2.

イルカの異能に気付いたのは三代目だった。

九尾の事件直後、三代目は、身寄りも住む家も失った子供達の為に、自邸とアカデミー校舎をその仮住まいとして開放した。寝床と食事を提供し、里が一定の機能を回復するまで、火影が直接子供達を保護することとした。その中に、上忍であった両親と生まれ育った家を失ったイルカもいた。

忍を肉親に持つ子供達は、程度の差こそあれ、常日頃から親兄弟を失う覚悟を強いられている。それでも、里を襲った禍々しい巨大な獣の姿は、家族を失った喪失感と相俟って、強いストレスとトラウマを子供達の心に植えつけた。

不眠、夜鷺、嘔吐、食欲不振等、様々なストレス反応を見せる子供達の中にあって、イルカは比較的落ち着いて見えた。子供達の世話係であるくノ一を率先して手伝い、年下の子供の面倒もよく看て、他愛ない悪戯で荒みがちな空気を和ませる配慮と機転にも長けた少年は、皆に可愛がられた。

頭の良い、心の強い子。自分で何でもできる、手の掛からない子。イルカは、世話係にそう認識され、三代目にもその様に報告された。大勢の子供達の中で、イルカへの配慮が行き届かなかったのは、深刻な人手不足に疲弊しきった大人達に原因があった。

ある日、三代目は世話係からイルカが倒れたと連絡を受けた。そこで初めて、イルカに重い夢遊の症状があり、しかも事態が、大人達の認識より深刻である事が判明した。

夜、皆と同じ部屋で眠ったはずなのに、朝になると全く別の場所で倒れるように寝入っている事が、度重なっていた。裸足で外を出歩いているらしく、大抵手足が泥で汚れていた。しかも異様な程チャクラを消耗しており、次の日一日、立つ事すら覚束ないほど疲弊していた。

「しかし、夜鷺や夢遊の症状がある子供は他にも大勢います」

そう隈の浮いた眼で報告する世話係を、三代目は責める気にはならなかった。

三代目は、まず、過度のストレスによる症状を考えた。両親を失ったショックは、表面に現れなくても、幼い心を確実に蝕んでいるはずだった。だが、それだけでは、起き上がるのも困難な程チャクラを消耗している説明がつかなかった。

三代目は、夜のイルカの行動を追うことにした。

イルカ本人は何も知らせず、何時ものように就寝させた。イルカが寝入ったのを確認してから、ドアや窓に結界を張り、イルカが部屋から出ようとしたら、すぐに別室の三代目に伝わるよう術式を組んだ。

その夜イルカが、部屋はおろか自分の布団から出た様子は全く無かった。

翌朝、三代目が、昨夜は無駄足じゃったか、と朝日の中で欠伸をした時、アカデミーの校庭の隅で寝入っているイルカが、世話係によって発見された。

ただの夢遊病なら、火影の結界から痕跡も残さず出られるはずがない。

三代目は認識を変えた。

いつも同じ夢を見る、とイルカは三代目に言った。

「とうちゃんとかあちゃんが生きていて、九尾に壊されちまった家で暮らしてるんだ。そこに俺もいて、三人で、仲良く夕飯食べてるんだ。・・・それを、俺は、窓の外から見てるんだ」

イルカの口調は淡々としていたが、眼差しは悲しげに揺れていた。

「夕飯は、とうちゃんが作ったカレーで、いい匂いが家の外までしてるんだ。本当は、俺、とうちゃんとかあちゃんに話しかけたいんだけど、俺が見てることに気付かれちゃ駄目なんだ」

三代目はゆっくりと言った。

「どうして、気付かれたら駄目なんじゃ?」

分からない、とイルカは首を振った。

「本当は、俺はそこにいちゃいけないんだ。何でかは分からないけど、そうなんだ。だから、俺はいつも、とうちゃんとかあちゃんに囲まれて楽しそうに笑ってる俺を、窓の外から見てるだけしかできないんだ」

俺はもう、あのカレー食べられないんだ。そう呟いて、眼を擦ったイルカの肩を、三代目はそっと抱いた。

「・・・イルカの家には、確か、庭に大きな松の木があったじゃろう」

「うん」

「今度、その夢を見たら、その木に傷をつけてきてくれんかの?どんな方法でもいい。イルカがつけた傷じゃと、ワシに分かるように」

三代目の言葉に、イルカは素直に頷いた。

「庭に、練習用のクナイがあったから、それで出来ると思うよ」

翌朝、イルカが里の大門の脇で眠っていたとの報告を受けた三代目は、その足でイルカの生家があった地区へと向かった。

他の家々と同様、イルカの家も今は瓦礫と化していた。唯一古い松の木が、焼け焦げた枝を痛々しく垂れ下がらせながら、小さな井戸の袂に立っていた。

その木の根元に、深い傷が刻まれていた。

イルカ、と彫り付けられたその傷を、三代目は厳しい表情で見つめた。

前日、三代目自身が確認した時には確かに無かったその傷跡には、薄く樹皮が覆いかぶさっていた。

この深さの傷が、そこまで回復するのに、2、3年はかかるはずだった。

 

 

 

執務室に戻った三代目は、歴代火影の書庫に向かった。

夕餉の匂いを感じ取り、現実の松の木に傷を残した「夢」。そして、まるで数年の時を経たかのようなその傷跡。三代目の結界から忽然と姿を消し、全く別の場所に現れるイルカ。そして、異常なチャクラの消耗。

九尾の厄災を免れた膨大な文献と、自身の知識とイルカの話と総合して、三代目は一つの結論に達した。

恐らく、イルカには、時を越える力が備わっている。

忍術でも血継限界でもない。途方も無い偶然がイルカの中に生んだ変異が、九尾の事件の精神的ショックで発露したと考えるのが妥当だった。

イルカが夢だと思っている家族の風景は、過去の自分達の姿だった。睡眠中の無意識が能力を発動させ、自身のチャクラを使って、両親を恋しがるイルカの体を、過去のその瞬間に運んでいると考えられた。

イルカは、幸せだった頃の自分を、毎夜見つめているのだった。

イルカの能力が、時間の流れにどのように作用して、この結果を生んでいるのか。イルカの物質的な肉体が、どのように時を越え、どのように現在に戻ってくるのか。具体的なことは、流石に三代目にも分からなかった。能力の解明には詳細な調査と観察が必要だった。

だが、三代目は、すぐにイルカの能力を封印することを決めた。

これ以上チャクラの消耗が続くと、まだ少年のイルカの体力が限界を超える恐れがあった。そして何より、使い方を誤れば恐ろしく危険なこの能力を己のものとするには、13歳のイルカは、まだ弱く、幼かった。

九尾の獣の咆哮に向かって歩いてゆく、金髪の男の後姿が脳裏を掠め、三代目は首を振った。時間を戻し、亡くした人を取り返したいという願いは、木の葉に住む誰もが抱いている。過去の重みを受け止め、亡者の誘惑に耐えうるだけの強さが備わって初めて、この能力の真の価値が見出せるはずだった。

三代目は、イルカの項に印を施した。自分の意思とは無関係に、チャクラ制御に一定の方向性を加えるもので、チャクラの暴発を抑制した。一般的な技術の発動にはなんら支障はないはずだった。

イルカが中忍になった時、初めて三代目は、イルカに自身の能力と封印を伝えた。

「解くか?」

そう問うた三代目に、イルカは一日考えさせてください、と答えた。次の日、三代目の前に現れたイルカは、

「まだ、俺には早いです」

と寂しげに笑った。

そのイルカが、一度だけ封印を解くよう三代目に頼んだのは、彼がアカデミー教師になる事を決めた日だった。

三代目はその場で封印を解除した。そして、机の上の灰皿に札を落とし、印を切って燃やした。

「この炎を、目印に、戻って来い」

イルカが12年前のあの夜へ飛んでも仕方ない、と三代目は思っていた。両親を取り戻す為にあの禍々しい獣に挑んだとしても、結果二度とこの世界に戻らなくても、それがイルカの選択なら、認めようと思った。

まるで自分の内側と話をするように眼を閉じたイルカの体が、三代目の目の前で、まるで空気に溶けるように消えた。

間もなく、靄のようなものが床から立ち上った。まるで細胞から組み上がるように色が生まれ、イルカの姿が現れた。

戻ってきたイルカは、より強い眼差しをしていた。三代目は、笑った。

「どこへ、行って来た?」

「・・・覚えていることがあるんです」

イルカは、三代目に視線を向けながら、どこか遠くを見つめているような瞳で、静かに話し始めた。

・・・夕焼けの土手を、まだ小さい俺と父が歩いているんです。そこに、夕日を背負うようにして、母が帰ってくるんです。

任務から戻ったらしい母は、まずしゃがんで俺を抱きしめるんです。痛いって言っても中々離してくれなくて、あちこち確かめるように撫でられて、散々ぎゅうぎゅう締め付けられて、それからやっと腕を解いてくれるんです。

立ち上がった母の腰に、俺は抱きつくんです。優しい手が、俺の頭を撫でてくれて、俺は、母の着物に顔を擦り付けるんです。

子供の頃は気付かなかったんですが、母はその時父の肩に頭をもたせかけて、父は、母の耳に何か囁くんです。

そして、二人で、俺を見つめて、微笑むんです。

「俺は両手で父と母の手を握って、3人並んで、家に帰るんです」

イルカの唇に、柔らかな笑みが浮かんだ。

「俺は、愛されていた」

その黒い瞳から、透明な涙が一粒零れ落ちた。

「これ以上無い程の愛情を貰っていた。それだけで、俺はもう、十分です」

だから、もう二度と、封印は解きません。

三代目を真っ直ぐ見つめて、イルカは断言した。

それ以後、イルカが自身の能力について口にすることはなかった。

 

 

 

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