木の葉戦忍第三十五部隊が、その洞窟を見つけたのは、全く偶然だった。

忍の目でなくては、発見することは出来なかっただろう。急峻な山麓、獣すら通れぬ程切り立った崖の下、転がる巨石群の間を通っている時に、部隊の一人が、岩陰の細い隙間から風が吹いてくる事に気が付いた。

その付近は、敵の版図の只中にあったが、戦線は遠かった。すぐ北のエリアで活動していた三十五部隊は、偵察を兼ねてこの地域を里への帰路に選んだのだ。

二人がかりで重なった岩を押すと、低い地響きをたてて空間が開いた。驚いた事に、岩を削って作られた明らかに人工的な階段が、地下の闇へと続いていた。

その窟の中に入る瞬間、忍達は酷い悪寒を感じた。その感覚を信じて引き返せばよかったと、後でどれ程後悔しただろう。

細い階段は、永遠に続くかと思われた。歴戦の猛者達が、まるで黄泉へ降りてゆくかのようなその深さに幾許かの不安を覚え始めた頃、ようやく階段が無くなり、足元が平らになった。その頃には、首筋を撫でる違和感は痛みさえ訴えていた。

低く風が唸る様な音が、奥の闇から聞こえてきた。

術で点した明かりをその方角へ向けた時、世慣れ物慣れた忍達が、思わず息を飲んだ。

「何だ・・・こいつは」

肉色をした、巨大な塊だった。

人の身長など遥かに超える大きさという事は一目で分かった。忍達が持つ細い明かりを受けて、ぬめぬめとしたその質感が地底空間に浮かび上がった。

生き物なのか、それとも全く別の物体なのか。

誰かが、小さく呟いた。

「・・・こいつ、生きてやがるのか」

肉塊の中央部分が僅かに膨れ上がり、赤く、確かに脈を打っていた。側には襞に包まれた裂け目があり、そこから、地の底から響いてくるような音が漏れていた。

肉塊の足元は深い溝で、粘度のある赤黒い液体がゆっくりと流れているのが分かった。流れは肉塊の足元に潜り込み、ぶくぶくと泡立って、臭気とも香気ともいえぬ生々しい匂いを放った。

その光景には、不気味というよりも、許されぬ場所に踏み込んでしまった時のような、心底を震わせるものがあった。

もっと側で見よう。興奮気味に、誰かがそう言った時だった。

肉塊が、ぶるりと音をたてて、大きく震えた。

襞に包まれた裂け目の間に、赤いものが覗いた。見る間に襞が捲くれ上がり、中から、その赤い塊が中空へ向かって吐き出された。

人の頭程もあるその塊が、どろりとした粘液を振りまきながら、忍達の頭上へ落下してきた。

逃げるように後ずさった者達の中で、一人が剣を抜きざま、落ちてきた塊へ切りかかった。

びしゃりと塊は間二つに裂け、中から血塗れの毛に覆われた顔が覗いた。

人じみた獣、獣のような人。その許されざる禍々しさに忍達が総毛だった。

おおおおおんんんん

いきなり、巨大な肉塊が、吠えた。

地響きのような声が地底の小さな空間に轟き、忍達は思わず耳を塞いだ。

おおおおおんんんん

肉をぶるぶると震わせて、塊は怨嗟の唸りをあげた。地に落ちた獣のような顔がびくびくと痙攣し、その動きが次第に小さくなるにつれて、周囲の空気が怒りに染まっていった。

顔を上げる事も難しい程の威圧に、豪胆な忍達の背筋が凍った。犯してはならない罪を犯したのだと、ようやく気が付いた。

「逃げろ」

命じられるまでも無く、本能が逃走を決めた。

我先に階段を駆け上がり、岩場を必死で駆け下りた。咆哮は地を揺るがす響きとなって、忍達を追いかけてきた。

おおおおおんんんん

何とか付近の村にたどり着くと、村人達は、轟き渡る咆哮に恐れ戦いていた。皆、顔面に恐怖を張り付かせ、着の身着のまま、村から逃げ出そうとしていた。

「結界を切ったな、愚か者」

村人の一人が叫んだ。

「ムビを、起こしたな」

「この世は地獄になるぞ」

ムビ。

その言葉に、部隊長の血の気が引いた。

 

 

 

「やめてください」

悲鳴を上げるイルカに、男達は無言で迫った。両腕を掴まれ足首を囚われ、引き倒されて床に押さえつけられたイルカは、恐怖にその瞳を見開いて、自分に迫ってくる運命を凝視した。

「・・・そんな事をしても・・・っ」

拘束を逃れようと身を捩るが、自分よりも大柄で強い男達の腕を解くことはできない。

「お前には申し訳ないと思う」

男達の内の一人が囁いた。

「だが、これしか術が無いのだ」

「耐えてくれ」

「いや・・・です」

夜の湖面が月を映すように、イルカの黒い瞳が揺らめいた。

「こんなのは、嫌です」

「・・・・・・」

「俺だけ・・・なんて。俺だって木の葉の忍です。俺も、皆と一緒に」

男達は、年若いイルカの懸命さに微笑んだ。

「その言葉だけでよい」

「お前だけは、生き残れ」

「生き残って、里に戻れ」

命令だ、と告げる声を、イルカは絶望の中で聞いた。もう自分には、命の果てを見つめる男達の心を翻す術がない。

「どんな事をしても、生きろ」

地に伏しても。泥水をすすっても。木の葉の忍として生き延びろ。

ついにイルカは、涙に濡れたその瞳を閉じた。

瞼を閉じただけでは、薄い皮膚を通して外界の光や気配を感じる事ができる。男たちが無言で動き回っている様子を、イルカは眼を閉じながら感じ取っていた。

男たちは、板張りの床の上を、微かな足音をたてながら、右へ左へ、前へ後へ、一定のリズムと間隔を持って動いてゆく。それが術式を踏んでいるのだと気付いたイルカの顎が、ふいに、固定するように掴まれた。

「・・・すまぬ」

低い謝罪と共に、びちゃりと濡れたものが瞼にあてられた。

つんと鼻をつく独特の匂い。墨だ。イルカは思わず息をのんだ。墨を含んだ筆で、瞼を塞ぐように、文字を書かれている。

文字は、イルカの知らぬ形だった。そして、その墨に塗り込められるように、今まで僅かながら光を感じていたイルカの眼が、次第に黒く沈んでいった。

「あ・・・・・・」

男達がイルカから離れた時、イルカは真の暗闇の中にいた。

「何・・・これ」

イルカは、震えながら両手を顔の前に持ち上げた。腕を上げた感覚は確かにあるのに、その気配を視覚として感じ取る事ができない。

深淵の闇。漆黒の夜。ただ、虚しい程深い黒が存在するだけの世界。

怖い。イルカは震える体を抱きかかえるように身を丸めた。確かな存在は自分の体温だけ、そんな恐怖が這い上がってきた。

「お前の眼を封じた」

男が言った。

「この封印を解けるのは唯一火影様のみ」

「生きて、里へ戻れ。イルカ」

いきなり足首を掴まれ、イルカは悲鳴を上げた。闇雲に手足をばたつかせ、喚き声を上げるのを、再び床に押さえつけられた。

「お前なら、大丈夫だ」

ひんやりとした硬い感触が足首を包んだ。それが、太い鎖につながれた鉄の輪だという事を、イルカは呆然と感じ取った。

イルカを床に押し付けていた男達の手が離れた。真の暗闇の中に放り出されたイルカは、心細さに身を震わせながら身を起こした。

「篭りの術は身につけているな?」

男達の声が、次第に遠ざかってゆく。イルカは慌てて、声の方向に腕を伸ばした。

「ま・・・待って」

だが、手は空を掴むばかりだ。もう男達の気配を感じ取ることもできない。

「火影様には鳥を飛ばしてある。そう時をおかずに、迎えが来るだろう」

「念の為に、兵糧丸を懐に入れてある」

「体力を温存する為に、篭りの術で眠っていろ」

掛けられる低い声だけが、男達がそこに存在している事を示していた。

「もし・・・」

イルカは当てもなく叫んだ。

「もし・・・迎えがこなかったら・・・」

足首に繋がれた鎖は太く、しかも、イルカの技術で外すことができないよう、何かの術で補強されているようだった。鎖のもう一方の端は、この部屋を支える柱に繋げたと、男に告げられた。

「迎えが、来なかったら、俺は・・・」

ここで。こんな所で、たった一人で朽ちてゆかなければならないのか。

視界を完全に塞がれた事が、イルカの精神を更に不安定にしていた。精神修養を積んでいなければ、不安に泣き叫んでしまいそうだった。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「その時は、黄泉の入り口で待っているから」

一緒に行こう。男の一人が、父親のような声音で言った。

 

男達が去った後、部屋の中は物音一つしなかった。

イルカは床にうずくまり、自分の体内から聞こえる、血管を血が巡り、内臓が活動している音だけを、ただじっと聞いていた。

冷静であれ、と叱咤する声と、これからどうなるのだろう、と怯える声が、イルカの中でせめぎあっていた。

そっと、塞がれた自分の瞼に触れてみた。ちゃんと指の感触を感じられるし、痛みや引きつれもない。

だが、どんなに開こうとしても、イルカの瞼はまるで一枚の皮膚になったかのように眼球を覆ったままだった。

どれ位そうしていたか分からない。

いきなり、地を這うような叫び声が聞こえて、イルカは飛び上がった。

悲鳴は、イルカが囚われている建物の外から聞こえてきた。

イルカが男達に連れて来られたのは、村の集会所として使われている建物だった。土間から上がった板張りの床は、十畳程の広さがあり、部屋の中央には囲炉裏が切ってある。入り口正面の壁には小さな神棚があり、男達は、イルカをその両脇を挟む柱の一本に鎖で繋いだのだった。

鎖に拘束されたイルカが動けるのは一歩四方程度の範囲で、囲炉裏にも手が届かない。冷たい床にへたり込み、壁に縋るようにもたれたイルカは、悲鳴が上がった方角を見遣って体を震わせた。

身の毛がよだつ程の、痛みと恐怖が交じり合った、断末魔の悲鳴。

どん、どん、と何かが地面に叩きつけられているような音と、びしゃり、と液体が振りまかれたような音があがり、それにまた、ぞっとするような喚き声が重なった。

・・・まるで、生きたまま身を裂かれているような。

嘘だ。嫌だ。いやだ。

根源的な恐怖心に揺さぶられながら、イルカは息を詰め、音のする方向をじっと伺っていた。極限まで高まった緊張に、心臓が破裂しそうに脈打った。

どれ位たっただろうか。

いつしか、地獄のような音と悲鳴が止み、物音一つしなくなっている事にイルカは気付いた。

その瞬間、

「・・・・・・っ」

恐ろしさの余り、イルカは壁にめり込まんばかりに後ずさり、悲鳴を必死に飲み込んだ。

イルカの耳に入ったのは、確かに、この建物の入り口が開いた音だった。

 

その時の恐怖は言葉にできない。イルカは震えながらカカシに言った。

「それ」は、イルカの姿を求め、匂いを探り、渾身の術で守られたイルカの、すぐ側までにじり寄ってきた。

頬に触れる息遣い。血の匂い。塞がれた目は、その大きさを判別できなかったが、「それ」が放つ圧倒的な存在感に、全身が押しつぶされてしまいそうだった。

逃れられない死が、次の瞬間には口を開けて、イルカを飲み込むかもしれない。その恐怖の圧力が、イルカを慄かせた。

どれ位の時間がたったのか分からない。気がつくと、気配は消えていた。

だが、その時に味わった深い恐怖が、心の中から消える事はなかった。

部隊の為に、絶対に生きて戻らなくてはならない。

だが、あれがやって来て、今度こそ命を奪われるかも知れない。

忍としての決意と、根源的な恐怖の輪廻に疲れ果てた頃。

「木の葉戦忍第三十五部隊所属に、間違いない?」

カカシが、イルカの前に現れた。

 

 

 

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