声に、心臓が冷えた。

ムハクと名乗った彼は、細身の体に、濃い栗色の髪、小造りで整った顔立ちをしていた。少年のような奔放な雰囲気を漂わせていたが、報告書の生年月日を見ると、年齢は俺より一つ上だった。

「おれね、暗部でカカシと一緒だったの」

形のよい唇をすいと上げて、彼は言った。

「カカシの話、聞きたくない?」

本当なら、それがどれほど魅力的な申し出でも、俺はいいえと言うべきだった。

だが、俺の心はカカシさんに飢えていた。公的資料に記載されている事しか知らないカカシさんの過去。暗部出身である事さえ初耳だった。

知りたい。カカシさんの事を知りたい。その誘惑に俺は抗えなかった。

「・・・ムハク特別上忍」

「ムハクでいいよ」

「・・・ムハク、さん」

俺の心の動きを読んで、彼は嬉しそうに笑った。

「おれが知ってる事、全部話してあげる」

おれが、アンタを満足させてあげる。

顔を寄せて囁く彼の体からは、甘い花の香りがした。

 

 

 

赤い糸が見える。

そう、彼は言った。

「あ、今呆れたでしょ。何言ってんだか、って」

彼はくすくすと笑って、ごろりと体を横たえた。あー腹一杯、と呟く声に、つい笑みが浮かぶ。仕草が年齢のわりに子供っぽいが、それがとても彼らしく映る。

カカシさんの情報と引き換えだと彼にねだられたのは、夕食を共にする事だった。翌日、手料理が食べたいなどと言う彼の部屋を訪れ、数皿見繕った。

「何度も言いますけど、味の保障はできませんよ」

「はいはい。期待はしてません」

そう言いながら彼は芋の煮物を口に入れ、普通にうまいですけど、と笑った。

少し多めに作った料理は、綺麗に平らげられた。

「お茶、あるなら煎れますけど」

「無いよ、そんなもの」

彼の部屋は、寝具とテーブル以外家具が無く、随分殺風景だった。部屋の隅にはダンボールが積みあがっている。本当にここで生活しているのだろうか。台所道具は使われた形跡が殆ど無かった。

「ここには、あまり帰ってこないから」

俺の不躾な視線に気づいたのか、彼はそう言った。仰向けだった姿勢を横向きに変え、頭を腕で支えてこちらを見た。

「ほとんど荷物置き場だね」

街の中心にこの間取り。高い家賃の荷物置き場だ。

「いい部屋なのに、もったいないですね」

「何なら、アンタが使ってくれていいよ」

はい、とここに入るときに彼が使った鍵を差し出された。

「な、何言ってるんですか」

俺は慌てて、床に置かれた鍵を押し返した。

「そんな事、できる訳ないでしょう」

どうして、と彼は首を傾げた。

「もったいないってアンタが言ったんじゃない。アンタがこの部屋にいてくれるなら、おれも帰ってくる甲斐があるしね」

す、と落ちた沈黙に、ちり、と首の後ろがそそけ立った。

彼の瞳の色に、やたら胸が騒いだ。何かが、危ないと言っている。

俺は、彼の視線の意味を知っていることに気づいた。それは恐らく、俺がカカシさんを見つめるのと同じ理由。もしくは、もっと単純な、下半身に直結する理由。

彼は、寝転がったまま、腕を俺の方に伸ばした。その手が、正座した俺の膝に触れようとした瞬間、俺は腰を浮かして、距離を取った。

迂闊だった。こういう目的だと、どうして思い至らなかった?俺は彼を見つめながら思考をめぐらせた。相手は、元暗部の特別上忍。逃げ切れるだろうか。

「どうしたの?」

笑いを含んだ口調で言い、彼は俺にじっと視線を当てたまま、ゆっくりと起き上がった。

「何、怖がってるの?」

「・・・怖がってなんかいません」

そう、と彼は心底嬉しそうに笑った。

「いいね、そういう台詞。表情とのギャップが堪んない」

全身が総毛だった。俺は飛び退るように立ち上がった。

「帰ります」

「さっき、言ったでしょ。おれには赤い糸が見えるって」

彼の瞳が、俺を射すくめるように見上げてきた。

「見えるのは赤い糸だけじゃなくてね。例えば、親子とか、仲の良い友人とか、心が繋がりあっている関係も、その関係の深さに比例した太さの糸で繋がっているのが見える」

絆が形として見えるって言ったら分かりやすいかな、と彼は言った。

「それと、心が繋がりあっていなくても、誰かを強く想っている時には、その相手と、それ特有の糸で結ばれる。だから、アンタがカカシを好きなんだってわかったんだ」

アンタの胸から、カカシに向かって、繋がりたいって必死に伸びている絆が見えたよ。

「だから同じように、カカシの心が今誰に向いているのか、おれには見えるよ」

「・・・嘘だ」

俺は、内心の動揺を隠しながら彼を見下ろした。

「何が?」

「そんな力、信じられない」

何も聞かずに立ち去れ、と理性が叫んでいる。彼は、そんな俺を見上げて、静かに言った。

「別に信じなくてもいいよ。一応血継限界だけど、血筋に現れるのはごく稀だし。実際の戦闘にはほとんど役にたたないから、うちはの写輪眼や、日向の白眼みたいにメジャーじゃないしね」

「・・・・・・」

「でも、おれはアンタに、カカシについて知ってる事を全部教えてあげるって約束した。だから、話してあげるって言ってる」

彼はくつくつと笑った。

「それとも、カカシは髪が長くて切れ長の眼の女が好みだとか、着衣のまま後ろからヤるのが好きだとかって言うネタの方が、興味ある?」

俺の足は、その場に縫いとめられたように動かなかった。理性の警告が、耳に届かなくなっていく。

「・・・見返りに、あなたは俺に何を求めるつもりですか?」

俺の言葉に、彼はおどけた表情を浮かべた。

「夕飯喰わせてくれたでしょ?そういう約束じゃない。何?他にも何かしてくれるの?」

俺は彼を睨みつけた。じゃぁ、その瞳はなんだ?その色が、俺の勘違いだと言うのか。

俺の視線を平然と受け止める彼に、俺はふいに気づいた。

情報の見返りはあくまで夕飯。それ以上の関わりを受け入れるか否かは、純粋に俺の意思だと、彼は言外に言っているのだ。俺がカカシさんの事を好きだと知っている以上、彼はその感情を言葉にする事ができない。それを読み取って、出来るなら応えてくれと、求められているのだ。

無論、俺には、彼とそういう関係を持つつもりは全くない。そして、こういうアプローチの仕方をする彼なら、力の差に物を言わせるような真似もしないだろうと思えた。

俺は腹を括った。

カカシさんの情報を餌に、俺を引き寄せようとする彼と、彼の本意を知りながら、それを利用しようとする俺と。果たしてどちらがずるいのか。

俺は、のろのろとその場に腰を下ろした。彼が、満足げな声で言った。

「もっと、こっち来てよ」

「話なら、この距離でもできます」

ふて腐れた声の俺に、彼はくすりと笑った。

「アンタのそういうずるいとこ、何人の人間が気付いてるのかな。おれだけだったら嬉しいんだけど」

「・・・何かしたら、病人でも容赦しませんから」

彼は初めてぎょっとした顔を見せた。

「・・・どうして」

「微かにですが、あなたから火蓮草の香りがします。その花芯は、肝臓の病によく効くとか」

「医療班の忍でも、気づかない奴はざらなのに・・・おっかない中忍だね、アンタ」

益々気に入った、と不穏な事を呟いて、彼は再び満足げに笑った。

 

 

 

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