2.

首の後ろがちりちりする。

息も、し難い。テンゾウは、面を外したい衝動をこらえながら、ちらりと天井を見上げた。

火影の執務室には、高次の防御用結界が幾重にも張り巡らされている。それが、内側からかかる負荷に軋みを上げていた。外部からの攻撃に備えた防御型とはいえ、専門の忍が数人がかりで設えた木の葉の技術の粋を集めた結界が、限界に近づいているのだ。

その原因であるカカシは、執務室の真ん中に一見静かに立っていた。

だが、執務机に座った綱手を見据えるその目は、熱すぎて冷たい。全身から立ち上る青白い気が周囲を威圧し、結界を軋ませていた。

吹きつけてくるその冷気のようなチャクラに、テンゾウは知らず乾いていた唇を舐めた。綱手の後ろに控えるシズネも、僅かに呼吸が浅い。

もぬけの殻となったうみのイルカのアパートに、カカシを迎えに行ったのはテンゾウだった。

開け放したドアの中、玄関のたたきに立ち尽くすカカシの後ろ姿に、テンゾウは、遅かった、と内心で舌を打った。カカシの足元に、土埃に塗れた荷が転がっている。テンゾウが予想した通り、カカシは里に戻って真っ直ぐイルカの部屋を訪れていた。

カカシが阿吽の門をくぐった段階で確保できればよかったのだが、折悪く入った緊急の任務が少し長引いた。事情が事情だけに他の人間に任せる訳にもいかず、結果、カカシを何の情報も無いままこの現実に直面させるという、テンゾウができれば避けたいと思っていた状況となってしまった。

「先輩」

声を掛けてから、背後に降り立った。随分前から近づくテンゾウに気付いていただろうが、カカシの背中は動かない。

「五代目がお呼びです。至急だと」

「後にして。先にやる事あるから」

暗い室内に顔を向けたまま、カカシは答えた。その声の静かさに、テンゾウの背筋がじっとりと冷えた。

「・・・うみのイルカの事で」

一息ついて、テンゾウはその言葉を口にした。カカシが、ゆっくりと振り返った。

次の瞬間、テンゾウは、カカシの右手に喉笛を掴まれていた。

「・・・先、輩」

「説明して」

頸動脈を正確に捕える指に、力は込められていなかった。だが、急所を押えられているという事実が、テンゾウの心臓を冷やした。

対応する隙が無かった事に驚きはしない。相手ははたけカカシだ。衝撃を受けたとすれば、初めて見るカカシのこれ程の激情だ。

うみのイルカと出会い、心を通わせて、口の悪い連中に手懐けられた犬だとからかわれる程にカカシは変わった。丸くなった、と言うには飄々とした佇まいの陰にある近寄り難さは相変わらずだったが、いつもその背にあった孤独の影が消え、浮かべる笑顔は随分と穏やかになった。

だが、テンゾウの喉笛を躊躇なく掴むカカシは、暗部時代以上の、空気さえ裂きそうな白刃の気配を漂わせていた。自分が感じているのが確かに恐怖だと否応なしに認めさせられて、テンゾウは細く息を吐いた。

「説明して」

繰り返す口布越しの声は、ぞっとする程平坦だった。カカシがこれ以上なく苛立っているのが、互いに命を預け共に戦ってきたテンゾウには分かる。

「・・・五代目に」

ほんの僅か、カカシの指に力が入ったのが分かった。

「お前が出張ってるんだから、碌な事じゃないって分かるけどね、テンゾウ」

カカシは暗い室内に眼を遣った。

「この部屋、ご丁寧にチャクラの残滓も残してないね。何があったの?」

「・・・・・・」

「イルカ先生に、何を、したの?」

濃灰の右目が、鋭くテンゾウを射た。

「詳しい事は・・・おれも知らないんです・・・どうか、五代目に」

テンゾウの言葉をどう受け取ったのか、カカシは図るように右目を細めると、テンゾウの喉から手を離した。次の瞬間、その姿は煙を残してかき消えた。

土塗れの荷が玄関のたたきに残された。それを取り上げ、テンゾウは小さく呟いた。

「・・・何があったのか、おれも知りたいんですよ」

執務室全体が声無き悲鳴を上げている中で、流石に綱手は動じた様子も無かった。

「カカシ、お前、写輪眼でイルカを見たか?」

「イルカ先生はどこですか?」

何の前置きも無く問うた綱手と、それが聞こえなかったかのように返したカカシは、互いの視線を激しくぶつけ合った。

「答えな、カカシ。写輪眼でイルカを見たか?」

綱手が、苛立ちを抑えた声で繰り返した。

「どういう意味ですか?」

カカシの声は、余りに落ち着いて不安を掻き立てた。

「意味も糞も無い。言葉通りだよ。写輪眼は、元々発動した状態で移植されてるだろう」

「意識しなければ術を写せるレベルにはなりませんが。家にいる時まで、額宛はつけませんので」

カカシの返答に、綱手は目眩を堪えるように目を閉じ、人差し指をこめかみにあてた。

「イルカ先生はどこですか?」

再び、カカシが問うた。

「元気でいる。・・・心配はいらない」

短く答えた綱手は、眼を開き、真っ直ぐにカカシを見返した。

「火影の名に於いて命じる」

冷徹な長の顔で発せられた声が、執務室に冷厳に響いた。

「イルカと付き合う事は無論、二度と会う事も許さない。あいつの事は、忘れろ」

変わらぬ表情のまま、僅かに、カカシが身じろぎした。ぎ、ぎ、ぎ、と結界が引き千切れる直前の音が、テンゾウの鼓膜を引っ掻いた。

「・・・理由を」

余りに静かなカカシが恐ろしかった。

「お前達の為だ」

「それは、答えになっていません」

綱手の視線が僅かに陰った。

「理由を聞けば納得するか?」

「いいえ」

即答するカカシに、綱手は微かに唇を歪めた。

「なら、言うだけ無駄だ」

命令だ、と綱手は、静かに繰り返した。

「二度と、イルカに会う事は許さない」

だらりと下がっていたカカシの両手が、白く握り締められた。返事をしないカカシに、綱手は、最後通告を突きつけた。

「イルカは、聞き分けがよかったぞ」

次の瞬間、幾重もの結界が破裂した衝撃が、テンゾウを襲った。

 

 

 

「何をやってる」

太い鉄格子の向こうへ、アスマが話しかけた。

「火影の執務室がめちゃくちゃだ。あそこの防御陣を修復するのに、どれだけ手間がかかると思ってる」

牢の奥、松明の灯りが届かぬ闇の中から、ひび割れた声が返った。

「会わせて」

じゃらり、と重い金属の鎖が石組みの床をこする音が、懲罰房の淀んだ空気に響く。

「あの人に、イルカ先生に、会わせてよ」

「悪い。今のところ、おれにも居場所が分からん」

アスマの言葉に、ゆら、と牢の奥が揺らめいたように見えた。

執務室でカカシを治めたのは、偶然上忍控室にいたアスマだった。力ずくでは無い。イルカの居場所に心当たりがある、とカカシだけに聞こえるよう告げたのだ。その言葉に、カカシは大人しく綱手の指示に従って、この懲罰房に入った。

「おれも任務から一昨日戻ったばかりだ。いなくなってる事に気が付いて、それから手を尽くしてる」

アパートが片付けられてるってのが気に食わない。そう言ってアスマは煙を吐き出した。幼い頃から知っているイルカは、弟のような存在だった。事情はともかく、安否が何より気にかかった。

「最後にイルカが確認できたのは、約1カ月前の木の葉病院だ。そこからふっつり行方が分からない。里の主だった施設にそれらしき人物はいないし、里外に出た形跡もない」

だがな、とアスマは、監視室の入口を振り返った。

「全く見当がつかねぇ訳でもない」

「お待たせしました」

扉の影から姿を見せたテンゾウが言った。

「猿飛上忍が仰った場所に、確かに。見知った奴がいたので、中には入れませんでしたが」

そうか、とアスマは煙を吐き出した。

「水穴」

「・・・どこ?」

「初代火影が、この地に里を築く際に鎮めた小さな泉だ。元々そこに棲みついてた龍に勝ってこの土地を譲って貰ったって話はガキのお伽話だが、実際に、北の山の麓にある。ある意味木の葉の要だってんで、詳しい場所は上の一部の奴らしか知らん」

「そこに、監禁されてるの?」

「監禁、ではなく、保護です」

テンゾウの答えに、苛立ったように鎖が軋んだ。続きをアスマが引き取った。

「親父・・・火影の助手で一度だけ行った事がある。辺りの土地の気がとにかく強いんで、術が効きにくい。傍に天然の洞窟があるんだが、おそらく、イルカはそこだ」

沈黙。

「どうするんだ?」

答えを知っている口調で、アスマが問うた。

「迎えに行く」

何の迷いも見せずに答えたカカシは、寄りかかっていた石壁から身を起こすと、両手足を拘束する鎖を無造作に引き千切った。

「・・・一応、二人で止めたって事にしといてくれや」

煙を吐き出しながら、アスマがテンゾウに言った。

数分後、会議室で書類に向かっていた綱手は、地下の懲罰房が破られたと報告を受けた。

「あの、馬鹿が・・・」

手の中の書類を握り潰し、綱手は立ち上がった。

 

 

 

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