時間を戻したいと、何度願っただろう。祈っただろう。

 

もし、あの夜、二人が出会わなければ、あなたを苦しめる運命から、あなたを守る事ができたかもしれない。

 

別の時、別の場所で出会っていても、きっとあなたと、恋におちたのだから。

 

 

 

2.

晩秋の深夜、冬の気配が静かに忍び寄ってきた。

任務を終えたカカシは、ひび割れた面を手に、三代目の私邸を訪れた。

火影から直接下される暗部の任は、下知も報告も時刻を選ばない。明かりが落ちた邸内は既に眠りにつき、しんと静まり返っていた。

手の中で、面がかつりと鳴った。己の無力を嘲笑っているかのように思えて、カカシは小さく舌を打った。

誰よりも強くなりたいと思っていた。

自分が強くなれば、他の誰も傷つかない。数多の守れなかったものの為に、数多の守りたいものの為に、もっと、もっと、誰にも負けぬ力が欲しかった。

だから、今日の相手も、面を割られただけで倒せたのは幸運だったとは、どうしても、思いたくなかった。

カカシは音も無く、私邸の奥にある三代目の書斎の前に立った。

室内から術の気配が漏れている。常にない事に、ノックする手を止めたカカシに、

「構わん、入れ」

扉の向こうから、三代目の声がかかった。

照明の消された書斎は、床で燃える蝋燭の炎で橙色に照らされていた。

室の中央に術陣が描かれている。その中心に、金色の髪をした少年が寝転がっていた。上半身は裸で、むき出しの腹には、黒々と術式が描かれている。

ナルトだ。

この世に生まれ落ちてすぐ、その胎内に九本の尾を持った化け物を封じ込められた子が、術陣の中でぐっすりと眠っていた。

久し振りに見るナルトは、随分と背が伸びたようだった。

金色の髪は父親に似て、まだ幼さの残る顔立ちは母親に似ている。今夜のような偶然でも無い限り、直接会う事も、言葉を交わす事も叶わない今は、どんな風に成長しているのか資料の上でしか知らない。

だが、自分の命はこの子の礎になる為にあるのだと、カカシは、四代目の背中を見送ったあの時からずっと心に誓っていた。

眠るナルトの傍らには、三代目ともう一人が腰を下ろしていた。長いその黒髪に、一瞬女かと思ったが、すぐに若い男だと気付いた。

カカシに気付いた青年が、顔を向けた。

「・・・・・・」

視線が、交わった。

青年の深い黒の眼差しが、真直ぐにカカシを捉えた。慈愛。傍らで眠る子への温かな労わり。揺れる蝋燭の炎を反射するその優しい瞳を、カカシは吸い込まれるように見返した。

月を映す湖面に生まれた波紋のように、何かが、カカシの中に満ち、広がった。

静かな、それでいて深い部分から浮かび上がる震動のような波が、今まで感じたことのない気持ちを呼び起す。

それは、どこか恐怖にも似ていて。

青年は、精悍な男らしい顔立ちをしていた。鼻梁を跨ぐ傷がある。僅かに開いたその唇が、微かに震えたように見えた。

「もうすぐ終わる。少し待ってくれ」

三代目の声が聞こえ、カカシははっと我に返った。青年も、慌てたようにカカシから眼を逸らせ、再びナルトに視線を戻した。

三代目が、印を結び、ナルトの腹に術の力を注ぎ込む。青年は、ナルトの額をゆっくりと撫でながら、その様子をじっと見守った。黒い瞳は、伏せられた睫毛の向こうで、もう、カカシにはよく見えなかった。

「・・・よし、終わった」

印を切り、三代目が息をついた。

「ありがとうございます」

青年は、眠ったままのナルトに手早く服を着せた。礼を言って頭を下げた青年に、三代目は苦笑めいた複雑な表情を浮かべた。

「何か異常があれば、すぐに儂を呼ぶんじゃぞ」

「はい。では、失礼致します」

青年は、過保護な程に分厚い上着で包み込んだナルトを背に負って立ち上がった。

カカシの方へ歩いて来る時も、青年は顔を伏せたままだった。カカシの前で一度立ち止まった青年は、床を見つめたままカカシに頭を下げ、そのままドアを出ると、密やかに廊下を歩いて行った。

視線は二度と、交わる事は無かった。

ただ、残像のように、青年の気配だけがカカシの中に残された。背の高い、忍らしい身のこなしの、優しい仕草でナルトの頭を撫でる手の、印象。

そして、あの美しく優しい瞳。

「気になるか」

三代目の言葉に、カカシは、自分が無意識に青年の気配を追っていた事に気付いた。言い当てられた事に、常にない程心臓が乱れて、自分自身に戸惑った。

「腹の封印の補強をな」

だが、三代目はナルトの方だと思ったようだった。

「四代目が命と引き換えた封印術じゃ。まず、破れることはない」

だが、と三代目は、愛用の煙管に煙草を詰めた。

「やはり、九尾の力は強大。僅かな綻びでもあれば、内側から食い破られかねん。ああして時折、点検と補強を施しておる」

「・・・あの、男は?」

問いは、勝手に口から飛び出した。

「ん?イルカの事か?」

イルカ。カカシの中で、その名が幾度も反響した。三代目は、カカシの動揺に気付いているのかいないのか、煙を吐き出しながら淡々と話し始めた。

「ナルトには、父も母もいない。無論、ナルトの他にも身寄りの無い孤児は多くおるが、ナルトは余りに立場と状況が特殊過ぎる。かと言って、儂の立場では、面倒を見るといっても限度がある」

三代目の口調が苦々しく低まった。

「養子に、と申し出てくれた者もおるにはおったが、衣食住だけで子供が健やかに育つ訳では無い。何より、ナルトは、罪の無いある意味犠牲者であって、道具では無いんじゃ」

ナルトの腹に眠るのは、禍々しくも強大な力だ。それを利用しようと考える輩が現れても、全く不思議では無い。例えば保護者という立場なら、それに大義名分がつけられる。

「イルカは、まだ若い」

年齢は、恐らくカカシより下だろう。

「だが、儂にこう言ったんじゃ」

自分は13の歳まで両親に愛されて育った。だが、ナルトは、生まれた時からずっと孤独だ。これ以上、ナルトに寂しい思いをさせたくない、とな。

「その気持ちが、ナルトには何よりも必要だと思った。じゃから、任せる事にした」

一瞬だけ交わった、あの眼差しの穏やかな黒い色を思う。

その後ろに広がる感情を、意思を、イルカの心そのものを思う。

知りたいと、イルカという人間を、存在を知りたいと思う。

「・・・ここにやって来た時は、随分気が立っておったから、どうした事かと思ったが」

三代目は、何故か楽しそうに言った。

「割られたのか、珍しい」

カカシは、手の中の面を見下ろした。

狐を隈取った獣の顔は、ちょうど左目の辺りに縦にひびが走っている。

だが、カカシを苛んでいた苛立ちは、いつの間にか消えていた。

 

 

 

うみのイルカの経歴はすぐに知れた。

中忍となってからすぐに戦忍となり、その後アカデミー教師に転任した。現在は、受付業務も兼務している。

実質的にナルトの面倒を見るようになったのは、ナルトがアカデミーに入学する直前、イルカが教師となって里に定着してすぐだった。

ナルトを憎む者は多かった。

封印の経緯を考えれば、ナルトに罪は無い。だが大切なものを奪われた憎しみと遣る瀬無さは、それが深ければ深い程理性を失わせる。自分の心の重みを少しでも軽くしたいと、目の前にあるか弱い存在に怒りをぶつける行為は、幼い命を危険に晒しかねなかった。

里外任務が中心のカカシは就いた事が無かったが、暗部の仕事には、ナルトの身辺警護も含まれていた。

「子供相手にみっともないと思わないのか」

人気の無い路地で、暮れなずむ堤防で、火影岩の影で、イルカは、ナルトを傷つけようとする者達の前に立った。

「お前だって両親を九尾に殺されたんだろう」

「ナルトが憎いだろう。あいつが死ねば、腹の九尾も一緒に死ぬんじゃないかって、想像した事あるだろう」

呪いのような悪態に、ほんの微かに、イルカの黒い瞳に翳りが映る。だが、イルカはいつも、ぐぃと顔を上げ、真っ直ぐ相手を睨み返した。

「それでも、あいつを恨むのは筋違いだ」

自分の腹に封じられた存在を、ナルト本人には決して知られてはならない。木の葉の隠された掟は、さらに攻撃者を陰湿にする。逃げろと言っても聞かないナルトは、声も届かぬ所へ遠ざけられ、自分の無力に悔し涙を浮かべる。

「・・・先生」

攻撃は、言葉だけの時もあるし、暴力を伴う時もある。だがどんな状況であっても、イルカは必ずナルトの元へ戻り、手を差し出した。

「ほら、行くぞ」

「せんせぃ・・・」

「情けない声出すな。一楽連れてってやるから」

二つの影が、並んで街に消えてゆくのを、カカシはじっと見守った。

何度も、同じような場面を見た。

実の肉親に対するように、ナルトを愛し、その為に笑い、泣き、怒る。

一心に慕うナルトの小さな手を、イルカは大切に、大切に、守り、繋ぎ続けていた。

 

 

 

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