このこひのみち けものみち

 

 

 

風だけが、動いている。

その小さな村には、人はおろか、生き物の気配すら無かった。

砂埃が舞い上がり、古い家屋が悲鳴のように軋む。

壊れた桶の破片が、乾いた音をたてて転がってゆくのを、カカシはじっと見送った。

 

 

 

任地から戻るなり、カカシは三代目から緊急の呼び出しを受けた。

行き先は、大陸の北にある小さな村。戦線から帰還途上の木の葉の部隊が、その村付近からの連絡を最後に、消息を絶ったという。

「その部隊の、行方を探れと?」

「いや。部隊の一員の男が一人、その村にいるはずじゃ。そやつを連れて戻れ」

「一人、ですか?」

消息不明の部隊はどうするのか。問うと、三代目の表情が暗く曇った。

「・・・恐らく、もう、遅い」

その男だけでも、助けたい。三代目の声は、低く悲痛だった。

「戦線は、戦局の変化により更に西に押しておる。村は、まさに戦場の目と鼻の先じゃ」

「急ぎます」

この件は他言無用と厳命され、身軽な暗部装束に旅装を加えたカカシは、すぐに里を発った。

依頼を受けて木の葉が部隊を派遣した軍は、その版図を確実に広げていた。目的の村は敵の勢力下にあるが、行方不明となった部隊は偵察を兼ねて、その付近を帰路に選んだのだ。

両軍の隙を潜り抜け、到着した村は、もぬけの殻だった。

元々豊かとは言い難い村だったらしく、立ち並ぶ家屋は、古びてみすぼらしい。周囲の田畑も驚くほど狭く、土も痩せているようだった。

だが、生活の痕跡は確かに残っていた。道の真ん中に放り出された荷車。干されたままの洗濯物。転がった鍬と鋤。畑で取れた野菜が蓆の上で埃に塗れてしなびている。まるで、村人全員が着の身着のままで逃げ出した、そんな印象だった。

村の目抜きと思われる通りを奥へと進むと、カカシは吹く風の中に、馴染みのある匂いを嗅ぎ取った。

血臭と腐臭。通りの突き当りにある建物の付近から漂ってくる。カカシは暗い予感を胸に足を速めた。

平屋の建物は周囲の民家より大きく、村の共用の施設として使われていたと思われた。低い竹垣に囲まれた庭の様子を見て、カカシは思わず眉を寄せた。

凄惨。その一言に尽きた。

庭の土が赤いのは、大量の血が染み込んでいるからだろう。そこに、どす黒い肉塊がいくつも転がっている。血と肉と、剥き出しになった内臓が腐敗した色に、無数の蝿がたかっていた。

散らばった着衣の切れ端から、それらが木の葉の忍のものだと分かる。恐らく、行方不明になった部隊の一員だろう。だが、転がる肉塊は不自然に小さい。上半身と下半身が引き裂かれていると思われるが、どこが腕で、どこが脚か、頭の位置さえ判別できない。

血塗れた場に慣れているカカシでも、目を背けたくなる程おぞましい光景だった。

カカシが庭に入ると、腐肉にたかっていた蝿がわっと飛び立った。森に近い場所だが、何故か、死体は獣に食い荒らされた形跡が無かった。

庭の奥にある建物は、窓を外側から木板で塞いでいた。急場しのぎだったのか、作業は乱暴だ。引き戸を開けると、薄暗い室内、奥の壁際で、影が動いた。

「・・・・・・」

木の葉の忍服を来た、まだ若い男だった。蹲り、顔を腕で隠すようにしながら、警戒の気を発している。床には、その青年を中心に護りの術式が描かれていたが、耐え切れない負荷がかかったのだろう、陣は殆ど破れていた。

こいつを、里に連れて戻れという事か。カカシは青年に声をかけた。

「木の葉戦忍第三十五部隊所属に、間違いない?」

「・・・・・・誰だ?」

まるで、手負いの獣が毛を逆立てて威嚇しているようだった。

青年の右足首は、太い鎖で家屋の柱に繋がれていた。呪縛から逃れようとしたのだろう、踝からふくらはぎにかけて、皮膚が破け、血が滲んでいる。

そして、最もカカシの注意を引いたのは、青年の目だった。

両の瞼は堅く閉じられ、その上に黒い文字で印が施されていた。禍々しいまでの術式が、青年の両目を塞いでいたのだ。

「三代目の命で来た。他の奴らは?」

「知らない。分からない」

高く張り詰めた声音が、僅かに震えていた。鎖に自由を奪われ、瞳を封印され、誰もいない暗闇の中でどれ位の間一人過ごしたのだろう。その精神は、ぎりぎりで保たれているようだった。

カカシは、青年の名を聞いた。

「・・・うみの、イルカ」

「イルカね。申し訳ないけど、オレは名乗れない」

言いながら、近寄り、イルカの足首と建物を繋ぐ鎖を切った。途端に、イルカはカカシと距離を置くように後ずさった。

「戦況が流動的なの。遠回りになるけれど、東の森を抜けて南下する」

「・・・・・・」

「とにかく、この村から出よう。ここは、妙に背筋がちりちりして気持ちが悪い」

カカシの言葉に、イルカは慄いたように体を震わせた。

手を貸そうと肩に触れると、怯えたように身を捩り、全身を強張らせた。無理矢理に抱え上げようかとも思ったが、カカシはそのまま建物から庭に出て、待った。

暫くすると、よろよろと覚束無い足取りながら、イルカが後を追ってきた。曲りなりにも忍だ。一度通った場所なら一人で歩けるだろう。

だが、これから先はそうはいかない。

暗い室内から日差しの下へ出ても、イルカは眩しがる様子を見せない。その閉じられた瞳は、僅かの光も感じていないようだ。

「仲間の死体を蹴飛ばしたくないなら、手を貸すけど」

カカシの言葉に、イルカは打たれたように全身を震わせ、閉じた目で周囲を見回した。

「ま・・・さ、か」

戦慄く唇から、嗚咽が漏れた。両手を握り締め、唇を噛み締め、

「隊長・・・みんな・・・」

どうして、俺だけ。声にならない声を上げて、イルカは地に伏す程体を折り曲げ、慟哭を堪えた。

この部隊に一体何があったのか。その疑問を、カカシは意識の外に追いやった。今は、どうやって、この男を連れて森を越えるか、それだけだ。

震えるイルカを見下ろし、カカシは冷静に思案を巡らせた。

 

 

 

村を東へ出ると、深い森に繋がっている。

大陸の中央に広がるその広大な温帯の極相林は、戦場の西辺を囲んでいた。この辺りは敵の実質的な勢力下にあり、本格的な戦闘には結びついていないまでも、両軍の斥候が入り乱れて各所で小競り合いが頻発していた。

森に入ると、案の定、イルカの移動速度は極端に落ちた。

目が見えない事もあるが、日の光の下で見ると、イルカは異様なほど衰弱していた。兵糧丸を飲ませたが、体の動きが鈍い。結い上げた黒髪は乾いて乱れ、眼の下のどす黒い隈は、イルカがもう何日も眠っていない事を物語っていた。

しかもイルカは、触れられる事に強い恐怖心を持っているようだった。カカシが直接手を貸す事を極端に拒み、カカシが進む後を手探りで追ってきた。

最初は術で眠らせて運ぼうかと思ったカカシだったが、このイルカの体力と精神状態では、強い術は後遺症を残しかねない。ある程度体力を戻すのが先だと判断し、カカシは予定の行程を諦めて、大きな岩と露出した樹の根が絡み合う陰にイルカを導いた。

「今のうちに眠っといて。今度いつ休めるか判らない」

カカシの言葉をどう受け取ったのか、イルカは封印に塞がれた瞼を震わせた。恐怖に表情を歪めて、じりじりとカカシから間合いを取ろうと後ずさる。イルカが足を動かす度、がしゃがしゃと足首に残った鎖が耳障りに鳴った。

「何?オレがあんたに何かするとでも思ってんの?」

カカシは溜息をついた。

「この状況で警戒心を失わないのは、まぁ、忍として見上げた根性だはと思うけどねぇ」

眼が見えず、体力も落ちたイルカは、戦闘では役に立たないどころか、カカシの隙になりかねない。

「一応、命がけであんたを守るつもりなんだけど」

やみくもに後ろへ下がったイルカの足が、張り出した樹の根に突き当たった。そのまま倒れ込みそうになるイルカに手を伸ばし、その腕を掴んで支えると、

「俺に、さわるな」

イルカは、悲鳴のような声を上げた。

「俺に触るな・・・っ」

悲痛な声と同時に、イルカの足が、がくりと崩れた。

「あぶな・・・」

カカシは、後ろに倒れこみそうになったイルカの腰を抱き寄せるように支えた。忍服の中の体が、見た目以上に細く頼りない事が、カカシを意外な程驚かせた。

「お願いだから、眠って」

俯き、腕の中で震えるイルカに、カカシは言った。

「寝て、少しでも体力を戻して。こんなんじゃ、これから先の行程が思いやられる」

「・・・さわ・・・るな・・・」

抵抗は弱々しいが、それでも明確な意思を持ってカカシを拒んだ。カカシは溜息を飲み込んで、イルカを地面に座らせると、腕を解いた。

「後ろに太い樹の根がある。もたれるなりなんなりして、休んで」

「・・・・・・」

「オレは少し辺りを見てくる。あんたの周りには結界をはっておくから」

結界、と呟いたイルカは僅かに頬を歪めた。

カカシが偵察から戻ると、イルカは、樹の根元に横になって眠っていた。

無防備な寝顔と深い呼吸を確認する。これ以上ない程背を丸め、自分の体を抱き締めるようなその姿は、羊水に浮かぶ胎児を思わせた。

「何なんだろうね・・・」

カカシは、イルカの頭の側に腰を下ろして、樹の根にもたれかかった。

晴れた午後、吹く風は爽やかな初夏の気配を運んでくる。鳥の軽やかな囀りが聞こえ、ここが戦場の只中だという事が嘘のように穏やかな時間が流れる。

ん、と小さな声を零して、イルカが寝返りを打ち、また小さく丸まった。

この瞳には一体何が封じられているのだろう。眠るイルカを見下ろし、カカシは思った。瞼を塞ぐ黒々とした文字の、念の入った術式は禍々しささえ感じさせる。

尋常ではないイルカの怯え方は、一体どんな経験に由来しているのか。

そして、封印の文字を破って瞼を開かせた時、イルカ自身の瞳は、どんな色をしているのだろう。

つらつらと考えながら、カカシも目を閉じた。

無論、眠りはしない。特殊な兵糧丸と鍛錬の賜物で、カカシは数日間眠らずとも支障なく動くことができる。だが、休息は取れる時にとっておく事が、先の読めない戦場での鉄則だった。

視覚を遮断するだけで、脳の疲労は回復する。カカシは、隣で眠るイルカの呼吸を感じながら、意識のレベルを下げた。

どれ位そうしていただろうか。

微かな変化を感じ取り、カカシは目を開いた。

腰を浮かして周囲を伺ったが、特に変わりはない。首を傾げながら地面に横たわるイルカに目を遣った時、

「・・・・・・っ」

イルカの体がいきなり硬く強張った。

「・・・るな・・・」

眠っているはずの表情が苦しげに翳り、

「くるなっ・・・」

唇を戦慄かせ、がたがたと震える自分の体をきつく抱き締めるように、イルカは更に小さく背を丸めた。

カカシは、眉を寄せてイルカの顔を覗き込んだ。夢を見ているのか。だが、それにしても。

「・・・い、やだ・・・や・・・めて・・・」

寝言と呼ぶには余りに恐怖に染まった声音だった。何かから顔を背けるように両腕の間に頭を埋め、膝をこれ以上ない程体に寄せたイルカの肩を、カカシはそっと揺り動かした。

「ちょっと、大丈夫?」

「・・・・・・や」

カカシの手に怯えたように、イルカは激しく身を捩った。泣き出しそうなその表情が余りに頼りなく、カカシは思わずイルカの体を抱き起こした。

「起きて」

いやいやと首を振るその耳に、直接言葉を吹き込んだ。

「もう大丈夫だから」

「・・・・・・や・・・」

「大丈夫。オレが、ここにいる」

「・・・・・・・」

「ここに、いるから」

イルカの体から、力が抜けた。瞼が瞬くように動き、だが、開く事は叶わない瞳を、イルカは焦れたように指で探った。

「や・・・だ・・・くらいっ」

「爪を立てないで」

塞がった瞼を癇症に掻き毟ろうとする指を捕え、その顔を自分の肩に寄せて抱き締めた。

「大丈夫。大丈夫だから」

怯える心に届くように、何度も静かに繰り返した。

「・・・っ」

身を震わせたイルカの呼吸が次第に静まって行くのを、カカシは辛抱強く待った。

触るなと、全身でカカシを拒んでいたイルカの手が、いつしかカカシに強く縋りついていた。

 

 

 

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