4.

いるかせんせいえ。

せんせいがとおくのがっこうにけんしゅうにいって、せんせいがいなくて、さみしいです。

せんせいがかえってくるまでに、いんをみっつむすべるようになるって、おかあさんにやくそくしました。

だから、はやくかえってきてください。

せんせいにあいたいです。

 

鉛筆で太く大きく書かれた文字が、滲んで良く見えない。

浮かぶ涙を堪えながら、イルカは届けられた手紙を何度も読み返した。サイドテーブルの引き出しには、担任していた子供達が書いた手紙が、何通も収められている。

公には、イルカは遠い国の教育施設に研修に出ている事になっている。いずれ教職に戻れた時の為の措置だが、子供達に嘘をついているという事実が、イルカには苦しかった。

恐らく、こうして慕ってくれる子供達の前に教師として立つ事も、忍として独り立ちする姿を見る事も叶わないだろう。純粋な望みは果たされる事無く、イルカの涙に濡れるだけで仕舞い込まれるのだと思うと、ただ申し訳なく、悔しかった。

手紙をサイドテーブルの上に置いて灯りを落とすと、イルカはベットに横になった。窓の無い部屋だが完全な闇にはならず、青みがかった黒が、天井の格子模様を浮かび上がらせる。

寝付けない事は分かっていた。検査時に処方される睡眠薬が無い時は、浅く短い眠りを細切れに拾うだけだ。体力が落ちているのを実感する。室内でできる鍛錬は習慣的に続けているが、運動量が極端に減ったせいで筋力と代謝が落ちた。食欲も減退し、体重も減っている。

イルカは手の甲で目元を押えて、息をついた。無意識に自分が何を求めているのか、それだけは考えないように、イルカは細心の注意を払って自分の思考をコントロールしていた。イルカ以外誰も望まないその結末からイルカを遠ざけるのは、自分が木の葉の忍であるという誇りと、カカシへの想いだった。

いずれ自分が得難い戦力として実戦に送り込まれるだろうという事を、イルカは覚悟していた。この部屋に入る前に強いられた実験で、里の上層部は満足すべき結果を得ている。一刻も早くイルカを戦力として整えろという上層部の要求を、制御方法の不確実性を根拠に綱手が抑えているのだと、シズネから聞いていた。無論その理由づけはいつまでも通用しない。そうなれば、イルカは再び戦場に戻る。過去の戦忍であった中忍うみのイルカとは違う、全く別の存在として、恐らく、たった一人で。

その未来を厭うている訳では無い。里の為に生きるという思いは、今も昔も変わりない。今の自分ができる全てで、里に忠義を尽くす。

ただ、大切な人達の笑顔を見られないのは辛い。そして。

「・・・カカシさん・・・っ」

その名を想うだけで、胸が掻き毟られる程に苦しい。逢いたい。けれど、二度と逢えない。

それでもいい。同じ世界に立ち、同じものを守っているという実感があれば、白い闇の中で永遠の孤独を過ごそうと、きっと耐えられる。

何度も自分に言い聞かせた事を今日も繰り返して、イルカは眠りを捕まえる為に目を閉じた。

その時、不意に、ドアをノックする音がした。

「イルカ、起きているか」

オウミだった。時計を見上げてイルカは首を傾げた。針は3時を指している。常に無いその行動と、低い声に滲む落ち着きのなさを感じ取って、イルカはベットから起き上がった。

「はい・・・何かありましたか」

ドアが開き、オウミが入ってきた。表情の乏しいその顔に緊張が浮かんでいる。

「はたけカカシが来る」

短い言葉が、イルカの心臓を貫いた。

「・・・カカシさんが・・・」

任務を終えたカカシが間もなく里に戻る事は、綱手から伝えられていた。だが、ここへ来る事は無いと思っていた。イルカの居場所はごく限られた者以外には秘されているはずで、面会には綱手の許可が必要だ。それが許されるはずがなかった。

「どこから嗅ぎつけたのかは分からない。里に戻ってすぐ、懲罰房に入れられたらしいが、そこを破ったと連絡があった」

「懲罰房?どうして?」

イルカの問いに答えず、オウミはイルカの頬に手を触れた。

「イルカ、分かっているな」

「・・・はい」

何があっても、カカシに会う訳にはいかない。絶対に、カカシを拒まなくてはならない。

時計が時を刻む音が聞こえるような沈黙が落ちた。

イルカを腕の中に収めるように立つオウミの気が、ひりひりと張り詰める。それに圧迫されて荒くなる呼吸を抑えようとしたイルカに、

「すまない」

「・・・いいえ」

労わられるのが悔しかった。心配気なその声を振り切るように、イルカはオウミから離れると、ドアに視線を向けた。

どれ程の時間が経っただろうか。

突然右の方角に現れた強い気配に、イルカは思わず声を上げそうになった。

カカシだ。

部屋の分厚い壁の向こう、青い炎が燃えているような気が、確かに感じられる。

カカシの気配は、迷いなくこちらへ向かってきた。ばちばちと何かが引き千切れるような音が断続的に聞こえるのは、幾重にも張り巡らされているはずの結界が破れているのか。低い声と、金属が激しく擦れ合う音と、どさり、どさりと重みのある何かが地に倒れる音が次々に重なった。

「さすがに、相談役の私兵では手に負えんか」

背後で、オウミが呟いた。

イルカは息を忘れて、その気配の動きを追った。微かな足音が耳に聞こえ始めて、熱く激しいもので胸が一杯になった。

カカシが、ドアの前に立った。

一際大きな軋みがドア全体に走り、ドアノブががちゃりと音を立てた。最後の防御である鍵に阻まれて回転が止まったノブを、しかしカカシは、そのまま回そうとする。

「待って下さい!」

張り裂けそうな想いのままに、イルカは叫んだ。

「開けないで!」

「・・・・・・」

「お願いします。どうか・・・開けないで下さい」

ノブの動きが止まり、カカシの声が言った。

「イルカ先生。ただいま」

燃え立つような気配とは似つかない静かな声は、いつもの、任務から戻ったカカシがイルカに向ける、安堵と深い恋慕に満ちていた。

その声を聞いただけで、イルカの何もかもが崩れ落ちそうになった。堪えていた嗚咽が、溢れる。

「・・・お帰りなさい・・・っ」

カカシが笑った気がして、堪らず胸を押えた。

「ここを開けて、イルカ先生。ちゃんと顔を見せて下さい」

いつもみたいに、オレを安心させて。男らしい艶のある声に甘えを滲ませたその声に、更に切なさが湧き上がった。返事をしようとしたイルカを、オウミが制した。

「はたけカカシ。お前と、イルカを会わせる訳にはいかない」

「・・・誰?」

一転、ぞっとする程冷えた声が地を這った。

「イルカの面倒を見ている者だ」

青い怒りが、重いドアを隔ててさえ、空気を震わせた。だがオウミは怯む様子無く、淡々と告げる。

「五代目の決定は聞いているだろう?」

無言の肯定が返った。

「火影の命に背く事は許されない。それに、これは二人の為を思っての決定だ。だから、イルカも従った。それを考えろ」

それに、とオウミは言葉を続けた。

「性欲処理なら、五代目が代わりの相手を用意すると仰っている」

「黙れ」

低い恫喝と同時に、だん、と激しい音を立てて鋼鉄のドアが大きく揺れた。恐らくカカシが拳で殴ったのだ。

「誰もイルカ先生の代わりになんてならない」

重苦しく張り詰めた空気を貫き、カカシの声が言った。

「イルカ先生。答えて」

カカシがドアに触れた気がした。何故それが分かるのか自分でも理解できないまま、イルカは引き寄せられるように、ドアの前に立った。

「最初に言っておきます。もし、嘘をついたら、オレは、あなたが何を言おうと、どんな事をしてでも、このドアを開ける」

それから、あなたを殺して、後を追います。

事も無げに言う声に、イルカは身を震わせた。

罪だ。

カカシの言葉に、この深い執着に、震えるほどに喜びを感じるなんて、罪だ。

イルカも、ドアに触れた。この厚い鋼鉄の向こうに、確かにカカシがいる。

「イルカ先生」

「はい」

「オレを、好き?」

その子供のような問いかけに、ついに涙が溢れた。

「はい」

嗚咽を堪え、答えを返す。

「誰よりも?」

「誰よりも」

「オレには、先生しかいない」

「俺も、カカシさんだけです」

他の誰も、カカシの代わりにはなれない。僅かでもその体温を感じ取れはしないかと、イルカはドアに寄りかかり、頬を寄せた。

「カカシさん」

愛しい名を呼ぶ。

「俺は、ずっとあなたを想っています。生涯、あなただけです」

オウミが諭すようにイルカの肩を掴んだ。分かっている。分かっているから。

「・・・だから・・・ごめんなさい」

イルカは目を閉じ、爪をドアに思い切り立てた。

「・・・もう、お目にかかることはできません」

皮膚が裂けんばかりの痛みに任せて、最後の言葉を続けた。

「どうか・・・俺の事は忘れて下さい・・・」

あなたが忘れても、俺は忘れない。二度と逢えなくても、忘れるなんて出来ない。溢れそうな激しい想いを飲み込んで、イルカはただドアに縋り、涙を落とした。

「イルカ先生」

二人を阻むドアの向こう、カカシの声は、酷く落ち着いて聞こえた。

「何故あなたがこんな所に閉じ込められているのか、あなたの身に一体何があったのか、それを知りたいとは思います。でも、それ以上にオレにとって重要なのは、あなたの気持ちです」

「・・・俺の、気持ち・・・?」

顔を上げたイルカの様子が分かるかのように、カカシは続けた。

「あなたは確かにこのドアの向こうにいて、変わらずオレを好きだと言ってくれる。だったらオレは他に何もいらない。イルカ先生は、違いますか?」

違わない。イルカも同じだ。カカシがいれば、それだけでいい。

「だったら、イルカ先生、あなたは何を怖がっているの?」

優しい問いかけが胸を貫く。

「オレは、あなたを失う事以上に怖い事なんてない。あなたは、違うの?」

返す言葉を見つけられなくて、イルカは涙滲む目でドアを凝視した。

綱手や里の上層部に諭されるまでも無く、こうしてカカシから離れる事が一番カカシの為になると、そう思って決めた。

決めたはずなのに。

逢いたい。

逢いたくて逢いたくて堪らない。一目でいい、顔を見たい。そんな事をしたら木の葉の忍として生きていられないと諭す理性の、歯止めが揺らぐ。

イルカの沈黙をどう取ったのか、いきなり、ドアノブがちゃりと音をたてた。

「・・・っ」

総毛立ったイルカに、カカシが低く告げた。

「・・・言いましたよね、嘘をついたら、どうするかって」

嘘じゃ、ない。カカシには見えないと分かっていながら、イルカは必死に首を振った。カカシを想う心は、このままカカシの手にかかるなら本望だと叫ぶ。だが、木の葉の忍としての性は、写輪眼のカカシを自分の為に損なってはいけないと訴える。

混乱する思考に翻弄されるイルカの眼前で、ゆっくりとノブが回る。背後で、オウミの気が張り詰めてゆく。

その時、

「そこまでだよ、カカシ」

カカシの背後で、綱手の声が聞こえた。

 

 

 

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