2.

イルカとはたけカカシの関係は、まず、最初の出会いからしてよろしくなかった。

 

 

 

「どうした、イルカ?」

上忍控室のドアを開けたイルカに、アスマが声をかけた。

午後の日差しが満ちる室内は、煙草をくゆらすアスマと、銀色の髪をした猫背の男が、窓際のソファーに座っているだけだった。

「アスマさん、今、構いませんか?」

部屋に入ったイルカは、アスマの隣に座る男に小さく頭を下げてから、アスマに書類を差し出した。

「昨日提出の報告書なんですが、ここの部分、数字の桁を間違えてらっしゃるようなんです」

「おっと、すまんな。すぐ直す」

イルカの差し出したボールペンを受け取り、アスマは書類の文字を目で追い始めた。

銀髪の男は、手元に広げた本に視線を落としたままだった。我関せずと言った様子で、顔を上げようともしない。

知らない男だ、とイルカは思った。

額宛を左目に掛かるように巻き、口布で顔半分を隠したその男の風体は、個性豊かな木の葉の里でもかなり目立つはずだった。だがここ数年担当している受付業務の中で、その姿を見たことは今まで一度もなかった。

顔は灰色の右目付近しか見えず、長い手足を持て余すように座る様子は、どことなく胡散臭い。無論、外見で忍を判断することなど愚の骨頂なのだが。

「・・・聞いたぞ」

書類の枠を数字で埋めながら、アスマが言った。

「今年も、特別上忍への推薦、蹴ったそうだな?イルカ」

「はい」

またか、とイルカは小さく苦笑した。アスマはちらりと視線を上げた。

「勿体ねえと、思うんだがなぁ」

ここ数日で、何人に、この台詞を言われただろう。気にかけてくれるのは有難い事だと思いながら、イルカは、何度も繰り返した答えをまた口にした。

「能力的な面から言っても、精神的な面から言っても、俺にはアカデミーでの仕事が合っているんです。子供達の成長を側で見守る役目に、やり甲斐を感じていますし。アカデミーの教職を兼任なさっている特別上忍もいらっしゃいますが、どうしても、活動の主が里外任務になりますから」

「まあ、な」

「それに今は・・・特に目が離せない奴がいますから」

昨日も叱り飛ばした金色の髪の子を思い、イルカは小さく微笑んだ。

「それって、ただの怠慢じゃないの?」

不意に、横から声を掛けられた。

驚いたイルカの視線の先で、銀髪の男が、手の中の本から目を上げぬまま、淡々とした口調で続けた。

「オレには、体よく逃げを打ってるように聞こえるね。内勤のヌルさに染まっちゃってる言い訳じゃないの?」

「・・・それは」

「止めろ、カカシ」

口を開きかけたイルカを、アスマの制止が遮った。銀髪の男は微かに眉を上げて二人を見比べ、口布の向こうで小さく溜息をついた。

「自分の好き嫌いより、自分の実力に見合った仕事をするのが、里への貢献ってやつだと思うけどね」

ぱたり、と本を閉じ、カカシと呼ばれた男はソファーから立ち上がった。

「先行ってるよ、アスマ」

「おう」

唯一表に表れているその灰色の右目は、もうイルカに向けられる事はなかった。猫背をさらに丸めるようにして、男は部屋を出て行った。

カカシ。

イルカは記憶の中で登録証を探った。

はたけカカシ。あの男が、写輪眼のカカシ。

「ま、悪い奴じゃねえよ・・・って、説得力ねえよなぁ」

アスマは苦笑して、新しい煙草に火をつけた。いいえ、とイルカは首を振った。

「はたけ上忍が仰った事は、まさしく正論ですから」

「でも気に喰わないって、顔に書いてあるぜ」

アスマの指摘に、今度はイルカが苦笑した。

子供好きな自分が、アカデミーで教鞭を取る。好き嫌いで選んだのだと言われれば、否定する事はできない。

だがそれは、怠慢でも逃げでもない。アカデミーの仕事に対する誇りと、積んできた経験、里への貢献への自負に裏打ちされた自信は、イルカの中で、誰に何と言われようと揺らぐものではなかった。

「俺にしたら、カカシの意見は偏り過ぎだとも思うし、お前の実力で中忍は勿体ねえとも思う」

ぽかりと煙草の煙を吐き出してアスマが言った。

「だが、まぁ、人はそれぞれだ。こういう事は、何が正しくて何が間違ってるってもんじゃねえしな」

アスマが、先刻のやり取りは気にするな、と言外に言っているのだと気付き、イルカはその心遣いに頭を下げた。

意見の違い。相容れない。それだけだ。

アスマから書類を受け取ったイルカは、人気の無い廊下を受付へと戻った。

6歳から忍としての最前線に立っていたカカシと、16歳で中忍となり戦忍を3年経験した後でアカデミーの教員となったイルカ。経験によって培われてきた物の見方や考え方が、二人の間で大きく隔たっていたとしても無理はない。

恐らく、イルカがカカシと再び会う事はないだろう。火影が直接下命する任務を請け負うカカシが、受付に現れる事は今までもなかったし、カカシが就く任務のレベルを考えれば、一介のアカデミー教師が同じ任務を授けられる可能性も限りなく低かった。

微かな苛立ちが胸を引っ掻くのを、イルカは自覚した。カカシに思い込みに近い形で断じられた事と、己の本意をカカシに伝えられなかった事を、自分が思っているより口惜しく感じているのだと気付いた。

「何だかなぁ・・・」

イルカは無意識に鼻の傷を掻いた。

「あの人にとっては、内勤の忍なんて、里人やアカデミーの生徒と同じなのか」

内勤も忍だ、と言葉で言うのは簡単だ。

だがその意味を、超一流の忍であるカカシに認めさせるのは、ナルトに礼節を身に付けさせるより難しい事のように思えた。

その数日後、イルカは久しぶりの里外任務を三代目から直接与えられた。

上忍とのツーマンセル。三代目からは諜報活動とだけ伝えられ、具体的な内容は、現地で上官である上忍から直接仰ぐよう指示された。

そして、旅行者を装って火の国の繁華街にやってきたイルカの前に現れたのが、はたけカカシだった。

 

 

 

そろそろ夕方の混雑が始まる時間帯だった。

火の国に到着したイルカは、その足で、繁華街の中程にあるその居酒屋の暖簾をくぐった。広い店内は、店員がきびきびと立ち働き、気の早い客達の陽気な笑い声で既に活気に溢れていた。

事前の指示通り、待ち合わせだと伝えて奥のテーブルに席を取った。

麦酒を頼み、賑わう周囲にそれとなく視線を走らせたイルカは、店の入り口に背の高い人影を見つけた。

着流し姿のその男は、迎えた店員に何事か告げ、こちらへ向かって来た。その落ち着きのない銀色の髪型に、見覚えがあった。

「どうして・・・」

あなたが、と言いかけた口を、礼儀で以ってイルカは止めた。

「それはこっちの台詞」

やって来たカカシは、不機嫌な様子を隠そうともせず、イルカのはす向かいの椅子に腰を下ろした。

「あんた、アカデミーの先生でしょ?何でこんな任務に就いてるの?」

女性の店員が、二人分の麦酒を運んできた。

ちらりとカカシを盗み見た彼女が、微かに頬を染めるのを見て、確かに、とイルカは思った。額宛と口布を取り去った素顔のカカシは、男のイルカでも一瞬目を奪われる程、端正な顔立ちをしていた。

忍服の時はかなり細身に映ったその体格は、着物の下で、しっかりと厚みのある筋肉を備えている事を伝えてきた。着物は濃灰と藍色で格子を浮き上がらせたもので、服飾に関しての素養の無いイルカでも、かなり高価な品である事が想像できた。

「三代目のご指示です。今回の任務では、法語の師範代免許を持っている人間が必要だと」

店員が立ち去るのを待って、イルカは答えた。カカシの右目が、ほんの僅かに細くなった。

「・・・聞いてるのはそれだけ?」

「はい」

カカシは、は、と肩をすくめて、椅子の背もたれに寄りかかった。だらりと体の脇に垂れていた腕が、がりがりと首の後ろを掻いた。

「間違いではないですけどね。・・・ったく、三代目も人が悪い」

「どういう意味ですか?」

イルカの問いに答えず、カカシは体を横にずらした。イルカの頭の先から、テーブルの下のつま先までじろじろと眺めて、

「野暮ったいというか、むさ苦しいというか」

溜息と同時に言い放った。

「あんた、ほんと、絵に描いたみたいに真面目なせんせいなんですね」

イルカは自分の頬が強張るのを自覚した。

カカシの言葉は、自分でも認める所なのが癪だ。だが、貶されなくてはならない理由が分からない。

「俺・・・私が気に入らないなら、交代の請求を出されてはいかがですか?」

低く言ったイルカに、時間ないからいいよ、とあっさり返したカカシは、麦酒のグラスに口をつけた。

馬鹿にされている。

イルカは一度息を吸って、吐き出した。一瞬頭に昇った血が、すう、と下がった。

「任務の内容を教えて貰えませんか?」

イルカの問いに、カカシは淡々と言葉を返した。

「具体的な事を言うつもりはないですよ。あんたは、オレの指示を忠実に守ってればいい」

道具と同じ。ただ黙って使われていろ。そう言われたのと同じだった。

「分かりました」

イルカは、目の前のグラスに手を伸ばした。ひやり、と指先をグラスの汗が濡らした。

中忍や下忍を同じ忍と思わず、横暴や無体を強いてくる上忍は多い。里への貢献云々と尤もらしい事を言っていたカカシも、そういう輩と同類という事だ。

道具は、道具らしく。相応の対応をするまでだ。イルカは麦酒をあおった。

ふいに、カカシの指先が、とん、とテーブルを叩いた。

顔を向けると、カカシは左に視線を流した。その先を、イルカも目で追った。

フロアとは蝦色の暖簾で仕切られた厨房から、一人の若い男が顔を出していた。フロアの店員に何事か話しかけ、にこにこと笑い合っている。

男の姿を視線で指しながら、カカシが低く言った。

「葛眼ユキト。あれが、あんたのターゲットです」

イルカは視界の端で男の様子を追った。歳は20歳前後。Tシャツと黒いエプロンという他の店員と同じ格好をし、長い髪が落ちてこないよう頭に布を巻いている。凛とした容貌に浮かぶ優しげな笑顔が、人の目を惹きつけた。

「あんたの役目は、あいつに取り入って、自宅である父親の屋敷に入り込むこと。期限は、最長で20日」

カカシの言葉にイルカは瞠目した。

「取り入ってって・・・」

カカシは、イルカの戸惑いには構わず続けた。

「目的の屋敷には、チャクラに反応する対忍用のやっかいな結界が張られてましてね。そのままでは忍び込めないんです。人の出入りも厳重にチェックされていて、身内や使用人に変化して侵入する事も難しい」

あんたならどうしますか、と気紛れのようにカカシは言った。

試されているのだと分かった。怠慢なアカデミー教師が、写輪眼のカカシの道具に足るのかかどうか。数秒考えて、イルカは答えた。

「つまり・・・私の役目は、チャクラを減じて一般人を装い、入り込んだ屋敷の中から、あなたを口寄せするという事ですか」

「ご明答」

カカシの唇が冷笑に歪んだ。

「だからね、もうちょっと色気のある奴が欲しかったんですよ。あんたじゃ、ターゲットに接近する手段が限られる」

イルカは、厨房に戻った男の横顔を思い出した。

「・・・ターゲットが、そういう性癖の持ち主だと?」

さあて、とカカシは答えた。

「今の所、遊び相手は女だけみたいですけどね。あのガキ、ああ見えて中々遣り手らしくて」

だったらくノ一の方がよかったのでは、と思ったイルカを読んだのか、カカシは小さく肩をすくめた。

「・・・ま、あんたが考える事じゃないですよ」

あんたは、オレの言う事を聞いてれば、それでいいんです。

そう言って、カカシはグラスを空けた。

 

 

 

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