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5. ずっと、何かに祈った事なんてなかった。 祈りを知る前に、命を奪う技を覚え、他人の血と慟哭と怨嗟を全身に浴びた。 年齢など関係ない。成功するか、失敗するか。生きるか、死ぬか。明日を迎えるために、運という名の人智を超えたものさえ味方につけられるか。すべては自分次第だと、誰かに教えられるまでもなく知っていた気がする。 父は、早くからオレを実戦に出したことを後悔していたようだった。伝説の三忍を越えると称えられた通り名を憚り、口に出す事こそしなかったが、お前も友達欲しかったよな、と時折オレの頭を撫でながら、寂しそうに言ったものだった。 オレには父さんがいればいい。その時オレは、確かそう答えた。偉大過ぎる父の背中を追いかけたいと願う事が、幼いオレの、唯一の欲だったように思う。 任務が成功すれば、褒められ、そやされ、そしてまた次の任務を与えられる。その繰り返しがオレのすべてだった。自分を高める努力は習性として身についてしまっていた。死とは、つまり任務の失敗だった。 それが、木の葉の里で生きるという事だと思っていた。 その生き方が、オレにとって、里を愛するという事だった。 今思えば、体は成長したが、オレの心は同じ所でずっと立ち止まっていたんだと思う。 父の死に己の無力を教えられ、オビトの死に己の愚かさを突きつけられ、だからこそ、より強くありたいと足掻くオレを、師であった四代目はどんな目で見ていただろう。 「早く、カカシだけのお守りを見つけなきゃね」 あの頃、そう四代目によく言われた。神仏には頼らない、と答えると、そういう意味じゃないよ、と笑われた。 当時のオレには、結局意味が分らなかった。 気配に気付いたのか、イルカ先生が顔を上げてこちらを見た。 「ごめんなさい。起こしてしまいましたか」 慌てたように目元を擦り、無理に明るい口調を作ったのが分かった。俺は襖を開けて居間に入り、イルカ先生の隣に腰を下ろした。不安と恐怖に、全身ががちがちに強張っていた。 寝巻きを着たイルカ先生の胸元に、オレがつけた執着の赤い跡が見えた。ほんの1時間程前まで、これ以上ない位確かに繋がりあったと思っていたのに。今、目の前に座る彼は、どこか遠い目をして、静かな表情でオレを見返してくる。その穏やかさの意味するものが分からず、オレはただ怯えた。 「・・・やっぱり、誰が書いたのか、知ってるんですね」 オレはちゃぶ台の上の告発文を手に取った。沈黙は肯定だった。 「何で、庇うの?そいつと・・・何かあるの?」 ついに、一番聞きたくなくて、一番知りたい質問の答えを、オレはイルカ先生に求めた。彼は首を横に振った。 「違います。あの人とは、そういうんじゃないんです」 全身の血が逆流するような気がした。他の人間の事を、そんな口調で言わないで。 「・・・そういうのって?」 オレの低い問いに、イルカ先生は戸惑ったように僅かに眉を寄せ、目を伏せた。 その仕草に、ついに理性が飛んだ。 「あの人とは、誰ですか?」 冷えた言葉と同時に、オレはイルカ先生の首筋に右の人差し指を当てた。オレの眼差しから意図を悟ったイルカ先生の瞳が、零れ落ちそうな程見開かれた。唇が戦慄き、頬がざっと青褪めた。 オレがこの指を曲げれば、彼の頚動脈は一瞬で引き千切れる。 殺すつもりなど毛頭無いし、卑怯な、最低の行為だと自分でも分っていた。 だが、オレをそうさせているのはイルカ先生自身なのだと思い知らせてやりたかった。形振りなど構っていられない位、オレはあなたが好きなのだと、その心に刻みつけたかった。 それでも、イルカ先生は震えながら言い募った。 「・・・俺が悪いんです。あの人は」 「黙って」 どす黒い嫉妬に胸が焼けた。 「それ以上言ったら、脅しじゃ済まなくなる」 「・・・・・・」 「どんな形にしろ、そいつはあんたの心を持ってる。オレにはそれだけで十分だ」 名を聞いてオレは何をするつもりなのか。その答えはオレに暗い高揚感をもたらした。命まで奪うつもりはないけれど、それなりの覚悟はしてもらう。 「あの人とは、誰ですか?イルカ先生」 重ねて問うた。 ふと、イルカ先生の体の震えが止まった。 「・・・俺が信じられませんか?」 淡々と、そして何かを吹っ切るようにきっぱりと、イルカ先生が言った。 「あなたを好きだと言った、俺の言葉が信じられませんか?」 真っ直ぐにオレを見返す、その眼差しの強さに思わずたじろいだ。 イルカ先生は、彼の咽に当てていたオレの指を両手で取った。そして、オレが咲かせたその胸元の赤い跡に、押し付けるように触れさせた。 「あなたに抱かれて嬉しいと思うこの心と体は、あなたへの想いの証になりませんか?」 触れ合った部分から、彼の熱さが、その鼓動が、流れ込んでくるのを感じた。 畜生。何て残酷な。 溢れ出す、名のつけられない激情のままに、オレはイルカ先生をかき抱いた。 例えすべてが嘘だとしても、もうオレはあなたを手放す事ができないのに。それほど深く捕らわれているからこそ、こうして不安に慄いているというのに。そのオレを、この想いを、そんな言葉で試すのか。 酷い人だと呟けば、 「俺には、あなただけです」 イルカ先生は囁くように答えて、オレの背を同じ力で抱き返した。その激しさに胸が詰まった。 どんなあなたであれ、オレにも、あなただけだ。信じるという事とは少し違うこの感情は、この世界に唯一つのものへの崇拝に近い。それをあなたは分っているのだろうか。 彼の腕の確かな温かさと力強さに、猛っていた気持ちが次第に凪いでいくのを感じた。結局、こうして許してしまう自分の、彼への盲目ぶりに、知らず自嘲が湧いてきた。 こんなに好きにさせて。責任とって貰わないと。 「ね、イルカ先生」 抱き合ったまま、オレはイルカ先生の耳に言葉を吹き込んだ。 「あなたは、そいつと、あなた自身で決着をつけたいんでしょ?だったら、オレは何もしないと誓います」 本当は腸煮えくり返ってますけど、と付け加えると、ぎょっとしたような表情を浮かべた。そんなの当たり前じゃない。 「だから、我慢するそのご褒美に、名前だけでも教えて下さい」 イルカ先生は小さく目を見開いた。ね、と耳を噛んでみると、呆れたように小さく息を吐いた。 「それとも、やっぱり、隠したい?」 「・・・そういう訳じゃ、ないですけど」 眉根を寄せたイルカ先生の頬を迷いが掠めた。オレは急かさないようにそっと腕を緩め、彼の腰を抱き寄せるようにして座り直した。 「・・・悪いのは俺です」 暫くの躊躇の後、低く噛み締めるように、イルカ先生は言葉を紡いだ。 「あの人が望む形では応えることができないのに、あの人を切り捨てられなかった。寂しいと、哀しいと叫ぶ声に、引き寄せられてしまった・・・俺が、悪いんです」 オレはそっとイルカ先生の髪に口付けた。 「それは、誰?」 漸く、イルカ先生は重い口を開いた。 「・・・ムハク特別上忍、です」 思いもかけぬその名前に、オレの背中をぞっと悪寒が走った。 ムハクの面は兎だった。 臆病を意味するその生き物の面があれ程似合わない男もいない。暗部にいた期間はそう長くはなかったが、だから、よく覚えていた。 勇猛果敢。恐れる事を知らないその戦い方と、それを裏打ちする実力は、暗部の中でも群を抜いていた。細身の体と子供のような素顔で、戦場では誰よりも先頭を走り、一分の隙も躊躇もなく責務を全うした。 敵の咽を掻き切り、その返り血を浴びながらオレを見て、 「アンタと仕事するの、楽でいいね」 そう言って笑う男だった。 もう一つ、覚えている事がある。 ある時、ムハクは自分が屠った死体をじっと見つめ、 「もう離してやれ。それ以上は未練なだけだ」 そう呟いて、クナイで死体の胸の上をなぎ払った。 何かを断ち切るようなその仕草は、慎み深い敬虔ささえ感じさせて、苛烈で迷いのない男に似合わないことだと印象に残った。 その目には、オレには見えない何かが見えていたのか。 似ていると言われたこともあった。正反対だと言われたこともあった。どちらにしろ、嬉しがるような事ではないのは確かだった。 イルカ先生と初めて会ったのも、丁度その頃だ。 会ったと言っても、イルカ先生は、オレに気付いてもいなかったはずだ。 任務だった。里の負の感情を身に背負うナルトと、その腹に眠る獣の力の安定的な保存の為、暗部が交替で命じられるナルトの護衛。 幼い子供が、周囲の拒絶と無視という冷たい環境の中、時折投げつけられる陰湿な言葉の礫にそっと目を擦る姿を、何度見ただろう。 肉体を傷つけようとするなら、オレは命に替えてもナルトを守る。だが、その心までは守ってやれない。任務外という以上に、己一人で立てぬ弱さなら、生きていく価値が無い。そう思いながら、その日も、ナルトが自分の背丈の倍はある大人達に囲まれているのを、側の樹上から見つめていた。 火影様の手前、手は出さない。憎しみの原因も、口に出すことは禁じられている。だから男達は、言いがかりめいた言葉を連ねてナルトを責め立てた。 そこに現れたのが、黒い髪を結い上げたアカデミー教師だった。ナルトをその場から離し、 「子供相手にみっともないと思わないんですか」 そう、言い放った。 「お前だって両親を九尾に殺されたんだろう」 男達は鼻白んだ。 「ナルトが憎いだろう。あいつが死ねば、腹の九尾も一緒に死ぬんじゃないかって、想像した事あるだろう」 ほんの微かに、男の黒い瞳に迷いが映った。オレも、それが当たり前だと思った。 だが、黒髪の男はすぐにぐいと顔を上げ、真っ直ぐ相手を見て言った。 「それでも、あいつを恨むのは筋違いだ」 ぞっとするような綺麗事だと思った。 なのにその言葉は、迷いなく、力強く、オレの全身に響いた。嘘ではないと、信じられると、心にするりと入り込んできてしまった。 涙も苦しみも憎しみも、あらゆる物を内包して、だからこそ男のチャクラはとても温かい気配をしていた。 20歳になったばかりか、線の細さを残すその横顔から、もう目が離せなかった。 「・・・イルカ先生」 男達が立ち去った後、頼りな気にかけられた声に、男は手を差し出した。 「ほら、行くぞ、ナルト」 「せんせぃ・・・」 「情けない声出すな。一楽連れてってやるから」 二つの影が、夕日に向かって溶けていくのを、オレはじっと見送った。 四代目の言葉をふと思い出した。 「早く、カカシだけのお守りを見つけなきゃね」 お守り。祈りを捧げ、そこから力を貰うもの。暗闇に閉ざされた道を、正しい方向へ歩く為の道標。 血に汚れたこの両手でも、祈る事はできるだろうか。この里を守りたいと、願う事はできるだろうか。 誰の為に。何の為に。 きっと、それが、四代目の言いたかった事なのだろうと、知った。 オレは、オレだけのお守りを見つけた。 |
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